No | 111287 | |
著者(漢字) | 新井,博之 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | アライ,ヒロユキ | |
標題(和) | Pseudomonas aeruginosaの脱窒遺伝子群の構造と発現調節 | |
標題(洋) | Structure and regulation of the denitrification gene cluster from Pseudomonas aeruginosa | |
報告番号 | 111287 | |
報告番号 | 甲11287 | |
学位授与日 | 1995.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第1578号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 応用生命工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 微生物による脱窒(異化型硝酸還元反応)は、酸素の代わりに窒素酸化物を電子受容体とする嫌気呼吸の一種で、水溶性の結合型窒素を最終的に窒素ガスとして大気中に還元する唯一の生物反応であり、窒素固定、硝化と並んで、地球上の無機窒素循環の一翼を担っている。この反応は酸素が地球上に出現する以前からある原始的な呼吸形態で、好気呼吸の進化的な起源と考えられているため、その反応機構は呼吸系のモデルとしても興味が持たれる。微生物による脱窒作用は富栄養排水の処理等、環境浄化に実際に利用されており、バイオレメディエーションの主要なテーマの一つである反面、施肥窒素肥料の損失の主要因として農業上大きな問題ともなっている。このため、脱窒反応の人為的な正・負両方向の制御を可能にすることが期待されている。また、脱窒は酸素濃度が低下した際に誘導される形質であり、その発現は酸素と基質となる窒素酸化物の存在により2段階の調節を受けると考えられ、この様な環境変化に応答した発現調節機構にも興味が持たれる。硝酸から分子状窒素への完全な脱窒が行われるためには、硝酸還元酵素(NAR)、亜硝酸還元酵素(NIR)、一酸化窒素還元酵素(NOR)、亜酸化窒素還元酵素(NOS)の4種の還元酵素が協調して発現する必要がある。特に、NIRとNORは毒性の強い一酸化窒素(NO)を遊離しないように活性発現の各段階で緊密に連動していると考えられる。本研究では、代表的な脱窒菌であるPseudomonas aeruginosaの脱窒関連遺伝子のうち、亜硝酸と一酸化窒素の還元に関与する遺伝子群の全構造を解明し、その遺伝子産物の機能と発現調節機構を明らかにすることを目的とした。 P.aeruginosaの染色体DNAから、脱窒の鍵反応を触媒するNIRの構造遺伝子(nirS)の周辺領域をpUCまたはCharomidベクターを用いて、4断片で合計約24kbの長さにわたりクローニングした。このうち約10kbの塩基配列を決定し、NORの構造遺伝子(norCB)と新規転写調節遺伝子(dnr)など、部分配列を含めて13個の遺伝子を同定した(図2参照)。NOSの構造遺伝子(nosZ)はこの領域中には存在しなかった。 本菌のNIRはチトクロムcd1タイプのもので、その構造遺伝子(nirS)の下流にはチトクロムc-551(nirM)と、おそらく亜硝酸呼吸鎖電子伝達系のコンポーネントと予想される機能未知のc型チトクロム(nirC)などの遺伝子が存在した。nirMはnirSとオペロンとして、nirS上流域のプロモーターから嫌気(脱窒)条件下でのみ転写され、それまで好気呼吸にも働いていると考えられていたチトクロムc-551はNIR専用の電子供与体であることが示唆された。 NORは最近になって発見された膜結合型の酵素で、cytochrome cとcytochrome bの2つのサブユニットからなるチトクロムbc複合体である。各サブユニットの構造遺伝子(norC,norB)は、nirSの約2kb上流に逆の転写方向で存在し、親水性タンパク質をコードする遺伝子(norA)とオペロンを構成していた。norBの翻訳アミノ酸配列はFixNと相同性が見られた。FixNは最近発見された低酸素濃度の環境に適応したタイプのチトクロム酸化酵素の主要サブユニットで、通常のcytochrome oxidaseのsubunit I(COI)に相当するものである。NorBのco-factorとしては、ヘムbが1個しか同定されていないが、COI,FixNにあるヘムと銅のリガンドとなる6個のヒスチジン残基がすべて保存されていた。NorAの機能は不明だが、その遺伝子欠損株は嫌気的に生育ができなかった。 NIRとNORの構造遺伝子の間には3つの遺伝子(nirQOP)が存在する。