審査要旨 | | 木質植物細胞壁中に存在するリグニンは,構造に規則性を持たない,極めて複雑な芳香族高分子物質であるが,その構造が樹木中で一様ではなく,存在する組織構造の違いによって,あるいは細胞壁の部位によって異なることが知られている。本論文はこのようなリグニン化学構造の不均一性について,細胞壁形成との関連で検討したものであり,全体は5編からなっている。 第1編は関連する既往の研究を取りまとめたものであり,第2〜4編に3つの観点から検討した結果を述べ,第5編で総括している。 第2編では複合細胞間層リグニンの構造的特徴を明らかにすることを目的として,マカンバ材新生組織から単離した過ヨウ素酸リグニンを試料として詳細な検討を行った。二次壁形成の初期に相当する新生組織では二次壁リグニンの沈着は極めて僅かであり,その沈着は主として複合細胞間層に生じているものと考えられる。複合細胞間層リグニンは広葉樹材リグニンであるにもかかわらず,主としp-ヒドロキシフェニル核とグアイアシル核からなり,シリンギル核を殆どもたない高度に縮合したリグニンであること,および二次壁リグニンに比較して多量の低分子量区分を含むことが明らかとなった。また,側鎖エーテル結合を選択的に開裂することが知られているトリメチルヨードシランを用いて,この低分子量区分を処理した結果,新生組織由来のそれが,成熟材由来の低分子量区分に比較して,炭素-炭素結合に富み,バルクリグニンの特微を有していることを見出した。 第3編では同一ポプラの種内で成長の著しく早い早成樹材と通常樹材を試料とし,両材中のリグニンの化学構造を成長速度との関連で比較検討した。早成樹材は通常樹材に比較して年輪幅は大きいものの,構成する細胞のサイズあるいは壁厚のいずれについても通常材のそれと同一であること,一年輪内に形成される細胞数に大きな差異が認められることが明らかとなった。早成樹材細胞壁中に含まれるリグニンは量的には通常樹材と変わりないが,通常樹材リグニンに比較してシリンギル核に富み,グアイアシル核はより縮合した構造を有すること,およびより多くのp-ヒドロキシフェニル核を含むことが結論された。さらに,この特徴が両材間の道管組織の量的な相違,あるいは複合細胞間層リグニンの特徴によるものではなく,両材の二次壁リグニンに固有な差異であることが明らかとなった。 第4編ではポプラ材リグニンにエステル結合して存在することが知られているp-ヒドロキシ安息香酸およびp-ヒドロキシ桂皮酸類の結合様式について詳細に検討し,これらがエステル結合のみならず,エーテル結合して存在していることを確認した。また,エステルおよびエーテル結合した相当量のバニリン酸およびシリンガ酸,エーテル結合したバニリンおよびシリンガアルデヒド,さらに痕跡量ではあるがエステルおよびエーテル結合したp-クマール酸およびフェルラ酸の存在が確認された。しかし,これらの存在形態および量には通常樹材および早成樹材間で有意な差異は見出せず,細胞壁形成速度とこれらの構造の存在との関連はないものと推測される。 以上要するに,本論文は細胞壁中におけるリグニン化学構造の不均一性を細胞壁形成との関連で検討し,細胞壁におけるリグニン沈着の意義を理解するうえで新しい知見を得たものであり,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |