学位論文要旨



No 111303
著者(漢字) 本山,高幸
著者(英字)
著者(カナ) モトヤマ,タカユキ
標題(和) 糸状菌の生長・分化におけるキチン合成酵素の機能に関する細胞遺伝学的研究
標題(洋) Cellular genetic approach on the functions of chitin synthases in growth and differentiaton of filamentous fungi
報告番号 111303
報告番号 甲11303
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1594号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 糸状菌は、古くからその高い菌体外酵素分泌能が利用されており、また、有用物質生産の宿主として近年注目を集めている一方、多くが動植物の病原菌として知られている。糸状菌は菌糸状の形態をとり、その先端を伸長させることによって生育する先端生長といわれる生長の様式をとる。この生長様式がこの生物の高分泌能や病原性に深く関わっていると考えられるが、その先端生長において細胞壁が重要な働きをしていることが知られている。また、糸状菌は様々な形態の無性胞子、有性胞子を形成するなど分化現象を示すが、この間に細胞壁の構成成分の組成は変化することが知られており、細胞壁はこれらの分化とも密接な関連を持つことが推定される。糸状菌の多くは酵母Saccharomyces cerevisiaeなどとは異なり、N-アセチルグルコサミンの-1,4結合物であるキチンが細胞壁の主要構成成分となっている。そこで当研究室では、糸状菌の先端生長、分化のメカニズムを明らかにするため、キチンの合成・分解の制御に焦点を当てて解析を進めている。その中で本研究ではキチン合成酵素の糸状菌の生長・分化において果たしている役割に注目し解析した。これまでに構造の明らかになっているキチン合成酵素はそのアミノ酸配列の比較により、少なくとも4つのクラスに分類される(Fig.1)。このクラス分けが生物種を越えてキチン合成酵素間の機能の違いを反映する可能性についても検討を加えた。

Fig.1 Classification of fungal chitin synthases1.子嚢菌類に属するAspergillus nidulansのキチン合成酵素の機能

 A.nidulansは糸状菌の中ではもともと遺伝学的に取り扱いやすく、近年になって、分子遺伝学的手法も充実してきており、分子レベルでの研究が最も進んでいるものの一つである。そこでこの生物のキチン合成酵素の機能をまず解析した。A.nidulansからは、chsA(クラスII)、chsB(クラスIII)、chsC(クラスI)、chsD(クラスIV)の4種のキチン合成酵素遺伝子を既に当研究室で単離しているが(1)(2)、遺伝子破壊実験により、chsAは無性生活環において単独では必要とされないこと、chsBは菌糸生長に必要とされることが明らかにされている(1)。本研究においては菌糸の先端生長に必須な遺伝子であるchsBの機能を詳細に解析するために、その発現を炭素源を変えることにより調節できるアルコールデヒドロゲナーゼ遺伝子(alcA)のプロモーターの制御下においた株を作製し、分生子形成における役割について検討した。chsBの発現を誘導した状態で分生子形成可能な状態の菌糸にまで培養し、その後chsBの発現を抑制すると同時に分生子形成を誘導したところ、分生子形成は正常に行われた。つまり、chsBの発現は分生子形成には必須ではないことが明らかになった。次に、chsCとchsDをそれぞれ遺伝子破壊した株を作製したが、いずれの場合も生育速度は野生株とほとんど変わらず、菌糸生長、隔壁形成、分生子柄形成にも異常は見られなかった。この結果とchsAの遺伝子破壊の結果から、chsA、chsC、chsDが重複した機能を持つ、あるいは何らかの特別な条件で働くことが推定された。そこで、重複した機能を持つ可能性について検討するため、chsAとchsDとの二重遺伝子破壊株(DA-4)とchsCとchsDとの二重遺伝子破壊株(CD-1)を作製した。両株とも生育速度は野生株とほとんど変わらなかったが、DA-4株は分生子形成の効率が野生株の約2%にまで低下していた。すなわち、chsAとchsDとは分生子形成において重複した機能を持つことが示された。更に、DA-4株はキチンに結合する色素であるコンゴーレッド0.001%存在下で分生子の発芽の遅れがみられた。この現象は、DA-4株の分生子の細胞壁の異常あるいは分生子発芽時のキチン合成の低下を意味すると考えられる。なお、CD-1株では、これまで無性生活環における表現型に異常は見られていない。

