学位論文要旨



No 111261
著者(漢字) 大宮,直記
著者(英字)
著者(カナ) オオミヤ,ナオキ
標題(和) 近代以降の都市における景の変遷に関する研究
標題(洋)
報告番号 111261
報告番号 甲11261
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1552号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 林学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊谷,洋一
 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 井手,久登
 東京大学 助教授 下村,彰男
 東京大学 講師 斎藤,馨
内容要旨

 本研究は、今後の風景計画の検討に資するために、社会において共有される風景の捉え方の様式の存在を確認し、その近代から現代における変遷を明らかにして、変化の潮流について考察を行った。

 「序章」においては、背景、目的、対象、方法について述べた。近年まちづくりにおけるアメニティを考えるに際し、市民個々人の思い出や価値観を反映させた「景観づくり」、「風景づくり」の重要性が益々高まってきた。しかし一方で、そのような人それぞれの主観性に基づく風景論的立場では、普遍的結論へと帰納することが難しいともされてきた。しかしながら、デュルケムを中心とする社会学者らにより、個人を越え、集合的に共有される社会的意識である「集合意識」が提唱されており、風景の捉え方においても、そうした社会に共通する部分が存在することが明らかになれば、新しい風景計画に役立つと考え、研究を進めた。

 風景に関する集合意識のうち、思潮や価値観等その潜在的部分を「景」と名付け、「社会において共有される風景の捉え方の様式」と定義した。そして芸術等に表現された集合意識の顕在的部分を「表象景」とした。本研究の目的は、以上の設定のもとに、(1)社会に顕在する「表象景」を通して「景」という社会的価値観の存在を探る、(2)近代から現代における「景」の変遷を明らかにする、(3)変遷の特徴(潮流)について考察する、ことである。

 研究の方法は資料分析である。分析にあたっては、「表象景」が描き表現する地域を限定し、近世より継続的に芸術の対象とされ、歴史的変遷を追うことのできる都市という観点から東京を対象として選んだ。そして東京を表した「表象景」の中から、資料の継続性と、豊富さ、資料収集時における入手のしやすさ、また異質なメディア間を比較し考察を行うために、絵画的表現手法を主とする「名所図会、百景」と、文字という表現手法をとる「文学作品」を選んだ。それぞれについて分析を行い、同時期に共通的に現れた変化、特徴に着目し、その背景にある「景」について考え、そして両者を総合して近代以降の「景」についての考察を行った。

 「第I章」においては、名所図会・百景をとおした近代以降の「景」の変遷を明らかにした。分析対象として、明治9年から昭和61年に至る、名所図会、百景を合計26集収集した。絵図は合計1891枚となった。得られた26の絵図集を構成する「絵図」と「文章」の二つに対し、(1)描写対象、(2)作品間の描写対象の重複、(3)描かれ方、表され方、(4)付帯文章の構成等、について定量、定性両面から分析を行った。

 その結果、同時代の作品間に共通する特徴が得られた。その特徴、変化より、近代以降を4期に時期区分して、各時期の特徴を説明した。(1)「明治前期(明治20年代まで)」は、近世の影響を色濃く残した時期であり、前時代から継続の名所の観念的描写が多くみられた。(2)「明治後期・大正期」は、近代的建築要素が増加したと同時に、建築、名所等の空間要素がともに対象化され客体的に捉えられるようになっており、近代的知覚の定着した時期と言えた。(3)「昭和戦前期」になると、それまでの名所や著名なものに集中する傾向から、都市の様々な側面を描がく傾向へと変化し、価値基準の多様化が明らかになった。そして(4)「昭和戦後期」は、大きな変容が認められた時期である。描写対象の選択に個人化の傾向が現れ、またその捉え方においても客体として単に視覚のみから捉えることから、活動的空間である場所そのものを捉える傾向へと変化してきている。以上の変遷の流れを整理し、名所図会、百景にみられた近代以降の「景」の変遷は、個人化(共有性→個人性)と場所化(観念景→客体景→場所景)にまとめられた。

