学位論文要旨



No 111275
著者(漢字) 陳,文義
著者(英字)
著者(カナ) チン,ブンギ
標題(和) 東京湾におけるマアナゴの資源管理に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 111275
報告番号 甲11275
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1566号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水産学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 沖山,宗雄
 東京大学 教授 松宮,義晴
 東京大学 教授 塚本,勝己
 東京大学 助教授 谷内,透
内容要旨

 マアナゴConger myriaster(Brevoort)は日本各地の沿岸水域に分布しており、特に内湾で多くみられる漁獲物の1種である。例えば、本種は横浜漁協柴支所(以下柴支所)での多獲10種の1つであり、経済的価値が高い。東京湾産のマアナゴについては、1950年代後半に2つの研究が行われているだけである。50年代後半から東京湾の環境は変化が激しく、生物相も変化しているので、本論文では近年のマアナゴの資源管理のための基礎的情報を得ることを目的として、漁況、体長組成、食性、生殖および資源特性値等について検討を行う。

【漁場・漁獲量】

 1992年6月から1994年1月にかけて柴支所のアナゴ間漁船に原則として月1回乗船して標本を採集するほか湾内20定点での年4回の試験底曳(点ごとに10分間曳網)の採集結果も用いた。漁場は柴から横浜沖にかけての水域で、水深が30〜65m,底質が泥質であった。

 柴支所のアナゴ筒漁のマアナゴ漁獲量(S)と、1983-1992年の東京湾全域のマアナゴ漁獲量(T)との間にはT=5.88146S+277.0182(r=0.955)の直線関係が認められた。一方、同支所の手繰網のマアナゴ漁獲量は東京湾のマアナゴ漁獲量との間には明瞭な関係が認められなかった(相関係数,0.3)。

 県の水産統計にアナゴの漁獲量が記録されている1都1府(大阪)11県(宮城、茨城、神奈川、愛知、兵庫、広島、愛媛、岡山、徳島、香川、福岡)の1983年から1992年の10年間のアナゴの漁獲量について経年変化を検討した。10年間の各海域間の相関関係から4つのグループに分けられた。即ち、1)西側:福岡県、2)中部:愛媛、香川、大阪、兵庫(日本海を除く)、広島、岡山、徳島県、3)東側:愛知、東京湾周辺海域(東京都と神奈川県を含む)および茨城県、4)北部:宮城県、であった。この漁獲量の経年変化の違いが、マアナゴの系群の違いを意味するのか、異なる海域の海況の影響か、いまのところ不明である。今後、DNAの地域差の検討や環境因子等に関する情報の収集を行い、解析を進める必要があろう。

 なお、1965年からの東京湾のマアナゴ漁獲量を見ると、1969年のピークののち減少したが、70年代終わりから増加に転じ、1992年には1203トンと、史上最高の漁獲量を記録した。しかし、1993年に柴支所のアナゴ筒漁の漁獲量は92.2トンと、1992年の58.7%に落ちており、東京湾全域のマアナゴ漁獲量もふたたび減少すると予想される。

【形態・成長】

 まず相対成長について検討した。全長と体各部の長さ(肛門前長、背鰭前長、頭長など)との相関係数は高かった。肛門前長(PA)と全長(TL)、体重(除内臓重,W)との関係はそれぞれPA=0.391TL-4.126(r=0.994)、W=8.3548×10-6PA3.2147(r=0.988)と求められた。

 1992-1993年に得た543個体を用いて耳石による年齢査定を試みた。肛門前長(PA)と耳石半径(R)の間にはPA=106.243×R-106.462(r=0.970)の直線関係が認められた。年輪(透明帯)形成時期は12-3月で、盛期は2月と推定された。各年輪形成時の体長はPA1=43.98(TL1=123.03),PA2=113.78(TL2=301.55),PA3=161.48(TL3=423.54),PA4=208.12(TL4=542.83),PA5=248.81(TL5=646.90)mmと推定された。Walfordの定差図から直線式PAt+1=0.8299PAt+73.635(r=0.997)が得られた。これに基いてBertalanffyの成長曲線PAt=432.87×(1-e-0.1865×(t-0.4369))が求められた。年齢組成は、1992年は1+〜4+歳それぞれ4.25,83.96,11.32,0.47%で、1993年は1+〜5+歳それぞれ19.03,66.16,11.18,3.02,0.61%であった。

 1993年1月から10月にかけて採集した892個体の体長組成について、ELEFAN I法による解析を行い、各年齢群を分離し、これに基いて、季節変動を取り入れたBertalanffyの成長曲線PAt=409.1(1-exp[-{0.258(t-0.5592)+(0.8×0.258/2×sin(2(t-0.17))}])を得た。曲線への適合度を示すRnは0.4となりやや低い。この式から耳石の年輪形成時(2月)における各年齢群の肛門前長はそれぞれPA1=43.98,PA2=127.01,PA3=191.16,PA4=240.72,PA5=279.01mmと求められた。さらにMixture法による年齢群の解析も試みた。4つの年齢群が分離され、各群の相関度数はそれぞれ0.5989,0.3537,0.0342,0.0132であった。この方法で得られた各年齢群の平均肛門前長は各年齢群の年央の値と考えられるが、PA1.5=111.87,PA2.5=145.27,PA3.5=188.37,PA4.5=244.53mmとなった。一方、漁獲物中の各年齢別の肛門前長の平均値も同様の性質の値であり、PA1.5=105.35,PA2.5=137.06,PA3.5=180.28,PA4.5=233.73,PA5.5=277.5mmであった。両者を比べるとMixture法での推定値は1歳から4歳までの漁獲物の平均値に対応しており、5歳に対応する正規分布が分離できなかったものと考えられる。Mixture法の推定値が若干高めなのは、5歳に対応する分布が分離されなかった影響かも知れない。

 本研究でマアナゴの年齢査定に耳石が使えることが改めて確認された。また、本研究では採集個体の数が少ないこと、小型個体が採集されていないことなどによりELEFAN I法、Mixture法ともに若干問題が残ったが、採集個体が質量ともに十分であれば、マアナゴにおいても年級群(年齢群)の分離、成長の研究に使えると考えられる。

【食性】

 1992年6月から1993年10月にかけてアナゴ筒で採集した845個体と1993年8月に手繰網で採集した30個体を用いた。

 胃内容物のうち重要なものは、魚類ではスジハゼ、ハタタテヌメリなど、エビとカニ類ではテナガテッポウエビ、そのほかシャコと多毛類などであった。出現頻度組成は、1993年は1992年と同様であった。大きさ別に比べると全長200-400mmの小型個体と400-600mmの大型個体とで、統計的に有意な差が検出された。一方、重量組成についても、体長別に異なることが明かになった。

 餌項目の重要度(%RI)で見ると、全長200-400mmの個体では主に底生生物-エビ、カニ類と多毛類が高く、400〜500mmの個体ではエビ、カニ類はやや減少し、魚類の重要度が増加して、500〜600mmの個体ではエビ、カニ類は急激に減少し、魚類が大幅に増加し、同時にシャコもやや増加した。また、600〜700mmの個体では魚類の重要度はさらに増えた。このようにマアナゴは成長に伴って底生生物食性から魚食性になると推定された。

 全個体の体長(全長)と摂餌量指数との相関係数は-0.17と負であるが低い。また、600mm以上のクラスは特に摂餌量指数が低いが、これは冬という摂餌の低下する季節に採集された個体が多い影響も考えられる。このように体長と摂餌量指数との間には明瞭な関係は認め難い。森・井上(1982)のマアナゴの成長に伴う摂餌量指数の変化が認められなかったという結果とよく似ている。一方、200-400mmの小型個体および400-600mmの大型個体の両者とも春から夏にかけて上昇する季節変化が認められた。

 空胃率に体長別の変化は認められなかったが、全長200-400mmの小型個体および400-600mmの大型個体の月別変化を見ると、両者とも秋から冬にかけて上昇し、春から夏にかけて減少する同様の傾向が認められた。

【生殖】

 1992年6月から1993年10月にかけて採集した866個体を用いて、肥満度および肝臓重量指数を調べ、さらに、1992年12月から1994年3月にかけての144個体を用いて、組織学的検討を行った。

 肥満度(CF)は、成長に伴って徐々に上昇することが認められた。一方、肝臓重量指数(HSI)は、体長クラス別の平均値を見ると、全長400mmまでは上昇し、400mm以上では減少する現象が認められた。東京湾のマアナゴについて全長約400mm(2+歳)以上の個体では、生殖腺の発達が始まり、それとともに全長400mm以上の体長別クラスの平均肝臓重量指数は落ちており、生殖に対応する関係があると思われる。さらに、CFとHSI両者の月別変化を調べたが、両者とも春から夏にかけて上昇することが認められた。未成熟個体(全長400mm以下)では肝臓重量指数は肥満度と同様に、摂餌量と関係があると考えられた。

 卵黄蓄積前期の卵母細胞は長径0.06-0.16mmの範囲にあり、この段階は未成熟と判断された。さらに、卵黄蓄積以後の卵母細胞は長径0.2mm以上になり、この段階の卵母細胞を持つGSIが約4以上の個体は成熟中であり、また、胚胞移動期の卵母細胞を持つGSIが約5.5以上の個体は成熟と推定された。一方、成熟した精巣は全く認められなかった。

 性比は、全長300-500mmでは雄:雌は2:3と推定されたが、全長500mm以上では、雄はほとんど見られなかった。また周年雌が雄より多い現象が認められた。

 卵径は、12月前にほとんど0.2mm以下であるが、12月から急に大きくなり、1月にピークに達する。この時の平均卵径は0.255mmで、最大卵径は0.395mmであった。さらに、成熟個体の卵巣中の卵径分布はモードが1つであり、1回産卵と推定された。抱卵数(F)と体重(除内臓重(g),W)との間にはF=4045.175W+138106.5(r=0.952)という直線関係が認められた。

 生殖腺重量指数(GSI)について、雄は1993年7,8,9,12月しか得られなかったので、月別の変化は調べられなかった。雌のGSIの月別変化から見ると、1992年12月から1994年3月にかけて12〜1月以外はほとんど低い値で、12-1月には成熟中および成熟個体は見られたが、吸水した卵母細胞を持つ個体はまだ得られなかった。従って標本は得られていないが、2月にはさらに成熟が進むと考えられる。このことから東京湾のマアナゴの産卵期は12-2月と推定された。1994年1月には全長510mm以上の個体で、GSIが急激に上昇し7.05になるものも出現した。東京湾の本種の生物学的最小体長は全長510mm(3+歳)と推定された。

【資源特性値】

 柴支所におけるマアナゴの出荷規制は篩による選別によって行われ、体長としては規定されていない。1994年11月13日に柴支所で選別個体の現場調査を行って得た119個体の全長組成では個体数の累積百分率が50%に達するのは全長が290-300mmのクラスであり、また篩で選別される個体が急減する体長は320mm以上であった。このことから現在の柴支所におけるマアナゴの規制体長は全長320mmと推定された。

 加入時期については、1992年6月から1994年1月にかけての14回の海上投棄魚の調査結果と漁獲物の全長組成から検討した。投棄魚の調査で1993年4月に最小全長166mmの個体が採集されたが、全長組成のモードの推移を見ると、1992年と1993年の9月に他の月よりモードの位置が小型側に移り、しかも、この月には全長の平均値も他の月より低い250-260mmとなった。このことから東京湾でのアナゴ筒漁への加入は、9月から始まると考えられる。

 1993年1月から10月にかけて採集した892個体の肛門前長組成を用い、ELEFAN II法で解析したところ全減少係数は1.577、自然死亡係数は0.415、漁獲係数は1.162と求められた。さらに、漁獲能率は0.000854と求められた。1993年の漁獲率は0.585となり、これらの値および年齢組成の資料を用い、1993年の東京湾のマアナゴの1+歳以上の資源尾数は約1,210万尾と推定された。

 1993年の漁獲係数1.162のまま規制体長を400mmあるいは500mmと大きくすると加入当り漁獲量(tc=320mm(TL),Yw/R’=88;tc=400mm,Yw/R’=109;tc=500mm,Yw/R’=124)を大きくすることができる。一方、現行の規制体長のまま現状よりYw/R’を増加させるためにはFを減少させる必要がある。規制体長の増大、漁獲係数の減少、何れも過渡的には漁獲量の減少を伴うなど、種々考慮すべき条件があり、まだ明らかになっていない条件もある。今後の重要な課題の1つと考えられる。

【総合考察】

 以上の知見から東京湾におけるマアナゴの生活史を次のように推定した。4-5月に本種の葉形幼生は内湾の奥に達し、6-7月以降0+-1+歳の個体は内湾の浅瀬・干潟に生息し、1+歳の個体は9月以降徐々に漁場へ加入する。主な漁場は横浜沖以南で、漁獲物は1+-5+歳の個体であった。食性はテナガテッポウエピ、ハタタテヌメリなどであり、成長に伴って底生生物食性から魚食性になる。産卵するための個体は内湾から離れ、湾外の産卵場へ行く可能性が高いが、産卵場はいまだ明らかになっていない。

