学位論文要旨



No 111272
著者(漢字) 益田,玲爾
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,レイジ
標題(和) シマアジの群れ行動の固体発生に関する研究
標題(洋)
報告番号 111272
報告番号 甲11272
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1563号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水産学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 沖山,宗雄
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 助教授 青木,一郎
内容要旨

 群れ行動は魚類の生態を支える最も基本的な行動の一つである.魚群に関する研究の成果は漁業技術の向上に直結することもあって,群れの維持機構や生態的意義に関して過去多くの研究がなされている.しかし,個体の発育に伴う群れ行動の発現と発達の過程を扱った研究はほとんどない.そこで本研究では,整然とした群れをつくるシマアジPseudocaranx dentexを主に用いて,群れ行動の個体発生の過程とメカニズムを野外観察と室内実験を通じて明らかにすることを目的とした.また,アジ科魚類では,流れ藻などの漂流物に寄り付く性質がしばしば観察され,これが群れ形成の一要因になっている可能性もあると考えられる.そこで寄り付き性とその結果生じる群がりも広義の群れ行動に含まれると考え,本論文ではこれも扱った.

シマアジの生態における群れ行動

 1990年7月から1994年9月まで大分県蒲江,小笠原父島・母島,長崎県五島,および鹿児島県屋久島においてシマアジの生態観察を行い,本種の生活史における群れ行動の役割を検討した.シマアジには,脊椎骨数の異なるA,Bの2タイプがあるといわれており,生態研究をするにはまず,これら両タイプの分類学的検討をしておく必要があると考えられる.そこでミトコンドリアDNAの制限酵素切断型多型による生化学分析を行った結果,両タイプは遺伝的に明瞭に異なり,その地理分布・回遊生態にも違いのあることが明らかになった.すなわち,小笠原ではすべての個体がBタイプであるのに対し,大分では逆にAタイプが卓越し(約90%),Bタイプはわずか(10%)であった.定置網に入網するシマアジを解析すると,大分のAタイプは12月に約40mmで沿岸に出現するのに対し,Bタイプは翌年の4月に約90mmになって初めて現れることがわかった.九州に少ないBタイプのシマアジは小笠原で孵化し,その一部は海流を利用して九州へ加入してくるものと考えられた.大分県の沿岸で同所的に分布し混合群を形成しているA・B両タイプの幼魚は,生殖的に完全に隔離された集団であり,繁殖期には別々の群れを形成してそれぞれの産卵場へと回遊するものと推測された.

 シマアジの索餌・摂餌行動を,7月に五島の水深2mの砂底質の浅海域で,また1月に屋久島の水深20mの岩礁域で観察したところ,いずれの場合も一瞬も単独行動をとることなく常に群れを維持したまま索餌・摂餌することが明らかになった.またシマアジは観察者を発見して警戒した場合には,群れを整然とした緊密な群泳状態に変化させるか,尾数が少ないときにはアカヒメジやメジナなどの他魚種の群れに逃げ込んで混合群を形成した.小笠原のBタイプシマアジは全長20cm,30cmおよび40cmの各サイズクラスでそれぞれ別々の群れを作っており,成長とともに群れが浅所から深所へ回遊・移動することを見た.40cm以上の成魚になると群れ構成員数は少なくなる傾向があるものの,やはりシマアジは群れを作っていることが知られており,本種の生活史のあらゆる局面で群れ行動が重要な役割を果たしていると考えられた.なお以後の行動実験および組織学的解析では,Aタイプのシマアジを用いることにした.

器官形成

 群れの形成に必要と考えられる感覚器官と遊泳に関与する運動器官の発達過程を組織学的に検討した.眼は全長3.5mm(3日齢)で網膜が黒化し,4.3mm(10日齢)になるとガラス体が発達してレンズと網膜との距離が拡がり,基本的な構造が完成した.頭部側線系は,3.5mm(3日齢)ですでに眼上部に遊離感丘が認められた.8mm(20日齢)からその陥入が始まり,12mmでは眼上線,鰓蓋線および眼下線の管器がほぼ完成した.一方,8〜12mmの間に,体側筋の赤筋は多層化し,担鰭骨の化骨が進行して,胸鰭や背鰭は急激に伸長した.さらに遊泳に重要な役割を果たす尾鰭の形状も,円形から截形をへて二叉形へと変化し,これに伴って魚の巡航性能を示す尾鰭のアスペクト比が1.0から1.5へと急増した.こうした骨格系,筋肉系,鰭等の急激な発達に対応して,遊泳速度は全長10mm(23日齢)から16mm(30日齢)にかけて約10mm/秒から40mm/秒へと急激に増大した.

