内容要旨 | | カルバゾール(CAR)は、コールタールや石油成分中に含まれている含窒素芳香族化合物である。この物質は、工業原料として世界で年間約2,000トン生産されているが、通産省の化学品審査法に基づいた生分解性試験において、難分解性物質に指定されており、また毒性、変異原性、発ガン性を示すことが報告されている。このため、環境汚染を引き起こす事が懸念され、特に地下水中への混入は大きな問題となりうる。このような環境汚染物質の分解除去に果たす微生物の役割は重要であるが、CARの微生物分解に関する報告は、極めて少なく、その代謝に関与する酵素・遺伝子に関する知見はほとんどなかった。 これまでに、当研究室においてCARを唯一の炭素源、窒素源、エネルギー源として生育できるPseudomonas sp.CA10株が活性汚泥から分離され、その代謝経路が明らかにされた。既報の芳香族化合物分解系の代謝経路との比較や培養中の代謝中間体の蓄積の様子から、CA10株のCARの代謝経路は、(1)CARからアントラニル酸(AN)までの経路(upper pathway)(2)ANの脱アミノ反応(3)カテコールのオルト開裂経路の3つの代謝系から成っていると考えることができる。CA10株が活性汚泥から分離された事ともあわせて考えると、複数の微生物のもつ代謝系遺伝子が導入され、CA10株のCAR分解系が構築されたと考えられる。またCARの"angular position"に水酸基を導入するユニークな初発酸化反応は、CA10株が難分解性のCARを良好に分解・資化できる要因の一つであると考えられ、興味がもたれるが、この反応についての遺伝子レベルでの知見はない。さらにANの脱アミノ反応については、研究されているものの精製酵素、および酵素遺伝子についての知見はない。 本研究は、CAR代謝系遺伝子群の構造と機能を解明し、難分解性物質分解能の獲得機構に関する知見を得、環境浄化へ応用するための基礎的知見を得ることを目的として行ったものである。 1.Tn5挿入変異によるCAR代謝遺伝子欠損変異株の取得と解析 変異株の取得は、Tn5-mobを持つ大腸菌S17-1株(pSUP5011)とCA10株を接合伝達し、得られたカナマイシン耐性株からCARまたはANを唯一の炭素源・窒素源・エネルギー源として生育できない株を選抜することにより行った。その結果、約10,000のカナマイシン耐性株から、ANには生育し、CARに生育しない上流代謝系変異株としてTD21株を、CARに生育し、ANには生育しない下流代謝系変異株としてTE1株を選抜した。TD21株は、CAR代謝経路におけるメタ開裂基質2’-アミノビフェニル-2,3-ジオールの構造類似体のビフェニル-2,3-ジオールをメタ開裂する活性を有していたが、CARには生育できなかった。一方、TE1株はメタ開裂活性を有し、CARからcis,cis-ムコン酸を蓄積した。また、ANの脱アミノ反応欠損変異株を取得するために、新たに約10,000のカナマイシン耐性株から、コハク酸を炭素源とし、ANを唯一の窒素源として生育できないか、または野生株と比べて極めて生育の遅い株を選抜した。 2.CAR分解の上流代謝系(upper pathway)遺伝子群の取得と解析 CA10株は、高濃度のCARで培養すると、培養液中にANが蓄積される。トルエン、ナフタレン、ビフェニル分解系においても、同様の現象が観察され、その代謝中間体までの各酵素遺伝子がクラスターを成し、オペロン構造となり制御されている事が知られている。従って、CA10株においても、CARからANまでを代謝する酵素遺伝子がクラスターを成していることが予想された。上流代謝系変異株TD21株から、Tn5のカナマイシン耐性を指標にTn5挿入周辺領域の遺伝子を大腸菌にクローン化した。得られたクローンは、EcoRI 13.2kb断片を含んでおり、ビフェニル-2,3-ジオールをメタ開裂する活性を有していた。逆向きに挿入しても活性が保持されたことから、大腸菌内で機能しうる自身のプロモーターを有していることが示唆された。欠失解析と活性測定の結果から、298アミノ酸をコードするORFをメタ開裂酵素遺伝子と同定した。データベースを検索したが、有意な相同性を示すDNAやタンパクを見出すことができなかった。メタ開裂反応は、CAR代謝系において2段階目の酵素反応と考えられているので、この遺伝子をcarBと命名した。 その下流には、291アミノ酸をコードするORFが存在した。データベースを検索したところ、TodF,XylF,DmpD,BphDとアミノ酸レベルで30%程度の相同性が見出された。これらは、メタ開裂物質を加水分解する酵素である。活性中心とされているセリン近傍の配列が保存されていたことから、本酵素もセリン加水分解酵素に属すると思われた。この加水分解反応は、CAR代謝系において、3段階目の反応と考えられることから、本遺伝子をcarCと命名した。carBとcarCをもつクローンのビフェニル-2,3-ジオールとの反応において、黄色物質の生成に続いて、その消失が観察された。この事から、carCは大腸菌内で発現し、機能していることが明らかとなった。 さらに下流には107アミノ酸をコードするORFが存在し、データベース検索の結果、芳香環に水酸基を導入するジオキシゲナーゼのフェレドキシンコンポーネントであるBnzC,TodB,NahAbとアミノ酸レベルで、40%程度の相同性が見出された。Rieske-typeの[2Fe-2S]クラスター形成に関与するシステインやヒスチジン残基も保存されていた。本遺伝子をcarA3と命名した。 carA3からTn5をはさんで約400bp下流には、331アミノ酸をコードするORFが見出された。データベースを検索したところ、キシレンモノオキシゲナーゼの電子伝達系に関与するコンポーネントであるXylAやナフタレン、フェナントレンの初発酸化酵素のフェレドキシンレダクターゼコンポーネントとアミノ酸レベルで30%程度の相同性が示された。この遺伝子をcarA4と命名した。CarA4は、N末側にクロロプラスト型の[2Fe-2S]クラスター形成に関与するシステインや残基が保存されており、C末側の保存領域は、フラビンとの結合に関与するアミノ酸残基であると思われた。また、トルエンやビフェニル分解系の初発酸化酵素のフェレドキシンレダクターゼコンポーネントとは全く相同性を示さず、ナフタレンやフェナントレンのような多環式芳香族化合物に作用する初発酸化酵素のコンポーネントと類似性を示したことは、このコンポーネントと基質特異性との関連の上で興味深い事実であると思われる。 そのすぐ下流には、メタ開裂経路の最初の酵素2-hydroxypenta-2,4-dienoate hydrataseをコードするXylJ,DmpEとN末側50アミノ酸ながら、約50%の相同性が示された。CAR代謝においてもメタ開裂物質を同定しており、本遺伝子もCAR代謝に関与していると思われるので、carDと命名した。 この上流代謝系遺伝子群の構造は、加水分解酵素遺伝子のすぐ下流に初発酸化酵素のコンポーネントが並んでいる点で、既知の分解系遺伝子に例のない新規な構造であることが明らかになった。TD21株において、Tn5は、carA3の終止コドンのすぐ25bP下流に挿入されており、この株がCARに生育できない理由の1つとして、Tn5挿入による極性効果で、下流のcarA4の発現が抑制されているためと考えられた。これら遺伝子群を、大腸菌内あるいはPseudomonas putidaに導入し、CARからの変換を試みている。 3.オルト開裂経路(lower pathway)遺伝子群の取得と解析 カテコールのオルト開裂物質であるcis,cis-ムコン酸を蓄積するTn5挿入変異株TE1株は、オルト開裂経路の2段階目の酵素、cis,cis-ムコン酸ラクトン化酵素遺伝子にTn5が挿入したものと考えられた。TE1株からTn5挿入周辺領域KpnI約11kb断片をクローン化した。塩基配列を決定したところ、オルト開裂経路の3段階目の酵素muconolactone isomeraseをコードするPseudomonas putidaのcatCと70%以上の高い相同性を示す領域を見出した。Tn5は、cis,cis-ムコン酸ラクトン化酵素遺伝子に挿入されていると考えられることから、少なくとも2つの酵素遺伝子が隣接して存在している事が明らかとなった。 4.脱アミノ反応に関与する遺伝子の取得 ANを窒素源として生育できないか、または野生株に比べて生育の遅いTn5挿入変異株から、カナマイシン耐性を指標にTn5挿入周辺領域の遺伝子を取得した。 5.まとめ 上流、下流代謝能欠損Tn5挿入変異株の取得を足がかりに、CAR代謝関連遺伝子をクローン化し、CAR資化菌において初めてその遺伝子構造を解析した。上流代謝系遺伝子群は、既知の芳香族化合物分解系に見られないユニークな遺伝子構造を示し、個々の各遺伝子についても、下流代謝系遺伝子が既知のcat遺伝子群と高い相同性を示した事とは対照的に、既知の遺伝子とはそれほど高い相同性を示さなかった。現在取得した遺伝子によりCARからの変換を試みているが、今後は、CARからANまでの一連の遺伝子を取得、発現させ、適当な宿主に導入することで、Bioremediation等の環境浄化への応用が期待される。また、ANを窒素源とした生育に欠陥のある変異株を取得し、その関連遺伝子を取得した。ANはトリプトファン生合成の中間体でもあることから、化石燃料中の物質から有用物質生産への応用の可能性も期待される。 図表 |
審査要旨 | | カルバゾール(CAR)は,コールタールや石油成分中に含まれている含窒素芳香族化合物であり,工業原料として広く使用されているが,毒性,変異原性,発ガン性を示すことが知られており,化学品審査法に基づいた生分解性試験において,難分解性物質に指定され,環境汚染を引き起こすことが懸念されている。このような環境汚染物質の分解除去に果たす微生物の役割は重要であるが,CARの微生物分解に関する報告は極めて少なく,これまでにその代謝に関与する酵素・遺伝子に関する研究はほとんどなされていない。 本論文は,CARの微生物分解を目指してCAR資化菌Pseudomonas sp.CA10株にトランスポゾンTn5挿入変異を行い,CAR代謝系欠損変異株を取得するとともに,CAR分解の上流・下流代謝系遺伝子群の構造と機能を明らかにしたもので,以下の5章よりなる。 第1章において,アザアレン化合物の微生物分解に関する知見を概説したのち,第2章では,CAR資化菌Pseudomonas sp.CA10株にTn5挿入変異を行い,CAR代謝系欠損変異株の取得とその解析について述べている。約10,000のカナマイシン耐性株から,アントラニル酸(AN)には生育しCARに生育しない上流代謝系欠損変異株と,CARに生育しANには生育しない下流代謝系欠損変異株を取得し,このうち後者の変異株TE1株がCARからcis,cis-ムコン酸を蓄積することを明らかにしている。 第3章では,上流代謝系遺伝子群の構造と機能について述べている。前章で取得した上流代謝系欠損変異株からTn5近傍の遺伝子をクローン化し,メタ開裂酵素活性およびデータベース検索による遺伝子の比較から,メタ開裂酵素(carB),加水分解酵素(carC),初発酸化酵素のフェレドキシンコンポーネント(carA3),同フェレドキシンレダクターゼ(carA4),2-hydroxypenta-2,4-dienoate hydratase(carD)をコードする5つの遺伝子をこの順で同定している。このうち298アミノ酸からなるCarBは,既知のメタ開裂酵素と有意な相同性を示さず,データベース検索においても,タンパク・DNAレベルで相同性を示すものが得られておらず,新規な酵素であることを示唆している。また,291アミノ酸からなるCarCは,ビフェニル資化菌のBphDと35%,107アミノ酸からなるCarA3はナフタレン資化菌のNahAbと40%,331アミノ酸からなるCarA4はNahAaと27%,N末50アミノ酸ながらCarDは,TOLプラミドのXylJと50%の相同性を有することをそれぞれ見いだしている。また,carB上流の機能未知のORFが初発酸化酵素ISPのLサブユニットの〔2Fe-2S〕クラスター形成に関与するconsensus配列を有することを見いだしている。さらに,大腸菌内でCarB,CarC酵素活性の発現を確認している。Tn5はcarA3直下流の構造遺伝子ではない領域に挿入されており,本変異株がCARに生育できなかった理由をcarA4が極性効果により発現しないためと考察している。本遺伝子群の特徴として,初発酸化酵素のコンポーネントをコードする遺伝子が分断されている点でユニークな遺伝子構造であること,GC含量が51%と本菌のGC含量よりも低い事を指摘している。このことは他の生物由来のDNAが転移してきたことを示唆する興味深い知見である。 第4章では,下流代謝系遺伝子群の構造と機能について述べている。第2章で取得したcis,cis-ムコン酸を蓄積する下流代謝系欠損変異株TE1株からTn5近傍の遺伝子をクローン化し,データベース検索による遺伝子の比較から,muconate cycloisomerase(catB),muconolactone isomerase(catC)およびその上流逆向きに制御遺伝子(catR)を同定,CatB,CatCはPseudomonas putidaのcat遺伝子群と75%,CatRは60%の相同性があることを示している。Tn5はcatRに挿入されていたことから,本菌のCatRはcatBCオペロンを正に制御していることを明らかにしている。本遺伝子群は構造・機能・制御面で従来知られているcat遺伝子群と同様であり,GC含量は64%で本菌のGC含量と同様であることを指摘している。 第5章では,ANの脱アミノ反応欠損変異株の取得とTn5近傍領域の遺伝子のクローン化について述べており,脱アミノ反応欠損変異株の取得に成功している。 以上本論文は,CAR代謝系の上流・下流代謝系遺伝子群を,各段階のTn5挿入変異株からクローン化し,その遺伝子構造および機能を明らかにし,難分解性物質代謝系の生化学的・遺伝学的知見を深めただけでなく,環境汚染物質分解能の獲得機構を提示したものであり学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |