学位論文要旨



No 111285
著者(漢字) 金,泳信
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヨンシン
標題(和) 木質植物細胞壁の形成とリグニンの化学構造
標題(洋) Structural Characteristics of Lignin in Relation to the Formation of Woody Plant Cell Walls
報告番号 111285
報告番号 甲11285
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1576号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 林産学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 岡野,健
 東京大学 助教授 佐分,義正
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨

 リグニンは木材細胞壁成分の20-30%を占めており、その化学的性状に関する研究は木材のパルプ化及び漂白法の改良と深く結びついて行なわれてきた。また、木材は再生産可能な豊富な天然資源であり、その用途の拡大を目指したリグニン研究が活発に進められている。

 リグニンは規則性をもたない複雑な芳香族高分子で木質植物の細胞壁中で他の成分と化学的、物理的に強く会合している。そして、このことがその研究の困難さの大きな原因となっている。本研究ではリグニンの化学構造的特徴、すなわち構造的不均一性に焦点をあて、特に細胞壁形成との関連で検討を行った。

 論文は5編に分かれている。第1編では細胞壁中のリグニンの分布、リグニンの生合成及び化学構造、さらにリグニン研究の主要な研究法に関する既往の知見について総括した。第2編では細胞壁におけるリグニン化学構造の不均一性を詳細に調べることを目的とし、リグニンの沈着の極く初期に相当する新生組織をマカンバ材から採取し、分析した結果をまとめた。新生組織は細胞壁形成の初期段階で、まだ二次壁が発達していない状態であり、リグニンは主に複合細胞間層に沈積している。すなわち、新生組織に含まれるリグニンは複合細胞間層リグニンを代表すると考えられる。第3編では早成樹材リグニンの化学構造の特徴を検討することにより細胞壁の形成速度とリグニン化学構造との関連を、さらに第4編ではリグニンに結合しているヒドロキシ安息香酸類の結合様式について検討した。最後に第5編では以上第2編から第4編までの研究で得られた結果を総括した。以下に第2編から第4編について詳細に述べる。

第2編マカンバ材新生組織リグニンの化学構造の特徴

 細胞壁中のリグニンの化学構造的不均一性を検討する上で、複合細胞間層由来のリグニンと二次壁由来のリグニンを分取し、それぞれを分析することは有効である。そこで細胞壁形成の初期段階である新生組織中のリグニンが複合細胞間層リグニンを代表するものと考えてこれを分取し、詳細に分析した。なお、単離リグニンとしては従来使用されている磨砕リグニン(MWL)ではなく、過ヨウ素酸リグニンを調製し、これを用いた。過ヨウ素酸リグニンは単離過程における化学的変質が少なくMWLに比べて収率が高いことから、細胞壁中の全リグニンを代表する情報を得るのに適切であると考えられる。新生組織リグニンのメトキシル基量がリグニン単位あたり0.56と低かった。このことから新生組織リグニンすなわち複合細胞間層由来のリグニンはp-ヒドロキシフェニル核に富む構造であると考えらわる。

 遊離フェノール性水酸基のメチル化前・後のアルカリ性ニトロベンゼン酸化生成物の比較から、新生組織リグニン中には遊離フェノール性水酸基を持つシリンギル核はほとんど存在せず、グアイアシル核については遊離フェノール性水酸基が存在するとしてもその大部分は縮台型構造であると結論された。

 アセチル化過ヨウ素酸リグニンのクロロホルム:ジオキサン(1:1、v/v)可溶区分のゲルろ過分析から、主に二次壁リグニンからなると思われる成熟材リグニンに比べ、新生組織リグニンのそれは低分子リグニンに富むことが明らかになった。TMSiIによるエーテル結合の選択的開裂処理によって、新生組織リグニンおよび成熟材リグニンの可溶区分の平均分子量がそれぞれ3,000から1,000に、10,000から700に低下したことから、新生組織リグニンの骨格が高度に縮合した状態にあることが明らかとなった。

