学位論文要旨



No 111290
著者(漢字) 花田,俊彦
著者(英字)
著者(カナ) ハナダ,トシヒコ
標題(和) 免疫系、神経系に作用する生理活性物質の探索とその作用に関する研究
標題(洋) Screening and actions of physiologically active substances for immune and nervous systems
報告番号 111290
報告番号 甲11290
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1581号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 小野寺,一清
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 石浦,章一
内容要旨

 高等生物の複雑な細胞機能を解明する上で、特異的な細胞機能調節物質は重要な役割を果たしてきた。特に動物細胞の免疫系、神経系での細胞機能調節機構の解析は遺伝学的手法の適用が困難であるため、阻害剤を用いた研究が今後新しい現象解明への突破口となることが期待される。本研究では、ほ乳類における最も高度な機能である免疫系、及び神経系の細胞間活性調節のモデル系をin vitroで構築し、微生物培養液を対象に生理活性物質の探索を行った。

1抗原提示細胞の機能調節物質の探索

 免疫系における抗原に特異的な応答には、T細胞の機能が主要な役割を果たす。T細胞には、CD4+のものと、CD8+のものがあり、それぞれ機能が異なる。CD4+T細胞が抗原を認識するためには、抗原がB細胞やマクロファージのような抗原提示細胞により提示される必要がある。抗原提示細胞により取り込まれた抗原がエンドソームでプロセッシングを受けた後、MHCクラスII分子と結合した状態で表層に送られ、T細胞レセプターに認識されるまでの過程を抗原提示と呼ぶ。抗原として、エンドサイトーシスにより抗原提示細胞に取り込まれる外来抗原の他に、抗原提示細胞自身に由来するペプチドも提示されており、アロ抗原認識に役立っているとも言われ、その提示経路の存在が予想されている。これら一連の抗原提示過程に作用する薬剤を探索する系を構築した。

1.1探索系の構築

 マウス由来CD4+タイプ2ヘルパーT細胞株であるD10.G4.1は、マウスMHCクラスIIであるI-Akにより提示されたコナルブミンに特異性を持つが、アロ抗原であるI-Abとも交差反応する。この性質を利用し、抗原提示細胞としてハプロタイプがkのマウスとbのマウスそれぞれの脾臓細胞を用いて内因性抗原であるアロ抗原による刺激と、外来抗原であるコナルブミンによる刺激を比較し、抗原刺激により上清に産生されたIL-4の活性をIL-4依存的に増殖する骨髄系株細胞FDC.P2の増殖を指標に測定することにより、いずれかに選択的に作用する物質の探索を行った。

1.2プロテアーゼ阻害剤の作用とナイジェリシンの同定

 MHCクラスIIによる抗原提示を阻害すると報告のある、細胞内蛋白輸送阻害剤ブレフェルジンA、およびエンドソーム酸性化阻害剤クロロキンは、アロ抗原、外来抗原の間で特異性はなかった。このことは、これらの薬剤が両方の過程を阻害するためか、または、T細胞の活性化過程を同時に阻害しているためと思われた。調べた薬剤の中で、セリン・システインプロテアーゼの阻害剤であるアンチパインおよびロイペプチンがアロ抗原刺激を特異的に強く抑制した。ロイペプチンは、エンドソーム内でクラスIIと結合しているインバリアントチェインの分解を阻害し、抗原結合をおこせなくさせる作用が知られている。抗原提示細胞に大部分がマクロファージである脾臓接着細胞(SAC)を用いるとアロ抗原、外来抗原ともに同じ濃度で阻害された。脾臓中の主要な抗原提示細胞であるB細胞とマクロファージでは、その抗原提示の過程が異なることが示唆された。微生物1000株培養菌体抽出液について探索を行ったところ、放線菌A2669株サンプルが、アロ抗原刺激を強く阻害することが見出された。A2669株をミニジャーで6l大量培養し、菌体より70%アセトン抽出、酢酸エチル抽出、シリカゲルカラムクロマト、Sephadex LH20、シリカゲルTLCにより活性物質を精製した。1H-NMRによる解析から、一価カチオンイオノフォアであるナイジェリシンと同定された。その作用は、エンドソームのpHを変化させることにより、インバリアントチェインの分解を阻害するものと予想される。

2大脳皮質細胞の神経突起伸長に作用する物質の探索

 ラット18日胚から調製した大脳皮質細胞は、1-2日で神経突起を伸ばし始め、やがて細胞間で突起の連絡したネットワークを形成する。その際には、細胞の接着や細胞間の液性因子応答による活性化機構が働いていることが予想され、発生期における中枢神経系の構築過程を模しているものと思われる。この系を用い、中枢神経に特異的な反応を調節する物質の取得を試みた。

2.1探索系の構築およびキノマイシンの同定

 ラット18日胚から調製した大脳皮質細胞をパパイン処理により分散させ、ポリエチレンイミンでコートした96穴マイクロプレートに播き、微生物培養菌体抽出物存在下1日および2日後の細胞の形態を顕微鏡観察することにより、細胞の器壁への接着および細胞の生存に影響を与えず、かつ突起伸長を抑制するものを選択した。得られたいくつかの候補についてPC12-22a細胞のNGFに依存した突起伸長に対する影響を見たところ、放線菌A3354株の菌体抽出物が、大脳皮質細胞の突起伸長を完全に抑制する濃度よりも10倍以上の高濃度においてもPC12-22a細胞の突起伸長を抑制しなかった。A3354株を大量培養し、菌体より70%アセトン抽出、酢酸エチル抽出、シリカゲルカラムクロマト、Sephadex LH20、シリカゲルTLCにより活性成分を精製した。1H-NMRによる分析の結果、本物質はRNA合成阻害剤であるキノマイシンと同定された。PC12-22a細胞はNGFに応答した突起伸長が通常の株より早いものとしてPC12より分離された亜株であるが、NGF添加の2時間前にキノマイシンを加えても突起伸長が抑制されなかったことからRNA合成を必要としない突起伸長を行うことが示唆された。一方大脳皮質初代培養細胞はin vitroでの器壁への接着、細胞間の液性因子による活性化によりRNA合成を行うことが突起伸長に必要であると思われる。以上のことをふまえ、探索系からRNA合成阻害剤等の物質を除くため、対照としてラットグリオーマ由来株であるC6細胞の増殖に阻害を示すものを除外することにして、カビ4000株、放線菌2000株について更なる探索を行った。

2.2H16636株の生産する活性物質

 カビH16636株の菌体抽出物が大脳皮質細胞に特徴的な形態の突起を生じさせることを見出した。ポリエチレンイミンでコートしたプレートに本サンプルを前処理してもこの活性は見られなかったことから、プレートのコートにではなく、細胞に直接作用していることが示された。本サンプルの添加により通常の状態よりも細く短い突起が細胞体から放射状に伸長し、それらの突起には細胞間での連絡や突起同士での束の形成が見られなかった。神経突起の微小管構成成分であるチューブリンに対する抗体と、樹状突起に局在する微小管結合蛋白であるMAP2に対する抗体で免疫染色を行った結果、突起の先端までチューブリンは存在していたが、MAP2は細胞体にしか観察されなかった。このことから、突起の形態の異常は樹状突起へのMAP2の局在化が阻害されているためであると予想された。同じ濃度のサンプルは、C6細胞の形態および増殖に全く影響を与えなかった。H16636株を大量培養し、菌体より70%アセトン抽出、H+型Dowex 50W、Toyopearl HW40により1gの褐色粉末を得た。透析の結果活性成分は分子量10.000以上の高分子であったので、Sephadex G100により精製した。1H-NMRによる解析から、活性成分は多糖であることが示された。本物質は、神経芽細胞腫株であるNeuro2A、N18、平滑筋由来株細胞であるG8-1、浮遊細胞であるミエローマ株細胞SP2ののいずれの形態にも影響を与えなかったが、分化を誘導する至適濃度である50ng/mlのNGF存在下でのPC12-22a株の突起の伸長、細胞体の肥大、接着性の増大のいずれをも促進する作用が見られた。より低濃度である5ng/mlのNGF存在下や、NGF非存在下での細胞の形態に対しては影響は見られなかった。また、同様にPC12-22a細胞に突起伸長を引き起こす100MのdbcAMP存在下での細胞の形態および突起の伸長に影響は見られなかった。

2.3H19159株の生産する活性物質

 大脳皮質神経細胞の細胞体から伸長する突起の本数を減少させ、突起の分枝を抑制する作用が見られたカビ、H19159菌体抽出液は、その100倍以上の高濃度でもC6細胞の増殖を抑制しなかったため、神経細胞に特異的な作用点を持つものと期待された。その大脳皮質細胞に対する突起の分枝抑制作用は、アクチン重合阻害剤であるサイトカラシンBと類似していたが、サイトカラシンBの作用により、C6細胞は非常に特徴的な形態を示し、また増殖も強く阻害されることから明らかに両者の作用は異なるものであった。H19159株を大量培養し、菌体より70%アセトン抽出、酢酸エチル抽出、シリカゲルカラムクロマト、Sephadex LH20、シリカゲルTLCにより活性物質を精製した。本物質は、NGF50ng/mlで刺激したPC12-22a細胞の突起伸長および形態に全く影響を与えなかった。

 以上、免疫系及び神経系に作用を持つ生理活性物質の探索を行いいくつかの興味深い現象を見出した。今後活性物質の構造と作用機序の解析により細胞機能研究に新しい断面を与えることが期待される。

審査要旨

 免疫系と神経系は、ともに多様な細胞群からなり、それらが生産する種々の液性因子、細胞表層因子を介して複雑な細胞間のネットワークを形成している。こうした複雑な細胞間連絡による機能の調節機構を明らかにするためには、その過程に介在する因子を直接同定してゆく方法の他に、特異的な機能阻害・修飾物質の探索・利用が有効な手段である。こうした観点から、著者は免疫系、神経系に生理活性を有する物質を探索し、その作用の解析結果を本論文にまとめている。論文は、序論、第一章、第二章および総括から成る。

