免疫系と神経系は、ともに多様な細胞群からなり、それらが生産する種々の液性因子、細胞表層因子を介して複雑な細胞間のネットワークを形成している。こうした複雑な細胞間連絡による機能の調節機構を明らかにするためには、その過程に介在する因子を直接同定してゆく方法の他に、特異的な機能阻害・修飾物質の探索・利用が有効な手段である。こうした観点から、著者は免疫系、神経系に生理活性を有する物質を探索し、その作用の解析結果を本論文にまとめている。論文は、序論、第一章、第二章および総括から成る。 第一章では抗原提示過程に作用する物質の探索系の構築、および探索の結果得られた物質の精製、作用機序について述べている。 マクロファージ(M)やB細胞などの抗原提示細胞によって取り込まれた外来抗原は、細胞内で分解を受けた後MHCクラスII分子とともに細胞表層に提示され、ヘルパーT細胞により認識される。このような一連の抗原提示・認議過程を再現する実験系を培養細胞を用いて構築した。その際、内因性抗原と考えられるアロ抗原の提示を対照とし、外来抗原の提示と比較した。既知物質の作用を検討したところ、呼吸阻害剤アンチマイシンAが外来抗原提示を特異的に阻害する一方、エンドソーム等の細胞内オルガネラの酸性化を阻害するモネンシンやプロテアーゼ阻害剤アンチパイン、ロイペプチン、E64が予想に反し外来抗原提示よりむしろアロ抗原提示を強く抑制すること見出した。さらに放線菌1000サンプルの検索から、アロ抗原提示の阻害物質として見出したA2669を精製、機器分析し、カチオンイオノフォアであるナイジェリシンと同定した。 新しく合成されたMHCクラスII分子は、その抗原結合部位がインバリアントチェイン(Ii)によってマスクされており、エンドソーム内でカテプシンBなどのプロテアーゼによってIiが分解されてはじめて抗原ペプチドとの結合が可能になる。一方B細胞においては、非特異的ピノサイトシスにより取り込まれた抗原は表層からリサイクリングされたクラスIIによって提示されるといわれている。アロ抗原提示がプロテアーゼ阻害剤等の薬剤によってより強く阻害を受けるという上述の結果から、B細胞では外来抗原はリサイクリングされたクラスIIにより提示され、アロ抗原は新規合成されたクラスIIにより提示されるという可能性が示唆される。一方、ほぼ均一なMを調製し抗原提示細胞に用いるとこのような特異性は見られず、B細胞とは抗原提示機構が異なることが明らかとなった。 第二章では、神経突起伸長に作用する物質の探索、精製とその作用について述べている。胎生期に分裂を終えた神経細胞は、標的細胞から分泌される栄養因子や周囲の細胞上に発現する接着因子による刺激を受けて神経突起を伸長させ、複雑な神経回路網を形成する。一方突起伸長を阻害する抑制因子の存在も知られており、神経突起の伸長はこのような相反する活性を持つ多様な因子によって制御されていると考えられている。こうした制御の機構を明らかにするため、著者は初代培養神経細胞からの神経突起伸長を特異的に抑制する物質の探索を行った。 まず既知物質の作用を検討した後、放線菌1000サンプルについて検索し、A3354物質を見出した。A3354は対照として用いたラット褐色細胞腫PCl2-22aからのNGF依存の突起伸長は抑制せず、神経突起の伸長のみを強く抑制した。A3354を精製し、機器分析を行った結果、本物質はRNA合成阻害剤キノマイシンと同定された。PCl2を長時間NGF処理することにより、新規なRNA合成に依存しない突起伸長が起こるプライミングと呼ばれる現象が知られている。PC12-22aは通常のPC12に比べNGF処理後の突起伸長が速いことが知られており、プライミングを受けた細胞株であることが示唆された。 次に検索系からのRNA合成阻害物質の排除を目的として、ラットグリオーマC6の形態変化を指標にした二次検索系を導入した。引き続きカビ4000、放線菌2000サンプルについて検索した結果、カビの生産するH16636物質とH19159物質が神経突起に特徴的な形態変化を誘導することを見出した。 H16636処理した神経細胞では、細胞体から細い神経突起が直接放射状に伸長する。抗体による染色像から、このような神経突起にはチューブリンは存在するが、微小管結合蛋白質MAP2は存在しないことが示され、MAP2の局在化が阻害されていることが示唆された。さらにH16636はNGF処理したPC12-22aからの突起伸長を顕著に促進した。H16636単独では突起伸長の誘導活性は見られず、またdbcAMPによる突起伸長も促進しなかった。H16636を精製し機器分析したところ、六単糖から成るホモポリマーであることが明らかとなった。またゲルろ過からその分子量は球状蛋白に換算して約3万と予想された。神経突起伸長に作用する多糖としてはコンドロイチン硫酸プロテオグリカンの阻害作用が知られているが、本物質はこれとは構造的に明らかに異なる。H16636は親水性物質で細胞膜を透過するとは考え難いため、おそらく細胞表層から受容体を介し、神経細胞からの神経突起伸長に対しては抑制性の、PC12-22aからのNGF依存の突起伸長に対しては促進性の刺激を細胞内に伝達しているものと考えられた。 H19159処理では、神経突起の本数が減少し、分枝が抑制された。また本物質は他の増殖性の細胞株に対しては何の作用も示さず、また毒性も極めて低かった。 以上本論文は免疫系における抗原提示機能、神経系における神経突起伸長に対する特異的な阻害・修飾物質の探索、精製、構造解析を行い、またその作用機構についての解析結果を論じたもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |