内容要旨 | | 有機合成化学により作り出された人工合成化合物は非常に安定で、微生物による分解を受けにくく環境中に蓄積されてきた。しかし、近年この様な難分解性化合物を唯一の炭素源として資化する微生物が単離され、その代謝経路の解明や分解に関与する遺伝子,酵素の解析が行なわれてきた。本研究室では、人工合成化合物を分解する細菌の遺伝子構造の解析を目的に、ポリ塩化ビフェニル(PCB;polychlorinated biphenyl)を分解する細菌の単離,解析を行なってきた。スクリーニングにより、土壌中からPseudomonas sp.KKS102とPseudomonas fluorescens KKL101の2種類の菌からなる、PCBを強力に分解する混合培養系を得た。この2種類の菌のうちKKS102がPCBを分解し、KKL101は何等かの生育因子を放出することにより、両者が共生的にPCBを分解することが明らかにされた。 PCB分解菌による分解生成物質の解析を行なうことにより、PCB生分解経路と分解遺伝子(bph遺伝子)は以下の様に示された。最初の反応は、biphenyl dioxygenase(bphA遺伝子がコード)の作用により酸素分子が塩素置換の少ない環の2,3-位に導入され、dihydrodiol化合物に酸化される。biphenyl dioxygenase系はiron-sulfur protein(bphA1,bphA2遺伝子がコード)の他に、ferredoxin(bphA3遺伝子がコード),ferredoxin reductase(bphA4遺伝子がコード)から成る電子伝達系を形成している。dihydrodiolはdehydrogenase(bphB遺伝子がコード)により脱水素されて2,3-dihydroxybiphenylに変換される。次いで、2,3-dihydroxybiphenylの1,2-位結合がdioxygenase(bphC遺伝子がコード)により開裂(meta開裂)し、黄色化合物である2-hydroxy-6-oxo-6-phenylhexa-2,4-dienoic acidが生成する。さらに、このmeta開裂物質はhydrolase(bphD遺伝子がコード)により加水分解され、塩化安息香酸と2-hydroxypenta-2,4-dienoateに変換される。 PCB分解菌P.sp.KKS102についてもbph遺伝子の解析を行なった結果、bphA1A2A3BCD遺伝子が得られ、これらの遺伝子はクラスターを成していた。しかし、KKS102のbph遺伝子からは、biphenyl dioxygenaseの電子伝達系を構成しているferredoxin reductaseをコードしているbphA4遺伝子を見いだすことができなかった。また、これらのbph遺伝子により生成した塩化安息香酸や2-hydroxypenta-2,4-dienoateからTCA回路に入るまでの代謝経路に関与する遺伝子については明らかになっていなかった。 以上の様な背景の下に、本論文では、解明されてないbph遺伝子やbph遺伝子の転写制御因子の解析を行ないbph遺伝子群の構造を明らかにすると共に、共生菌P.fluorescens KKL101との共生関係についても検討を行なった。 第1章.biphenyl dioxygenase活性に必要なferredoxin reductase遺伝子(bphA4)の単離とその機能の解析 これまでの研究において、P.sp.KKS102のbph遺伝子を解析した結果、biphenyl dioxygenaseの電子伝系を構成しているferredoxin reductaseをコードするbphA4遺伝子を見いだすことはできなかった。そこで、解析を終えているbph遺伝子とその上流あるいは下流を含むプラスミドを作製し、E.coli内で発現させ、biphenyl dioxygenase活性によるindigoの生成を指標にしてbphA4遺伝子の単離を試みた。 その結果、bph遺伝子とその下流域を含むプラスミドにおいてindigoの生成が見られたことから、bphD下流,約2.4kbについて塩基配列の決定を行なった。その結果、この領域にこれまでに明らかになっているbph遺伝子と同じ方向に、2つの有意な大きさのopen reading frame(ORF1,ORF2)が見いだされた。ORF1,ORF2をE.coli内で大量発現させ、sodium dodecyl sulfate-polyacrylamide gel electrophoresis(SDS-PAGE)によりタンパクの解析を行なった結果、ORF1,ORF2より予想されるアミノ酸とほぼ同じ分子量のタンパクが発現していることが確認された。ORF1より予想されるアミノ酸配列と有意な相同性を示すタンパクは見いだせなかったが、ORF2より予想されるアミノ酸配列は、他の芳香族化合物のdioxygenase電子伝達系のferredoxin reductaseと相同性を示した。