 第一章では抗原提示過程に作用する物質の探索系の構築、および探索の結果得られた物質の精製、作用機序について述べている。

 マクロファージ(M)やB細胞などの抗原提示細胞によって取り込まれた外来抗原は、細胞内で分解を受けた後MHCクラスII分子とともに細胞表層に提示され、ヘルパーT細胞により認識される。このような一連の抗原提示・認議過程を再現する実験系を培養細胞を用いて構築した。その際、内因性抗原と考えられるアロ抗原の提示を対照とし、外来抗原の提示と比較した。既知物質の作用を検討したところ、呼吸阻害剤アンチマイシンAが外来抗原提示を特異的に阻害する一方、エンドソーム等の細胞内オルガネラの酸性化を阻害するモネンシンやプロテアーゼ阻害剤アンチパイン、ロイペプチン、E64が予想に反し外来抗原提示よりむしろアロ抗原提示を強く抑制すること見出した。さらに放線菌1000サンプルの検索から、アロ抗原提示の阻害物質として見出したA2669を精製、機器分析し、カチオンイオノフォアであるナイジェリシンと同定した。

 新しく合成されたMHCクラスII分子は、その抗原結合部位がインバリアントチェイン(Ii)によってマスクされており、エンドソーム内でカテプシンBなどのプロテアーゼによってIiが分解されてはじめて抗原ペプチドとの結合が可能になる。一方B細胞においては、非特異的ピノサイトシスにより取り込まれた抗原は表層からリサイクリングされたクラスIIによって提示されるといわれている。アロ抗原提示がプロテアーゼ阻害剤等の薬剤によってより強く阻害を受けるという上述の結果から、B細胞では外来抗原はリサイクリングされたクラスIIにより提示され、アロ抗原は新規合成されたクラスIIにより提示されるという可能性が示唆される。一方、ほぼ均一なMを調製し抗原提示細胞に用いるとこのような特異性は見られず、B細胞とは抗原提示機構が異なることが明らかとなった。

 第二章では、神経突起伸長に作用する物質の探索、精製とその作用について述べている。胎生期に分裂を終えた神経細胞は、標的細胞から分泌される栄養因子や周囲の細胞上に発現する接着因子による刺激を受けて神経突起を伸長させ、複雑な神経回路網を形成する。一方突起伸長を阻害する抑制因子の存在も知られており、神経突起の伸長はこのような相反する活性を持つ多様な因子によって制御されていると考えられている。こうした制御の機構を明らかにするため、著者は初代培養神経細胞からの神経突起伸長を特異的に抑制する物質の探索を行った。

 まず既知物質の作用を検討した後、放線菌1000サンプルについて検索し、A3354物質を見出した。A3354は対照として用いたラット褐色細胞腫PCl2-22aからのNGF依存の突起伸長は抑制せず、神経突起の伸長のみを強く抑制した。A3354を精製し、機器分析を行った結果、本物質はRNA合成阻害剤キノマイシンと同定された。PCl2を長時間NGF処理することにより、新規なRNA合成に依存しない突起伸長が起こるプライミングと呼ばれる現象が知られている。PC12-22aは通常のPC12に比べNGF処理後の突起伸長が速いことが知られており、プライミングを受けた細胞株であることが示唆された。

 次に検索系からのRNA合成阻害物質の排除を目的として、ラットグリオーマC6の形態変化を指標にした二次検索系を導入した。引き続きカビ4000、放線菌2000サンプルについて検索した結果、カビの生産するH16636物質とH19159物質が神経突起に特徴的な形態変化を誘導することを見出した。

 H16636処理した神経細胞では、細胞体から細い神経突起が直接放射状に伸長する。抗体による染色像から、このような神経突起にはチューブリンは存在するが、微小管結合蛋白質MAP2は存在しないことが示され、MAP2の局在化が阻害されていることが示唆された。さらにH16636はNGF処理したPC12-22aからの突起伸長を顕著に促進した。H16636単独では突起伸長の誘導活性は見られず、またdbcAMPによる突起伸長も促進しなかった。H16636を精製し機器分析したところ、六単糖から成るホモポリマーであることが明らかとなった。またゲルろ過からその分子量は球状蛋白に換算して約3万と予想された。神経突起伸長に作用する多糖としてはコンドロイチン硫酸プロテオグリカンの阻害作用が知られているが、本物質はこれとは構造的に明らかに異なる。H16636は親水性物質で細胞膜を透過するとは考え難いため、おそらく細胞表層から受容体を介し、神経細胞からの神経突起伸長に対しては抑制性の、PC12-22aからのNGF依存の突起伸長に対しては促進性の刺激を細胞内に伝達しているものと考えられた。

 H19159処理では、神経突起の本数が減少し、分枝が抑制された。また本物質は他の増殖性の細胞株に対しては何の作用も示さず、また毒性も極めて低かった。

 以上本論文は免疫系における抗原提示機能、神経系における神経突起伸長に対する特異的な阻害・修飾物質の探索、精製、構造解析を行い、またその作用機構についての解析結果を論じたもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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