nirQはATP結合配列を持つ親水性タンパク質をコードしており、これに相当する遺伝子はP.stutzeriでも発見され、NIRとNOR両方のin vivoでの活性発現に必要であることが報告されている。タンパク質データベース上には、NirQと有為な相同性を示す配列は存在しなかったが、P.hydrogenothermophilaなど、一部の独立栄養細菌の炭酸固定酵素RubisCOの遺伝子下流に相同な遺伝子を発見しCbbQと命名した。CbbQはRubisCOの翻訳後の活性化を促進する新規の機能を持ったタンパク質であった。nirO,nirPの遺伝子産物はともに膜タンパク質であって、これらに相当する遺伝子はこれまで報告がないが、nirQとオペロンとして嫌気条件下で転写されることから、亜硝酸・一酸化窒素還元に対して何らかの役割を持っていると考えられた。NirOはホモロジー検索の結果、好気呼吸鎖のcomplex IVの形成・安定化か、プロトンの排出の役割を果たしていると考えられているcytochrome oxidase subunit III(COIII)と類似していた。この発見は前述のNorBとCOIとの類似性に加えて、好気呼吸と脱窒の進化的な関連性を裏付けた。nirQOPの欠損株は嫌気的条件下での生育ができなかったが、nirQのみを相補することによって生育が可能となった。 norCBAの下流域には、CRPやFNRなどの転写調節因子と非常に高い相同性を示すタンパク質をコードする遺伝子dnrが存在した。dnrの翻訳アミノ酸配列中にはカタボライトリプレッションに働くCRPのcAMP結合配列、嫌気的遺伝子発現に働くFNRやANR特有のN末のCysクラスターが存在せず、新規の調節因子と考えられた。この遺伝子の変異株は脱窒による嫌気条件下での生育が全く出来なくなった。 P.aeruginosaは通常は好気呼吸により生育をしているが、酸素欠乏時に硝酸などの窒素酸化物が存在すると脱窒による嫌気呼吸を行う。呼吸基質が存在しない場合にはアルギニンを代謝する過程(ADI経路)でATPを生産でき、環境変化に応じたエネルギー獲得形態の転換を巧妙に行っている(図1)。脱窒関連酵素の発現調節機構を調べるためにlacZをレポーター遺伝子として、nirSMC,nirQOP,norCBAのP.aeruginosa内での転写活性を測定したところ、各オペロンともに、低酸素濃度下で亜硝酸イオンの添加量に応じた転写量の増大が見られた。また、nirS変異株では亜硝酸添加によるnorCのプロモーター活性発現量が非常に低く、一酸化窒素がnorCBAのinducerであると考えられた。これらの結果から、脱窒酵素の発現は、酸素と基質となる窒素酸化物の有無という最低2つのシグナルにより転写レベルで調節を受けていることが明らかとなった。各オペロンのプロモーター領域には大腸菌の嫌気条件下での転写活性化因子FNRの認識配列が存在した。P.aeruginosaにはFNRに相当するANRがあり、anr欠損変異株では各プロモーターからの転写は全く起こらず、FNRタイプの調節因子が脱窒遺伝子にも働くことを初めて証明した。また、dnrの欠損株でもanrと同様にプロモーター活性が全くなく、脱窒遺伝子の発現はCRPファミリーに属する2種の調節因子(ANR,DNR)の支配を受けていることが明らかとなった。 P.aeruginosaの脱窒に関与する遺伝子クラスターを単離し、NIR、NORと新規転写調節因子DNRなどの遺伝子を同定した。現在までに脱窒特有の3種の還元酵素(NIR,NOR,NOS)の構造遺伝子がすべて同定されているのは本菌とP.stutzeriのみである。さらに、新規に発見された遺伝子についてはMarker exchange mutagenesisで欠損変異株を作製し、脱窒による嫌気的生育への影響を調べた。NIRとNORの構造遺伝子間にはnirQOPオペロンが存在し、その翻訳配列の特徴などから、酵素の翻訳後の活性化や呼吸機能に関っている可能性を示した。また、NorB,NirOはチトクロム酸化酵素のCOI,COIIIとそれぞれ類似していた。NosZとCOIIの類似性は以前から指摘されており、この発見によりチトクロム酸化酵素の3つの主要サブユニットがすべて脱窒関連因子と対応づけられ、好気呼吸と脱窒の進化的な関連性が示された。 lacZをレポーター遺伝子として用い、P.aeruginosaの野生株、および各種の遺伝子欠損変異株における脱窒関連遺伝子の転写活性を種々の条件下で測定した。この結果から、脱窒遺伝子は酸素の欠乏と、基質となる窒素酸化物の存在という2段階の調節を受け、転写活性化にはCRPファミリーに属する2種の転写調節因子(ANR,DNR)が必要であることを明らかにした。 | |
審査要旨 | 微生物による脱窒は,窒素酸化物を電子受容体とする嫌気呼吸の一種で,結合型窒素を窒素ガスとして大気中に還元する唯一の生物反応であり,地球上の窒素循環の一翼を担う重要な経路である。また,脱窒作用はバイオレメディエーションの主要なテーマの一つとして排水処理等に実際に利用されており,その人為的な制御が期待されている。本論文は,代表的な脱窒菌Pseudomonas aeruginosaにおいて,脱窒の中心的な役割を果たす亜硝酸還元酵素(NIR),一酸化窒素還元酵素(NOR)関連の遺伝子構造と発現調節機構に関しての先駆的な研究結果を述べたものであり6章よりなっている。 第1章では,P.aeruginosa染色体DNAから,NIRとNORの構造遺伝子を含む約24kbの領域のクローニングと,約10kbにわたる塩基配列の決定を行い,部分配列を含めて13個の遺伝子を同定した結果がまとめて述べられている。 第2章では,チトクロムch1タイプのNIRの構造遺伝子(nirS)と,これとオペロンを構成する遺伝子の構造解析を行っている。nirSの下流にはNIRの生理的電子供与体であるチトクロムc-551(nirM)と,亜硝酸呼吸鎖のコンポーネントと予想されるc型チトクロム(nirC)の遺伝子が存在し,さらに下流にはヘムd1の生合成関連の遺伝子が続いていた。 第3章では,NOR関連遺伝子の構造解析の結果を述べている。NORはチトクロムcとチトクロムbの2つのサブユニットからなる膜結合型のチトクロムbc複合体である。各サブユニットの構造遺伝子(norC,norB)は,親水性タンパク質をコードする遺伝子(norA)とオペロンを構成しており,norBの翻訳アミノ酸配列はFixNと相同性が見られた。FixNは低酸素濃度に適応したチトクロム酸化酵素の主要サブユニットで,通常の好気呼吸酵素のsubunit I(COI)に相当するものである。NorBのco-factorとしてはヘムbが1個しか同定されていないが,COI,FixNにあるヘムと銅のリガンドとなる6個のヒスチジン残基がすべて保存されていた。NorAの機能は不明であるが,その遺伝子欠損株は嫌気的に生育ができないことを示した。 第4章では,NIRとNORの構造遺伝子間に存在する3つの遺伝子(nirQOP)に関する研究結果が述べられている。nirQはNIRとNOR両方のin vivoでの活性発現に必要なATP結合タンパク質をコードしており,これと類似な遺伝子を一部の独立栄養細菌の炭酸固定酵素RubisCOの遺伝子下流にも新たに発見してcbbQと命名している。CbbQはRubisCOの翻訳後の活性化因子であると予想された。nirOとnirPは膜タンパク質をコードし,nirQと嫌気条件下で共転写されることを見いだした。NirOは,好気呼吸酵素複合体の形成・安定化ないしプロトンの排出の役割を果たしていると考えられているcytochrome oxidase subunit III(COIII)と類似していた。この発見はNorBとCOIとの類似性に加えて,好気呼吸と脱窒の進化的な関連性を裏付けたものである。nirQOPの欠損株は嫌気的条件下での生育ができなかったが,nirQのみを相補することによって生育が可能となることを示した。 第5章では,norCBAの下流域の構造解析から,crp/fnrファミリーに属する新規の転写調節遺伝子dnrなどを発見し,dnr変異株は硝酸を基質とした嫌気条件下での生育が全く出来ず,脱窒には必要不可欠であることを明らかにしている。 第6章では,nirS,nirQ,norCBの各プロモーターの発現調節機構を,レポーター遺伝子を用いて解析した結果を述べている。これらの転写活性化には,酸素の欠乏に加えてnirSには亜硝酸,nirQ,norCBにはNOが存在するという条件が必要であった。また,大腸菌のFNRに相当する嫌気-好気の転写調節因子ANR,およびDNRのどちらか一方が欠損すると転写活性は非常に低くなることから,両方が脱窒遺伝子発現に必要であることを示している。P.aeruginosaは好気呼吸,脱窒,ADI経路という3種のエネルギー獲得形態を持っているが,これらの転換は,酸素と窒素酸化物の有無という2種のシグナルに応じて,CRPファミリーの2種の調節因子(ANR,DNR)によって制御されることを明らかにしている。 以上,本論文はこれまで研究例の少なかった脱窒関連遺伝子について,その遺伝子構造と発現調節機構に関して多くの新規な基礎的知見を得たものであり,特に転写レベルでの調節に関する研究は本研究が唯一の例である。この様な知見は,微生物を用いた脱窒の環境浄化への利用も含め学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/54469 |