また、予想されるアミノ酸配列には、TodA(toluene dioxygenase系のferredoxin reductase)で推定されているFAD(flavin adenine dinucleotide),NAD(nicotinamide adenine dinucleotide)結合部位の相同配列が見られた。 ORF2タンパクのferredoxin reductase活性を確認するため、ORF2をbphA1A2A3BC遺伝子と共にE.coli内で発現させ、その粗酵素抽出液のcytochrome c還元活性の測定を行なった。その結果、NADPHを補因子として用いた場合、cytochrome c還元活性はコントロールと同じレベルであった。しかし、NADHを補因子として用いた場合は、(ORF2)bphA1A2A3BCを有するプラスミドを発現させたE.coliの粗酵素抽出液では、コントロールの11.4倍,bphA1A2A3BCD(ORF1,ORF2)を有するプラスミドを発現させた場合では、コントロールの7.1倍の還元活性を示した。NADHを補因子として還元活性を示すことは、ORF2より予想されるアミノ酸配列において、NAD結合部位の相同配列が見られたことと一致している。この結果は、ORF2がKKS102におけるbiphenyl dioxygenaseのferredoxin reductaseをコードしていることを明確に示しているため、ORF2をbphA4と命名した。 本章の結果より、bphA4遺伝子はbphA1A2(iron-sulfur protein),bphA3(ferredoxin)遺伝子と3.5kb離れて存在していることが明らかになった。しかし、芳香族化合物のdioxygenaseを構成する3つのコンポーネント(terminal oxygenase,ferredoxin,ferredoxin reductase)の遺伝子は、全てクラスターを成していることが報告されている。このため、P.sp.KKS102のbiphenyl dioxygenase遺伝子の遺伝子構造は、極めて珍しい構造をしていることが明らかになった。 第2章.2-hydroxypenta-2,4-dienoateの代謝に関与している遺伝子(bphE,bphG,bphF)の単離とその機能の解析 これまでの研究において、P.sp.KKS102のbph遺伝子の転写開始点について検討を行なった結果、bphA1より約3.5kb上流から転写が起こることが明らかになった。そこで、bphA1の上流域の塩基配列の決定を行なった結果、これまでに明らかになっているbph遺伝子と同じ方向に、4つの有意な大きさのORFが見いだされた。最も上流のORFより予想されるアミノ酸配列は、2-hydroxypenta-2,4-dienoate hydratase(HPH)と、2番目のORFではacetaldehyde dehydrogenase(acylating)(ADA)と、3番目のORFでは4-hydroxy-2-oxovalerate aldolase(HOA)と高い相同性を示した。以上の結果より、これらのORFは2-hydroxypenta-2,4-dienoateの代謝に関与する遺伝子として、上流よりbphE,bphG,bphFと命名した。さらに、4番目のORF(ORF4)は、他のPCB分解菌の機能不明なORFと相同性を示した。bphE,bphG,bphF,ORF4をE.coli内で大量発現させ、SDS-PAGEによりタンパクの解析を行なった結果、それぞれの遺伝子あるいはORFより予想されるアミノ酸とほぼ同じ分子量のタンパクが発現していることが確認された。 また、bphE,bphG,bphF,ORF4をE.coli内で発現させた粗酵素抽出液を用いて、それぞれの酵素活性について測定を行なった。その結果、bphEではHPH,bphGではADA,bphFではHOAの酵素活性を示すことが明らかになった。ORF4はいずれの酵素活性も示さなかった。さらに、P.sp.KKS102をビフェニルで誘導させた粗酵素抽出液についても、これらの酵素活性の測定を行なった結果、すべての酵素活性を示した。 第1章,第2章の結果より、P.sp.KKS102のbph遺伝子の並びは、bphEGF(ORF4)A1A2A3BCD(ORF1)A4となった(Fig.2)。bphEGF(ORF4)のGC含量は63.5%,(ORF1)bphA4のGC含量は63.7%であった。この値はbphA1A2A3BCDをコードしている領域の値(62.0%)とほぼ同じであった。また、ORF4とbphA1の間や、bphDとORF1との間には明らかな転写終結配列(例えばstem-and-loop構造)は存在しなかった。