学位論文要旨



No 111301
著者(漢字) 重松,亨
著者(英字)
著者(カナ) シゲマツ,トオル
標題(和) Azospirillum lipoferumの窒素固定遺伝子の構造と機能の解析
標題(洋) Studies on Structure and Function of nitrogen fixing genes of Azospirillum lipoferum
報告番号 111301
報告番号 甲11301
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1592号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 正木,春彦
内容要旨

 イネ根圏に共生する窒素固定細菌を応用して化学窒素肥料と置き換えようという試み、即ち「生物窒素肥料」の開発は、経済的ならびに環境的な観点より、現在の農業における極めて重要な課題である。

 Klebsiella oxytoca,A.lipoferumなどの窒素固定細菌がイネ根圏より分離同定されている。K.oxytocaはグルコースを好んで資化し嫌気的条件で窒素固定を行う細菌であり、A.lipoferumはマレートなどの有機酸を好み微好気的条件で窒素固定を行う。この両菌における至適窒素固定条件の違いは、これらの細菌がイネ根圏においてもミクロな棲み分けを行いつつアンモニアを供給している可能性を示しており、また両菌における窒素固定制御系の差異を示唆するものである。従って、イネ根圏における強力な生物窒素固定系を確立するためには、この2種の細菌の窒素固定能を改良して共に用いることが必要であり、両菌における窒素固定制御機構の差異すなわち酸素分圧あるいは窒素源の有無といった環境情報が両菌の間でどのように異なった制御系に伝達されるのかを解明することは、極めて意義深い。

 窒素固定遺伝子群の発現制御において中心的な役割を担っているのがnifA遺伝子である。この遺伝子産物は他の全ての窒素固定遺伝子群の転写を活性化する転写因子であり、研究されたすべての窒素固定菌で確認されている。しかし、このNifAタンパクを介した窒素固定遺伝子群の発現制御機構にも窒素固定菌による差異が見られる。K.oxytocaにおいては同遺伝子はnifL遺伝子と同一オペロンに存在し、nifL遺伝子産物は窒素源や酸素分圧などの環境に応答してNifAの働きを阻害するセンサータンパクであると考えられている。ところが、A.lipoferumでは現在のところnifL遺伝子の存在は報告されておらず、NifAタンパクの機能と窒素源や酸素分圧などの環境との間に介在する情報伝達系については何等解明されていない。

 そこで、本研究ではA.lipoferumのnifA遺伝子産物による窒素固定遺伝子群の転写制御の解明とK.oxytocaとの比較を目的とした。

1.A.lipoferumのnifA遺伝子の単離と塩基配列の決定

 A.lipoferum FSのゲノムDNA上約2.8kbのSalI断片にK.oxytocaNG13のnifA遺伝子と相同性を示す領域が存在することをサザンハイブリダイゼーション実験によって発見した。同断片をクローン化し塩基配列を決定したところ、624アミノ酸をコードするORFが見出され、同ORFの推定アミノ酸配列はK.oxytocaのNifAタンパクに対して約40%の一致を示した。

 他の窒素固定菌のNifAタンパクと一次構造を比較したところ、タンパク中央部に位置するATP binding motifを含む54-interaction domainはA.lipoferumにおいてもアミノ酸配列上250番から450番の領域によく保存されていた。また、ヘリックスターンヘリックスタイプのDNA binding motifをふくむDNA binding domainもC末端部によく保存されていた。なお、54-interaction domainとDNA binding domainとの間はinterdomain linker regionと呼ばれる互いに相同性を示さない領域であるが、A.lipoferumのinterdomain linkerは約140アミノ酸残基からなり、他の菌のNifAタンパクに比べて極めて長いものであった。この領域がA.lipoferumのNifAタンパクの個性を決定している可能性がある。

2.A.lipoferumのnifH遺伝子の単離と塩基配列の決定

 次に、NifAタンパクが転写を活性化する標的であるnifH遺伝子のクローン化を行った。nifHは窒素固定反応を触媒するニトロゲナーゼのサブユニットであるジニトロゲナーゼレダクターゼをコードする遺伝子である。K.oxytocaにおいては、同遺伝子はnifHDKオペロンを構成することがすでに報告されている。

 A.lipoferum FSのゲノム上約2.7kbのSalI-HincII断片上にAzospirillum brasilenseのnifH遺伝子と相同性を示す領域の存在が示唆されたので、同断片をクローン化し、塩基配列を決定した。その結果、293アミノ酸をコードするORFが見出され、コードするアミノ酸配列はA.brasilenseのNifHタンパクのものと完全に一致した。また、この断片にはnifD遺伝子の一部(10アミノ酸分)も含まれており、nifHとオペロンを構成すると考えられる。

3.nifA,nifH遺伝子の発現の解析

 A.lipoferumのnifA,nifH遺伝子の発現をノザンハイブリダイゼーション実験により解析した。50mMアンモニアを含む培地でO.D.660=1.0まで好気的に培養したA.lipoferumを無窒素培地に移し、微好気的(48%Air)条件で培養を続け、経時的にサンプリングを行いRNAを調製した。このRNAに対し、nifAの中央部約1kbのPstI断片、nifH中央部より下流全領域を含む約1kbのXhoI-HindIII断片をプローブとしたハイブリダイゼーションを行った。

 nifAプローブでは無窒素培地で培養を開始して30分から4時間後にかけて約2kbのバンドが観測された。しかし、アンモニアを含む培地で培養したものではバンドは観測されず、無窒素培地の場合も培養開始後6時間以上培養を続けたものではバンドの強度が低下していた。以上のことから、A.lipoferumにおいてnifA遺伝子の転写はアンモニアの存在下では抑制されており、無窒素培地において培養開始後4時間の間誘導を受けることが判明した。

 一方、nifHプローブでは無窒素培地で培養を開始してから1時間後より約6kbおよび約1kbのバンドが観測され、これらのバンドの強度は4から6時間後に最も高く、10時間後ではやや低下していた。しかし、アンモニアを含む培地、また無窒素培地でも嫌気的条件あるいは好気的条件下ではバンドは観測されなかった。この実験において観測された2本のバンドはそれぞれnifHDKオペロン全体の転写産物ならびにnifHのみの転写産物であると考えられる。以上のことから、nifH遺伝子の転写は無窒素培地でしかも微好気的条件下でのみ誘導を受け、無窒素培地での培養開始後4から6時間後に転写レベルが最も高くなることが示唆された。

4.nifA遺伝子産物によるnifH遺伝子の転写の制御の解析

 NifAタンパクの機能を、A.lipoferumのnifA遺伝子を大腸菌において発現させ、同時に導入したnifH遺伝子の転写の活性化が起こるか否かを指標に解析した。lacプロモーターの下流にnifA遺伝子を連結したプラスミドとnifHプロモーターの下流にlacZ遺伝子を連結したプラスミドを同時にlac-の大腸菌に導入した。好気的な条件では-ガラクトシダーゼ活性は観測されず、低酸素分圧あるいは嫌気的条件でのみ活性が観測された。即ち、低酸素分圧下においてのみNifAタンパクがnifH遺伝子の転写を活性化することが示された。また、K.oxytocaのnifA遺伝子を用いて同様の実験を行ったところ、酸素分圧にかかわらずnifH遺伝子の転写の活性化が観測された。この結果はA.lipoferumとK.oxytocaのNifAタンパク間で酸素に応答した機能の差異があることを示している。A.lipoferumは低酸素分圧下でのみ窒素固定を行う細菌であり、この実験結果は同菌における酸素分圧に応じた窒素固定能発現の制御がNifAタンパクを介して行われる可能性を示唆している。

 根粒菌Rhizobium melilotiもA.lipoferum同様nifL遺伝子を持たない。同菌のNifAタンパクは、54-interaction domainのC末端からinterdomain linkerにかけて位置する4個のシステイン残基で金属を配位しており、この部分が低酸素分圧下あるいは嫌気的条件下にのみNifAタンパクを活性型にする機能を持つことが報告されている。これらのシステイン残基はK.oxytocaのNifAタンパクには存在しないが、A.lipoferumのNifAタンパクには保存されている。このことはA.lipoferumのNifAタンパクがR.meliloti同様、それ自身がセンサーとなって酸素分圧に応じた窒素固定遺伝子群の制御を行なっている可能性を示唆する。

5.まとめ

 本研究で、A.lipoferumのnifA遺伝子は窒素源の存在によってその転写が抑制を受け、酸素によってNifAタンパクの転写活性化能が阻害されることを示した。この窒素源ならびに酸素分圧に応答した機構は、NifLタンパクが窒素源ならびに酸素分圧に対するセンサーとしてNifAタンパクを制御しているK.oxytocaの機構と大きく異なっている。それぞれの機構の利点および欠点を解明することは、生物窒素肥料の開発のために窒素固定遺伝子群を安定に高発現させるための改良を菌に施すための重要な知見を提供するばかりでなく、窒素固定細菌の分子進化的観点からも極めて興味深い。

審査要旨

 イネ根圏に共生する窒素固定細菌を応用して化学窒素肥料と置き換えようという試み,即ち「生物窒素肥料」の開発は,経済的ならびに環境的な観点より,現在の農業における極めて重要な課題であゐ。

 本論文はイネ根圏より分離された窒素固定細菌Klebsiella oxytocaならびにAzospirillum lipoferumに注目し,その窒素固定能の増強を目的として窒素固定遺伝子の発現制御機構について研究した結果を述べたものである。

 第1章序論に続いて,第2章では,K.oxytocaの改良菌株をイネ根圏に接種してその生育に及ぼす影響を検討した。その結果,単一の菌のみを多量に接種しても,急速に死滅してしまうことが判明した。したがって,根圏における菌の比率をなるべく変えないよう,複数の窒素固定菌を改良し,同時に用いることが理想的な窒素固定系の確立のために必要であると考えられた。そこで以降A.lipoferumの改良の第一段階として同菌におけるNifA蛋白を介した窒素固定遺伝子の発現制御機構の解明を行うこととした。

 第3章では,A.lipoferumのnifA遺伝子の単離と塩基配列の決定について述べている。A.lipoferum FSのゲノムDNA上よりnifA遺伝子を約2.8kbのSalI断片としてクローン化した。塩基配列を決定したところ,624アミノ酸をコードするORFが見出され,同ORFの推定アミノ酸配列はK.oxytocaのNifA蛋白に対して約40%の一致を示した。他の窒素固定菌のNifA蛋白と一次構造を比較したところ,蛋白の中央部に位置する54-interaction domainはA.lipoferumにおいてもアミノ酸配列上250番から450番の領域によく保存されていた。また,ヘリックスターンヘリックスタイプのDNA binding motifをふくむDNA binding domainもC末端部によく保存されていた。

 第4章ではNifA蛋白の標的であるnifプロモーターの取得を目的として,A.lipoferumのnifH遺伝子の単離と塩基配列の決定を行った。A.lipoferum FSのゲノムより約2.7kbのSalI-HincII断片としてnifH遺伝子をクローン化し,塩基配列を決定した。その結果,293アミノ酸をコードするORFが見出され,コードするアミノ酸配列はA.brasilenseのNifH蛋白のものと完全に一致した。また,この断片にはnifD遺伝子の一部も含まれており,nifHとオペロンを構成すると考えられた。

 第5章ではA.lipoferumのnifAとnifH遺伝子の発現をノザンハイブリダイゼーション実験により解析した。アンモニアを含む培地で好気的に培養したA.lipoferumを無窒素培地に移し,微好気的条件で培養を続け,経時的にサンプリングを行いRNAを調製した。このRNAに対し,nifAの中央部約1kbのPstI断片,nifH中央部より下流全領域を含む約1kbのXhoI-HindIII断片をプローブとしたハイブリダイゼーションを行った。その結果,A.lipoferumにおいてnifA遺伝子の転写はアンモニアの存在下では抑制されており,無窒素培地において培養開始後4時間の間誘導を受けることを明らかにした。一方,nifHプローブを用いた実験により,nifH遺伝子の転写は無窒素培地でしかも微好気的条件下でのみ誘導を受け,無窒素培地での培養開始後4から6時間後に転写レベルが最も高くなることを明らかにした。

 第6章ではNifA蛋白の機能を,A.lipoferumのnifA遺伝子を大腸菌において発現させ,同時に導入したnifH遺伝子の転写の活性化が起こるか否かを指標に解析した。lacプロモーターの下流にnifA遺伝子を連結したプラスミドとnifHプロモーターの下流にlacZ遺伝子を連結したプラスミドを同時にlac-の大腸菌に導入したところ,好気的な条件では-ガラクトシダーゼ活性は発現せず,低酸素分圧あるいは嫌気的条件でのみ活性が発現した。即ち,低酸素分圧下においてのみNifA蛋白がnifH遺伝子の転写を活性化することを明らかにした。また,K.oxytocaのnifA遺伝子を用いて同様の実験を行ったところ,酸素分圧にかかわらずnifH遺伝子の転写の活性化が観測された。すなわち,K.oxytocaではNifL蛋白が酸素分圧のセンサーとなってNifA蛋白による窒素固定遺伝子の発現を制御するのに対し,A.lipoferumにおいてはNifA蛋白自身がセンサーとなって酸素分圧に応じた窒素固定遺伝子群の制御を行なっている可能性をはじめて示した。

 以上本論文は,A.lipoferumにおけるNifA蛋白による窒素固定遺伝子の発現制御機構について研究し,その結果同菌のNifA蛋白はK.oxytocaには見られない独自の機能を持つことを明らかにしたものであり,応用的研究への展望を示すとともに,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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