学位論文要旨



No 111304
著者(漢字) 曲,建寧
著者(英字)
著者(カナ) キョク,ケンネイ
標題(和) 大腸菌TolZ/FtsH蛋白質の構造と機能に関する研究
標題(洋) Studies on the structure and function of the TolZ/FtsH protein in Escherichia coli
報告番号 111304
報告番号 甲11304
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1595号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 徳田,元
内容要旨

 コリシンは大腸菌のCol因子をもつ株によって生産され、腸内細菌の他の株に致死作用をもつ殺菌性蛋白質である。コリシンに対して耐性な変異株(tolerant変異株)とは、細胞表面にあるコリシンに対するレセプターは正常で、コリシン分子は膜に吸着するが、その殺菌作用を受けなくなった変異株である。当研究室で発見された大腸菌のtolZ変異株もその内の一つで、その性質は、コリシンE2、E3、D、Ia、Ibに対しtolerantであり、グルコースでは生育できるが、非発酵性炭素源(コハク酸、ピルビン酸、乳酸など)では生育できない、また、グルコースの最小培地では30°で生育するが、42°で生育しないという温度感受性をもち、膜電位と電気化学的プロトン勾配の形成保持に欠陥がある。tolZ変異は、細胞質膜でのエネルギーの形成、保持という細胞の生命維持に必須な蛋白質の変異であると考えられる。この変異株の解析は、細胞質膜タンパク質の構造と機能発現機構の解明に有用と予想される。

 本研究では、tolZ遺伝子の解析を行い、更にtolZ変異株が非発酵性炭素源で生育できないという現象を解明するため、tolZ変異株における好気的呼吸鎖電子伝達系の解析を行った。

第一部tolZ遺伝子のクローニングおよびその解析1.tolZ遺伝子のクローニング

 大腸菌のcosmid DNA library(大腸菌W3110の染色体DNAをSau3AIによって部分分解した後、cosmidベクターpHSG262を用いて作製したもの)を用い、tolZ変異株UM21に感染し、LB寒天培地で2300個のコロニーを得た。更にTolZ+形質転換体の出現の有無をコハク酸を唯一炭素源とする最少培地プレートで調べた。その結果、2300個のコロニーの内12個のコロニーが生育し、更にその12個のコロニーはすべてコリシンE2、E3に対し感受性であった。その12個のコロニーの内の1個から約40kbのcosmid DNAを分離した。in vitroでpackagingした40kbのcosmid DNAを用いてtolZ変異株UM21に再感染したところ、すべての形質転換体がコハク酸最小培地で生育し、コリシンE2、E3に対し感受性であった。更に40kbのcosmid DNAをPvuIIによって完全分解した後、UM21のtolZ変異を相補するcosmidベクターを含む6.2kbのプラスミドDNAを得た。次に切り縮めたDNA断片をベクターpUC118、pUC119にクローン化したプラスミドからrecA-のtolZ変異株KM103を部分的に相補する1.8kbのBamHI断片を取ることに成功した。この1.8kbのBamHIを含むプラスミドをもつKM103はコリシンE2、E3に対して感受性であるが、温度感受性とコハク酸最小培地で生育できない性質は回復しなかった。

 1.8kbのBamHI DNA断片の全塩基配列を決めたところ、一つのopen reading frameが見つかった。蛋白質のホモロジーを検索した結果、このopen reading frameの中に酵母のSecY18などの真核細胞並びに原核細胞蛋白質のATP結合領域と相同性の高い配列が見いだされ、またこのBamHI断片の塩基配列は大腸菌ftsH遺伝子と完全に一致した。ただし、ftsH遺伝子の場合には、このBamHI断片の上流に更にopen reading frameがあること、またpUC118のLacZと1.8kb BamHI断片の中のFtsHとの融合蛋白質が生成していることがわかった。

2.tolZ遺伝子は大腸菌ftsH遺伝子と同一である

 ftsH遺伝子は大腸菌染色体地図上69分に位置する。tolZ遺伝子は77分に位量すると報告されていたので、不一致点を明らかにするため、tolZ遺伝子のmappingを行った。まずHfr菌株を用いてのmatingの方法でtolZ変異は大腸菌染色地図上67分と73分の間に位置すること、また69分にあるargG-、zgj-203::Tn10もつ菌株からP1ファージを調製し、P1形質導入の方法でargG、zgj-203::Tn10がtolZ変異と強くリンクすること、更に小原libiraryの69分の付近にあるcloneを利用し、tolZ変異株の相補性実験および制限酵素地図を作成した結果、520番と521番のcloneはtolZ遺伝子を含んでいることが判明した。最後に、ftsH遺伝子をもつプラスミドはKM103のtolZ変異を完全に相補することから、tolZ遺伝子はftsH遺伝子と同一のものであると結論した。