走性の発現・発達

 7×100×10cmの細長い水槽に102〜105ルクスの照度勾配を作り仔稚魚の照度選好性を調べたところ,全長3.3mm(2日齢)の仔魚は水槽内に均一に分布して光走性を全く示さなかったが,眼が黒化する3.5mm(3日齢)になると最高照度の105ルクス区を選好し,強い光走性が現れた.この傾向は全長10mm(23日齢)になるまで続いたが,全長12mm(25日齢)以上の稚魚では,105ルクス区よりも104ルクス区に多くの個体が集まり,選好照度は急激に低下した.一定方向の水流を与えた直径18cmの円型水槽で仔稚魚の水流走性の発達過程をみてみると,全長4.3mm(9日齢)の仔魚ですでに水流走性は発現していた.また,移動する視覚目標に追随・定位する目標走性は従来から群れ行動発現のための基礎となる行動特性として注目されてきた.これを直径20cmの円型回転スクリーン水槽中で測定してみると,視覚目標を両眼視してこれと対面,自転するR-OKR(その場で回転運動)はわずか全長4mm(8日齢)で,また視覚目標に平行定位してこれを追随するC-OKR(回転遊泳)でも全長7mm(18日齢)で発現することがわかった.以上の結果より,シマアジの各種の走性は遅くとも全長7mm(18日齢)以前にすべて発現してしまうものと考えられた.

行動の発現・発達

 群れ行動の発現時期を明らかにするため,従来群れ行動の指標として多用されてきた頭位交角と個体間距離を,30×20cmの水槽中で自由遊泳するシマアジ20尾のビデオ画像について解析したところ,隣接個体間の頭位交角は全長12mm(25日齢)以下の魚で約80゜を示し,ランダムな場合に期待される90゜に近かった.しかし,全長16mm(30日齢)以上の稚魚では頭位交角は60〜70°へと減少し,群れの斉一性がこの時期以降急激に高まることがわかった.群れの隣接個体の平均個体間距離について見ると,全長12mmでは35mmであったが,全長16mmでは28mmになり,この時期以降緊密な群れを形成するようになることがわかった.さらに個体間に働く相互誘引性が群れ形成に重要な働きをしていると考え,その発達過程を調べた.隣接並置した透明な2水槽に同サイズの仔稚魚を20尾ずつ収容し,一方の水槽の個体が他方の個体を視認して接近するときの分布状態から相互誘引指数を求めたところ,10mm以下の仔魚の指数は0に近い値をとり,相互誘引性はまったく認められなかった.しかし,全長12mmでは0.19と誘引性が認められ,全長16mmでは誘引指数は0.45と急増して強い相互誘引性を示すことが明らかになった.以上の結果から,シマアジでは頭位交角や個体間距離で示されるような明瞭な群れ行動の発現(16mm)に先立って,まずその萌芽的段階として12mmで相互誘引性が発現することがわかった.これより,群れの最も原始の型は従来考えられていた目標走性のような単純な機能ではなく,もっと高次の脳内の複雑なシナプス形成により発現する相互誘引性であると考えられた.

 一方,群れ維持における視覚の重要性を確認するため,全長約230mmのシマアジ10尾の両眼の視覚を奪って水槽内に放したところ,群れは全く形成されず,また視覚剥奪の翌日から全個体が一定方向の連続旋回運動を示すという特徴的行動が認められた.シマアジの場合は,側線感覚のみでも成群できるタラの仲間と異なり,群れの維持に視覚が不可欠であると考えられた.

 次に,静止した視覚目標に対する寄り付き行動の発達過程を,全長5.5mm(20日齢)から28mm(56日齢)の仔稚魚について観察したところ,寄り付き行動は相互誘引性と同じく全長12mmで発現し,以後増大することが明らかになった.群れ行動発現の第一段階は他個体を視覚目標物として認識してこれに寄り付き,その状態を維持した結果生じる群がりであろうと考えた.

群れ行動の発現と高度不飽和脂肪酸

 高等脊椎動物の脳神経系に多量に含まれ,その学習効果を高めるといわれるDHA(ドコサヘキサエン酸)を添加した餌料と,全く加えない餌料とでブリ稚魚を飼育し,群れ行動発現の過程を比較した.まずアルテミアに,OA(オレイン酸),1/2EPA(エイコサペンタエン酸),1/2DHAおよびDHAを与えて飼育し,これらをそれぞれ4区にわけたブリに与えた.目標走性はいずれの実験区のブリにおいても8mm前後で発現した.しかし,相互誘引性については,1/2DHA区とDHA区では11mmで発現したのに対し,OA区および1/2EPA区では同サイズになっても全く発現しなかった.

 さらに,DHAの魚体における取込み部位を確認するために,放射性同位元素で標識したDHAをアルテミアに与え,これをブリに給餌して10日間飼育した.魚体の部位ごとに液体シンチレーションカウンターで分析し,また凍結切片についてオートラジオグラフィーを行ったところ,DHAは脳と眼に集中的に取り込まれていることが明らかになった.この時期,目標走性は十分発現し,眼はすでに機能していることから,腦神経系へのDHAの取込みが群れ行動の発現・発達の鍵を握っているものと考えられた.腦内に取り込まれたDHAは神経細胞の構成素材となり,群れ行動を統括する複雑なネットワークの発達を促すものと考えられる.

