内容要旨 | | プラスミドR100が運ぶ遺伝子座pemはプラスミドの安定保持機能を担う遺伝子として当研究室で同定された。pemはpostsegregational killingというユニークな機構によりプラスミドを安定化する。この機構はプラスミドの脱落した細菌をその母集団から選択的に排除することでプラスミドを安定化するものである。 pem遺伝子座は、オペロンを構成する2つの遺伝子pemIとpemKからなり、pemK遺伝子は細胞生育阻害タンパク質PemKを、pemI遺伝子はPemKタンパク質の機能を抑制するタンパク質PemIをコードする。PemIタンパク質は、PemKタンパク質と複合体を形成することでPemKタンパク質の機能を抑制すると考えられているが、この複合体はpemオペロンのプロモーター領域への結合能も有しており、このオペロンのリプレッサーとしても機能している。PemIタンパク質はPemKタンパク質に比べて著しく不安定であり、プラスミドが脱落した細菌においては不安定なPemIタンパク質は速やかに分解し、その結果、遊離したPemKタンパク質が細胞毒として機能する。このような機構により、プラスミドが脱落した細菌は、その生育が阻害され母集団から選択的に排除される。 本研究では、まずpem遺伝子座に構造的、機能的に類似した遺伝子座が大腸菌染色体上に二カ所(chpA、chpB:chromosomal homologue of pem)存在することを明らかにした。さらにchp遺伝子座の大腸菌における機能、及びpem遺伝子と宿主遺伝子との相互作用を明らかにしたものであり、その結果は以下のように要約できる。 I.chpA遺伝子座の解析(1)。 pem相同遺伝子座の一つchpAは、二つの遺伝子chpAIとchpAKからなり、大腸菌染色体上60分に位置し、relA遺伝子に近接して存在することを明らかにした。また、chpA遺伝子のすぐ上流にはプロモーターが存在し、その塩基配列がpem遺伝子のプロモーター領域と相同であることから、pem遺伝子の発現の場合と同様の自動制御機構の存在が予想された。 chpA遺伝子座の各遺伝子の機能を明らかにするために、chpAI及びchpAK遺伝子それぞれについて挿入変異株を構築し、その生育を調べた。その結果、chpAI、chpAK遺伝子は細菌の生育には必須の遺伝子ではないことが分かった。またchpAK遺伝子を、cI857リプレッサーで制御されるPRプロモーター下流にlacZ遺伝子とin frameになるようにクローニングしたプラスミドから発現させ、chpAK遺伝子の機能を調べた。その結果、chpAK遺伝子をchpAI内に挿入変異を持つ株内で発現させたときにだけ、細胞生育阻害が観察された。またこの細胞生育阻害は、chpAI遺伝子存在下で抑制された。以上の結果から、chpAK遺伝子はpemK遺伝子同様に細胞生育阻害タンパク質ChpAKをコードしており、chpAI遺伝子はpemI遺伝子同様にChpAKに対する抑制タンパク質ChpAIをコードしていることが分かった。また、chpAI挿入変異株においては極性効果によりchpAK遺伝子の発現が抑えられた結果からchpAIとchpAK遺伝子はオペロンを構成するものと結論した。 II、chpB遺伝子の解析(1)(2)。 二つ目のpem相同遺伝子座chpBは、二つの遺伝子chpBIとchpBKからなり、ileR遺伝子とppa遺伝子の間にileR、chpBI、chpBK、ppaの順で存在することを明らかにした。この領域は、大腸菌染色体上95分の位置にマップされた。また、chpB遺伝子のプロモーター領域とpem遺伝子のプロモーター領域の塩基配列には相同性があり、pem遺伝子の発現の場合と同様の自動制御機構の存在が予想された。 chpB遺伝子座の各遺伝子の機能を明らかにするために、chpBI及びchpBK遺伝子それぞれについて挿入変異株を構築し、その生育を調べた。その結果、chpBI、chpBK遺伝子は細菌の生育には必須の遺伝子ではないことが分かった。また、chpBK遺伝子を、cI857リプレッサーに制御されるPRプロモーター下流にlacZ遺伝子とin frameになるようにクローニングしたプラスミドから発現させ、chpBK遺伝子の機能を調べた。その結果、chpBK遺伝子を過剰発現させた大腸菌全てに、細胞生育阻害が観察された。またこの細胞生育阻害は、chpBI遺伝子存在下で抑制された。以上の結果から、chpBK遺伝子はpemK遺伝子同様に細胞生育阻害タンパク質ChpBKをコードしており、chpBI遺伝子はpemI遺伝子同様にChpBKに対する抑制タンパク質、ChpBIをコードしていることが分かった。