3.tolZ21変異遺伝子の変異部位の決定

 大腸菌FtsH蛋白質は、約71kDaの細胞質膜蛋白質で、そのN端側に二ケ所の膜貫通領域とC端側には大きな細胞質領域をもち、-ラクタマーゼ前駆体のプロセシングやペニシリン結合蛋白質3の細胞質膜へのアセンブリー等に関与すること、またファージcII蛋白と転写因子32を分解するプロテアーゼであることが明らかにされている。現在まで、tolZ変異以外にも、std(stop transfer defective)、hflB(high frequency oflysogenization)のいずれもftsH遺伝子の中に起こった変異であることが相次いで判明した。ところが、tolZ変異株はStd-、Hfl-の表現型を示すが、ほかのftsH変異株のいずれもtolZ変異株のようなコリシンE2,E対し耐性で、非発酵性炭素源で生育できないという表現型を示さない。これは、tolZ変異株の特別な変異部位によるものと予想された。tolZ変異株UM21からtolZ21変異遺伝子のクローニングを行い、塩基配列の決定を行った結果、亜鉛依存性プロテアーゼの金属結合残基である二つのHisおよび触媒残基であるGluからなる活性中心モチーフHEXXHの二つ目のHisがTyrに変化していた。おそらく、tolZ変異株の表現型はこのHisの変異によってプロテアーゼの機能が完全に失われたことによるものと思われる。

第二部tolZ変異株における好気的呼吸鎖電子伝達系の解析

 大腸菌の好気的呼吸鎖(図1)では、NADH脱水素酵素やコハク酸脱水素酵素などを介して、それぞれの基質の還元力により還元されたユビキノン-8は二種類の末端酸化酵素シトクロムbo複合体とシトクロムbd複合体を介して酸素により酸化される。シトクロムbo複合体は五つのサブユニットから構成され、対数増殖期前期のような酸素分圧の高い条件下で優先的に合成される赤色のシトクロムである。サブユニットIは極低温(77K)での酸化還元差スペクトルで556nmと563.5nmに吸収極大(帯)を示すヘムbと、還元状態で一酸化炭素を結合する高スピンヘムoとCuBを補欠分子族として含み、本酵素の酸化還元反応中心として働いている。一方、シトクロムbd複合体は、二つのサブユニットからなっており、サブユミットIは極低温での酸化還元差スペクトルで556nmと559nmの吸収極大を示すヘムbとユビキノン結合部位を含み、サブユニットIIはヘムdをもっている。本酵素は、対数増殖期後期から定常期、相対的低い酸素分圧下で合成される緑色のシトクロムである。

図1.Electron Flow in the Aerobic Respiratory Chain in Escherichia coli1.tolZ変異株の細胞質膜の分光学的、生化学的解析

 親株W2252及びtolZ変異株UM21を30℃と40℃で培養し、対数増殖期、定常期の菌体をフレンチプレスで破砕し、更にsucrose密度勾配遠心法により、細胞質膜を調製した。各々について、シトクロムb、シトクロムo、シトクロムd含量を調べた。その結果、対数増殖期の40℃で、tolZ変異株のシトクロムo含量が親株に比べて少なく、更に定常期では、温度によらずシトクロムb、シトクロムo、シトクロムd含量のいずれも親株に比較して、tolZ変異株では少ないことが判明した。

 一方、これらの細胞質膜において、L-乳酸脱水素酵素、D-乳酸脱水素酵素の活性は、親株とtolZ変異株の間では大きいな相違がみられなかったが、シトクロムb556をもつコハク酸脱水素酵素の活性は、シトクロムb、シトクロムo、シトクロムdなどの含量の相違と同様親株に比較して、tolZ変異株では少ない活性しか認められなかった。

 更に、定常期の菌体から調製した細胞質膜の極低温での酸化還元差スペクトルでは、温度によらず、tolZ変異株のシトクロムbd複合体のヘムb由来の559nmのピークが親株に比較して、著しく低くなっていることがわかった。これらの結果、tolZ変異株において、コハク酸脱水素酵素と末端酸化酵素のシトクロムの状態、あるいはヘムとサブユニットの間の結合状態が異常になっていることが示唆された。

2.tolZ変異株の末端酸化酵素の精製とその性質の検討

 tolZ変異株を定常期まで40℃で培養し、菌体から細胞質膜を調製した。更に、細胞質膜を非イオン性界面活性剤sucrose monolaurateで可溶化後、シトクロムbo複合体、シトクロムbd複合体をDEAE-5PWカラムを用いたイオン交換クロマトグラフィーで精製した。極低温での酸化還元差スペクトルを検討した結果、シトクロムbo複合体については、tolZ変異株の563.5nmのピークが野生型株に比較して、やや低くなっていることがわかった。シトクロムbd複合体については、560nm付近のピークが、野生型株に比べてtolZ変異株では、かなりsharpになっており、また、二次微分スペクトルから559nmのピークが野生型株に比較して低くなっていることが確認された。

 以上の結果から、TolZ/FtsHタンパク質は、シトクロムbo複合体、シトクロムbd複合体、コハク酸脱水素酵素複合体のサブユニットのような膜内在性タンパク質の細胞質膜への組み込み、構造形成あるいは機能発現などに関与していることが考えられる。tolZ変異株はこのような好気的呼吸鎖電子伝達系成分に欠陥があるために、非発酵性炭素源で生育できなくなると考えられる。

審査要旨

 本論文は大腸菌の細胞質膜の形成に関わると考えられるTolZ/FtsH蛋白質について解析したもので,三部から構成されている。生物一般において重要な役割を果たす膜系の機能発現機構の解明のため,精密な分子生物学的手法による解析が可能な大腸菌において,その細胞質膜の機能に関わる蛋白質の研究は必ず行われるべきものと考えられる。大腸菌のtolZ変異株は,コリシンE2,E3,D,Ia,Ibに対し耐性であり,グルコースでは生育できるが,非発酵性炭素源(コハク酸,ピルビン酸など)では生育できず,膜電位と電気化学的プロトン勾配の形成保持に欠陥をもつ。

 著者は,この細胞質膜の状態の変化したtolZ変異株を用いてtolZ遺伝子のクローニングと解析を行い,更にtolZ変異株が非発酵性炭素源で生育できないという現象を解明するため,好気的呼吸鎖電子伝達系の解析を行った。

 第一部では,tolZ遺伝子のクローニングを行った。著者は,大腸菌のcosmid DNAライブラリーを用い,tolZ変異を相補する40kbのcosmid DNAを分離した。次に,切り縮めたDNA断片からrecA-のtolZ変異株を部分的に相補する1.8kbのBamHI断片を取ることに成功した。この1.8kbのBamHI断片の全塩基配列の決定を行った結果,大腸菌ftsH遺伝子の配列と完全に一致したこと,更に,Hfr菌株を用いての接合の方法やP1形質導入などの方法でtolZ遺伝子が大腸菌染色体地図上69分に位置することが判明した。更に,ftsH遺伝子をもつプラスミドはtolZ変異を完全に相補することから,tolZ遺伝子はftsH遺伝子と同一のものであると結論した。

 大腸菌FtsH蛋白質は,約71kDaの細胞質膜蛋白質で,ファージのcII蛋白質と転写因子32を特異的に分解するATPならびに亜鉛依存性のプロテアーゼであることが明らかにされている。現在まで,tolZ変異以外にも,std(stop transfer defective),hflB(high frequency of lysogenization)変異のいずれもftsH遺伝子の中に起こっ変異であることが相次いで判明した。ところが,tolZ変異株はStd-,Hfl-の表現型を示すが,ほかのftsH変異株のいずれもtolZ変異株の表現型を示さない。これらの表現型の違いを明かにするため,tolZ21変異遺伝子のクローニングとその塩基配列の決定を行った。その結果,亜鉛依存性プロテアーゼの活性中心モチーフHEXXHの二つ目のHis418がTyrに変化していた。tolZ変異株の表現型はこのHisの変異によってプロテアーゼの機能が失われたことによるものであることを発見した。

 第二部では,tolZ変異株が非発酵性炭素源で生育できないことから,好気的呼吸鎖電子伝達系成分に欠陥があると予想し,それらの成分を詳細に解析した。

 野生型株及びtolZ変異株を30℃と40℃で培養し,対数増殖期,定常期の菌体から細胞質膜を調製した。各々の細胞質膜について,b型シトクロム,シトクロムo,シトクロムd含量を調べた。その結果,対数増殖期の40℃で,tolZ変異株のシトクロムo含量が減少していること,定常期では,温度によらずb型シトクロム,シトクロムo,シトクロムd含量のいずれも野生型株に比較して,tolZ変異株では少ないことが判明した。また,シトクロムb556をもつコハク酸脱水素酵素の活性は,野生型株に比較してtolZ変異株では少ない活性しか認められなかった。

 更に,定常期の菌体から調製した細胞質膜の極低温での酸化還元差スペクトル,(還元型+一酸化炭素)-還元型の差スペクトルからtolZ変異株のシトクロムbd複合体に久陥があることを明らかにした。そして,それらの酵素を精製し,極低温での酸化還元差スペクトルの測定により,これらの欠陥を確認した。

 以上の研究から,tolZ変異株において,呼吸鎖末端酸化酵素とコハク酸脱水素酵素のシトクロムに異常があることを明らかにした。tolZ変異株はこのような好気的呼吸鎖電子伝達系成分に欠陥があるために,非発酵性炭素源で生育できなくなると結論した。

 これらの解析に基づき,TolZ/FtsH蛋白質は,シトクロムbo複合体,シトクロムbd複合体,コハク酸脱水素酵素のような膜内在性蛋白質の細胞質膜への組み込み,構造形成あるいは機能発現などに関与していることが示された。

 第三部においては総合討論を行っている。

 以上,本論文は大腸菌の細胞質膜の形成におけるTolZ/FtsH蛋白質の機能の一端を解明し,真核生物,原核生物を問わず最近次々と発見されているTolZ/FtsH蛋白質と相同性の高い他の蛋白質の研究にも大きな指針を与えるものと考えられる。したがって本論文は,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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