また、bphEの上流には54の認識配列と相同な配列が見られることや、第1章で示した様に、bphA1A2A3BCD(ORF1)A4を有するプラスミドを発現させたE.coliの粗酵素抽出液はcytochrome c還元活性を示すことから、10のbph遺伝子と2つのORFは1つの転写単位であると考えられる。 第3章.bph遺伝子群の転写制御遺伝子(bphR)の単離とその機能の解析 これまでの研究において、P.sp.KKS102のbph遺伝子の転写制御について解析を行なった結果、ビフェニルによりbph遺伝子は誘導発現を受けていることが確認された。さらに、転写制御因子をコードする遺伝子はbph遺伝子群の下流に存在することが示唆されたことから、bphA4の下流,約1.2kbの塩基配列の決定を行なった。その結果、bphA4より約290bp下流に、これまでに明らかになっているbph遺伝子群と同じ方向に、1つの有意な大きさのORFが見いだされた。その予想アミノ酸配列は、転写制御因子の1種であるLysRファミリータンパクと相同性を示した。このORFより予想されるアミノ酸配列には、LysRファミリータンパクで予想されているDNA結合部位,すなわちhelix-turn-helix motifと相同な配列が見られたことから、bph遺伝子群の転写制御因子をコードしていることが予想されたためbphRと命名した。bphR遺伝子産物の転写制御因子としての機能について解析を行なった結果、negative regulatorである可能性が示唆された。 第4章.P.sp. KKS102によるPCB分解におけるP.fluorescens KKL101の役割についての検討 P.sp.KKS102によるビフェニル,PCB分解では安息香酸,塩化安息香酸が放出されるが、KKS102には安息香酸,塩化安息香酸の分解能はなく、塩基配列決定においても安息香酸,塩化安息香酸の分解に関与すると考えられる遺伝子は見いだされなかった。そのため、共生菌であるP.fluorescens KKL101は、KKS102のビフェニル,PCB分解により放出される安息香酸,塩化安息香酸の分解に関与しているのではないかと予想された。そこで、KKL101の芳香族化合物の分解性について調べた。その結果、KKL101は安息香酸資化性菌であることが示された。KKL101は、KKS102に生育因子を与えると共に、KKS102から安息香酸を得ることにより共生関係を形成していることが明らかになった。また、KKL101は塩化安息香酸の分解性を示さなかったことから、KKS102,KKL101の混合系はビフェニル分解を主として形成されたものと推定される。 まとめ. 以上の結果より、P.sp.KKS102のPCB分解経路,PCB分解遺伝子(bph遺伝子)の構造が明らかになった(Fig.1,2)。本研究により、ビフェニル,PCB分解菌のすべてのビフェニル分解経路,分解遺伝子を、初めて明らかにすることができた。bph遺伝子は、10の遺伝子と2つのORFがクラスターを形成していると共に、遺伝子の並びが他のPCB分解遺伝子と異なる特異な構造をしていることが示された。本研究により解明されたbph遺伝子およびその構造は、難分解性化合物分解菌における分解遺伝子の進化,遺伝子構造の形成過程を考える上で、大きな手掛かりになると思われる。 図表Fig.1 Proposed catabolic pathway for degradation of biphenyl/PCBs in Pseudomonas sp.KKS102. / Fig.2 The structure of the bph region on the genome of Pseudomonas sp.KKS102. |
審査要旨 | | 人類が有機合成化学により創りだした化学物質や疎水性の有機溶媒は,微生物による分解・代謝を受けにくい化合物である。この様な難分解性化合物を唯一の炭素源として生育する細菌が見いだされ,代謝経路・分解に関与する酵素あるいはそれをコードする遺伝子に関心が持たれた。当研究室では,難分解性化合物としてポリ塩化ビアェニル(PCB)に着目し,土壌中よりPseudomonas sp.KKS102,Pseudomonas fluorescensKKL101から成るPCBを強力に分解する混合培養系を得た。PCB分解菌であるKKS102より,PCB分解遺伝子(bph遺伝子)の一部を単離し,6つの遺伝子(bphA1A2A3BCD)がクラスターを成す遺伝子構造を明らかにした。本研究では,KKS102のビフェニル・PCB分解に関与する遺伝子をすべて単離・解析し,全代謝経路・遺伝子構造を明らかにすると共に,共生菌であるKKL101のビフェニル・PCB分解における役割を明らかにしたものである。 第一章では,biphenyl dioxygenase電子伝達系のferredoxin reductaseをコードする遺伝子(bphA4遺伝子)の単離・解析について述べている。oxygenaseをコードする遺伝子のクローニングにしばしば用いられるindigoの蓄積を指標にして,bphA4遺伝子の探索を行なった。その結果,bphDの下流域によって,biphenyl dioxygenase活性が相補されるため,この下流域約2.4kbの塩基配列を決定した。塩基配列の解析により,2つのopen reading frame(ORF1,ORF2)が見いだされ,下流のORF2より予想されるアミノ酸配列は,4つの芳香族化合物dioxyenase系のferredoxin reductaseと相同性を示した。ORF2を発現させたE.coliの粗酵素抽出液は,cytochrome c還元活性を示したことから,biphenyl dioxygenase電子伝達系のferredoxin reductaseをコードしていることが明らかとなり,ORF2をbphA4と命名した。ORF1の機能は不明である。 第二章では,2-hydroxypenta-2,4-dienoateの代謝に関与する遺伝子の解析を行なった。以前に行なったbph遺伝子の転写の研究により,bphA1の上流に何等かのビェニル・PCBの代謝に関与する遺伝子の存在が示唆されていたため,bphA1の上流約4kbの塩基配列を決定した。塩基配列の解析により,その領域に4つのORFが見いだされた。それぞれのORFより予想されるアミノ酸配列について相同配列の検索を行なった結果,最も上流のORFは,2-hydroxypenta-2,4-dienoate hydrataseと,2番目のORFはacetaldehyde dehydrogenase(acylating)と,3番日のORFは4-hydroxy-2-oxovalerate aldolaseと高い相同性を示した。このため,これらのORFは2-hydroxypenta-2,4-dienoateの代謝に関与する遺伝子であることが予想されたため,これらを上流よりbphE,bphG,bphFと命名した。さらに,4番目のORF(ORF4)は,他のPCB分解菌の機能不明なORFと高い相同性を示した。bphE,bphFそれぞれを発現させたE.coliの粗酵素抽出液では2-hydroxypenta-2,4-dienoate hydratase,acetaldehyde dehydrogenase(acylating),4-hydroxy-2-oxovalerate aldolase活性を検出することができた。さらに,ビフェニルで誘導をかけたP.sp.KKS102の粗素抽出液でも,これらすべての酵素活性が検出された。第一章・二章の結果より,ビフェニル・PCBの全代謝経路が初めて明らかとなり,代謝に関与するbph遺伝子が巨大なクラスターを成す構造(bphEGF(ORF4)A1A2A3BCD(ORF1)A4)が解明された。KKS102と他のPCB分解菌とのbph遺伝子を比較した結果,遺伝子の相同性は高いにも関わらず,遺伝子構造に多くの違いが見られたため,bph遺伝子群の形成にはrecombination,rearrangement等が起こったことが予想される。 第三章では,bph遺伝子群の転写制御因子をコードしていることが予想されるbphR遺伝子の解析を試みた。以前の研究において,bph遺伝子の転写制御因子をコードする遺伝子は,bph遺伝子群の下流に存在することが示唆されていたため,bphA4遺伝子の下流約1.2kbの塩基配列を決定した。その結果,bphA4より約290bp下流に1つのORFが見いだされた。このORFより予想されるアミノ酸配列は,転写制御因子であるLysRファミリータンパクと相同性を示し,LysRファミリータンパクで予想されているDNA結合部位(helix-turn-helix motif)と相同な配列が見られる。このため,このORFはbph遺伝子群の転写制御因子をコードする遺伝子であることが予想されたため,これをbphRと命名した。bphR遺伝子産物の機能を明確にすることはできなかったが,bph遺伝子群の上流にプロモーターが存在する可能性が示唆された。 第四章では,P.sp.KKS102の共生菌として単離されたP.fluorescensKKL101のビフェニル・PCB分解における役割について解析を行なった。KKS102によるビフェニル・PCBの代謝で放出される(塩化)安息香酸の分解には,KKL101が関与していることが予想されたため,KKL101の様々な芳香族化合物の分解性について調べた。その結果,KKL101は安息香酸でのみ増殖が見られ,安息香酸資化性菌であることが明らかとなった。このため,KKL101はKKS102に生育因子を与えると共に,KKS102より安息酸を炭素源として得るという共生関係にあることが明らかになった。 以上本論文では,PCB代謝に関与する遺伝子群について詳細に解析を行っており,これは学術上,応用上貢献するところが少なくない。 よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。 |