学位論文要旨



No 111295
著者(漢字) 鄭,相民
著者(英字)
著者(カナ) ヂォン,サンミン
標題(和) 枯草菌における分泌および熱ショック応答遺伝子の解析
標題(洋) Analysis of the secretory genes and heat shock response in Bacillus subtilis
報告番号 111295
報告番号 甲11295
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1586号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 助教授 徳田,元
 東京大学 助教授 河村,富士夫
内容要旨

 枯草菌は、2つの点において興味深い研究対象である。その1つは胞子形成であり、その過程は細胞分化のモデル系として様々なレベルの研究が行われている。もう1つはグラム陽性細菌である枯草菌は多量の蛋白質を菌体外へと分泌することである。菌体外への蛋白質の分泌は、対数増殖後期に開始され、増殖定常期に最大になるという細胞増殖過程とも密接に関連した発現の調節を受けている.枯草菌の胞子形成は、栄養増殖細胞から定常期を経て胞子形成に至る生理的・形態的に大きな変化を伴う過程であるが、このような過程に細胞の重要な機能である蛋白質の分泌や熱応答システムがどのように関与しているかについてはほとんど分かつていない。

 大腸菌ではのsecY,secE,secAの3つの遺伝子がその分泌装置の主要部分を構成していることやリボソームで合成された前駆体の分泌蛋白質が、SecBやGroEなどのシャペロン蛋白質の介助を経て細胞膜上の分泌装置へと渡されることなどが明らかにされている。これに対し枯草菌ではsec遺伝子のホモログが胞子形成過程に関与している可能性が示されている。また枯草菌では胞子形成過程において熱応答パターンの変化が観察されており、シャペロンを含む熱ショック蛋白質が枯草菌に特有な質的・量的な変動を示すことが想定されている。一方、枯草菌などのグラム陽性細菌やシアノバクテリア等の多くの細菌では、大腸菌やその近縁の細菌で知られているような熱応答シグマ因子による熱ショック遺伝子群の発現誘導機構とは異なり、プロモーター領域近傍に存在するシスエレメント(熱ショックエレメント)が発現誘導に関与していることが示唆されている。本研究では、枯草菌secE,secYなどの分泌遺伝子ホモログの構造と機能ならびに非大腸菌型の熱ショック遺伝子の発現調節機構の解析を行うとともに、これらの遺伝子が栄養増殖細胞から定常期細胞を経て胞子形成に至る過程においてどのような機能を発揮するかについての考察を行った。

方法と結果<分泌遺伝子の解析>1。枯草菌のrplK遺伝子領域の単離と塩基配列の決定

 現在まで報告されている原核生物由来のsecY相同遺伝子の多くはリボソーム蛋白質遺伝子群の中にあることが分かっている。このことは、蛋白質合成系と膜透過系の遺伝子群の間には、両者が近接あるいは同一のオペロンを形成している必然性があるのではないかと考えられた。大腸菌のsec遺伝子がリボソーム遺伝子を含む領域に存在すること、リボソーム蛋白質遺伝子の構成が大腸菌と枯草菌では類似していることなどを考慮して、枯草菌のsec相同遺伝子のクローニングを試みた。まずチオストレプトン耐性がリボソーム蛋白質の突然変異によることを利用して、リボソーム蛋白質遺伝子群のクローン化を行った。チオストレブトン耐性を指標として、枯草菌DNAのライブラリの中からクローンを得た。塩基配列の決定を行い、既知の蛋白質のアミノ酸配列との比較などを行った結果、この領域にはspo0H-rpmG-nusG-rplK-rplAの順序で各(相同)遺伝子が並んでいることが分かった。またnusGとrpmG遺伝子の間には、59アミノ酸(6.9kd)の小さな蛋白質をコードし得るオープンリーディングフレーム(ORF)が存在することが分かり、これをorfEと呼ぶことにした。orfEによってコードされる蛋白質は、大腸菌のSecE蛋白質と部分的に相同性を示すこと、膜蛋白質によく見られる疎水性の強い領域が認められた。

