審査要旨 | | 糸状菌の生長,分化に必須である細胞壁の形成の機構に迫るために,キチン合成酵素の役割に注目し解析した。なお,これまでに構造の明らかになっているキチン合成酵素はそのフミノ酸配列の比較により,少なくとも4つのクラスに分類される。 1.Aspergillus nidulansのキチン合成酵素の機能 A.nidulansは糸状菌の中で遺伝学的,分子遺伝学的に扱いやすいことから,この生物のキチン合成酵素の機能をまず解析した。A.nidulansからは,chsA(クラスII),chsB(クラスIII),chsC(クラスI),chsD(クラスIV)の4種のキチン合成酵素遺伝子を既に単離しているが,遺伝子破壊実験により,chsAは無性生活環において単独では必要とされないこと,chsBは菌糸生長に必要とされることが明らかにされている。菌糸の先端生長に必須な遺伝子であるchsBの機能を解析するために,その発現を炭素源により調節できるプロモーターの制御下においた株を作製し,分生子形成における役割について検討した結果,分生子形成にも関与することが明らかになった。次に,chsCとchsDをそれぞれ遺伝子破壊した株を作製したが,いずれの場合も野生株との形質の差異は見られなかった。chsA,chsC,chsDが重複した機能を持つ可能性について検討するため,chsAとchsDとの二重遺伝子破壊株(DA-4),chsAとchsCとの二重遺伝子破壊株(AC-8)とchsCとchsDとの二重遺伝子破壊株(CD-1)を作製した。AC-8株とDA-4株は分生子形成の効率が低下したことから,chsA,chsC,chsDは分生子形成に関与することが示された。形態の観察により,DA-4株においては野生株との違いは見いだされないことから分生子形成の比較的初期に重複した機能を持つことが示唆される。AC-8株においてはベシクルまでは正常に形成するもののそれ以後のメトレ,フィアライド,分生子からなる正常な構造をとらず,メトレが異常に伸長したと考えられる構造をつくり,更に途中の膨張したものや,破裂したものが観察された。このような構造が観察されたことからchsAとchsCは分生子形成の比較的後期に重複した機能を持つことが示された。 2.A.nidulansのキチン合成酵素の活性の制御 詳細に発現のパターンをみるために,それぞれの遺伝子のプロモーター活性を大腸菌のlacZをレポーターとして解析した。chsAの場合は分生子形成を行う部分,特にフィアライドと分生子で強い発現がみられた。chsBの場合は菌糸でも分生子形成を行う部分でも発現がみられた。以上のように,少なくともchsAとchsBは転写レベルの制御を受けることが明らかになった。chsAとchsBの機能の違いは分化の時期特異的な転写量の違いに起因する可能性が考えられる。そこで,chsAの発現をchsBのプロモーターの制御下においた場合に,chsBの発現を抑えた場合の生育不全をサプレスできるかどうかについて解析したが,生育はほとんど回復しなかった。つまり,chsAとchsBの機能の違いは転写レベルの違いだけではなく,遺伝子産物の機能に差異があることが示唆された。以上の結果などから,A.nidulansの無性生活環においてChsBが菌糸生長と分生子形成の初期に,ChsAとChsDが分生子形成の初期のChsBよりも後に重複した機能を持ち,分生子形成の後期にChsAとChsCが重複した機能を持つことが示唆される。 3.接合菌類に属するRhizopus oligosporusのキチン合成酵素の機能 接合菌類はキチンとキトサンを主要細胞壁構成成分とする特殊な細胞壁をもつ。接合菌R.oligosporusからクラスIIに属するchs1とchs2,クラスIVに属するchs3を単離した。chs1とchs2はいずれもS.cerevisiaeのCHS2とCHS3の二重変異株の示す致死性をサプレスできなかった。 次に,chs1,chs2,chs3のR.oligosporus中での発現をノーザン解析により調べたが,chs1とchs2は菌糸生長期に,chs3は胞子形成期に主に発現していることが明らかになった。これらのことからchs1,chs2は菌糸生長に,chs3は胞子形成に機能を持つ可能性が考えられる。 4.C.maltosaにおけるキチン合成酵素の機能 キチンを主要構成成分としないC.maltosaにおけるクラスIVキチン合成酵素の機能を,その遺伝子破壊により解析し,このキチン合成酵素が菌糸型生長に重要な機能を持つことを示した。 以上の結果より,これまでに機能の明らかにされている菌類のキチン合成酵素の機能の差異について,クラス分けとの関連から考察すると,クラスII,III,IVのいずれについても機能の共通性が認められるが一部には機能の差異もみられることから,菌類のキチン合成酵素はその共通の祖先においてはクラスごとに共通の機能を持っていたものが菌類の進化の過程で新たな機能を獲得するものもでてきたものと考えられる。 以上本論文では菌類のキチン合成酵素の役割について詳細に解析を行っており,新規の知見を得ている。これは学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。 |