学位論文要旨



No 111293
著者(漢字) 矢口,敏昭
著者(英字)
著者(カナ) ヤグチ,トシアキ
標題(和) 原核生物由来のRubisCOに関する研究
標題(洋) Studies on RubisCO from prokaryotes
報告番号 111293
報告番号 甲11293
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1584号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 五十嵐,泰夫
内容要旨 1はじめに

 RubisCO(Ribulose-1,5-bisphosphate carboxylase/oxygenase)は地球上で最も普遍的な炭酸固定経路であるカルビンサイクルの鍵酵素である。本酵素には植物から原核生物に至るまで広く存在するform I(L8S8型)と光合成細菌の一部や化学独立栄養細菌の一部に存在するform II(LX型)とがある。

 RubisCOは対立する2つの反応carboxylaseとoxygenaseを触媒する。そしてこの2つの反応の比率を示すSpecificity factor(:VcKo/VoKc)はRubisCOの種類によって大きく異なり、form IIよりform Iの方が高く、またform Iの中では一般に高等植物由来のRubisCOの方が原核生物由来のRubisCOよりも高いことが知られている。

 地球環境の温暖化の主因は炭酸ガス濃度の上昇にあると考えられている。この問題の解決には化石燃料の消費を抑えるとともに生物の炭酸固定能を高めることも重要であり、そのためにはRubisCOの機能を高めることが直接的な方法であると考えられている。このような背景の下に、本研究ではRubisCOに関する基礎的な知見を得ることを目的とした。

 RubisCOは中温環境から高温環境に至るまで広く存在するが、特殊環境由来のRubisCOの性質はあまり良く知られていない。そこで本研究ではまず第一に高温環境で生育する生物由来のRubisCOを取得しその性質を明らかとすることとした。更に、RubisCOのSpecificity factorの簡易な測定法を開発したのでその点についても報告する。最後に、3種類のRubisCOを持つ海洋性水素細菌Hydrogenovibrio marinus MH-110株のRubisCOの諸性質と発現調節に関する知見を述べる。

2好熱性ラン藻Synechococcus a-1の単離とそのRubisCOの性質

 伊豆地方の温泉より、60℃に生育至適温度を持つ好熱性ラン藻Synechococcus a-1を単離した。本菌は倍加時間が約3時間とラン藻の中では比較的速いものであった。本菌よりRubisCOを精製し、その性質を調べたところ、分子量が約53万のform Iであり、反応至適温度は65℃であった。また、70℃までの熱処理に対して安定であった。

 RubisCO遺伝子の塩基配列を決定し、他の生物由来のRubisCOとアミノ酸配列を比較したところ、他のラン藻や光合成細菌由来のRubisCOとは高い相同性を示していたが、化学独立栄養細菌由来のRubisCOとの相同性は高くなかった。

 本菌由来のRubisCOをベクターpKK223-3に組み込み、発現させたところ、大腸菌の可溶性タンパクの20%程度発現させることができた。本RubisCOはその熱安定性を利用して極めて容易に精製することができた。本酵素は現在までに精製の報告されているRubisCOの中では最も熱安定性に優れており、今後RubisCOのタンパク化学的研究の材料としての利用が期待される。

3Specificity factorの決定法

 Specificity factorは従来、[1-3H]リブロースー1,5-二リン酸(RuBP)とNaH14CO3を使用して酵素反応を行い反応産物をラジオ液体クロマトグラフィーを用いて定量して求められており、必ずしも容易ではなかった。そこで、より簡易な方法でSpecificity factorを求める方法を開発することを目指した。

 ホウレンソウとラン藻Anacystis nidulansのRubisCOについて酸素100%の密閉容器中で反応溶液中の炭酸ガス濃度を変化させ、酵素反応を行わせた。反応は反応停止液(1.7M酢酸,100mMフェニルヒドラジン)を添加して熱処理を行い未反応の反応基質であるRuBPをヒドラゾンに変化させ停止した。生成物の3-ホスホグリセリン酸とホスホグリコール酸はイオンクロマトグラフで分離・定量した。測定結果より計算されたSpecificity factorはホウレンソウで80.8,Anacystis nidulansで34.9となり、既に報告されている値とほぼ同じ値となった。この方法で海洋性水素細菌H.marinusのform II RubisCOとSynechococcus a-1のRubisCOのSpecificity factorを求めたところ、14.8と30.8という値を得た。