2。枯草菌のsecE相同遺伝子の同定の解析

 枯草菌のorfEの機能を明かにするために、大腸菌secE遺伝子の低温感受性突然変異(secEcs501)を相補できるかどうかを調べた。その結果、orfE領域を含むプラスミドによって非許容温度条件でのsecEcs501株の増殖が回復することが認められた。次にorfE領域による低温感受性株の増殖が分泌機能(secE機能)の回復によるものかどうかを明かにするために、OmpA蛋白質前駆体のプロセッシングの有無を調べた。その結果、orfE領域を含むプラスミドの存在によってOmpA前駆体のプロセッシング能が回復することが分かった。従って、大腸菌のsecEcs501株は、枯草菌のorfE領域によってその分泌機能を回復したことになる。また35S-Metを用いたパルスーチェイス実験によっても、これを支持する結果が得られた。そこでorfEをsecE(相同)遺伝子と呼ぶこととした(2)。

 枯草菌のsecE相同遺伝子が増殖に必須であるかどうか確認するために次のような実験を行った。secE(orfE)遺伝子内に終止コドンが生じるような一塩基置換を人工的に導入し、このDNAを用いて形質転換を行った。もしこのような変異型secE遺伝子が導入されても増殖ができるとなるとこの遺伝子は増殖に必須ではないことになる。これに対し、増殖ができない場合には必須の遺伝子である可能性が高いことになる。コントロールのDNAとしては、同じ位置にアミノ酸レベルでの変化の起こらないような塩基置換を導入したものを用いて、同様の実験を行なった。その結果、コントロールのDNAによる形質転換体が一定の効率で生じるのに対し、終止コドンを入れたDNAでは全く形質転換体が生じないことが分かった。この結果は、枯草菌のsecEが必須遺伝子であることを強く示唆している。

3。枯草菌secE遺伝子の転写単位の解析

 枯草菌secE遺伝子周辺の遺伝子配置を見ると、nusG,rplK,rplAにおいては大腸菌と全く同様であるものの、secE上流域は遺伝子配置が異なることやsecEとnusGとの間に間隔があるなど大腸菌とは別の遺伝子発現機構が存在すると考えられた。まず、転写単位を調べるため、プライマー伸長法によりin vivo RNAを用い、secE周辺領域の転写開始点を決定した。リボソーム遺伝子のrplK,rplAの転写単位は大腸菌と一致した結果が得られた。しかし、大腸菌のsecEは抗転写終結因子をコードするnusGと転写単位を形成しているのに対し、枯草菌のnusGは明確な単一シグナルは検出できず複数のシグナルが見られた。一方、secEは上流に位置するrpmG遺伝子と同一の転写単位を形成していることがrpmGとsecEの相補配列を持つそれぞれのプライマーを伸長させることによって分かった。このことは枯草菌と大腸菌において少なくともsecEの転写はお互いに異なることを示している。さらに明確に調べるため、secE遺伝子の相補配列をプローブとしてノーザン解析を行なった。その結果、シグナルは弱いながらもrpmGとsecE遺伝子が同一オペロンの転写産物と思われるmRNAが検出できた(3)。

4。枯草菌secY遺伝子の機能解析

 枯草菌ではsecY遺伝子に生じた変異によって胞子形成が温度感受性になるような変異株(HR71)が得られている。この変異secY76は、SecY蛋白質のN末端から2番目の膜貫通ドメイン内のアミノ酸ProlineがLeucineに変わったものである。2xSG胞子形成培地で45℃→37℃にシフトダウンした場合はT0以前にシフトすればほぼ野生株に近い胞子形成頻度が得られる。一方、37℃→45℃にシフトアップした場合はT5以降にシフトすればもはや頻度の低下は見られなかった。即ち、このsecY76変異株はT0からT5の間、常温(37℃)にあれば、正常な胞子形成を行なうことが示唆された。胞子形成が異常になっていることから胞子形成開始の中心的役割を果たすspo0A遺伝子の発現にsecYが影響すると考えられた。HR71株におけるspo0A遺伝子の発現を調べた結果、野生株に比べて明らかに抑制されていることが分かった。さらに、細胞外転写促進因子の添加によって、spo0Aの発現および胞子形成ともに回復していた。(TIFA)

