内容要旨 | | マウス胚性腫瘍細胞(F9)は、分化誘導剤として知られるall-trans retinoic acid(RA)処理によりprimitive endoderm様細胞へ分化誘導させることができる。その際RA存在下dibutyryl cyclicAMP(dbcAMP)を共投与する事によりparietal endoderm様細胞へ、またRA存在下凝集させることによりvisceral endoderm様細胞へ分化誘導させることができる。このようにF9細胞は多分化能を有しており初期発生分化のin vitroにおける良いモデル系として広く利用されている。 近年retinoic acid recepter(RAR),cellular retinoic acid binding protein(CRABP)が単離され、RAと細胞質内で結合、RAの核への輸送および排出に関与することが報告された。特にRARは,,のsubtypeが存在し、また9-cis retinoic acidに対するrecepter(RXR ,,)が単離されtyroid hormone recepter,vitamine D3 recepter等とster oid hormone recepter super familyを形成することが明らかとなった。In vitroの実験によりRARはRXR,tyroid hormone recepter,vitamine D3 recepter等とhomoおよびheter odimerを形成しRAと結合し、RAR responsive element(RARE)を介して遺伝子発現の誘導、抑制が行われることが報告されている。しかし、RAR,RXRにより誘導される遺伝子はあまり解析されておらず、RAREの存在が確認されたlaminin B1等の遺伝子は全て分化誘導因子ではなかった。一方、多くの研究室でF9細胞の分化誘導時と未分化細胞より調整したsubtracted liblaryより分化誘導因子を単離する事が試みられたが、hox geneのera-1が単離されただけで、分化に関連する遺伝子は未だ単離されていない。以上のように依然分化誘導シグナル伝達に関しては不明のままである。 本研究はF9細胞の分化誘導シグナル伝達機構に、ある特定のprotein tyrosine phosphatase(PTPase)が関与する可能性を検討・報告するものである。 第1章 これまでprotein tyrosine kinase(PTKase)特異的阻害剤[herbimycin A(HA),genistein(GS)]を用いF9細胞が分化誘導されること、RA,HA,GS分化誘導時にリン酸化チロシンタンパク質レベルが減少すること、RA分化誘導時にPTKase活性は変動せず、PTPase活性が上昇していることなどの現象から、これまでリン酸化チロシンタンパク質の脱リン酸化反応が分化誘導に重要である事を報告してきた。このたびprotein tyrosine phosphatase(PTPase)特異的阻害剤であるsodium vanadateをRAと共投与した結果、分化誘導の阻害が観察されPTPaseの分化誘導への関与が示唆された。 分化誘導時に変動・誘導されるPTPaseを調べるため、RA,RA+dbcAMP処理した細胞より経時的にpoly(A)+RNAを精製し、25種類の異なるprobeを用いnorthern blottingによりscreeningを行った結果、無変動(group1)に9種類、徐々に減少(group2)に1種類、徐々に上昇(group3)に1種類、急激に上昇(group4)に4種類、そして検出不可(group5)に10種類と大きく5つに分類できた。分化誘導に関与すると考えられるPTPaseはgroup3,group4に属するPTPaseと考えられる。更に候補を絞るために、RAにより分化誘導されない分化誘導耐性変異株RAr-6,ROTr-1を樹立し、同様にnorthern blottingを行った結果、group4のPTPase[Rapidly induced protein tyrosine phosphatase(RIP),PTP,PTP]において発現の減少もしくは検出不可が観察された。以上の結果によりF9細胞の分化誘導にRIP,PTP,PTPが関与する可能性が示唆された。 これまで末端分化の良いモデル系として知られるマウス赤芽性白血病(MEL)細胞において分化誘導時にリン酸化チロシンタンパク質の減少が観察され、PTKase特異的阻害剤により分化誘導、PTPase特異的阻害剤により分化誘導の阻害が観察されている。