学位論文要旨



No 111282
著者(漢字) 林,元雨
著者(英字)
著者(カナ) リム,ウォンウ
標題(和) 接着剤の粘弾性と接着系の破壊靭性に関する研究
標題(洋)
報告番号 111282
報告番号 甲11282
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1573号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 林産学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 町浩,水
 東京大学 助教授 小野,拡邦
 東京大学 助教授 太田,正光
 東京大学 助教授 磯貝,明
 森林総合研究所 主任研究員 秦野,恭典
内容要旨 ▼はじめに

 接着強さで接着系の性能を評価することは物理的な根拠が不明である。接着系は接着剤と被着材とからなる不均一体である。このような不均一体に外力が加えられると接着界面やクラック先端付近に応力集中が生じるようになる。このように応力集中の原因となる微小クラックや不純物、あるいはミクロボイドをすでに含んでいる接着系の破壊については、応力集中を考慮に入れた破壊力学的アプローチが必要となってくる。本研究では接着強さとそれに対応する破壊力学的試験を行ない、両者の間における相関関係を明らかにすることが主な目的である。また、接着剤は粘弾性体であるから、この粘弾性が両者の値に当然影響を及ぼし、両者の相関関係に対してどのような影響を及ぼすかについても研究を行なった。

▼実験

 本研究で用いた接着剤は市販の接着剤であり、被着材はKaba(Betutla maximowicziana Regel)である。用いた接着剤の硬化皮膜の動的粘弾性はバイブロン(Rheovibron DDV-II)を用い、周波数110HZ、昇温速度1℃/minで測定した。ひずみエネルギー解放率及び接着強さの測定はテンシロン(Orientec Co.)を用いて行なった。ひずみエネルギー解放率はコンプライアンス法によって求めた。

▼結果及び考察ひずみエネルギー解放率のクラック長依存性

 接着系におけるひずみエネルギー解放率、GIC、GIIC、およびGIIICはクラックの接着層または接着界面への進展に対する抵抗力である。GIC、およびGIICはクラック長が長くなるにつれて、sigmoid型のようになり、GIICはクラック長が長くなるにつれて減少し、いずれもあるクラック長からは一定になる。このようにGIC、GIIC、およびGIIICの値はクラック長に依存しており、クラック長が試験片の厚さの5倍、0.65(=クラック長/スパンの長さの半分)、試験片の厚さの8倍以上の領域でそれぞれの値は試験片の形状および寸法に依存しないようになる。同じ接着剤について、これらの領域での破壊靭性値はGIC<GIIIC<GIICの順に大きくなる。また、同じ接着剤で接着したクロスラップ試験とせん断ラップ試験の測定結果とひずみエネルギー解放率の値を比較してみるとある程度相関があると考えられる。引張り接着強さと√GICとの間には正の相関関係が認められるが、せん断接着強さと√GIICとの間には明確な相関関係が認められない。

ひずみエネルギー解放率の温度および速度依存性

 一般に接着強さは、接着剤の粘弾性を反映した温度および速度依存性を示すことがよく知られている。同様に接着系のひずみエネルギー解放率の測定に際しても接着剤の変形と破壊が生じるので、その値は温度・速度依存性を示すことが予想される。ウレタン接着剤を用いた接着系において、GIC(GIIC)及び引張り接着強さ(せん断接着強さ)は接着剤の粘弾性を反映した温度および速度依存性を示した。GICとGIICはある温度域(ガラス転移温度Tg)あるいはある速度域で極大値または高い値を示した。変形速度が増加するにつれてGICとGIICの温度依存性の曲線は高温側にシフトする。低温域では界面破壊が主に生じるので、被着材の不均一な表面構造を反映したデータのバラツキが現われる。また、GIICの曲線がGICのそれよりも低温側で極大を示す。粘弾性体である接着剤を使用した接着系のひずみエネルギー解放率について、次式のような関係が成り立つ。

 

 v:速度

 aT:シフトファクター

 GC:温度Tにおけるひずみエネルギー解放率

 GCO:温度T0におけるひずみエネルギー解放率

 そして、これらのデータに温度-速度換算則を適用すると、GICならびにGIICのマスターカーブが求められる。GIICの曲線はGICのそれよりも高速側で極大を示す。高速側では特に両者の値のバラツキが大きい。マスターカーブを求める際に用いたシフトファクターについてアレニウスプロットを行なうと二つの直線が得られることが分かった。このことは異なる破壊機構が存在することを示唆している