 以上の結果から、複合細胞間層リグニンはグアイアシル核とp-ヒドロキシフェニル核に富み、高度に縮合したリグニンであり、さらに二次壁リグニンに比べ、相対的に低分子リグニン区分に富み、バルクリグニンの特徴を有しているにとが示唆された。

第3編早成樹ポプラ材リグニンの化学構造の特徴

 本編では早成樹ポプラ材リグニンの化学構造的特徴を検討した。本研究で用いた早成樹のポプラ材は、同一ポプラ種内で優良な形質をもつ母樹を掛け合わせることによって、より優れた形質の個体を作り出したもので、本編ではそれを早成樹と呼ぶことにする。通常樹と早成樹のポプラ材のうち平均的な生育を示し胸高直径および樹高が近い個体を選び、その胸高部樹幹付近を試料とした。また、両材ともほぼ同一の環境に生育したものであり、木口面は真円に近く、アテ材部は含くまれていない。

 早成樹材のリグニン含有量は通常樹材に比べ大きな差は見られず、また元素分析の結果にも明確な差はなかった。しかし、アルカリ性ニトロベンゼン酸化により生成したバニリンに対するシリンガアルデヒドのモル比(s/v)は早成樹材の辺材の場合約2.0、通常樹材の辺材の場合約1.5で、その差は明確であった。早成樹材の場合、通常樹材よりバニリンの収率が若干(2.2%)低くて、シリンガアルデヒドの収率は若干(2.5%)高いことがモル比の差の原因となっている。この差の原因としては次の三点の可能性があげられる。その第1は、早成樹材内の繊維組織に対する導管組織の比が通常樹材に比べ低い可能性である。一般に導管組織のリグニンはグアイアシル核に富むことが知られている。第2は、早成樹材の繊維細胞壁が通常樹材のそれより厚い可能性が考えられる。これに関連しては二次壁リグニンがシリンギル核に富むことが知られている。第3には、早成樹材リグニンが高縮合型グアイアシル核とシリンギル核に富む特徴を有している可能性である。まず、第1の点について検討することを目的として、光学顕微鏡による横断面の写真をコンピュータ画像処理によって分析した結果、早成樹材と通常樹材の間で繊維組織と導管組織の比にはほとんど差は見られなかった。このことから、第1の可能性は否定された。次に走査型電子顕微鏡を用い、横断面における早成樹材と通常樹材の繊維細胞壁の厚さの測定を行った。その結果からも明確な差が認められないことから第2の可能性も否定された。次にそれらの繊維組織のみを分離し、そこに含まれるリグニンの芳香核構造の特徴を検討した結果、上に述べた全リグニンのs/vモル比と同様な傾向、すなわちs/vモル比が早成樹材で2.4、通常樹材で1.5を示した。

 以上のことから早成樹ポプラ材リグニンは、通常樹材のそれに比べ、シリンギル核リグニンに富み、グアイアシル核はより縮合したリグニンであるということが明らかになった。また、これは早成樹材の繊維組織リグニン由来の特徴と考えられる。さらに、新生組織リグニンの芳香核構造を早成樹材と通常樹材で比較した結果、両材に大きな差はなかったことがら、上に述べた早成樹ポプラ材リグニンの特徴は複合細胞間層リグニンの特徴ではなく、二次壁リグニンの特徴であると結論できる。