また、chpBI挿入変異株においては極性効果によりchpBK遺伝子の発現が抑えられた結果からchpBIとchpBK遺伝子はオペロンを構成するものと結論した。 III、pem、chpA、chpB遺伝子座の遺伝学的相互作用の解析(1)(2)。 pem、chpA、chpB遺伝子座の機能的連関を調べるために、pemI遺伝子またはその相同遺伝子を運ぶ多コピープラスミドを保持した大腸菌において、pemK遺伝子及びその相同遺伝子を各々発現させ、菌の生育を調べた。その結果、PemKタンパク質の細胞生育阻害能はPemIタンパク質によってのみ抑制され、ChpAKタンパク質の細胞生育阻害能はChpAIタンパク質によってのみ抑制された。しかしながら、ChpBKタンパク質の細胞生育阻害能はChpBIタンパク質だけでなく、PemIタンパク質によっても抑制されることが分かった。以上の結果は、大腸菌が運ぶ二つのchp遺伝子座は各々独立に機能するが、プラスミドが運ぶpem遺伝子座はchpB遺伝子座に対し優位に機能することを示している。 次に、二つのchp遺伝子座の機能が細菌の生育に必須であるか調べるために、chpAI、chpBI二重挿入変異株を構築し、その生育を調べた。その結果、二重挿入変異株は野生株同様に生育したことから、二つのchp遺伝子座の機能は細菌の生育には必要とされないことが分かった。 IV、細胞生育阻害タンパク質をコードする遺伝子と相互作用する宿主遺伝子の解析(3)。 pemK遺伝子と相互作用する遺伝子を調べる目的でPemKタンパク質耐性温度感受性変異株の分離を試みた。pemK-collagen-1acZ融合遺伝子を42℃で一時的に発現させ、その後30℃に戻すと野生株は殆ど生存しないことを利用し、野生株に比べて著しく生存率が上昇した9株の温度感受性宿主変異株を分離した。これらの変異株は3種類(pktA、pktB、pktC.PemK tolerance)に分類でき、それぞれがisoleucyl-tRNA synthetase遺伝子(ileS)、glutamyl-tRNA synthetase遺伝子(gltX)、asparaginyl-tRNA synthetase遺伝子(asnS)によってその温度感受性が相補されることが分かった。実際に遺伝学的解析によってpktAはileS遺伝子、pktBはgltX遺伝子、pktCはasnS遺伝子の対立遺伝子であることを示した。しかしながら、これらのpkt変異株においては42℃でPemK-collagen--galactosidase融合タンパク質の合成が完全に停止していることが分かり、pkt変異株は42℃でのPemK-collagen--galactosidase融合タンパク質の合成を抑えることで、見かけ上PemKタンパク質耐性を示したものであると結論した。 PemKタンパク質耐性変異株の出現頻度は極めて低かったことから、次にChpBKタンパク質と相互作用する遺伝子の検索を行った。chpBK-collagen-lacZ融合遺伝子を42℃で恒常的に発現させる条件下で、chpBK耐性変異株が得られた。これらの変異株の中には、ChpBKタンパク質を野生株以上に発現している変異株が全体の約10%存在することが分かり、この変異(bktB1:ChpBK tolerance)は大腸菌染色体上38分の位置にマップされた。この結果は、少なくともchpBK遺伝子と相互作用する遺伝子が存在することを示している。 以上、本研究において、大腸菌染色体上にはプラスミドのpem遺伝子座に構造的に類似した二つの遺伝子座(chpA、chpB)が存在し、機能的にも、それぞれ細胞生育阻害タンパク質及びその機能を抑制するタンパク質をコードすることを明らかにした。さらにこれら二つの遺伝子座の遺伝子産物は構造的に極めて高い相同性を持つにもかかわらず、機能的には互いに交差せず、各々独立に機能することが示唆された。一方pem遺伝子座はchpB遺伝子座対し優位に機能することから、pem遺伝子座はchpB遺伝子座をも支配下におきpostsegregational killingとしての機能を強く発揮できるものと考えられる。chp遺伝子座の機能は細胞の生育には必ずしも必要とされないことが明らかとなったが、その生理機能は興味深い。chpB遺伝子座と相互作用する遺伝子の存在が明らかになったことから、pem遺伝子座の作用機構解明の糸口が得られたと考えられる。 (1)Y.Masuda,K.Miyakawa,Y.Nishimura and E.Ohtsubo(1993)J.Bacteriol.,175,6850-6856.(2)Y.Masuda and E.Ohtsubo(1994)J.Bacteriol.,176,5861-5863.(3)Y.Masuda,S.Tsuchimoto,A.Nishimura and E.Ohtsubo(1993)Mol.Gen.Genet.,238,169-176. |