 本方法は従来法に比べ、放射性物質を用いることなく短時間でSpecificityfactotを求めることができるという点で優れていると思われる。

4海洋性水素細菌Hydrogenovibrio marinus MH-110株由来の3種のRubisCOの一次構造

 Hydrogenovibrio marinus MH-110株は当研究室で取得された絶対独立栄養性を示す中温性の化学独立栄養細菌である。本菌はRubisCOを3種類持ち、そのうちの2つがform Iであり、残りの1つがform IIである。しかしながら、タンパク質としては1種類の酵素が精製されているのみで、遺伝子も1種類の配列が明らかとなっているに過ぎなかった。そこで、本菌由来のRubisCOについてその全てを遺伝学的に明らかとすることとした。

 PCRクローニング法によりcbbM(form II)とcbbLS-2(form I)の2つのRubisCO遺伝子を取得した。cbbMは463アミノ酸を、cbbL-2は471アミノ酸を、そしてcbbS-2は122アミノ酸をコードしていた。これで既に取得されていたform I RubisCO遺伝子(cbbLS-1)と併せて3種類のRubisCOの一次構造が明らかとなった。3種のRubisCOの一次構造はラージサブユニットについてはCbbMとCbbL-1では28%、CbbMとCbbL-2とでは32%、CbbL-1とCbbL-2では78%の相同性を示した。スモールサブユニットについてはCbbS-1とCbbS-2とで62%の相同性を示していた。他の生物由来のRubisCOとの間でアミノ酸配列を比較したところH.marinus由来のRubisCO同士よりも他生物由来のRubisCOで高い相同性を示すものがあった。RubisCOの進化と生物の進化とは必ずしも一致していないものと思われる。

5H.marinusの3種のRubisCOの発現調節

 H.marinusはなぜ一つの菌体内で同じ機能を持つ酵素を複数持っているのであろうか。その生理的な意義を探るために3種のRubisCOの発現調節に関する知見を得ることとした。

 3種のRubisCO遺伝子(cbbM,cbbLS-1,cbbLS-2)で特徴的な部分をPCRによって増幅し、それぞれの遺伝子に特異的なプローブを作製した。H.marinusをH2:O2:CO2=7:1:1,7:2:1,78:20:2の条件で培養し、対数増殖期の菌体よりRNAを抽出しそれぞれのプローブを用いてノーザンハイブリダイゼーションを行った。その結果、炭酸ガス濃度の高いH2:O2:CO2=7:1:1,7:2:1の条件ではcbbMは大量に転写されているがcbbLS-1の転写量はわずかであり、cbbLS-2については全く転写されていなかった。一方、炭酸ガス濃度が2%の条件ではcbbM,cbbLS-1の転写量は減少しているものの、cbbLS-2の大量の転写が確認された。

 form I RubisCOに対する抗体を用いてウエスタンブロッティングを行ったところノーザンハイブリダイゼーションと同じ結果を得た。更に、菌体より無細胞抽出液を調製し、RubisCO活性を測定して比活性を求めたところ、炭酸ガス濃度の減少により比活性が約2倍に上昇していることが明らかとなった。

 RubisCOの能力と発現調節との関係を明らかとするため、CbbLS-1,CbbLS-2を精製しSpecificity factorを測定することとした。それぞれの遺伝子を発現ベクターに組み込み大腸菌内で発現させ精製した。精製酵素を用いて活性測定を行い、Specificity factorを計算したところ、CbbLS-1に対しては26.6,CbbLS-2に対しては33.1となった。

 以上の結果からH.marinusは炭酸ガスが十分にある環境下では、炭酸固定能力は高くないが単純な構造のform II RubisCOで炭酸固定を行い、炭酸ガス濃度の減少に伴い構造は複雑であるがより炭酸固定能力に優れたform I RubisCOを用いて少ない炭酸ガスを有効に利用して外部環境の変化に対応していることが明らかとなった。

 form I RubisCOを2種類持つ理由については明らかではないが2種のform I RubisCOのうち炭酸ガスの減少に伴ってSpecificity factorの高いCbbLS-2の転写が活性化されたことから両者の間で何らかの役割分担があるものと考えられる。今後はRubisCOの発現調節について更に詳細な実験をすることによりH.marinusの3種のRubisCOの関係がより明らかとなるものと期待される。

