学位論文要旨



No 111280
著者(漢字) リリオ マサル ナカセ
著者(英字) Lyrio Massaru Nakase
著者(カナ) リリオ マサル ナカセ
標題(和) 低平地排水解析へ向けての非定常流モデルの開発と適用 : 高須輪中排水計画を事例として
標題(洋)
報告番号 111280
報告番号 甲11280
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1571号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,良太
 東京大学 教授 田渕,俊雄
 東京大学 教授 中野,政詩
 東京大学 助教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 山路,永司
内容要旨

 本研究では、低平地排水解析モデルの骨格部分に、Preissmannの陰差分法を採用し、開水路非定常流計算のための基礎式として、St.Venant方程式を用いた。ただし、この方法を実際の低平地帯排水解析に適用するには幾つかの問題点を解決する必要があった。それらは、水利構造物や合流点での流れの計算法や、流れが射流になったり、水路が干上がり水がなくなる場合での対処の仕方である。結論から言えば、その様な地点に内部境界条件を適用することにより、問題の解決が可能となった。

 内部境界条件は、St.Venant方程式では流れを記述できない場合、それに代わって流路の2点間、或いは、3点間の関係を表すものである。この関係は、Preissmann schemeでは、計算方法の骨格構造を変更することなくモデルに導入できる。本モデルでは、内部境界条件として、基本的には4つのものを用いた。それらは、合流点、越流堰、フラップゲート、スルースゲートである。これらのうち合流点だけが、3点間の水位や流量の関係を表すのに用いられ、残りのものは2点間での連続条件と流量条件を表すのに用いられる。これにより、内部境界を挟む2点の間は、一種のブラックボックスとして扱われる。

 本排水モデルでは、内部境界条件を組み合わせて用いることによって、圃場や地下水槽(地下帯水層)を表現する事も可能となった。圃場は幅の広い水路として扱い、水口には越流堰を配した。地下水槽も同様な方法を用い、水路との連絡口には、スルースゲートと越流堰を配した。

 内部境界条件の重要な利用法としては、Preissmann法では扱い難い射流や水深ゼロとなる状況を避ける手段として用いる場合がある。非潅漑期間には、水路の水深が低下し、急勾配部などでは流れが射流となったり、また水路が干上がることもよく見られる。

 射流の発生を防ぐための手段としては、例えば、急勾配水路では、越流堰を表す内部境界条件を重ね合わせ、急勾配部分を階段状水路とする方法などを考案した。また、水路の水の干上がりに対しても、水路が干上がりそうな箇所に仮想的な越流堰を挿入して、一種のダムを形成させる方法で対処した。これによって、実際には干上がる水路が、常に数センチの深さの湛水状態になり、実際の現象とは多少異なるものの、実質的にはその目的を達することができた。ただし、これらの対策を施すには、事前に発生場所を知らなくてはならず、シミュレーションを行う過程で、必要に応じて対応していくと言う方法を取らざるを得なかった。

 内部境界条件の有用性を示す例は、この他にも多数あるが、本研究では、逆サイフォンを表す内部境界条件を用いて、オープン型パイプラインを表わし、そのようなシステムでよく見られるサージング現象を再現するのにも成功した。

 以上により、取りあえず、低平地排水解析のための非定常流モデルが完成したわけであるが、内部境界条件多用したことにより、計算が不安定に陥る場合が出てきた。本研究では、その原因を明らかにし、改良方法を探ることにも研究重点を置いた。

 即ち、内部境界条件に起因する計算の不安定現象は、内部境界条件を表す式形が複雑で、Newton-Rhapson法での収束計算の過程で解へ収束し難い場合があるために起こることが判明した。また、そのNewton-Rhapson法での収束計算において、収束領域と発散領域とでも呼ぶべき範囲があって、仮の解が、その収束領域に入らない限り収束しないことも分かった。

 そこで、収束性を高める手段として、仮の解が収束領域に入る可能性を高める方法と、収束領域そのものの範囲を広げる方法を考案した。前者の方法としては、仮の解を更新する際の修正量を不足緩和する事によって解決を図った。つまり、線形化方程式を解いて得られる修正量の40%や60%を修正量とした。

 本モデルでは、Newton-Rhapson法での繰り返し回数は、6回とし、修正量の修正率として、1回目:100%、2回目:40%、3回目:50%、4回目:50%、5回目:100%、6回目:100%とした。これにより、収束過程における誤差は、1mm以下に抑えることができた。これらの修正率は、内部境界条件が用いられている点だけでなく、全ての計算点に用いることにした。ただし、全点に用いるべきか、内部境界条件設定点だけに用いるべきかは検討課題として残された。

 後者の方法としては、特異性を持つ内部境界条件(例えば、流量式と水位差の関係が不連続、或いは変化率が無限大)に対して、それの基本的な関係は、できる限り損なうことなく、特異性だけを排除するように式形を変更した。

 これらの対策により、内部境界条件を多用する場合にも、計算が安定的に行える様になった。ただし、この様な安定性向上への計算法の改良は、対象地域での排水シミュレーションの過程で順次行われてきたものであり、何回もの試行錯誤が繰り返された後に生み出されたものでもある。

 本研究では、岐阜県高須輪中の大江川流域を対象地域とした。この流域は揖斐川、長良川と木曽川に挟まれた低平地水田地帯で、全域の約半分の土地が海抜ゼロ以下の標高である。大江川が地域の主要排水河川で、大江川へ流出した排水は、内外水位に応じて、自然排水や機械排水によって揖斐川へと排出される。

 計算結果の再現性の検討は、実測値との比較によって行い、以下のような結果が得られた。

 a)内外水位差に反応するフラップゲートの動きや、ポンプ運転に伴う排水路水位の低下の動きに関しては、その動きが実測値と計算値の間で非常に良く一致した。ただし、ポンプ停止後の水位回復過程に関しては、流域からの排水過程の把握が難しく、季節的な変化もあって、充分には再現できたとは言えなかった。ただし、その傾向に関しては、おおむね再現できることが分かった。

 b)1年にわたる長時間シミュレーションの過程で、洪水排水と常時排水を同一方法で計算し、同時に、それぞれの排水特性を再現することが可能であった。

 c)地下水位に関しては、今回は最も単純な方法(1つのスルースゲートを通じての排水路と地下水槽との水の授受)を用いたが、この方法では排水路水位と流出量の関係を調整するのが難しく、計算値は実測値とよく一致させることはできなかった。ただし、地下水槽(地下帯水層)からの時間遅れの流出過程を再現することは可能であった。

 これによって、本モデルの能力を知ることができ、低平地排水解析における計算結果の信頼性の程度を知ることが可能となった。

 最終的には、排水計画のために、この排水モデルを適用することにより、以下のような情報を得ること可能となった。

 先ずは、現在の排水施設・排水系統の診断である。これは、現在の排水施設の改良の方向に関する情報であるとも言える。このモデルに限ったことではないが、極めて容易に水利施設をつけ加えたり、ポンプの能力を変更でき、これによって将来の施設改修の効果も容易に知ることができる。

 次は、大江川の管理水位と、それを維持するために必要なポンプ排水量との関係である。この関係は、「大江川流域での汎用農地面積率をどの程度とするか。また、そのためにはどの程度の電力使用料が必要とされるか。」等の流域の施設管理ための指針となる情報である。

 以上、本研究で考案・改良した排水モデルは、低平地地域における実用的な問題を解決する上で、得難い情報を容易に得ることができ、排水管理上有効な手段となることを示すことが出来たと考える。

審査要旨

 近年の農業の国際化などに伴って,水田のみでなく畑作を含む企業的な農業が必要とされている。とくに,日本の主要な稲作地帯は大河川の流域での低平な沖積地帯に多くの部分が分布する。かつての水田のみの耕地利用から畑作へ自由な耘換を可能とする圃場の確保を計ることは,一つの重要な課題である。これらの地域ではポンプによる排水に頼らざるを得ないが,近年ポンプによる排水の費用は急騰し,一つの土地改良区で年間数百万円に違するほどであり,その費用の軽減は焦眉の急である。

 これに対して,感潮河川の影響を受ける低平地水田地帯では,排水路内の水の動きはきわめてダイナミックであり,流れの非定常性な表現できる解析法が,現象の本質を正確に把握する上で不可欠である。

 著者は,このような状況から,研究の主要な目的を,第一に,「その様な流れの解析を可能とするコンピュータシミュレーション手法を開発すること」第二に,「その手法を実流域に適用して,その手法の有効性を調べるとともに,その流域の洪水・常時排水計画に有用な情報を提供すること」とした。

 先ず,手法の開発に関しては,その骨格部分となる差分法にはPreissmann Schemeを用いた。Preissmann Schemeで解きを難い流れを短区間の境界内部に閉じ込め,その前後の関係だけを求めるために,内部境界条件の考え方を導入した。この内部境界条件について,5種類の内部境界条件,即ち,合流点・越流堰・スルースゲート・フラップゲート・サイフォンに対し,その連続条件と流量(運動)条件を定式化することができた。

 この内部境界条件についての最初の例としては,段落ち流れや露出射流など,極めて短区間内で起こる急変現象への適用を提案した。二番目の例としては,水路の干上がりや射流を生じる急勾配水路などへ,実際には存在しない低い堰を設置したり急勾配水路を階段状水路で置き換えたりしてモデル化して解決した。三番目の例としては,地下帯水層への適用を提案した。地下帯水層の場合は,二番目の例とも関係するが,地下帯水層から排水路への滲出過程を,排水路に接続した地下水槽からの漏出過程で近似して内部境界条件の組み合わせで表現した。

 なお,内部境界条件は他の方程式に較べて計算する際に解が発散する可能性が高い。そこで本研究では,不安定に陥る原因を追求して内部境界条件に用いられる流量式を変更する方法を提案した。これは,その関数形および導関数形が不連続部分を有するものに対して実用的な範囲で連続に変換することに相当する。

 実流域への適用は,高須輪中の大江川流域を取り上げた。大江川流域は,その中でも内記地区は最も標高が低く,大江川ヘポンプ排水し,2段排水となっている。本研究では,時間ステップを10分とし,1年間にわたって,流域内のほとんど全ての水路及び圃場を流れる水の動きを追跡した。

 流域内の数カ所で得られた実測値との比較を通じて,この手法の精度を検討した結果,高い精度で再現できることが判明した。さらに排水機の運転条件を様々に変更してシミュレーションを行った結果,大江川の管理水位と排水機の排水量との関係を明らかにすることができた。この様な関係は,圃場の汎用化に伴うポンプ管理操作を行う際もっとも重要な情報となる。

 以上の様に,本研究を通じて従来不可能とされてきた低平地排水の長期間シミュレーションを可能とする手法が確立され,排水計画に有用な情報を提供できることが明らかとなったことは,今後の低平地帯の排水改良に大きな進歩をもたらすものであり,この手法を可能にしたことは,排水コントロール,水工技術の実際に寄与すると共に,農業水利学,水理学に貢献するところ少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと判定した。

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