<枯草菌のシャペロン遺伝子の解析>1。枯草菌いおける熱応答現象とその解析

 大腸菌の熱ショック遺伝子群の発現誘導には、熱応答シグマ因子(32)誘導合成とその安定化によって起こることが明らかにされている。また32蛋白質の分解・安定化にはDnaK蛋白質が関与することが示されている。これに対し、枯草菌には32に相当するものが存在しないと言われており、32因子をもつRNAポリメラーゼ・ホロ酵素によって認識されるような熱応答プロモーターも存在しないと考えられてきた。熱応答現象自体は、あらゆる生物の普遍的に持つ現象であり、枯草菌においても通常の生理的な温度よりも高い温度に短時間さらすと特定の遺伝子群が誘導され、一過的に細胞が熱などに抵抗性を示すようになる熱応答現象が認められる。

 枯草菌における典型的な熱応答は49℃以上の温度で認められるが、この温度ではレボーターとしてよく用いられる大腸菌の-ガラクトシダーゼは本来の活性を発揮しない。そこで高い温度でも安定な酵素としてB.kaustophilus由来の-ガラクトシダーゼを用いることとした。代表的な熱応答遺伝子としてgroE遺伝子を選び、このプセモーター領域をその-ガラクトシダーゼ構造遺伝子に連結したような融合遺伝子を構築した。

 また枯草菌における熱応答現象に解析のために、GroELならびにDnaK蛋白質に対する抗体の作製を行った。いずれの蛋白質も大腸菌の大量発現系を用い、精製を容易にするためにC一末端に連続するヒスチジン残基を配した。これをニッケルNTAアガロースカラムで精製し、得られた蛋白質を用いて抗体の作製を行った。

2。枯草菌における熱応答遺伝子groEの発現

 groE遺伝子の制御領域と-ガラクトシダーゼ構造遺伝子との融合遺伝子を用いることにより、枯草菌の増殖過程における発現の様相を-ガラクトシダーゼの発現量を指標にして調べた。野生株を熱処理を行わない37℃で培養すると対数増殖期にはほとんど発現が認められない(25U/ml)が、対数増殖の終了点(T0)以降、胞子形成に入ると次第に発現量が増加し、対数増殖の終了後4時間目(T4)には350U/ml以上に達する。一方、49℃20分の熱処理後の熱応答を行った野生株の場合、対数増殖期(T-1)では、37℃培養のままの値の3倍程度の発現量の増加(熱誘導率)が見られるのに対し、T1-T1.5期では30倍以上の強い発現の誘導(1000U/ml)が観察される。発現量でみるとT2-T3期に一端中程度(300-400U/ml)に落ちるがT4期以降には再び800-900U/mlのレベルに戻る。但しT2期以降は、熱処理なしの条件での発現量も増加しているので、熱誘導率自体は2倍程度である。このように枯草菌では、対数増殖期以降の胞子形成期に入った時期に枯草菌に特有なgeoE遺伝子の発現が認められた。このような特異的なgroE遺伝子の発現と熱誘導パターンは、おそらく枯草菌の胞子形成過程と密接に関連しているものと考えられる。

3。胞子形成とgroE遺伝子の発現制御(4)

 胞子形成とgroE遺伝子の発現がどのように関連しているかを明らかにするために、胞子形成の初期過程が欠損した突然変異株中でのgroE遺伝子の発現の様相を、同じようにgroE-lac融合遺伝子を用いて調べた。spo0A変異株では、対数増殖期以降、-ガラクトシダーゼの発現量は、次第に増加するが、そのレベルは野生株の半分以下であった。これに対しspo0H変異株では、対数増殖期以降も発現量がほとんど増加しないことが分かった。49℃、20分の熱処理後の-ガラクトシダーゼの増加(熱誘導率)をみるとspo0A,spo0HのいずれにおいてもT0.5-T1-T1.5のおよそ1時間の間に比較的強い誘導が認められた。いずれの場合もこの時期の熱誘導による発現量の増加はこれらの胞子形成突然変異株では観察されなかった。

 次にGroEL蛋白質自体の変動を調べるためにGroEL抗体を用いたウェスタン・ブロットによる解析を行った。野生株では栄養増殖期、胞子形成期のいずれにおいても熱処理による蛋白質量の増加が認められたが、spo0H変異株ではT1.5以降の熱応答がほとんど認められないことが分かった。すなわち、野生株では胞子形成期に進行しても熱応答によるGroEL量の増加が起こるのに対し、spo0H変異株では低下することが分かった。これらの結果は、胞子形成初期(T0.5-T1.5)における熱処理に応じたgroE遺伝子の発現量の増加が胞子形成と無関係であることに対し、T2期以降のgroE遺伝子からの発現量の増加は胞子形成と関連していることを示している。

 また細胞内におけるシャペロン蛋白質のバランスの影響を調べるために、DnaK抗体を用いてDnaK蛋白質の定量を行ったところ、野生株では胞子形成期以降発現量が低下する(熱応答しない)のに対し、spo0株では増加すること、すなわちGroELとは逆の傾向を示すことが判明した。

4。主要シグマ因子によるgroE遺伝子の発現調節(5)

 groE遺伝子の発現は主要シグマ型(A)のRNAポリメラーゼにより転写されることが知られている。しかし、その転写開始点はおよそ31残基からなるステム・ループ構造の5’側に非常に接近していることから熱による物理的変化または転写に必要な因子が考えられた。本実験では、まず、熱による変化のみを調べるため、上記のステム・ループを含むgroEプロモーター断片と精製した枯草菌RNAポリメラーゼを用い、in vitro転写を行なった。その結果、in vitro反応系に熱ショックを与えた場合著しく発現が増幅された。このことはgroE遺伝子の発現制御において少なくとも転写因子を介しない一つの可能性を強く示唆するものと考えられた。

5。groE遺伝子のプロモーター領域の結合因子の検索

 一般に遺伝子の発現は複数の制御機構が存在する場合が多く、ステム・ループがその制御の一つの可能性を与えることは否定できないと考えられるため、それに結合する蛋白質の単離を試みた。枯草菌を胞子形成培地で培養した後、30-40%硫安画分を調製、ゲル濾過することにより結合活性のある画分を得た。DNA binding assayにはステム・ループ構造のみを含む49塩基の2重鎖DNAを用いた。そのDNAに対する特異的な結合を調べるためcompetition実験を行なった。反応系に、probeとして用いた断片と同じcold DNAを250倍加えた場合、結合が阻害されることが分かった。同様に非特異的DNAを同量用いた場合は結合の阻害が起こらないことが確認された。従って、この画分の中にはステム・ループに特異的に結合する蛋白質が存在すると考えられたので、DNA affinity columnを作製し、精製を進めた結果、弱いながらも結合活性があることが判明した。

 <考察>枯草菌の胞子形成の完結の鍵は胞子形成開始に集約され、胞子形成開始遺伝子であるspo0Aの発現促進に至る調節ネットワークはその中心と言える。枯草菌の分泌および熱ショック遺伝子と細胞分化との関連を探るにしてもこの機構との関わりを解明することが必要だと言えるだろう。本研究でもそれを究明するため、secEの突然変異による胞子形成欠損株の取得を試みたが得られなかった。ただし、secYにおいてはその変異株の取得ができ、TIFAの添加により胞子形成能が回復することから、分泌遺伝子はTIFAの生産あるいは機能発現の段階に関与していると考えられる。こうした結果は、胞子形成開始機構に蛋白質膜透過装置が関与しているという新しい知見を明らかにし、分子レベルで解析していくうえで役立つと思われる。一方、groE遺伝子の発現はspo0遺伝子との関連が本研究の結果で示唆されたので、熱ショック遺伝子が細胞分化に及ぼす影響に理解を与えたことになるだろう。なお、熱ショック遺伝子の制御に関わると思われる蛋白質の存在が判明したことは大腸菌以外の細菌の熱ショック応答機構の研究に新しい転機になると考える。

1)Temperature sensitive sporulation caused by a mutation in the Bacillus subtilis secY gene Journal of Bacteriology,June 1993,p.3656-3660 Hirofumi Yoshikawa,Sang Min Jeong,Aiko Hirata,Fujio Kawamura,Roy H.Doi,and Hideo Takahashi2)Isolation and characterization of the secE homologue gene of the Bacillus subtilis Molecular Microbiology(1993)10(1),133-142 Sang Min Jeong,Hirofumi Yoshikawa and Hideo Takahashi3) Transcriptional Analysis of the Bacillus subtilis secE gene region Sang Min Jeong, Hirofumi Yoshikawa and Hideo Takahashi(In Preparation)4) Temporal expression of Bacillus subtilis groE operon and differential regulation of heat shock response (In preparation)5)Stem and loop structure in the promoter region of Bacillus subtilis groE gene is essential for the repression of transcription in vitro(In preparation)
審査要旨

