学位論文要旨



No 111298
著者(漢字) 臼井,健郎
著者(英字)
著者(カナ) ウスイ,タケオ
標題(和) プロテインキナーゼ阻害剤による細胞周期の脱制御に関する研究
標題(洋) Studies on the cell cycle uncoupling induced by protein kinase inhibitors
報告番号 111298
報告番号 甲11298
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1589号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 福井,泰久
内容要旨

 真核生物の細胞周期はDNA合成期であるS期と細胞分裂を行なうM期、およびそれぞれの準備期であるG1、G2期から成り立っており、増殖期の細胞はこの周期を回って遺伝的に等価な二つの娘細胞に分裂する。この細胞周期の中でDNA複製はS期で過不足なく一回だけ行なわれ、分裂を経なければ次のS期に入ることはなく、また未複製のDNAや損傷DNAが存在している場合、複製あるいは修復が完了するまでは次の細胞分裂へと進行しない。このようなDNA再複製ブロック制御や未成熟分裂阻害機構はチェックポイントと呼ばれ、ゲノムの倍数性を維持するために不可欠であり、もっとも基本的な細胞周期調節機構の一つである。細胞周期のG1、G2期には様々なプロテインキナーゼ(PK)による制御系が存在することが明らかになっており、事実強力なPK阻害剤であるスタウロスポリン(STS)がラット正常線維芽細胞3Y1の細胞周期の進行をG1、G2期で特異的に阻害することが明らかになっている。本研究はSTSとその類縁のPK阻害剤であるK-252aを用いてM期を完全に欠いた細胞周期の誘導による細胞の多倍数化が可能であること、さらにS期停止細胞に未成熟分裂を誘導出来ることを示し、S期とM期の共役機構にある種のPKが関与することを明らかにしたものである。

1.K-252aとSTSによる細胞の倍数化(1)動物培養細胞の倍数化

 K-252aの細胞周期への影響を調べるために正常線維芽細胞3Y1細胞をS期に同調し、細胞周期を再開させるとともにK-252aを培地に添加してDNA含量の変化をフローサイトメトリーを用いて解析した。K-252aで処理した細胞は一回目のDNA合成を終了しても分裂期に入らず、8時間のラグの後次のDNA合成が誘導され、48時間後には8CのDNA含量をもつ細胞が蓄積した。この8時間のラグは代謝阻害剤(シクロヘキシミド、アクチノマイシンD)との共存実験により、機能的なG1期に相当することが示された。さらに細胞周期進行に直接関与することが知られているCyclin依存性キナーゼ(Cdk)の活性変動をヒストンH1を基質として調べたところ、M期で起こるはずの強力な活性化がK-252a存在下では認められず、S期に対応する時期にのみ弱い活性が観察された。以上のことからK-252aは細胞周期のG2期でその進行を阻害し、そのG2停止の間にG1期へ移行させることによりM期を完全に失った細胞周期を誘導し、細胞を倍数化させることが明らかになった。このような倍数化の誘導は調べたかぎりすべての細胞で認められ、特に3Y1細胞をv-srcによってトランスフォームしたSR-3Y1細胞では48時間後に32CのDNA含量をもつ細胞が蓄積するなど、一般にトランスフォーム細胞で著しい巨大核化が認められた。

 一方STSは3Y1の細胞周期進行をG1、G2期で可逆的に阻害するが、いくつかのがん遺伝子やDNAウィルスによってトランスフォームされた細胞ではG1期停止が起こらず、倍数化が引き起こされることを見いだした。3Y1細胞と3Y1をv-srcでトランスフォームしたSR-3Y1細胞を用いてGdkの活性を調べたところ、SR-3Y1細胞では3Y1細胞と異なりSTS添加によりG1/S期進行に必須なCyclinA依存性キナーゼの活性が上昇していることが明らかとなった。このことは細胞のがん化によりCyclinA/cdk2のSTS感受性が変化していることを示している。