第4編ヒドロキシ安息香酸及びヒドロキシ桂皮酸類のリグニンへの結合様式

 ポプラ材にはp-ヒドロキシ安息香酸が細胞壁ポリマーにエステル結合していることがよく知られている。ポプラの通常樹材と早成樹材から単離したMWLおよびLCCから、アルカリ加水分解によって遊離してくるヒドロキシ安息香酸類およびヒドロキシ桂皮酸類を同定および定量し、それらの細胞壁ポリマーへの結合様式を検討した。p-ヒドロキシ安息香酸はリグニンにエステル結合している他に、エーテル結合したものも確認された。また、エステルおよびエーテル結合した相当量のバニリン酸とシリンガ酸、エーテル結合したバニリンおよびシリンガアルデヒド、さらに痕跡量のエステルおよびエーテル結合したp-クマール酸およびフェルラ酸の存在が確認された。バニリン酸とシリンガ酸はそのリグニンおよび多糖への分布から、エステルおよびエーテル結合を通じてリグニン分子内および/または分子間の架橋結合を形成していることが推定された。また、バニリンおよびシリンガアルデヒドは、グアイアシルグリセロールー-バニリン(シリンガアルデヒド)エーテル型構造として存在していると思われる。なお、通常樹と早成樹のポプラ材の細胞壁中でそれらの存在量および分布に明確な差異は認められず、細胞壁形成速度とこれらの構造の存在との関連は明らかとはならなかった。

審査要旨

 木質植物細胞壁中に存在するリグニンは,構造に規則性を持たない,極めて複雑な芳香族高分子物質であるが,その構造が樹木中で一様ではなく,存在する組織構造の違いによって,あるいは細胞壁の部位によって異なることが知られている。本論文はこのようなリグニン化学構造の不均一性について,細胞壁形成との関連で検討したものであり,全体は5編からなっている。

 第1編は関連する既往の研究を取りまとめたものであり,第2〜4編に3つの観点から検討した結果を述べ,第5編で総括している。

 第2編では複合細胞間層リグニンの構造的特徴を明らかにすることを目的として,マカンバ材新生組織から単離した過ヨウ素酸リグニンを試料として詳細な検討を行った。二次壁形成の初期に相当する新生組織では二次壁リグニンの沈着は極めて僅かであり,その沈着は主として複合細胞間層に生じているものと考えられる。複合細胞間層リグニンは広葉樹材リグニンであるにもかかわらず,主としp-ヒドロキシフェニル核とグアイアシル核からなり,シリンギル核を殆どもたない高度に縮合したリグニンであること,および二次壁リグニンに比較して多量の低分子量区分を含むことが明らかとなった。また,側鎖エーテル結合を選択的に開裂することが知られているトリメチルヨードシランを用いて,この低分子量区分を処理した結果,新生組織由来のそれが,成熟材由来の低分子量区分に比較して,炭素-炭素結合に富み,バルクリグニンの特微を有していることを見出した。

 第3編では同一ポプラの種内で成長の著しく早い早成樹材と通常樹材を試料とし,両材中のリグニンの化学構造を成長速度との関連で比較検討した。早成樹材は通常樹材に比較して年輪幅は大きいものの,構成する細胞のサイズあるいは壁厚のいずれについても通常材のそれと同一であること,一年輪内に形成される細胞数に大きな差異が認められることが明らかとなった。早成樹材細胞壁中に含まれるリグニンは量的には通常樹材と変わりないが,通常樹材リグニンに比較してシリンギル核に富み,グアイアシル核はより縮合した構造を有すること,およびより多くのp-ヒドロキシフェニル核を含むことが結論された。さらに,この特徴が両材間の道管組織の量的な相違,あるいは複合細胞間層リグニンの特徴によるものではなく,両材の二次壁リグニンに固有な差異であることが明らかとなった。

 第4編ではポプラ材リグニンにエステル結合して存在することが知られているp-ヒドロキシ安息香酸およびp-ヒドロキシ桂皮酸類の結合様式について詳細に検討し,これらがエステル結合のみならず,エーテル結合して存在していることを確認した。また,エステルおよびエーテル結合した相当量のバニリン酸およびシリンガ酸,エーテル結合したバニリンおよびシリンガアルデヒド,さらに痕跡量ではあるがエステルおよびエーテル結合したp-クマール酸およびフェルラ酸の存在が確認された。しかし,これらの存在形態および量には通常樹材および早成樹材間で有意な差異は見出せず,細胞壁形成速度とこれらの構造の存在との関連はないものと推測される。

 以上要するに,本論文は細胞壁中におけるリグニン化学構造の不均一性を細胞壁形成との関連で検討し,細胞壁におけるリグニン沈着の意義を理解するうえで新しい知見を得たものであり,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク