学位論文要旨



No 111262
著者(漢字) 益守,眞也
著者(英字)
著者(カナ) マスモリ,マサヤ
標題(和) マツ種子の休眠打破に伴う生理現象および貯蔵型mRNAの貯蔵形態と挙動
標題(洋)
報告番号 111262
報告番号 甲11262
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1553号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 林学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,惠彦
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 助教授 井出,雄二
内容要旨

 多くの高等植物の種子は母植物体上で形成された後,発芽にふさわしい環境条件にさらされるまで生理活性の極めて低い休眠状態に入る。種子は様々な形・レベルで活性を抑え休眠し,過酷な環境に対して耐性を持っている。休眠しつつも環境の変化を検知する機構をもっており,また発芽前後は生理的に劇的な変化が起きる。植物の過酷な環境に対する耐性機構や遺伝子発現制御機構を知る上で,種子休眠や発芽は興味深い研究対象である。

 休眠種子には胚自身の内的要因や,胚を取り囲む胚乳や種皮による外的要因によって生理活性を抑える機構があり,環境が好適になったことを検知すると抑制が解除されると考えられる。本研究では,マツ属Pinusの2樹種の場合について,どのような機構が発芽抑制に関与しているかを知ることを目的として.休眠打破の前後で生じる生理的な変化,および休眠種子中に存在するmRNA(貯蔵型mRNA)の貯蔵形態と発芽期の消長を調べた。

 チョウセンゴヨウP.koraiensisなどの五葉松の類の芽生えは30℃前後で最もよく成長するが,休眠の打破に際して一定期間湿潤条件下での低温(低温湿層処理)を要する。まず低温湿層処理によって打破される発芽抑制機構を追究した。チョウセンゴヨウを用いて,発芽試験をおこなったところ,種皮を除去した種子の一部が低温湿層処理なしでも発芽することが確かめられた。種子発芽が種皮とその内部(胚乳および胚)との両方に抑制されていることを示している。また発芽には酸素が必要であることも確かめられた。

 種皮についてはまず物理性について検討した。外側から圧迫して種皮を割るのに要する力を測定することによって機械的強度を測定した結果,吸水に伴って割れやすくなるという実験結果を得た。つまり胚の成長を抑制し得る機械的障壁は温度に関わらず水分環境が十分になることで解除されることが明らかになった。個体毎の吸水曲線を作成したところ,種皮があっても発芽に十分な吸水量が温度に関わらず得られることがわかった。しかしながら胚乳への水分の浸透は低温下で内種皮によってやや抑えられており25℃に移すと解除されることが示された。種子全体の酸素消費量をみると,25℃では吸水開始直後に増加し,その後低下する。低温湿層処理中はほとんど消費しないが25℃に移した後増加し始め,発芽に至る。組織毎に酸素消費量を測定したところ,種皮だけでも吸水初期に酸素の消費がみられた。吸水前の種子内は還元的な環境であると推察される。種皮内に酸素吸収剤を封入することによって酸素透過性を直接的に測定したところ,低温湿層処理を施した場合に種皮の透過性が増すことが明らかになった。

 さらに胚や胚乳,種皮の各組織について発芽抑制物質の一つとされるアブシジン酸の定量をおこなった。その結果,種皮に多く含まれていること,そして吸水に伴い減少することが明かになった。

 これらの結果から,チョウセンゴヨウ種子は,発芽に必要な酸素が休眠中には供給され難くなっているが,低温湿層処理中に種皮の酸素透過性が増し,同時に吸水に伴って割れやすくなり,さらに抑制物質が減少して発芽が誘導されると考察した。

 クロマツP.thunbergiiを用いた実験では,まずクロマツ種子の場合休眠打破に低温湿層処理を必要としないものの,処理を施すと発芽が促進されることを確かめ,さらにその効果は発芽後の成長には影響しないことを明かにした。常温で進行する発芽への変化の内,低温でも進みうる変化が生じていると考えられる。休眠種子から摘出した胚に低温室内で32P標識ウリジンを吸収させた後にRNAを抽出したところ,32Pで標識されたリボソームRNAが検出された。mRNAの生合成は検出できなかったが,リボソームRNAが低温下でも生合成されることが明らかになった。低温湿層処理中にRNAを合成され,特にタンパク質合成装置であるリボソームを構成するリボソームRNAを合成することによって,常温に移された後に速やかに発芽すると考えられる。