更に、分化誘導時に変動・誘導されるPTPaseが調べられており、RIPが分化誘導に従い誘導、分化誘導耐性変異株においてその発現の減少が観察されている。ここに初期発生分化、末端分化という2つの異なる分化誘導系において同一のPTPase(RIP)が関与していること、普遍的な細胞分化誘導機構にRIPが重要な役割を担う可能性が示唆された。 第2章 F9細胞においてRIP full length cDNAを導入しその分化誘導に対する影響を検討するため、遺伝子導入法、誘導可能promoter,vectorおよびselection marker promoterの検討を行った。 遺伝子導入法に関してelectro poration法、リン酸カルシウム法、Lipofectin法を比較した結果、リン酸カルシウム法を採用した。分化誘導系において分化誘導因子を過剰発現させた場合、遺伝子導入された細胞は増殖の低下および致死現象が観察されるため、そのpromoterには誘導可能promoterを使用しなければならない。今回はmetallothionein promoterを使用することにした。Metallothionein promoterを内包する発現vector(pHMTIIA,pMG,pMT/EP)を比較検討した結果、mouse metallothionein I promoterを有したpMT/EP vectorを採用した。Metallothionein promoterの強制誘導の条件を検討した結果、ZnSO4150M2日誘導と決定した。しかし、selection markerのpromoterがvirus由来であるため、未分化状態でvirus遺伝子の発現を抑制するF9細胞では発現が非常に弱く、遺伝子導入株の樹立が困難であった。この問題点を克服するためF9細胞で強力に発現することの知られているphosphogrycer atekinase promoter下流にneomycin耐性遺伝子の接続されたpKJ2(X+)とのco-transfectionにより行うことにした。 第3章 当研究室において単離された新規PTPase RIP cDNA cloneは、全長約8.0kb細胞質型PTPaseでありERM family,GLGF repeatとhomologyの高い領域を持つまったく新しいタイプのPTPaseである。Alter native splicingにより6種のタイプが存在しており、F9細胞において分化誘導時に発現しているタイプをRT-PCRを用いて調べた結果どのタイプも存在していることが確認された。 第2章で検討されたpMT/EP vectorにこれら6種のRIP cDNA cloneを接続したplasmidを構築し、遺伝子導入株を既に樹立中である。現在分化誘導への影響を検討中である。また、antisense cDNA,antisense oligonucleotideを用い分化誘導阻害への影響も検討している。 |
審査要旨 | | マウス胚性腫瘍細胞(F9)は,分化誘導剤として知られるretinoic acid(RA)処理によりprimitive endoderm様細胞へ分化誘導させることができる。その際RA存在下dibutyryl cyclic AMPを共投与する事によりparietal endoderm様細胞へ,またRA存在下凝集させることによりvisceral endoderm様細胞へ分化誘導させることができる。このようにF9細胞は多分化能を有しており初期発生分化のin vitroにおける良いモデル系として広く利用されている。 本研究はF9細胞の分化誘導シグナル伝達機構に,ある特定のprotein tyrosine phosphatase(PTPase)が関与する可能性を検討・報告するものである。 第1章分化誘導へのPTPaseの関与および分化誘導時に変動するPTPaseの解析 これまでprotein tyrosine kinase(PTKase)特異的阻害剤を用いF9細胞が分化誘導されること,分化誘導時にリン酸化チロシンタンパク質レベルが減少すること,RA分化誘導時にPTKase活性は変動せず,PTPase活性が上昇していることなどの現象から,リン酸化チロシンタンパク質の脱リン酸化反応が分化誘導に重要である事を報告してきた。このたびPTPase特異的阻害剤であるsodium vanadateをRAと共投与した結果,分化誘導の阻害が観察され,PTPaseが分化誘導へ関与する可能性が示唆された。 分化誘導時に変動・誘導されるPTPaseを調べるため,分化誘導処理した細胞より経時的にRNAを精製し,25種類の異なるprobeを用いnorthern blottingを行った結果,無変動に9種類,徐々に減少に1種類,徐々に上昇に1種類,急激に上昇に4種類,そして検出不可に10種類と大きく5つに分類できた。分化誘導時のPTPase活性上昇を担うと考えられる,発現量の上昇するPTPaseに5種(LRP,PTP2,RIP,PTP,PTP)が挙げられた。更に候補を絞るために,RA分化誘導に強い耐性を示す変異株RAr-6,ROTr-1を樹立し,同様にnorthern blottingを行った結果,RIPとPTPとPTPにおいて発現量の上昇が観察されなくなっていた。以上によりF9細胞の分化誘導にRIP,PTP,PTPが関与する可能性が示唆された。 これら3種のPTPaseのうち,当研究室で詳しく解析されている異なる分化誘導系のマウス赤芽性白血病(MEL)細胞においても分化誘導時に重要と考えられているRIPにまず注目することにした。 第2章RIP antisense cDNAによる分化誘導阻害の解析 ごく最近当研究室において分化誘導時に,野生株および分化誘導に強い耐性を示す変異株とで変動バターンに差がみられたRIPおよび差のみられなかったPTP2の全長cDNAが単離された。RIPの5’領域1.3kb断片およびPTP2の5’領域1,0kb断片を用い,senseおよびantisense方向で強力なpromoter下流に接続したplasmidを構築し,細胞内で恒常的に過剰発現させた場合の分化誘導への影響を検討した。 その結果,RIP sense cDNAおよびPTP2 antisense cDNAを過剰発現する株では分化誘導の阻害は観察されなかったが,RIP antisense cDNAにおいてその発現量と分化誘導能の低下との間にはつきりとした相関性は得られなかったものの,数株過剰発現する株において分化誘導能の低下が観察された。 またRIP open reading frame start codonのATGを中央に含むantisense oligonucleotide[S-oligo(phosphorothioale)20mer]および,対照としてこの20mer中5カ所に変異を加えたS-oligoによる分化誘導への影響を検討した結果,対照では10M処理でも62.7%の分化誘導率が計測されたのに対し,antisense S-oligoでは10M処理により分化誘導率が35.7%に減少し分化誘導の阻害が観察された。 以上の結果より,RIPがF9細胞のRA分化誘導に重要な役割を担っている可能性が示唆された。そこでRIPが分化誘導に直接的または間接的に関与しているのか解明するため,RIP全長cDNAを細胞に導入しその強制誘導発現による分化誘導への影響を検討することにした。 第3章RIP全長cDNAの導入および強制誘導発現による解析 当研究室において単離された新規PTPaseRIPは全長7932bp,2450アミノ酸にわたる約270KDaのタンパク質をコードしそのアミノ酸配列の解析により細胞膜タンパク質と会合する細胞質タンパク質Ezrin-Radixin-Moesin familyに共通な領域およびいまだ作用の解明されていないguanylate kinaseなどに特有なGLGF repeatとbomologyの高い領域が存在し,3’末端にPTPase domainを1つ持つ細胞質型PTPaseであり,alternative splicingにより6種のタイプが存在することが判明している。分化誘導時に発現しているタイプをRT-PCRを用いて調べた結果どのタイプも存在していることが確認された。 強制誘導発現可能なmetallothionein promoterを有するpMT/EP vectorにこれら6種のRIP cDNA cloneを接続したplasmidを構築し,遺伝子導入株を既に樹立中である。現在RA非存在下におけるZnイオンによる分化誘導への影響を検討中である。また,RIP以外のLRP,PTP2,PTP,PTPについて同様な実験を検討中である。 以上,本論文はマウス胚性腫瘍細胞の分化誘導に関連する因子について述べたもので,学術上寄与するところは少なくない。よって審査員一同は,本論文に博士(農学)の学位を授与する価値は十分にあるものと判断した。 |