ひずみエネルギー解放率と接着剤の動的粘弾性

 接着強さの温度や変形速度依存性を測定し、その結果を接着剤の動的粘弾性と比較すると、その値が接着剤の貯蔵弾性率が高すぎても低すぎても低く、E’=1.0×1010 dyne/cm2程度のときに最大値を示すことがわかる。一方、2種のエポキシ樹脂(Epikote828とEpikote871)をブレンドし、共通の硬化剤を用いて動的粘弾性が系統的に変化する一連の接着剤を調製して、接着系のひずみエネルギー解放率に及ぼす接着剤の動的粘弾性の影響を詳細に検討した。Epikote828とEpikote871とを種々の割合で混合し、これと共用の硬化剤であるDETAによって硬化すると、室温でガラス状態からゴム状態まで系統的に変化する一連のポリマーが得られる。これらのポリマーを接着剤として木材を接着した系について、引張り接着強さやせん断接着強さならびに開口モードのひずみエネルギー解放率GICや面内せん断モードのひずみエネルギー解放率GIICを測定した。Epikote871の割合が非常に高い混合系、すなわち接着剤の弾性率が低くなる場合には、引張り接着強さは非常に低く、破壊形態は接着剤層の凝集破壊となる。また、木破率も当然低い。しかし、Epikotc828の割合が増し、接着剤の弾性率が高くなるにつれて引張り接着強さは上昇し、貯蔵弾性率E’が1.0×1010 dyne/cm2近くになったときに極大値が現われ、そして接着剤が完全にガラス状態(E’>1.0×1010 dyne/cm2)になれば引張り接着強さが若干低下する。引張り接着強さが上昇すれば当然木破率も大きくなるが、それと同時に木破率のバラツキも大きくなっている。せん断接着強さはEpikotc871の混合割合が0-40%の範囲では100kgf/cm2のオーダーの値になるが、混合割合がこれより高くなると接着剤の凝集力が弱くなり、その値が次第に低下する。

 Epikote871の割合が0-40%の範囲ではGICがほぼ一定になっており、Epikote871の割合が50-60%の領域ではGICが高くなっており、さらにEpikote871の混合割合が増すと接着剤の弾性率や凝集力が次第に低下していき、GICも低下する。一方、GIICは混合割合が約20%のときに極大を示し、これより混合割合が多くても少なくても値が減少する。

 引張り接着強さならびにGICは接着剤のTgが約50℃、貯蔵性率E’=1.0×110 dyne/cm2、損失弾性率E"=6.0×108 dyne/cm2、tan=0.1程度のときに、ともに極大になることが分かった。また、せん断接着強さとGIICについても定性的に同様の結果が得られた。

接着強さとひずみエネルギー解放率との相関関係

 接着剤のTg以上の温度域では引張り接着強さと√GICの間には曲線で表されるような相関関係が認められる。この領域では両方とも接着層の凝集破壊が生じることが特徴である。一方、温度が接着剤のTgより十分低くなると接着剤はガラス状態となり、弾性率も高くなる。その結果、界面に応力集中が生じやすくなり、破壊力学試験では界面破壊が、クロスラップ試験では被着材の凝集破壊が主に生じるようになる。従って、引張り接着強さと√GICの間には明確な相関関係が認められない。全体的には両者の相関が一つのループで表されるものが多い。ある接着系については相関が単純増加の曲線で表されるものもある。また、温度が増加するにつれて各点はそのループ上右回りする傾向がある。破壊靭性が高くなるにつれて、相関曲線は当然強靭性側へシフトする。これは、異なる接着剤の接着性能を評価する場合、クロスラップ試験では引張り接着強さが同じ値で評価されても、破壊力学的試験ではGICがそれぞれ異なる値として評価されることを意味している。また、接着剤の構造・物性や粘弾性が引張り接着強さと√G1ICの相関関係に強く影響を及ぼす。

 せん断接着強さと√GIICとの間には正の相関関系が認められる。PVAc(S)のような線状高分子の場合は低温域では両者の間の相関が明確ではなく、接着剤のTg以上の温度域では接着剤が流動状態になるので被着材の破壊が先に生じるようになる。従って、十分高い温度域ではGIICの測定が不可能であった。温度が十分高いレベルから低下し、それにともなって接着剤がゴム状態からガラス状態に変化するにつれて、測定値は相関直線の上に沿って増加するようになる。また、破壊靭性が高くなるにつれて、相関直線は当然強靭性側へシフトするが、両者の値が高くなると各相関直線は一つに収斂するようになる。従って、一般の市販の接着剤を使用し、接着剤がガラス状態のときに各試験を行なった場合、両者ともに十分高い値を示すので、両者の相関がある範囲で集中したような形となることが多い。

 以上のことから、接着系の破壊は非常に複雑な現象であり、接着強さならびにひずみエネルギー解放率は接着剤の粘弾性に強く依存していることがわかる。また、両者の相関関係には破壊形態や接着剤の粘弾性が強く関係していることが示唆された。今後は両者の相関関係について多くのデータを蓄積し、より明確な定量的関係を求める必要があると考えられる。

審査要旨

 木材は接着剤によって接着した形で利用されることが多いので,接着性能を正しく評価することが必要であるが,現実には規格やそれに準ずる試験法にもとづいて接着系を破壊し,そのときの力を接着部分の面積あるいは幅で割った値を評価の基準にする場合が多い。接着系に外力を加えるとその内部に複雑な応力・ひずみの分布が生じ,ある力学条件が成立した点で破壊核が発生し,これが伝播していって,それが材料全体の破壊に至るのであるから,いわゆる接着強さといわれる値の物理的意義はかなり曖昧なものと言わざるを得ない。本研究は接着系内部の応力集中を考慮に入れた破壊力学的なアプローチによって,物理的により明確に定義された量によって接着性を評価する方法を確立し,破壊力学的量と従来の接着強さとの相関関係に及ぼす接着剤の粘弾性の影響を系統的に明らかにしたもので,6章からなっている。第1章では関連分野における既往の研究をまとめ,本研究の位置付けを明らかにした。第2章ではほぼ同じ寸法・形状の試験片を用いて3種の変形モード,即ち,開口モード(Mode I),面内せん断モード(Mode II)および面外せん断モートド(Mode III)に対応するひずみエネルギー開放率(それぞれGIC,GIICおよびGIIIC)を測定する方法を開発し,得られる値に寸法効果が現われないための条件を実験的に明らかにした。多くの種類の接着剤で木材を接着し,そのGIC,GIICおよびGIIICを測定した結果,GIC<GIIIC<GIICの関係を満たす一連の合理的な値が得られた。変形モードの類似した接着強さとひずみエネルギー開放率の平方根とを比較したところ,引張り接着強さとG1/2ICとの間には正の相関関係が認められたが,せん断接着強さとG1/2IICとの間にはそれほど強い相関関係は見られなかった。これは用いた接着剤の分布が比較的狭かったことに起因すると考えられる。第3章ではひずみエネルギー開放率のレオロジー的な特徴を明らかにし,これと接着強さのそれとを詳細に比較するため,軽く架橋した高分子であるウレタン系接着剤を使って木材を接着し,GIC,GIIC,引張り接着強さおよびせん断接着強さを温度ならびに変形速度の関数として測定した。これらのデータに温度-連度換算則を適用してそれぞれマスターカープを求めた。シフトファクターのアレニウスプロットは折れ線となり,2種類の破壊のメカニズムが混在していることがわかった。接着剤の物性の広い範囲にわたって破壊力学的量と接着強さを比較した結果,引張り接着強さとG1/2ICとの間には接着剤のガラス転移温度以上の領域では正の相関関係が認められるものの,それ以下の温度では木破の状態が両者で異なるために相関関係が乱れることがわかった。これに対して,せん断接着強さとG1/2IICとの間には全範囲にわたってほぼ直線関係が成立することを示した。第4章では接着系のひずみエネルギー開放率と接着強さとの相関関係に及ぼす接着剤の粘弾性の影響をより明確にするために,エポキシブレンド系接着剤を用いて木材を接着し,その被膜の動的粘弾性を測定した上で両者の比較を行った。相容性のある2種のエポキシ樹脂主剤を種々の割合でブレンドし,これを共通の硬化剤でキュアすると室温の物性が系統的に異なる一連の高分子が得られる。これらの高分子を接着剤として利用した場合の引張り接着強さとG1/2ICとの関係は一つのループで表され,実験点はこのループを反時計回りすることがわかった。一方,せん断接着強さとG1/2ICとの関係はほぼ直線的であるが,木破が生じる領域では相関関係が乱れることが明らかになった。第5章では,線状高分子からなる接着剤で,均一な構造のポリ酢酸ビニル系接着剤と,架橋高分子からなる接着剤で,2相構造を有するタフ化エポキシ樹脂を用いて破壊力学的量と接着強さとの相関関係に及ぼす接着剤の内部構造と粘弾性の影響について検討した。1相構造の線状高分子と2相構造の架橋高分子とでは明らかに異なる特徴が現われることを確認した。第6章では,本研究を総括するとともに,ここで得られた主な知見をまとめた。

 以上,要するに,本論文は接着性の評価を物理的定義の明確な破壊力学的量によって行うことが合理的であることを明らかにし,それらの評価方法を開発するとともに,得られたひずみエネルギー開放率と従来規格などで便宜的に定義されていた接着強さとの相関関係に及ぼす接着剤の粘弾性の影響を系統的に解明したもので,学術的にも応用面においても貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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