審査要旨 | | R100プラスミドが運ぶpem遺伝子座は,postsegregational killingという機構により大腸菌宿主細胞内で自身の安定保持に関与する。pemは,オペロンを構成する2つの遺伝子pemIとpemKからなり,pemKは細胞生育阻害タンパク質PemKを,pemIはPemKタンパク質の機能を抑制するタンパク質pemIをコードする。本研究は,pemに構造的に類似した遺伝子座が大腸菌染色体上に二つ(chpA,chpB:chromosomal homologue of pemと命名)存在することを示し,それらが機能的にもpemに類似するのかどうかを明らかにすることを目的として行ったものである。 まず,chpAが二つの遺伝子chpAIとchpAKからなり,大腸菌染色体上60分に位置するrelA遺伝子に近接して存在すること,chpBが二つの遺伝子chpBIとchpBKからなり,ileR遺伝子とppa遺伝子の間の95分の位置にileR-chpBI-chpBK-ppaの順で存在することを明らかにした。続いて,chpA及びchpB内の各遺伝子に挿入変異を導入し,得られた変異株の生育を調べることによって,二つの遺伝子座が細菌の生育には必須ではないことを示した。また,chpAIあるいはchpBI挿入変異株において下流に存在するchpAKまたはchpBK遺伝子の発現が極性効果により抑えられたことから,chpAIとchpAK遺伝子,chpBIとchpBK遺伝子はそれぞれオペロンを構成するものと結論した。chp遺伝子座は細胞の生育には必ずしも必要とされなかったが,近接する遺伝子の機能,及び,構成遺伝子の機能から考えて,おそらくstringent responseに関係し,細菌細胞の環境の変化に応答する役割を果たすものと考えられた。 次に,chpAKとchpBK遺伝子の機能を調べるために,各遺伝子をcI857リプレッサーで制御されるpRプロモーター下流にlacZ遺伝子とin frameになるように繁ぎ発現させると生育阻害が起こったことから,chpAK及びchpBK両遺伝子が細胞生育阻害タンパク質をコードすることが分かった。また,ChpAKの細胞生育阻害能がChpAIタンパク質によって,ChpBKの細胞生育阻害能がChpBI並びにPemKタンパク質によって抑制されるが,他のPemI相同タンパク質によっては抑制されないこと,PemKタンパク質の細胞生育阻害能が唯一PemIタンパク質によって抑制されること,を明らかにした。以上の結果は,二つのchp遺伝子座は各々独立に機能するが,pemはchpB遺伝子座に対し優位に機能することを示している。プラスミドがコードするpemは宿主のchpB遺伝子座をも支配下におくことによって,postsegregational killingとしての機能を強く発揮できるものと考えられた。 さらに,pemK遺伝子と相互作用する遺伝子を調べるために,PemKタンパク質耐性温度感受性変異株の分離を行った。得られた変異株は3種類(pktA,pktB,pktC:PemK tolerance)に分類でき,それぞれがisoleucyl-tRNA synthetase遺伝子(ileS),glutamyl-tRNA synthetase遺伝子(gltX),asparaginyl-tRNA synthetase遺伝子(asnS)の対立遺伝子であることを示した。しかしこれらのpkt変異株においては42℃でタンパク質の合成が完全に停止していることが分かり,pkt変異株は42℃での細胞生育阻害タンパク質PemKの合成を抑えることで,見かけ上PemKタンパク質耐性を示したものであると結論した。また,ChpBKタンパク質と相互作用する遺伝子を調べるために,chpBK遺伝子を42℃で恒常的に発現させる条件下でchpBK耐性変異株を得た。得られた変異株の中にはChpBKタンパク質を野生株以上に発現している変異株が存在し,その変異(bktBI:ChpBK tolerance)は大腸菌染色体上38分の位置にマップされた。この結果は,少なくともchpBK遺伝子と相互作用する遺伝子が存在することを示しており,pem相同遺伝子座の作用機構の理解の糸口が得られたと考えられた。 以上,本論文は,R100プラスミドの安定保持に関与する遺伝子座pemに構造的に類似した遺伝子座が大腸菌染色体上に二つ(chpA,chpB)存在することを明らかにし,それらが実際に機能的にも類似していることを明らかにしたものであり,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。 |