学位論文要旨



No 111277
著者(漢字) 金,洪云
著者(英字)
著者(カナ) ジイン,ハオンユン
標題(和) 中国農業社会サービスシステムに関する研究
標題(洋)
報告番号 111277
報告番号 甲11277
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1568号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 和田,照男
 東京大学 教授 田中,学
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 助教授 岩本,純明
 東京大学 助教授 八木,宏典
内容要旨 内容:

 周知のように、中国の人民公社体制は1950年代後半にその確立を見ることができ、体制そのものがいろいろな矛盾を内包しつつも1970年代後半まではその形を保ち続けたが、1978年安徽・四川両省を始め全国各地の農村でいわゆる「生産請負制」の導入が主内容である農村経済改革が始まったことによって、その変質を余義なくされたのである。すなわち、農村経済改革と呼ばれる新農政のもとで、まず農地の経営権と所有権の分離が行われ、所有権は名目上は集団所有であるけれども、実質の耕作権利は農家の手中に入ったわけである。これは経営権と所有権の一体化した人民公社体制のもとでは考えられないことであるし、また結果からみてそれは人民公社体制崩壊作業の第一歩に過ぎなかった。この生産請負制なるものは、誤解を恐れずに思い切ってその性格を言うならば、それは非集団化であり、個人農化である。新農政たるものはこの非集団化・個人農化をめぐっての様々な政策を指すに他ならない。新農政のこれらの一連の政策の刺激で食糧生産は一直線の驚くほどの上昇を見せた。しかしそれは長続きせず、異変はもはや早くも80年代の半ばごろから始まった。85年はいわゆる改革の第2段階といわれた時期であり、農産物の強制買付け制度の廃止と契約買付け制度への切り替えを実施した頃であった。まさにこのような時期に、中国農業は停滞し始め、なかんずく食糧生産の停滞は著しいものであった。後にはこれを指して「農業の徘徊」と言われるようになった。しかもこれは中国の農政当局が政策的な誘導である減反政策をとっていないにもかかわらず起こった現象である。となると、明らかにこれは構造的な問題が問題発生の引き金であったことは言うまでもない。

 ところで、農業生産における各種各様の矛盾の露呈は「生産請負制」を見直さざるをえなかった。総じて言えば農家生産請負制の行き過ぎ(極端な個別化)による農業生産の混乱は、このような混乱の発生原因とも言える集団農業の崩壊の現状を直視し、集団農業と個別農家、「集団」と「個」との正常な関係、農業生産における両者の関係と位置づけ、そしてそれらのあるべき姿が何かを問わざるをえなくなったのである。したがって、いま現在の農業経営体制を集団経済と個別農家経営との一種の「双層経営」と見なし、集団経済の再建などの呼び声が高まって来たのである。そして、現状では集団経済を再建するのをその名目として逆戻りの現象さえ見え始めたのである。これは明らかに農業生産の極端な個別化進行への反省と、その反動からきたものであると思われる。しかし、問題は1978年以降の生産請負制を中心とする農村改革の目的は単なる食糧の増産だけにあったのではなかったはずだった。いや、むしろ農村改革をそういうふうに捉えること自体が一つの危険性を備えていると言うべきであろう。所有権と経営権の分離、したがって農民の経営権の掌握は農民の自主性=自立性の確立とはまだまだ一段の距離があるにせよ、彼らの自主性=自立性の確立のための一つの経済的与件を彼らに与えたことは確かなことである。そして、このことこそ農民の農業生産に対する意欲を燃やすことができ、その積極性を基に1984年のような食糧大増産を達成出来たはずである。そういう意味でも我々はもう一度原点に戻って何故集団経済の崩壊までにつながった農村改革をやらなければならなかったのかを歴史的に振り返ってみる必要があると考える。(第1章)

 1980年代の後半からは極端な個別化への反省から「双層経営」をも含めて新しい分析の枠組と概念が提示され始めたのである。農村社会化サービスシステムがそれである。土地、機械などの農業生産資材の個別的な所有・利用からかなりの程度緩められた集団的利用への脱皮ということがその中身であることは言うまでもない。理論の構成は現状の実態からつくりあげていくしかないだろうが、小論の中で社会化サービスシステムなるものが自体がはっきりしない状態のいま、個別的な著者自身及び研究クループによる独自な調査に基づいての分析に入るに先たって、まず全国的な規模での社会化サービスシステムの形成状況を統計資料に基づいてその姿を描写することの必要性が感じるのである。このような作業を通じて小論では次のようなことを確認することが出来た。すなわち、農業社会サービスは全国一律に展開したものではなく、ここにも地域的な展開格差を見せていること、そしてこのような展開格差は集団経済の基盤いかんによって規定されている。(第2章)

 政府公式統計数字は全国の大概的な状況を示したことに過ぎず、ある特定の地域に焦点を当て、その地域においては農業社会サービスシステムが如何なる展開を見せ、どのような問題をもっているかを見る必要があると考える。さしあたり、小論では華北の河北省と東北の吉林省でそれぞれの調査事例の分析を行うことにした。(第3章)

 各地で展開された事例分析によって、われわれはある種の共通項のようなものを見いだせる。中国の農業社会サービスシステムの成立条件である。それはすなわち、第1に、土地利用型的な農業生産地域でなければならないこと。第2に、農業社会サービスを十分に行う為の財源、したがってその捻出体としての郷鎮企業か一定の発展を示さなければならない。第3に、しかしながら、このような郷鎮企業が発達していないところは、少なくともその最初の形成段階においては、政府から財政的な支援が必要である。第4に、農業社会サービスを生産段階まで行える為の組織的な運営体がなければならず、したがってそれを担う末端組織の建設が肝心なことである(第4章)

 いま中国で展開されている農業社会サービスシステムをいろいろな角度から評価ないし批評出来る。それは一方では小農経営の補完的な組織構造、したがって小農的な農業生産を固定化する面もあれば、他方では農民層の両極分解を防ぎ、農民の耕作権を最低限保障しようとする側面をも有するのである。この二つの側面を、片方だけをみるならば、中国の農業社会サービスシステムの本当の姿が見えないのであろう。

審査要旨

 中国の人民公社体制は1950年代後半にその確立をみ,体制そのものにいろいろな矛盾を内包しつつも1970年代後半まではその形を保ち続けた。しかし,1978年より安徽・四川両省を始めとする全国各地の農村でいわゆる「生産請負制」の導入など農村経済改革が始まったことによって,その変質を余儀なくされた。

 新農政のこれら一連の政策的刺激により食糧生産は一時驚くほどの上昇を見せた。しかし,それは長続きはせず,早くも80年代の半ばごろからは停滞がみられるようになった。後にはこれを指して「農業の徘徊」と言われるようになったが,これは中国の農政当局が政策的な誘導である減反政策をとらぬにもかかわらず起こった現象である。明らかにこれには構造的な問題が引き金になっていることは言うまでもない。このような農家生産請負制の行き過ぎ(極端な個別化)による農業生産の混乱は,その原因とも言える集団農業の崩壊の現状な直視し,集団農業と個別農家,「集団」と「個」との正常な関係,農業生産における両者の関係を位置づけ,それらのあるべき姿を追求する必要な生じさせた。このため,現在の農業経営体制を集団経済と個別農家経営との一種の「双層経営」と見なし,集団経済の再建を求める呼び声が高まってきている。

 しかし,1978年以降の生産請負制を中心とする農村改革は,所有権と経営権の分離を通じて,農民の自主性=自立性の確立にはまだまだ一段の距離があるにせよ,彼らの自主制=自立制の確立のための一つの経済的与件を与えたことは確かである。そして,農民の農業生産に対する意欲を燃やすことができ,その積極性を基に1984年のような食糧大増産を達成することができたことも否定できない事実であろう。

 以上のような中国農業の近年における動きを背景にして,1980年代の後半より「双層経営」をも含めた新しい分析の枠組と概念が提示され始めた。農業社会サービスシステムがそれである。土地,機械などの農業生産資材の個別的な所有・利用から,かなりの程度緩められた集団的利用への脱皮という動きがその中身をなしている。

 本論文では,このような中国農業社会サービスシステムに焦点を合わせ,その類型と機能,および成立条件な理論的・実証的に解明したものである。

 まず第1章での論点と課題の整理に続いて,第2章では全国的な規模での農業社会サービスシステムの形成状況を統計資科に基づいて分析し,このような作業を通じて次のような点を確認している。すなわち,農業社会サービスは全国一律に展開しているものではなく,地域的な展開格差を見せていること,そしてこのような展開格差は集団経済の基盤いかんによって規定されていることである。

 政府の公式統計は全国における概略的な状況を示しているわけであるが,第3章では特定の地域に焦点を当て,その地域における農業社会サービスシステムが如何なる展開を見せ,どのような問題を持っているかを実証的に分析している。調査分析の対象地域は華北の河北省と東北の吉林省である。

 各地で展開された事例分析によって,第4章ではそれらに貫いている共通項を摘出している。それは中国の農業社会サービスシステムの成立条件でもある。すなわち,第1に,農業社会サービスが展開しているのは土地利用型の農業生産地域であるということ,第2に,農業社会サービスを十分に行う為の財源,したがってその出資主体としての郷鎮企業が一定の発展を示さなければならないこと。第3に,しかしながら,このような郷鎮企業が発達していないところでは,少くともその最初の形成段階においては,政府から財政的な支援が必要であること。第4に,農業社会サービスを生産段階まで行える為の組織的な運営体がなければならず,したがってそれを担う末端組織の設立が重要であることである。

 なお,現在,中国で展開している農業社会サービスシステムの評価については,一方では小農経営の補完的な組織,したがって小農的な農業生産を固定化するものであるという評価もあれば,他方では農民層の両極分解を防ぎ,農民の耕作権を最低限保障しようとする側面をも有するものであるという評価もある。本論文のむすびでは,この2つの側面を同時に睨んだ中国における農業社会サービスシステムづくりの重要性が強調されている。

 以上,要するに本論文は,今日,広範に展開している中国農業社会サービスシステムの類型,機能,その成立条件について理論的・実証的に解明したものであり,学術上,応用上寄与するところ少なくない。

 よって審査員一同は,本論文は博士(農学)を授与するに価値あるものと認めた。

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