 このようなSTSに対する正常細胞とトランスフォーム細胞の応答の差異を利用すれば、新しいがんの化学療法も可能であると考えられる。すなわち低濃度のSTSを前処理することにより正常細胞はG1期で停止するが、がん細胞は細胞周期を回るためその時点でS期やM期を標的とした抗がん剤を加えることによりがん細胞が選択的に攻撃できると考えられる。実際に3Y1細胞とSR-3Y1細胞を用いて検討したところ、ヒドロキシウレアやコルセミド等との共存によりSR-3Y1細胞の選択的な細胞死が観察された。

(2)STS、K-252aの酵母に対する作用と感受性変異株の分離

 下等真核生物である分裂酵母Schizosaccharomyces pombeに対するSTS、K-252aの作用を調べたところ、動物細胞の場合と同様にSTSでは細胞周期の停止、K-252aでは倍数化が観察された。このことはDNA再複製ブロックに関与するPKが真核生物全体で共通していることを示唆している。K-252aに対する超感受性変異株の分離したところ、すべて劣性の3つの相補群に分かれた。これらの変異株においては、野生株では倍数化が誘導されないような低濃度のK-252aにより倍数化が誘導されたが、STSに対する感受性は変化しなかった。従ってこれらの変異株はDNA再複製ブロック機構が変異し、K-252a特異的に感受性になった株であると考え、ucm(uncoupled cell cycle without mitosis)変異株と命名した。ucm変異株にK-252a耐性を賦与する遺伝子を、野生株から作成したゲノムライブラリーを用いてクローン化した。この中から多剤耐性遺伝子をさける意味でレプトマイシンBと交差耐性を示すものを排除したところ、得られたクローンはすべてサプレッサー遺伝子であった。このうち2つの新規遺伝子sks1+、sks2+(sks:suppressor of K-252a-sensitive)について解析を行った。

(2)-i sks1+遺伝子の解析

 ucm2、ucm3変異株に同時に耐性を賦与する遺伝子として得られたsks1+遺伝子を含むプラスミドpK21をサブクローニングし、塩基配列の決定を行った。sks1+遺伝子は308アミノ酸からなる蛋白質をコードしており、ホモロジー検索の結果、線虫CaenorhabditiselegansのF37A4.5遺伝子産物や、マウスとDrosophilaのMov34遺伝子産物と相同性を示した。遺伝子破壊の結果、本遺伝子は生育に必須であった。本遺伝子をマルチコピーで導入したS.pombe野生株はK-252aのほか、バナジン酸やシクロヘキシミド等に対しても耐性を示したことから本遺伝子は多剤耐性を賦与する遺伝子であることが明らかとなった。この耐性は抗がん剤耐性として有名なP糖蛋白のホモローグをコードするS.pombeの多剤耐性遺伝子pmd1+を破壊した株においても観察されたことから、pmd1+遺伝子産物を介さない耐性機構がS.pombeに存在することが示唆された。

(2)-ii sks2+遺伝子の解析

 ucm1変異株に弱い耐性を賦与する遺伝子として得られたsks2+遺伝子を含むプラスミドpK11をサブクローニングし、塩基配列の決定を行った。sks2+遺伝子は612アミノ酸からなる蛋白質をコードしており、ホモロジー検索の結果バクテリアから動物まで広く保存されているHSP70 familyの蛋白質と高い相同性を示した。このことはsks2+遺伝子産物がストレス応答を介してK-252a耐性を賦与する可能性を示唆している。

(2)-iii ucm1変異株の解析

 ucm1変異株はK-252aに対する感受性が野生株の10倍上昇した株である。ucm1+遺伝子は遺伝学的解析の結果、多コピーでbrefeldinA(BFA)に対する耐性を賦与する遺伝子として東京大学農芸化学科微生物学研究室で分離された多剤耐性遺伝子bfr1+遺伝子から1cM以下の距離という遺伝学上ほぼ同一の遺伝子座にマップされた。bfr1+遺伝子破壊株を用いてK-252a感受性を検討したところucm1変異株とほぼ同様の感受性が観察され、またucm1変異株はbfr1+遺伝子破壊株と同程度のBFA感受性を示した。以上の結果からucm1+遺伝子はbfr1+遺伝子と同一であると判断された。

 pmd1+の破壊株は、K-252aに対する感受性が野生株の2倍に上昇することが知られている。そこでpmd1+/bfr1+二重遺伝子破壊株を作成したところK-252aに対する感受性が野生株の100倍以上上昇した超感受性株が得られた。現在この株を用いてK-252a耐性変異とともに温度感受性または低温感受性,が連鎖している変異株を分離・解析している。