 遺伝子発現制御に関しては,クロマツ種子を材料としcDNAクローンを用いた実験もおこなった。まず休眠種子に存在するmRNAのうち特に多く含まれるmRNAに対応するcDNAを3クローン選抜した。その過程で貯蔵型mRNAの多くが発芽後減少することが示された。一方,芽生えの子葉のmRNAの多くは発芽後の方が多く含まれていた。発現している遺伝子の構成が発芽の前後で大きく変化すると考えられる。

 長期間保存した古種子にも貯蔵型mRNAが維持されているか否かについて調べた。7年間および14年間冷暗所に保存してあった休眠種子からRNAを抽出し,ノーザン・ブロット・ハイブリダイゼーション法により貯蔵型mRNAの検出を試みた。その結果,古種子にも貯蔵型mRNAが含まれていた。電気泳動度も当年採取種子と同一であった。一般に不安定な物質とされるRNAが,含水率10%以下のクロマツの休眠種子内で少なくとも14年もの間,崩壊や断片化することなく貯蔵されていることが明らかになった。

 さらにクロマツ休眠種子内に長期間存在する貯蔵型mRNAがどのような形態で貯蔵されているかを調べた。休眠種子から抽出したリボソーム画分(mRNA リボソーム等が含まれる)をショ糖密度勾配遠心法によりさらに分画し,ノーザン・ブロット・ハイブリダイゼーション法により貯蔵型mRNAの分布を調べた。5〜15Sの沈降係数をもつ遊離のmRNAや単体のリボソーム(80S)よりはるかに重いポリリボソーム画分に貯蔵型mRNAが検出された。mRNAは細胞質中に遊離の状態ではなく何らかの物質と結合して存在していることが明らかになった

 リボソーム画分を高塩濃度処理してから沈降させてもmRNAはポリリボソーム画分に分布していた。実験操作中に生じた非特異的な結合ではなく,何かが特異的にmRNAに結合していることを示唆している。

 ポリリボソームに富む発芽種子のリボソーム画分を用いて,ピューロマイシン処理の効果を検討したところ,ピューロマイシンがmRNAからリボソームを特異的に解離させることが確かめられた。そこで休眠種子のリボソーム画分をピューロマイシンで処理してから分画したところ,mRNAの分布は約45Sの沈降係数を持つ画分に移行した。結合しているものの一部はリボソームであるが,その他にも何かが結合していることを示している。

 無細胞タンパク質合成系を用いてポリリボソーム画分の鋳型活性を調べた結果,貯蔵型mRNA自身は鋳型活性がみられた。しかしながら,翻訳開始阻害剤のオーリントリカルボン酸を加えて無細胞タンパク質合成系に含まれるリボソームによる合成を抑えてしまうとタンパク質は合成されず,休眠種子のポリリボソーム画分の貯蔵型mRNAに結合しているリボソームによっては貯蔵型mRNAの情報が翻訳されないことが示された。貯蔵型mRNAに結合している物質が翻訳を阻害している可能性が考えられる。

 発芽期の胚あるいは芽生えからmRNAを抽出し,ノーザン・ブロット・ハイブリダイゼーション法によってmRNAの量的変化をみた。3つのcDNAクローンに対応する貯蔵型mRNAはいずれも発芽後減少するが,消失時期はクローン毎に異なっていた。貯蔵型mRNAの発現制御因子は単一ではなく,それぞれのmRNA種で異なる制御を受けていることが明らかになった。遅くまで存在しているmRNAは発芽後もなんらかの機能を担っていると考えられる。

 本研究によって,マツ属の休眠種子は種皮の物理特性や発芽抑制物質によって発芽が抑えられており,さらに遺伝子発現も翻訳段階での制御を受けていることが示された。

審査要旨

 多くの高等植物の種子は母植物体上で形成された後,発芽にふさわしい環境条件にさらされるまで生理活性の極めて低い休眠状態に入る。本論文は,マツ属の2樹種の場合について,特に,休眠打破の前後で生じる生理的な変化,および休眠種子中に存在するmRNAの貯蔵形態と発芽期の消長化ついて解析した。本文は4章からなり,第1章と第4章はそれぞれ,種子の休眠と発芽に関する総説と全体の総括を記した。

 第2章は種子の低温湿層処理に関して述べている。チョウセンゴヨウの芽生えは30℃前後で最もよく成長するが,休眠の打破に際して一定期間,湿潤条件下での低温(低温湿層処理)を要する。まず低温湿層処理によって打破される発芽抑制機構を追究した。発芽試験の結果,発芽が種皮と胚乳および胚との両方に抑制されていることが示唆されたので,それぞれの抑制機構を調べた。実験にあたってはチョウセンゴヨウ種子が大きいことを利用して個体毎の解析をおこない,従来の種子の研究が多数の試料をまとめて扱っていたために看過されていた微細な変化を把握することに成功している。種皮については,まず物理性について検討し,胚の成長を抑制し得る機械的障壁は温度に関わらず水分環境が十分になることで解除されることを明らかにした。個体毎の吸水曲線から,種皮があっても発芽に十分な吸水量が温度に関わらず得られることがわかったが,胚乳への水分の浸透は低温下で内種皮によってやや抑えられており25℃に移すと解除されることを示した。種皮内に酸素吸収剤を封入することによって酸素透過性を直接的に測定したところ,低温湿層処理を施した場合に透過性が増すことが明らかになった。次に,胚や胚乳,種皮の各器官について発芽抑制物質の一つとされるアプシジン酸の定量をおこない,種皮に多く含まれていること,そして吸水に伴い減少することを明らかにした。これらの結果から,チョウセンゴヨウにおいては,低温湿層処理中に種皮の酸素透過性が増し,同時に吸水に伴って機械的障壁が取り除かれるとともに発芽抑制物質が減少して発芽が誘導されると考察した。

 クロマツを用いた実験では,まずクロマツ種子の場合,休眠打破に低温湿層処理を必要としないものの,処理を施すと発芽が促進されることを確かめ,またその効果が発芽後の成長に影響しないことを明らかにした。さらに放射性前駆体の取り込み実験により,リボソームRNAが低温下でも生合成されることを明らかにした。

 第3章ではクロマツの休眠種子に存在する貯蔵型mRNAについてcDNAクローンを用いた実験研究を行った。貯蔵型mRNAに対応するcDNA,3クローンを選抜する過程で発現している遺伝子の構成が発芽の前後で大きく変化することを示した。また,一般に不安定な物質とされるRNAが,含水率10%以下のクロマツの休眠種子内で少なくとも14年もの間。崩壊や断片化することなく貯蔵されていることを明らかにした。次に,貯蔵型mRNAがどのような形態をとって安定的に貯蔵されているかを調べた。休眠種子から抽出したリボソーム画分を,ショ糖密度勾配遠心法によりさらに分画し,貯蔵型mRNAの分布を調べた。mRNAが細胞質中では遊離の状態でなく,何らかの物質と結合して存在していることが明らかになった。高塩濃度処理やピューロマイシン処理の後に分画した結果から,結合しているものの一部はリボソームであるが,その他にも約40Sの何かが結合していることが示された。また,貯蔵型mRNA自身には翻訳鋳型活性があるものの,休眠種子の貯蔵型mRNAに結合しているリボソームによっては貯蔵型mRNAの情報が翻訳されないことを示した。貯蔵型mRNAは細胞質中でmRNA様の形態をとることにより翻訳・分解が抑制されていると考察した。最後に発芽期の貯蔵型mRNAの消長を調べ,3つの貯蔵型mRNAはいずれも発芽後減少するが,消失時期はmRNA種毎に異なっており,貯蔵型mRNAの発現制御因子は単一ではなく,それぞれのmRNA種で異なる制御を受けていることを明らかにした。

 以上,本研究は,種子の発芽抑制機構を要因別にわけ,それぞれについて適切な実験手法により,マツ種子の休眠に関与している機構を明らかにしたものであり,そこで得られた知見は種子の貯蔵法の開発など応用面に貢献するところが大きい。また,貯蔵型mRNAの研究では,遺伝子の翻訳段階での発現制御機構の解明に寄与する成果も得ている。よって,審査員一同は.本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものであると判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54466