 「第II章」においては文学作品を分析対象として近代以降の「景」の変遷を明らかにした。検討作品として、明治時代より昭和30年代までを文学全集(「講談社日本現代文学全集」)の収録作品の中から、また昭和20年代から現代までについては 芥川賞、直木賞、日本文学大賞、読売文学賞、芸術選奨、野間文芸賞の六つの文学賞受賞作品の中から、東京を全体または一部で舞台とする作品を選んだ。昭和20年代より30年代の検討対象とした文学賞受賞作品中、同時期の文学全集より選んだ検討作品と重複したものは約半数あり、両者を連続的に分析することは有効であると考えた。以上から最終的に、文章中に<風景>や<情景>などの景の付く言葉を含む(心象景のみの作品を除く)214作品を研究対象とした。それらの作品より抽出した545の景の付く言葉について、(1)言葉の時代的傾向性、(2)描写対象、(3)描写対象と視線の関係、(4)描写対象の分布、(5)人物の状態、(6)視覚的・五感的捉え方、(7)意味、評価について分析を行い、その結果、同時代の作品間に共通的な特徴が得られた。

 その各時期の特徴、変化より、近代以降を5期に時期区分し、各時期の特徴を説明した。(1)「明治前期(明治20年代まで)」は、近世の影響がみられた。名所という価値の共有性が高いものが、美しく佳いものとして捉えられ、近世の観念的な捉え方が存続していた。(2)「明治後期・大正期」には、美しいものばかりでなく、醜的なものも捉えられるようになった。これは近代科学の影響により、客観的視線が与えられたためと考察される。また田園という今まで対象とならなかったものにも人々の関心は向いた。近代的価値観は「景」により捉えられる範囲を空間的にも意味的にも大きく広げたと考えられる。(3)「昭和戦前期」になるとその範囲は描写対象、意味的にさらに拡大し、東京の都市風景が描かれるようになり、美、醜の他に意外性や平凡性という観点からも捉えられるようになった。(4)「昭和戦後期(昭和20年代から昭和40年代)」になると再び郊外へと描写対象が拡大した。しかし昭和40年代から描写対象として自然空間の減少が現れている。また意味的側面の拡大の中で美、醜の減少と多様な観点の出現もみられた。(5)「昭和・平成期(昭和50年代以降)」には多様な事象からなる都市風景の増加と、描写対象の選択の個人化、そして新たな傾向として対象を視覚面のみからではなく、雰囲気という情緒的な捉え方が現れ始めている。以上の変遷の流れを整理し、文学作品にみられた近代以降の「景」の変遷は、前章同様の個人化(共有性→個人性)の傾向と情緒化(観念景→客体景→情緒景)にまとめられた。

 「第III章」においては、「第I章」と「第II章」で明らかになった二つの「表象景」を通してみた「景」の変遷の結果を比較検討し、その総合より、近代から現代に至る「景」について考察を行った。変遷の特徴としては、両「表象景」ともに描写対象の選択において個人化(共有性→個人性)の傾向が共通してみられた。また場所化(名所図会、百景)と情緒化(文学作品)についても、空間が活動性により価値付けられる場所景と、空間がその空間の持つ雰囲気により価値付けられる情緒景とは、視覚を越えた全感覚的な空間の捉え方として、同質のものであると考察される。

 名所図会、百景の4時期区分、文学作品の5時期区分の比較から、明治前期、明治後期・大正期、昭和戦前期は同様の区分となり、それぞれの時期に共通した特徴がみられた。(1)「明治前期(明治20年代まで)」の近世の観念的捉え方の影響、(2)「明治後期・大正期」の近代的な対象の客体化、及び客観的で多様な観点からの観察、(3)「昭和戦前期」の都市風景の登場である。また昭和の戦後は絵図集では1期に、文学作品では2期に分けられたが、絵図集もその内容判断から区分可能であり(4)郊外への空間的広がりと美醜以外の意味的広がりを示した「昭和戦後期(昭和20年代から40年代)」、(5)「昭和・平成期」である現代は、都市風景が多様な事象から捉えられ、客体的、視覚的な近代的捉え方から、場所景と情緒景、そして全感覚的な捉え方の出現を明らかにすることができた。それとともに両「表象景」の差異を比較し、文学に比べ知覚的側面に依存の強い名所図会、百景において都市風景が先行的に出現することが指摘された。

 最後に「景」の存在について考察し、非日常性の傾向の強い絵図集と、日常性の傾向の強い文学作品の両「表象景」において「景」の共通性が確認された。また風景の集合意識として従来より言われてきた理想郷、絵画的な手本としてのイメージ的な集合意識ばかりでなく、風景の捉え方という知覚様式の側面においても「景」の存在を明らかにすることができた。

