学位論文要旨



No 111270
著者(漢字) 濱崎,恒二
著者(英字)
著者(カナ) ハマサキ,コウジ
標題(和) 海洋細菌によるフグ毒産生に関する研究 : 特に懸濁粒子を通じての動態
標題(洋) Studies on microbial production of tetrodotoxin in marine environment with emphasis on suspended particles as a site for production and accumulation
報告番号 111270
報告番号 甲11270
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1561号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水産学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田, 紘一
 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 二村,義八朗
 東京大学 助教授 木暮,一啓
 東京大学 講師 野口,玉雄
内容要旨

 フグ毒テトロドトキシン(TTX)は最も強力な自然毒の一つで、ナトリウムチャンネルの作用を特異的に阻害する神経毒素として知られている。古来より日本人が、フグを食用としてきたことから、わが国における研究の歴史は長く、1909年に田原がこの毒をテトロドトキシンと命名して以来、既に80年以上が経過している。テトロドトキシンは1950年に結晶化に成功、1964年に構造が決定された。その後、1964年のカリフォルニアイモリの例をはじめとしてフグ以外の生物もテトロドトキシンを保有することがしだいに明らかになり、これまで8動物門26種ほどが報告されている。1986年にはこれを生産する細菌が初めて報告され、現在ではこうした細菌が海洋中に普遍的に存在し、広範囲にわたる海洋生物の毒化に関わっているのではないかと考えられている。毒の蓄積機構については、いくつかの状況証拠から食物連鎖を通じた濃縮と蓄積が示唆されているが、実際にどこで細菌によるフグ毒の生産が行われどのようにして食物連鎖に取り込まれてゆくのかは明らかになっていない。そこで、本論文では海洋細菌が増殖、集積する微小な場でありまた食物連鎖の最初に位置するものとして海水中の懸濁粒子に注目し、海洋生物の毒化に関わる最初のプロセスを明らかにすることを目的とした。

 本研究で対象とした懸濁粒子や細菌細胞の抽出物といった試料は毒性のレベルがフグなどに比べて非常に低く、従来法では十分な検出感度が得られないことも考えられた。そこで、従来の化学的分析法に加え、マウス神経芽細胞を用いたバイオアッセイ法の改良やこれまでほとんど利用されていない免疫学的手法を用いるなどしてより高感度な分析を行った。まず、懸濁粒子の中でも特に、採集の容易さ、有機物濃度の高さといった点から海水中を沈降する粒子に焦点を絞り、そこにフグ毒が存在することを明らかにした。次に、大量の試料を高感度かつ迅速に処理するために、従来のマウスアッンセイ法の代替法としてマウス神経芽細胞を用いたバイオアッセイ法の改良を行った。さらに、最近開発された抗TTXモノクローナル抗体を用いた免疫学的手法によって、細菌が生産するフグ毒について新しい角度からの検証を行った。最後に、同じく免疫学的手法を用いて、沈降粒子中のフグ毒を調べると同時に、そこに付着しているフグ毒産生細菌の直接検出を試みた。本研究の概要は、以下の通りである。

1.沿岸域から採集された沈降粒子中のフグ毒の検出

 神奈川県三浦半島の油壷湾において、1991年5月から10月にかけて6回の試料採集を行った。沈降粒子は、セジメントトラップを6-8mの深度に1日から3日間設置することによって採集した。得られた試料から常法に従ってフグ毒を抽出、部分精製し、マウス神経芽細胞を用いたバイオアッセイ(TCBA)法、HPLC蛍光分析法、GC-MS法を用いて分析を行った。その結果、すべての試料からTTXあるいはその関連化合物が検出された。TTX濃度は試料によってばらつきがあるものの、HPLCによる分析の結果から200-1000ng/gと推定された。一方、TCBA法による推定値はこの値よりも総じて高く、TTX以外のナトリウムチャンネルブロッカーの存在が示唆された。そこで、TTXと同じナトリウムチャンネルブロッカーである麻痺性貝毒の分析を行ったところ、一部の試料からはその成分の一つであるGonyautoxin-3が検出された。また、6月に採集された試料について1日当たりのTTXの堆積量を見積もったところ、1.5ng/cm2となった。本実験によって、海水中の沈降粒子にフグ毒が含まれることが初めて明らかになり、量的にも堆積物と比較して非常に高濃度であることから、海底へのフグ毒の供給源となって海洋生物の毒化に大きな役割を果たしていることが示唆された。