 今後、DNA等による系群の検討、葉形幼生の調査、産卵場の解明および漁業経済の調査などをを行うことが、重要な課題と考えられる。

審査要旨

 マアナゴConger myriaster(Brevoort)は日本各地の沿岸,特に内湾に多く見られ漁獲されている。東京湾でも重要な漁獲対象種の一つであるが,研究は少ない。本研究は東京湾のマアナゴ資源の管理に資するための基礎的知見を得ることを目的としている。まず,東京湾および他県の漁況を解析し,次いで,湾内で採集した標本をもとに年齢と成長,食性,生殖などの生物学的特性を明らかにし,最後に資源特性値な求めて,資源診断を行い今後の管理の方向について検討した。

マアナゴ漁業と資源の現状

 宮城,茨城,東京,神奈川,愛知,大阪,兵庫,広島,岡山,愛媛,徳島,香川,福岡の1983年から1992年のアナゴの漁獲量について経年変化の傾向から東北,関東・東海,関西・中国・四国,九州の4つの地理的グループに分けられることが明らかになった。東京湾の漁獲量について1965年から1992年の変動を見ると1969年のピークの後減少したが,70年代終わりから増加に転じ1992年には1203トンという史上最高の漁獲量を記録した。ただし,1992年と93年のアナゴ筒漁の調査では93年は92年の6割程度の漁獲である。

年齢と成長

 1992年から93年に得た543個体な用いて耳石による年齢査定を行った。透明帯が1年に1本12〜3月に形成されることが確かめられ,これを年輪として年齢を査定し,1歳から5歳までの存在を確認した。漁獲物の年齢組成を見ると,2歳魚が非常に多い。肛門前長(PA)と耳石半径(R)との間には直線関係が認められ,この関係を用いて逆算した各年齢形成時の肛門前長な推定し,これに基づいてvon Bertalanffyの成長曲線の当てはめを行い,PAt=433(1-exp(-0.19(t-0.44)))を得た。

 このほか体長組成の解析から,年齢別の体長とこれに基づく成長曲線の推定も試みた。ELEFAN I法では成長の季節変動を取り入れたvon Bertalanffyの成長曲線を得たが,適合度は低かった。また,Mixture法では1歳から4歳に相当すると思われる4つの年齢群を分離することができた。しかし,5歳に対応する分布は分離できなかった。

食性

 胃内容物で重要なのはスジハゼ,ハタタテヌメリ,テナガデッポウエビ,シャコ,チロリなどであった。重要度(%RI:重量%・出現%)でみると,全長200〜400mmではエビ・カニ類と多毛類のベントスが多いが,400〜500mmではエビ・カニ類が減って魚類が増加する。500〜600mmではエビ・カニ類は少なくなって魚類が大幅に増加し,さらに600mmを超えると魚食性が一層強まる。このように成長に伴いベントス食性から魚食性に変化する。

生殖

 生殖腺指数(GSI),肥満度および肝臓重量指数(HSI)の変化および組織学的な検討を行った。雄については標本が少なく,十分な検討が行えなかった。なお,周年雌が雄より多く,特に全長500mm以上では雄はほとんど見られなかった。

 雌のGSIの変化を見ると,12〜1月以外はほとんど低い値であった。組織を見ると,卵黄蓄積以後の卵母細胞は長径が0.2mm以上になり,この段階の卵母細胞を持つGSI約4以上の個体は成熟中,また,胚胞移動期の卵母細胞を持つGSI約5.5以上の個体は成熟と推定された。雄については成熟した精巣はまったく見られなかった。これらの知見から東京湾のマアナゴは12〜2月に産卵期を迎えると考えられた。

資源診断

 1993年1月から10月にかけて採集した892個体の肛門前長組成な用い,ELEFAN II法で解析したところ,全減少係数,自然死亡係数,漁獲係数および漁獲能率がそれぞれ,1.577,0.415,1.162,0.000854と求められた。これらの値および年齢組成の資料から1993年の東京湾のマアナゴの1歳以上の資源尾数は1210万尾と推定された。なお漁獲率は0.585である。等漁獲量曲線図から漁獲係数を現在のまま規制体長な大きくすると加入当たり漁獲量を大きくすることができると考えられた。

 最後に以上の知見を基に生活史を推定し,今後の課題として系群の検討,葉型幼生の調査,産卵場の解明の必要性を論じている。

 以上,本研究は東京湾で重要な漁獲対象種であるアマナゴの生物学的特性と資源状態を把握し,今後の管理の方向を示したもので,学術上も実際面でも貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は本論文が博士(農学)の学位に値すると判定した。

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