2.STS、K-252aによる未成熟分裂とアポトーシスの誘導

 一般にDNA複製を阻害された細胞はM期へと進行しないが、ある種のチェックポイント変異株やカフェインにより未成熟分裂と呼ばれるM期へと進行することが知られている。DNA再複製ブロック機構というチェックポイント制御を阻害するK-252aやSTSが、未成熟分裂を誘導できるかどうかを検討した。S期に集めたCHO細胞にSTS、K-252aを添加したところ、直ちにcdc2キナーゼの活性化、染色体凝縮、紡錘体形成が起こり、未成熟分裂が誘導された。一方同様の実験を3Y1細胞で行ったところ、高度な染色体凝縮が観察されたものの未成熟分裂は誘導されなかった。この現象は電顕観察からプログラムされた細胞死として知られるアポトーシスの誘導によるものと考えられた。このときcdc2キナーゼの活性が観察されなかったことからアポトーシスでは未成熟分裂とは異なる染色体凝縮機構が存在することが示唆された。

図表
3.まとめと考察

 本研究によってPK阻害剤K-252a、STSがM期を完全に欠いた細胞周期が誘導可能であること、DNA再複製ブロック機構には酵母から動物細胞まで保存されたPKが関与していることが明らかになった。特にSTSにトランスフォーム細胞に対しG1期停止活性を示さず、倍数化を誘導するという選択性が認められたことは、がん化によってG1期の制御機構およびDNA再複製ブロック機構に変化が生じることを示している。このような正常細胞とがん細胞を見分ける活性を利用して、既存の抗がん剤との併用によりin vitroでがん細胞をより選択的に殺すことができた。このような方法は今後、臨床的に重要な知見になると考えられる。

 ucm変異株を用いた遺伝学的な解析からはDNA再複製ブロック機構に関わるPKを同定するには至っていないが、その過程でK-252a感受性に関与する2つの新規遺伝子sks1+、sks2+を得ることができた。sks1+遺伝子産物は多コピーで多剤耐性を付与するが、今まで取得されているような多剤耐性遺伝子とは相同性がなくその耐性賦与機構には興味が持たれる。またsks2+遺伝子産物はHSP70familyの一つであり、薬剤耐性の一つの機構としてストレス応答を介する機構があることを示している。またpmd1+/bfr1+二重遺伝子破壊株が超感受性株であることが明らかとなったので、今後これを利用した耐性変異株の解析からのアプローチも可能となった。

 またSTS、K-252aとS期進行を阻害する薬剤を共存させることにより未成熟分裂の誘導が観察された。このことはS期とM期を互いに共役させる上でPKが重要の役割を果たしていることを示している。

審査要旨

 真核生物の細胞周期の中でDNA複製は過不足なく一回だけ行なわれ,分裂を経なければ次のS期に入ることはない。また損傷DNAが存在している場合,複製あるいは修復が完了するまでは次の細胞分裂へと進行しない。このようなDNA再複製ブロック制御や未成熟分裂阻害機構はゲノムの倍数性を維持するために不可欠な,最も基本的な細胞周期調節機構の一つである。G1,G2期には様々なプロテインキナーゼ(PK)による制御系が存在し,PK阻害剤であるスタウロスポリン(STS)は3Y1細胞周期進行をG1,G2期で特異的に阻害する。本論文はSTSとその構造類縁体のPK阻害剤K-252aを用いてM期を完全に欠いた細胞周期の誘導による細胞の多倍数化が可能であること,さらにS期停止細胞に未成熟分裂を誘導出来ることを示し,S期とM期の共役機構にある種のPKが関与することを述べている。

1.K-252aとSTSによる細胞の倍数化

 K-252aの細胞周期への作用を3Y1細胞を用いて解析した。K-252a処理細胞は一回目のS期を終了してもM期に入らず,8時間のラグの後次のS期に進行した。この8時間のラグは血清刺激が必要な機能的なG1期に相当し,M期で起こるはずの強力なCdc2キナーゼの活性化がK-252a存在下では見られなかったことから,K-252aは細胞周期のG2期の進行を阻害し,その間にG1期へ移行させることによりM期を完全に失った細胞周期を誘導し,細胞を倍数化させることが示された。倍数化は調べたかぎりすべての細胞で認められた。一方STSは3Y1の細胞周期進行をG1,G2期で可逆的に阻害するが,多くのトランスフォーム細胞ではG1期停止が起こらず,倍数化が誘導されることを見いだした。このようなSTSに対する正常細胞とトランスフォーム細胞の応答の差異を利用した新しいがんの化学療法が考えられ,実際に抗がん剤との共存によりトランスフォーム細胞の選択的な細胞死が観察された。

 分裂酵母Schizosaccharomyces pombeにK-252aを処理したところ,動物細胞と同様な倍数化が観察された。K-252aに感受性となったucm変異株を分離し,これらの変異株にK-252a耐性を賦与する新規遺伝子sks1+,sks2+が得られた。sks1+遺伝子はucm2,ucm3変異株に同時に耐性を賦与する遺伝子で,Caenorhabditis elegansのF37A4.5遺伝子産物と相同性を示した。また本遺伝子は生育に必須な,多剤耐性を賦与する遺伝子であった。sks2+遺伝子はucm1変異株に弱い耐性を賦与する遺伝子で,HSP70蛋白と高い相同性を示した。ucm1+遺伝子は多剤耐性遺伝子bfr1+と遺伝学上同一の遺伝子座にマップされ,bfr1破壊株のK-252a感受性及びucm1変位株のBrefeldin A感受性から,ucm1+遺伝子はbfr1+遺伝子と同一であると判断された。またpmd1/bfr1二重破壊株は野生株の100倍以上のK-252a感受性を示した。

2.STSによる未成熟分裂の誘導

 STSが未成熟分裂を誘導できるかどうかをS期に集めたCHO細胞を用いて検討したところ,直ちにCdc2キナーゼの活性化,染色体凝縮が起こり,未成熟分裂が誘導された。

3.プロテインキナーゼ阻害剤の細胞周期研究への応用

 本研究によりK-252a,STSがM期を完全に欠いた細胞周期が誘導可能であり,DNA再複製ブロック機構には酵母から動物細胞まで保存されたPKが関与していることが明らかになった。特にSTSにトランスフォーム細胞に対し選択性が認められたことは,がん化によってG1期の制御機構及びDNA再複製ブロック機構に変化が生じることを示している。またucm変異株の解析で新規遺伝子sks1+,sks2+を得ることができた。sks1+遺伝子産物は多コピーで多剤耐性を付与するが,今まで取得されている多剤耐性遺伝子とは相同性がなくその耐性賦与機構は興味が持たれる。またsks2+遺伝子産物はHSP70の一つであり,薬剤耐性機構にストレス応答を介する機構があることを示している。またpmd1/bfr1二重遺伝子破壊株が超感受性株であることから,今後これを利用した耐性変異株の解析が可能である。またSTS,K-252aとS期進行を阻害する薬剤を共存させることにより未成熟分裂の誘導が観察された。このことはS期とM期を互いに共役させる上でPKが重要の役割を果たしていることを示している。

 以上,本論文は動物細胞及び真核微生物の細胞周期に研究に,K-252aやSTS等のプロテインキキナーゼ阻害剤が有用であることを示し,これを用いていくつかの新しい知見を述べており,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文に値すると認めた次第である。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54471