 「終章」において、本論文の結論をまとめた。

審査要旨

 造園学,風景計画学においては,風景・景観を様々な角度から総合的に正しく把握することが必要である。これまで,主体・客体両者の関係として捉える視覚的景観,視点を考慮せず客体に着目した土地利用にもとづく地理学的景観,植生にもとづく生態学的景観,主体に重点をおいた心理学的な景観イメージによる捉え方など,いくつかの景観風景の把握方法が提案された。

 本論文では,主観的な認識対象として捉えられることの多かった視覚的な景観把握をさらに掘り下げて,客観的普遍的に捉えようとした新しい試みである。論文は5章から構成されている。

 序章では,研究の背景と目的,対象,方法について述べている。特に風景を普遍的に把握する前提として,集合意識を分析することの必要性を述べ風景に関する集合意識のうち,思想や価値観等その潜在的部分を「景」と名付け,「社会において共有される風景の捉え方の様式」と定義している。一方で集合意識の顕在的部分を「表象景」とし,それを通して「景」の社会的価値観の存在と近代以降の変遷と特徴を検討する方法論の妥当性について述べている。また,研究対象として,明治以降の東京をとりあげたことの理由を明確にしている。

 第1章では,「表象景」のひとつとして名所図絵,百景,計26集(明治9年から昭和61年)を選び,そこに描かれた1891の絵図を分析対象として(1)描写対象,(2)作品間の重複,(3)付帯文章の構成について定量的,定性的に分析な進めている。その結果,近代以降な「明治時代前期(明治20年代まで)」「明治後期・大正期」「昭和戦前期」「昭和戦後期」の4期に区分することができることを明らかにし,各時期の特徴を整理考察している。さらに,その変遷を調べた結果,近代以降の「景」の変遷は,個人化(共有性→個人性)と場所化(概念景→客体景→場所景)として整理できることを明らかにしている。

 第2章では,ふたつめの「表象景」として文学作品を分析対象として論を展開している。明治時代より昭和30年までの日本現代文学全集(講談社)の収録作品,昭和20年代以降の六つの文学賞(芥川賞,直木賞,日本文学大賞,読売文学賞,芸術選奨,野間文学賞)受賞作品のなかから,東京に関する作品な選んで,214作品を分析対象としている。作品中より抽出した545の景のつく言葉を,(1)時代的傾向性,(2)描写対象,(3)描写対象と視線の関係,(4)描写対象分布,(5)人物の状態,(6)視覚的・五感的捉え方,(7)意味・評価の7項目について分析している。その結果,近代以降を5時期に区分できることを示し,その変遷を,個人化(共有性→個人性)と情緒化(観念景→客体景→情緒景)として把握できることを明らかにしている。

 第3章においては,第1章と第2章で明らかになった二つの表象景を通してみた「素」の変遷の結果な比較検討し,近代から現代に至る「景」の総合的な考察を試みている。その結果,両表象景ともに描写対象の選択において個人化(共有性→個人性)の変遷傾向が共通して認められることを明らかにしている。また,名所図絵,百景にみられた場所化と文学作品にみられた情緒化の変遷傾向に比較検討を進め,空間が活動性により価値づけられる場所景と,空間がその空間の持つ雰囲気により価値づけられる情緒景とは,視覚を越えた全感覚的な空間の捉え方として,同質のものと位置づけられることを明らかにしている。

 さらに,ふたつの表象景の分析結果の比較から,両者に共通する「景」の時期的特徴(近世の観念的影響,対象の客体化,都市風景の登場)を明らかにしている。また,両表象景の差異として文学作品に比べ名所図絵,百景には都市風景が先行的に出現することを述べている。

 終章においては,結論を整理している。

 以上本論文は,風景を個人を越え集合的に共有される社会的意識である「集合意議」を通じて客観的普遍的に捉えることを目的とした新しい試みである。申請者は,風景にかかわる集合意識の顕在部分を表象景,潜在部分な「景」と定義し,表象景を通じて景の存在を明らかにし,その内容を考察する方法をとった。その方法にもとづき,膨大な資料(絵図,文学作品)の精緻な分析を行い,景の存在を実証することに成功している。さらに,明治以降の東京の「景」の変遷を明らかにしている。このように,研究の方法も適切であり,有意義な結論な導出したものと判断でき,申請者が明らかにした「景」の概念は,風景計画学に重要な基礎的知見と評価できる。したがって学術上,応用上貢献することが少なくないものと考え,審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位を授与する論文に値するものと判定した。

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