 今後はDHAの脳内での動向を神経細胞レベルで解明すること,さらにこれと行動発達のプログラムとの対応関係を明らかにすることが重要と考えられた.

審査要旨

 群れ行動は魚類の生態を支える最も基本的な行動の一つである。魚群に関する研究の成果は漁業技術の向上に直結することもあって,群れの維持機構や生態的意義に関して過去多くの研究がなされている。しかし,個体の発育に伴う群れ行動の発現と発達の過程を扱った研究はほとんどない。本研究は,整然とした群れをつくるシマアジPseudocaranx dentexを主に用いて,群れ行動の個体発生の過程とメカニズムを明らかにすることを目的とした。論文は7章からなり,第1章の緒論の後,以下のような結果を得た。

 第2章ではまず,大分県蒲江,小笠原父島・母島,長崎県五島,および鹿児島県屋久島においてシマアジの生態観察を行い,本種の生活史における群れ行動の役割を検討した。シマアジ稚魚は全長約4cmで水深5〜10mの岩礁域へ接岸・加入し,およそ18cmになるまで滞留することがわかった。また本種は通常10〜200尾程度の群れを形成し,これ以下の尾数の時はメジナ,アカヒメジなどの他魚種と混合群を作った。シマアジは索餌・回遊の折にも基本的に群れを解くことはなく,生活史の様々な局面で群れ行動が重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 続く第3章では群れの維持機構を明らかにするために,視覚の役割及び群れの構成尾数と照度が群れ行動に及ぼす影響について検討した。その結果,視覚を奪われたシマアジは群れを形成しないこと,尾数が少ないと個体間距離の小さい密な群れを形成すること,さらに,急激な照度変化がストレスとなって密な群泳行動,もしくは物陰に群がる"寄りつき"行動が出現することがわかった。これらの実験結果と生態観察の結果から,シマアジの群れは視覚により維持され,外敵に対する警戒行動としての意味を持つものと考えられた。

 第4章では,群れの維持に必要と考えられる感覚器官と遊泳器官の発達過程を組織学的に検討し,これらと各種の走性の発現との対比を試みた。網膜は全長3.5mmで黒化し,眼の基本構造は4mmで完成した。また骨格や筋肉,鰭などの急激な発達は5〜15mmでみられた。一方,光走性は眼の黒化と同時に3.5mm(3日齢)で発現した。視覚目標を両眼視してこれと対面回転する自転目標走性はわずか全長4mm(8日齢)で,また視覚目標に平行定位してこれを追う追随目標走性は全長7mm(18日齢)で発現することがわかった。すなわち,走性の発現・発達の過程は,それぞれ対応する各感覚器官の発達過程と平行していることが明らかになった。

 また第5章では,頭位交角と個体間距離を指標として群れ行動の発達過程を明らかにした。これら群れのパラメータは全長15mm前後で顕著に減少し,この時期に群れ行動の発現することが示された。また視覚による相互誘引性と,静止する視目標に対する寄りつき行動は,ともに12mmで発現した。本格的な群れ行動の発現に先立ち,その萌芽的段階として,相互誘引性と寄りつき行動が発現することが明らかにされた。

 第6章では,高等脊椎動物の脳神経系に多量に含まれ,その学習効果を高めるといわれるドコサヘキサエン酸(DHA)を添加した餌料と,全く加えない餌料とでブリ稚魚な飼育し,群れ行動発現の過程を比較した。その結果,DHA区では相互誘引性が11mmで発現したのに対し,DHAのない対照区と,エイコサベンタエン酸(EPA)を与えた区では同サイズになっても全く発現しなかった。さらに,DHAの魚体における取込み部位を確認するために,放射性同位元素で標識したDHAをアルテミアに与え,これをブリに給餌して10日間飼育した。魚体の部位ごとに液体シンチレーションカウンターで分析し,また凍結切片についてオートラジオダラフィーを行ったところ,DHAは腦と眼に集中的に取り込まれていることが明らかになった。いずれの実験区においても目標走性はすでに8mm前後で発現し,この時期,眼の機能は十分に発達していた。従って,群れ行動の発現の鍵を握っているのは,脳神経系へのDHAの取込みによって構築される脳内の高次中枢の発達であると考えられた。

 最後に第7章においては,以上の知見を総合し,脳の発達とDHAの関係について論じ,また天然での群れ行動の発現・発達の過程を推定した。

 以上本論文は,これまでほとんど知見のなかった魚類の群れ行動の個体発生過程を解明し,従来混同されていた走性と,より高次の群れ行動の発現過程が全く異なることを明らかにしたものである。また魚類の群れ行動の発現においてDHAの摂取による脳神経系の発達が重要な役割を担うことを示したもので,学術上・応用上寄与するところが大きい。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54468