 枯草菌には,胞子形成という細胞分化を行うことと蛋白質を菌体外に分泌するという二つの特徴がある。また枯草菌では分泌や熱ショック遺伝子の発現が胞子形成と密接に関連して起こること,さらに枯草菌を始めるとする多くの細菌には大腸菌で知られているような特異的な熱ショック・シグマ因子を中心とした発現誘導ではなくて,熱ショック遺伝子のプロモーター近傍のシスエレメントが関与した発現誘導機構が存在することが示唆されている。本論文は,従来より十分な解析の行われていたい枯草菌の分泌ならびに熱ショック遺伝子の発現制御機構について,胞子形成との関連性を中心に解析を行ったものである。

 本論文は,分泌遺伝子に関する解析結果を述べた部分と熟ショッ遺伝子の発現制御についての解析結果を述べた部分とよりなり,全部で7章から構成されている。

 1,2章では枯草菌におけるsecE遺伝子ホモログのクローン化とその機能ならびに転写開始点の解析を行った結果について述べている。secE遺伝子ホモログは近接するチオストレプトン耐性遺伝子(rplKの突然変異)を指標としてクローン化され,その領域の塩基配列からspo0H-rpmG-nusG-rplK-rplAの順序であることが確認された。secE遺伝子は,最初nusGとrpmGの間に存在する59アミノ酸のORF(orfE)として認識され,次いで大腸菌secE突然変異(secE-ts)を相補し得ることからsecE遺伝子ホモログと同定された。またsecE遺伝子領域の転写開始点の解析からrpmGとsecEがオペロンを形成していることが示された。

 3章では胞子形成欠損となるsecY温度感受性突然変異(secY76)について解析した結果を述べている。温度シフト実験の結果などからsecY遺伝子が胞子形成初期遺伝子の一つであるspo0A遺伝子の誘導発現に関わっていることが示唆された。

 4章から7章までは,枯草菌における熱応答現象とその解析,熱応答遺伝子groEの発現制御と胞子形成,groE遺伝子のプロモーター領域に結合する因子の検索ならびに結合因子の解析などについて述べている。

 枯草菌における典型的な熱応答は49℃以上の温度で認められる。そこで高温安定性に優れたB.kaustophilus由来のガラクシダーゼの構造遺伝子(lacZ(B))をレポーターとした遺伝子発現解析系の構築を行った。groE遺伝子の制御領域とlacZ(B)との融合遺伝子を作成し,胞子形成条件ならびに胞子形成欠損条件における熱ショック遺伝子の誘導について解析した。またGroELならびにDnaK蛋白に対する特異抗体を用いて蛋白質レベルにおける発現も同時に調べた。その結果,野生株と胞子形成欠損株におけるgroEとdnaK遺伝子の発現バターンから,枯草菌には対数増殖期における熱ショック誘導と対数増殖期以降(習慣的に対数増殖期の終了時をT0とし,それ以降を時間ごとにT1,T2などと呼び,胞子形成の時間的経過と対応させている。)の胞子形成と関連した熱ショック誘導の2つが存在することが示された。またGro EL蛋白質が胞子形成期以降増加するのに対し,DnaK蛋白質は減少するという逆の関係にあることも明らかにされた。Gro ELやDnaKなどの代表的なシャペロン蛋白質が胞子形成期に特有の役割を担っていることが示唆されたことになり興味深い。

 次にgroEなど熱ショック遺伝子の上流制御領域に共通に存在するステムループ構造を取り得る配列(シスエレメント)の機能について調べた。熱ショック誘導に関わると考えられているシスレメントを含むgroE遺伝子の断片を用いてin vitroの転写実験を行ったところ,このエレメントの存在によって高い温度での転写反応が促進されることが示された。また枯草菌の菌体抽出液を用いてこのエレメントに特異的に結合する蛋白質因子の検索を行った。その結果,シスエレメントに特異的結合する蛋白質が存在することが分かり,その単離を行った。これらの結果は,枯草菌が対数増殖期と胞子形成期に対応する特有の熱ショック遺伝子の誘導発現は,熱ショック・シグマ因子を介してではなく,共通のシスエレメントとこれと特異的に結合する蛋白質因子の関与によって行われていることが示唆された。

 以上本論文は,従来より十分な解析の行われていなかった枯草菌の分泌ならびに熱ショック遺伝子とそれらの発現制御機構の解析を行ったものであり,基礎ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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