2.マウス神経芽細胞(Neuro2A)を用いたバイオアッセイ法の改良

 Tissue culture bioassay(TCBA)法は、TTXがナトリウムチャンネルに特異的に作用する性質を利用してこれを定量する方法で、現在最も簡便かつ鋭敏な方法の一つである。原法ではTTXの定量に当たってマウス神経芽細胞の生存率を算出するために、細胞の形態を顕微鏡下で観察し生存細胞の計数を行っている。細胞の生死の判別にある程度の熟練を要し、さらに時間がかかることが、利用の際の問題点となっていた。そこで本研究ではテトラゾリウム塩の一種である3-(4,5-dimethylthiazol-2-yl)-2,5-diphenyl-2H-tetrazolium bromide(MTT)を用いて、ミトコンドリア内の脱水素酵素活性を指標として生死の判別を試みた。MTTから生じるフォルマザンの吸光度をマイクロプレートリーダーで測定することによって、客観的かつ迅速な定量が可能となった。TTXの対数値を横軸に、吸光度の相対値を縦軸に取ると、S字状の用量-反応曲線が得られた。MTTを使う場合には水に不溶性のフォルマザンを生じるため、吸光度の測定に先立ってこれを溶解する必要があった。しかし、MTTの代わりに水溶性のフォルマザンを生じる4-[3-(4-iodophenyl)-2-(4-nitrophenyl)-2H-5-tetrazolio]-1,3-benzen disulfonate(WST-1)を用いることで、さらにアッセイの簡便性と迅速性が増加した。分析条件の検討の結果、平均して2-70nMの範囲でTTXの定量が可能なことがわかり、改良法としてほぼ確立したものと思われる。

3.培養条件下において細菌が生産するフグ毒の検出

 これまでフグ毒産生細菌として報告されている、Shewanella alga(OK-1)、Alteromonas tetraodonis(GFC)、Streptomyces sp.(No.21)の3株を用い、それぞれペプトン、イーストエキスを主な栄養源とする、L培地、ORI培地、PSY培地を用いて12リットルずつ25℃で7日間培養した。菌体と培養上清に分けて抽出、部分精製し最終的に6mlの抽出液を得てフグ毒の分析を行った。分析にはTCBA改良法、HPLC蛍光分析法、GC-MS法に加えて、抗TTXモノクローナル抗体を用いたマウス毒性の中和試験を行った。試験には18-20gの雄のddY系マウスを用い、抽出液1mlを腹腔内投与した。培養上清からの抽出液はいずれもマウス毒性を示し、S.algaとA.tetraodonisの上清についてはマウスが30分以内に死亡した。しかし、この毒性は抗体によって中和されなかったため、TTX以外の物質によるものと思われた。一方で、TCBA法によって全ての菌体と培養上清から抽出液1ml当たりTTX換算で0.3-6.8MUのナトリウムチャンネルプロッカーが検出され、S.algaとA.tetraodonisの上清はそれぞれ5.2MU/ml、6.8MU/mlという値であった。GC-MS法でもC9-baseの存在が確認されたことから、初代培養時に認められたような高濃度のTTXは検出されなかったが、高い活性を持つ同族体を含めたTTX群の存在が示唆された。

4.沈降粒子に付着するフグ毒産生菌の直接検出-免疫学的アプローチ-

 東京湾、清水港において1993年9月に沈降粒子と海底堆積物を、また油壷湾において、1994年8月に沈降粒子を、あわせて10試料採集した。沈降粒子は改良型セジメントトラップで、海底堆積物はエクマンバージ採泥器を用いて採集した。得られた試料からフグ毒を抽出、部分精製した後、抗TTXモノクローナル抗体を用いた酵素免疫測定法(EIA法)で分析した。海底堆積物の1試料を除く全ての試料からTTXが検出され、沈降粒子の5試料については、GC-MS法でもC9-baseの存在が確認された。EIA法による分析結果から沈降粒子中のTTX濃度は、0.9-300ng/gと推定された。この濃度は、前述の分析値より総じて低い値となったが、これはEIA法がより特異的であり、しかもHPLCで検出できないレベルのTTXを高感度に検出できるためと思われる。さらに、TTXが検出された各沈降粒子試料の一部をホルマリンで固定し、蛍光色素で標識した抗体を用いて免疫染色を行ったところ、細菌細胞中のTTXに由来すると思われる蛍光スポットが蛍光顕微鏡下で多数観察された。本研究によって、沈降粒子中にフグ毒産生細菌が存在していることが示され、そこから検出されるフグ毒が細菌由来であることが強く示唆された。

 以上、一連の研究によって、海水中を沈降する粒子に1MU/g前後のフグ毒が含まれていることが、各種(生物学的、化学的、免疫学的)分析法によって確かめられ、そこに付着する細菌がフグ毒を生産している直接的な証拠も得られた。現段階ではフグ毒産生細菌がTTXを選択的に蓄積する条件が不明であるため、培養条件下でその産生能を示すことは難しいが、免疫染色法を用いて天然の試料を直接観察することによって、フグ毒産生細菌の存在とTTX産生を明らかにすることが出来た。これまで天然におけるフグ毒の分布や動態細菌における毒の生合成経路などについては、方法論的な限界から不明な点が多く残されてきた。このような課題を解決してゆく上で、本研究によって確立されたTCBA改良法や免疫学的手法はこれまでにない研究の可能性を含んでいる。本研究は、天然におけるフグ毒の蓄積機構の一部を解明すると同時に、フグ毒の生態学的研究に新しい方向性を示すものと考える。

審査要旨

 フグ毒、テトロドトキシン(以下TTX)、は最も強力な自然毒の一つとして知られているが、フグ以外の多くの生物にもTTXが検出されることが近年明らかとなり、1986年にはこれを生産する細菌が分離された。現在ではこうした細菌が海洋に広く分布し、多くの海洋生物の毒化に関わっているのではないかと考えられるに至った。さまざまな測定結果からこの毒は、食物連鎖を通じて濃縮、蓄積が行われているのではないかと考えられているが、細菌によるフグ毒の生産がどこで行われ、どのようにして食物連鎖に取り込まれてゆくのかは明らかになっていない。そこで、本研究は海洋細菌が増殖、集積し、また食物連鎖の初期に位置する場として、懸濁粒子、特に海水中を沈降する粒子に焦点を絞り、海洋生物の毒化に関わる最初のプロセスを明らかにしようとしたものである。

 沈降粒子の採集は、神奈川県の油壷湾、さらに東京湾、相模湾、駿河湾といった沿岸域において、小型セジメントトラップを使って行った。マウス神経芽細胞を用いたバイオアッセイ(TCBA)法、HPLC蛍光分析法、GC-MS法による分析の結果、ほとんどの試料からTTXあるいはその関連化合物が検出された。一方、沈降粒子を餌としていると思われるワレカラ(甲殻類)を同時に採集し分析したところ、1個体当たり約0.1MUのTTXが検出された。本実験によって、海水中の沈降粒子にTTXが含まれることが初めて明らかになり、そのTTXが海水中でワレカラなどの小型動物に直接取り込まれたり、沈降し底棲生物に取り込まれるなどして海洋生物の毒化に大きな役割を果たしていることが示唆された。

 沈降粒子とフグ毒生産菌に関する研究をさらに進めるために、特異性や感度に優れた新しい方法として、TCBA法と抗TTXモノクローナル抗体を用いた免疫学的手法の利用を考えた。まず、これまで実用性に欠けていたTCBA法の改良を行った。テトラゾリウム塩(MTT、WST-1)の使用とマイクロプレートリーダーによる吸光度の測定によって、客観的かつ迅速な定量が可能となり、分析条件や試料中の阻害物質の影響等検討の結果、MTT-TCBA法及びWST-1-TCBA法として確立した。次に、免疫学的手法の有用性を確かめるために、これまでフグ毒生産菌として報告されている4株を含む計6株の細菌を培養し分析を行った。免疫学的手法としてマウス毒性の中和試験、酵素免疫測定法(EIA法)、加えてHPLC蛍光分析法、GC-MS法といった従来法、新たに確立したMTT-TCBA法、WST-1-TCBA法によって分析した。その結果、フグ毒生産菌の3株が、TTXではなく毒性の強い未知のTTX同族体を生産していること、またBacillus subtilisがTTXを生産することが明らかになった。免疫学的手法によってこのような新しい知見が得られその有用性が示されたが、一方でさらに詳しい解析を行うためには、TTXの生産条件や新しい生産菌のスクリーニングが必要と思われた。

 先の実験によって沈降粒子中にTTXが存在することが明らかになり、様々な状況証拠からそのTTXは付着する細菌によって生産されている可能性が高いと思われた。しかし、フグ毒生産菌の培養実験の結果から、現時点では細菌がTTXを蓄積する条件が不明であるため、粒子中の細菌を分離、培養することによってその生産能を示すのは難しいと予想された。そこで、これに代わるアプローチとして免疫染色の手法を用い粒子中の生産菌を直接検出することを試みた。TTXが検出された沈降粒子に対し抗TTXモノクローナル抗体と蛍光色素(FITC)で標識した2次抗体を用いて免疫染色を行った。蛍光顕微鏡下で観察したところ、細菌細胞様の蛍光スポットが多く見出され、DAPIとの二重染色によりそのスポットが細菌由来であることが確かめられた。この実験で、初めて細菌を分離、培養することなく沈降粒子におけるTTX生産菌の存在が示された。

 以上、新しい手法を取り入れた一連の研究によって、海水中を沈降する粒子に1MU/g前後のTTXが含まれていることが確かめられ、そこに付着する細菌にTTXが存在している直接的な証拠が得られた。このことから、デトリタス食性動物におけるTTXの存在とあわせて、沈降粒子が食物連鎖を通じたフグ毒の蓄積機構における出発点として重要な役割を果たしていることが示された。本研究のバイオアッセイ法や免疫学的手法が有効な手段となることが期待される。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53854