審査要旨

 RubisCO(Ribulose-1,5-bisphosphate carboxylase/oxygenase)は独立栄養生物で最も一般的なカルビンサイクルの鍵酵素であり,植物から原核生物に至るまで広く存在するform I(L8S8型)と光合成細菌の一部や化学独立栄養細菌の一部に存在するform II(Lx型)という2種類があり,carboxylase反応およびoxygenase反応という2つの反応を触媒する。そしてこの対立すゐ2つの反応の比率を示す指標としてSpecificity factor(VcKo/VoKc)という値が提唱されており,Specificity factorの高いRubisCOが優れたRubisCOであるとされている。本論文はRubisCOに関する基礎的知見を得ることを目的として原核生物由来のRubisCOに関する酵素学的・遺伝学的実験についてまとめたもので6章よりなる。

 第1章では序論としてRubisCOに関する現在までの知見について述べ,RubisCOの構造と機能,Specificity factor,遺伝学的知見について言及している。

 第2章では好熱性ラン藻Synechococcus a-1のスクリーニングとRubisCOの精製,遺伝子のクローニング,大腸菌内でのRubisCOの発現について論じている。まず60℃に至適生育温度を有し倍加時間が約3時間の好熱性ラン藻Synechococcus a-1を取得して,本菌由来のRubisCOは分子量が約53万のform I であり,至適反応温度は65℃で,70℃までの熱処理に対して安定であること,本RubisCOが精製の報告されているRubisCOの中では最も熱安定性に優れていることを見いだしている。次いで,RubisCO遺伝子の塩基配列を決定し他の生物由来のRubisCOとアミノ酸配列を比較したところ,他のラン藻や植物由来のRubisCOと高い相同性を示すことを見いだしている。さらに本菌由来のRubisCOを大腸菌の可溶性タンパクの20%程度発現させることができ,また熱安定性を利用して容易に大腸菌より精製できることを明らかにしている。

 第3章ではRubisCOのSpecificity factor(VcKo/VoKc)の決定法について論じている。ホウレンソウ,中温性ラン藻Anacystis nidulans由来のRubisCOについて密閉系で酵素反応を行い酵素反応産物をイオンクロマトグラフィーで分離定量し,Specificity factorを求めたところ別法で出された既知の値とほぼ同一の値を得たことを示している。本方法は従来法に比べ,より簡便に短時間でSpecificity factorを求めることができるという点で優れていると論じ,さらに新たにSynechococcus a-1,海洋性水素細菌Hydrogenovibrio marinus由来のRubisCOのSpecificity factorも報告している。

 第4章ではH.marinus由来の3種のRubisCOの一次構造の比較について論じている。RubisCO遺伝子のクローニングを行い,塩基配列を明らかにし,本菌はform Iを2種(cbbLS-1,cbbLS-2),form IIを1種(cbbM)持つことを示した。アミノ酸配列の相同性はラージサブユニット同士についてはform Iとform IIでは約30%,form I同士では78%であり,スモールサブユニット同士については62%であった。一方,本菌の各RubisCOに対しては他生物由来のRubisCOでより相同性の高いものが見られ,また,水素細菌や化学独立栄養細菌の中には植物やラン藻のRubisCOに対するよりも更に相同性の低いものがあることを見いだし,生物の進化とRubisCOの相同性とは直接関係しないと推論している。

 第5章ではH.marinusの3種のRubisCOの発現調節について論じている。H2:O2:CO2=70:10:10,70:20:10,78:20:2の各条件で培養した菌体より無細胞抽出液を調製し,ウエスタンブロッティングとノーザン解析を行ったところ70:10:10,70:20:10の条件ではCbbMが大量に発現し,78:20:2とするとCbbMの発現量の減少とCbbLS-2の発現量の増加が見られた。さらに細胞内のRubisCO活性がH2:O2:CO2=70:10:10と70:20:10ではほぼ同じ値を示したが,炭素ガス濃度を2%とすると約2.5倍に上昇することを見いだしている。以上の結果よりH.marinusは外部環境の変化に対して炭酸固定能の異なる複数のRubisCOの発現調節を行い,細胞内のRubisCO活性を変化させることによって対応していると推論している。

 第6章では本研究のまとめを行い,生物炭酸固定に関する更なる知見の積み重ねは生物炭酸固定能の向上や作物の生産性向上に役立つものであると論じ,その第一歩としてRubisCOに関する新たな知見が得られたことは意義深いと結論づけている。

 以上,本論文は原核生物のRubisCOに着目して新たなSpecificity factorの測定法を開発するとともに,好熱性ラン藻Synechococcus a-1由来の熱安定性に優れたRubisCOの取得,海洋性水素細菌Hydrogenovibrio marinusの複数のRubisCOのアミノ酸配列を明らかにするとともに,外部環境変化に対する発現調節機構を明らかにしたもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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