2.A.nidulansのキチン合成酵素の活性の制御

 1.においてA.nidulansのキチン合成酵素はそれぞれの酵素間で機能の違いがあることを示したが、機能の違いが生じる要因の一つとしては転写レベルの制御の違いによる可能性も考えられる。ノーザン解析により、4種のキチン合成酵素遺伝子の発現は少なくとも菌糸生長期には起きていることはすでに示されていたが(1)(2)、更に詳細に発現のパターンをみるために、それぞれの遺伝子のプロモーターの下流に大腸菌のlacZをレポーター遺伝子としてつないだプラスミドを作製し、A.nidulansに導入し解析を行った。-ガラクトシダーゼ活性をみることにより、発現の時間的制御について検討したところ、chsAとchsBは分生子形成を誘導すると菌糸生長の時と比較して発現がそれぞれ約13倍と6倍に上昇することが明らかになった。次に、発現の空間的制御をX-Galを基質としたin situ染色により試みた。その結果、chsAの場合は菌糸では染色はほとんどみられなかったが、分生子形成を行う部分、特にフィアライド(phialide)と分生子で強い発現がみられた。chsBの場合は菌糸でも分生子形成を行う部分でも発現がみられた。chsCの場合はchsBの場合よりも低いが全ての部分で発現がみられた。なお、chsDの発現制御については、現在検討中である。以上のように、少なくともchsAとchsBは転写レベルの制御を受けることが明らかになった。また、菌糸生長期にはchsBの発現レベルはchsAの発現レベルよりも約20倍高いことから、chsAとchsBの機能の違いは分化の時期特異的な転写量の違いに起因する可能性が考えられる。そこで、chsAの発現をchsBのプロモーターの制御下においた場合に、chsBの発現を抑えた場合の生育不全をサプレスできるかどうかについて解析した。その結果、プロモーターを変えても生育はほとんど回復しなかった。つまり、chsAとchsBの機能の違いは転写レベルの違いだけでは説明できず、遺伝子産物酵素の機能に差異があることが示唆された。

3.接合菌類に属するRhizopus oligosporusのキチン合成酵素の機能

 接合菌類はその主要細胞壁構成成分が、キチンとキトサンであり、キチンとグルカンを主要成分とする子嚢菌類や担子菌類、マンナンとグルカンを主要成分とするSaccharomyces属とは細胞壁形成の機構が異なると考えられる。このような異なった主要細胞壁成分を持つ菌においてもキチン合成酵素の機能は保存されているのか否かについて解析するため、接合菌R.oligosporusからクラスIIに属するchs1とchs2、クラスIVに属するchs3を単離した(3)。chs1とchs2の機能を明らかにするために、これらをそれぞれS.cerevisiaeのキチン合成酵素遺伝子の変異株で発現させ、これら変異株の変異した形質をサプレスするか否かを解析した。まず、chs1とchs2をS.cerevisiaeにおいて誘導性のGAL1プロモーターに連結しS.cerevisiaeに導入した場合、ガラクトース培地ではこれら遺伝子が発現することを確認した。この系を用いてR.oligosporusのChs1、Chs2のキチン合成酵素活性について検討した結果、これらとS.cerevisiaeのChs2とは金属要求性が異なっていた。次に、S.cerevisiaeのCHS2(クラスII)とCHS3(クラスIV)の二重変異株は致死的であるためCHS3破壊株のCHS2をGAL1プロモーターの制御下においた株(RRA700)を作製し、グルコース培地での致死性をR.oligosporusのchs1あるいはchs2がサプレスできるかどうかを検討した。R.oligosporusのchs1とchs2をそれぞれS.cerevisiaeのグリセルアルデヒド-3-リン酸脱水素酵素遺伝子のプロモーターに連結しRRA700株に導入したが、いずれもCHS2とCHS3の二重変異株の示す致死性をサプレスできなかった(3)

 次に、chs1、chs2、chs3のR.oligosporus中での発現をノーザン解析により調べたが、chs1とchs2は菌糸生長期に、chs3は胞子形成期に主に発現していることが明らかになった。これらのことからクラスIIに属するchs1、chs2は菌糸生長に、クラスIVに属するchs3は胞子形成に関わる機能を持つ可能性が考えられる。

 以上の結果より、これまでに機能の明らかにされているS.cerevisiaeの3種のキチン合成酵素、Neurospora crassaの2種のキチン合成酵素、本研究で検討を加えたA.nidulansの4種のキチン合成酵素、R.oligosporusの3種のキチン合成酵素の機能の差異について、クラス分けとの関連からまとめるとTable1のようになる。クラスIIキチン合成酵素遺伝子はA.nidulansにおいては、その機能の一つは分生子形成にあるが、R.oligosporusのクラスIIキチン合成酵素遺伝子は菌糸生長に特異的に関与している可能性が高い。また、S.cerevisiaeのクラスIIキチン合成酵素遺伝子は隔壁形成に関与しており、クラスIIキチン合成酵素間では細胞壁成分の大きく異なる生物間で機能に差異のあることが示唆された。クラスIIIのキチン合成酵素遺伝子は現在までにA.nidulansとN.crassaから単離されているが、ともに菌糸生長に重要であることが示されている。クラスIVキチン合成酵素の場合はA.nidulans、R.oligosporus、S.cerevisiaeの3生物とも少なくとも胞子形成には関与していると考えられる。

Table1.Summary of possible functions of fungal chitin synthases
審査要旨

 糸状菌の生長,分化に必須である細胞壁の形成の機構に迫るために,キチン合成酵素の役割に注目し解析した。なお,これまでに構造の明らかになっているキチン合成酵素はそのフミノ酸配列の比較により,少なくとも4つのクラスに分類される。

1.Aspergillus nidulansのキチン合成酵素の機能

 A.nidulansは糸状菌の中で遺伝学的,分子遺伝学的に扱いやすいことから,この生物のキチン合成酵素の機能をまず解析した。A.nidulansからは,chsA(クラスII),chsB(クラスIII),chsC(クラスI),chsD(クラスIV)の4種のキチン合成酵素遺伝子を既に単離しているが,遺伝子破壊実験により,chsAは無性生活環において単独では必要とされないこと,chsBは菌糸生長に必要とされることが明らかにされている。菌糸の先端生長に必須な遺伝子であるchsBの機能を解析するために,その発現を炭素源により調節できるプロモーターの制御下においた株を作製し,分生子形成における役割について検討した結果,分生子形成にも関与することが明らかになった。次に,chsCとchsDをそれぞれ遺伝子破壊した株を作製したが,いずれの場合も野生株との形質の差異は見られなかった。chsA,chsC,chsDが重複した機能を持つ可能性について検討するため,chsAとchsDとの二重遺伝子破壊株(DA-4),chsAとchsCとの二重遺伝子破壊株(AC-8)とchsCとchsDとの二重遺伝子破壊株(CD-1)を作製した。AC-8株とDA-4株は分生子形成の効率が低下したことから,chsA,chsC,chsDは分生子形成に関与することが示された。形態の観察により,DA-4株においては野生株との違いは見いだされないことから分生子形成の比較的初期に重複した機能を持つことが示唆される。AC-8株においてはベシクルまでは正常に形成するもののそれ以後のメトレ,フィアライド,分生子からなる正常な構造をとらず,メトレが異常に伸長したと考えられる構造をつくり,更に途中の膨張したものや,破裂したものが観察された。このような構造が観察されたことからchsAとchsCは分生子形成の比較的後期に重複した機能を持つことが示された。

2.A.nidulansのキチン合成酵素の活性の制御

 詳細に発現のパターンをみるために,それぞれの遺伝子のプロモーター活性を大腸菌のlacZをレポーターとして解析した。chsAの場合は分生子形成を行う部分,特にフィアライドと分生子で強い発現がみられた。chsBの場合は菌糸でも分生子形成を行う部分でも発現がみられた。以上のように,少なくともchsAとchsBは転写レベルの制御を受けることが明らかになった。chsAとchsBの機能の違いは分化の時期特異的な転写量の違いに起因する可能性が考えられる。そこで,chsAの発現をchsBのプロモーターの制御下においた場合に,chsBの発現を抑えた場合の生育不全をサプレスできるかどうかについて解析したが,生育はほとんど回復しなかった。つまり,chsAとchsBの機能の違いは転写レベルの違いだけではなく,遺伝子産物の機能に差異があることが示唆された。以上の結果などから,A.nidulansの無性生活環においてChsBが菌糸生長と分生子形成の初期に,ChsAとChsDが分生子形成の初期のChsBよりも後に重複した機能を持ち,分生子形成の後期にChsAとChsCが重複した機能を持つことが示唆される。

3.接合菌類に属するRhizopus oligosporusのキチン合成酵素の機能

 接合菌類はキチンとキトサンを主要細胞壁構成成分とする特殊な細胞壁をもつ。接合菌R.oligosporusからクラスIIに属するchs1とchs2,クラスIVに属するchs3を単離した。chs1とchs2はいずれもS.cerevisiaeのCHS2とCHS3の二重変異株の示す致死性をサプレスできなかった。

 次に,chs1,chs2,chs3のR.oligosporus中での発現をノーザン解析により調べたが,chs1とchs2は菌糸生長期に,chs3は胞子形成期に主に発現していることが明らかになった。これらのことからchs1,chs2は菌糸生長に,chs3は胞子形成に機能を持つ可能性が考えられる。

4.C.maltosaにおけるキチン合成酵素の機能

 キチンを主要構成成分としないC.maltosaにおけるクラスIVキチン合成酵素の機能を,その遺伝子破壊により解析し,このキチン合成酵素が菌糸型生長に重要な機能を持つことを示した。

 以上の結果より,これまでに機能の明らかにされている菌類のキチン合成酵素の機能の差異について,クラス分けとの関連から考察すると,クラスII,III,IVのいずれについても機能の共通性が認められるが一部には機能の差異もみられることから,菌類のキチン合成酵素はその共通の祖先においてはクラスごとに共通の機能を持っていたものが菌類の進化の過程で新たな機能を獲得するものもでてきたものと考えられる。

 以上本論文では菌類のキチン合成酵素の役割について詳細に解析を行っており,新規の知見を得ている。これは学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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