学位論文要旨



No 111306
著者(漢字) 朴,宣美
著者(英字)
著者(カナ) パク,スンミ
標題(和) 酵母Candida maltosaの発現ベクターを用いたチトクロームP450高発現と小胞体膜生合成に関する研究
標題(洋) High level expression of cytochrome P450 by using an expression vector in Candida maltosa and induction of endoplasmic reticulum membrane proliferation
報告番号 111306
報告番号 甲11306
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1597号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 酵母Candida maltosa IAM12247株は二倍体ゲノムを有する酵母で、n-アルカンを唯一の炭素源として資化し、生育することができる。本菌株をn-アルカンを炭素源として生育させると、チトクロームP450(P450)やチトクロームP450レダクターゼ(P450レダクターゼ)といったn-アルカンの資化に関連する酵素群の発現が誘導され、同時に、小胞体、パーオキシソームなどの細胞内膜系の顕著な発達が観察される。n-アルカンのようなきわめて疎水性の物質によって引き起こされるこのような細胞内変化の分子機構にはたいへん興味深いものがある。また、C.maltosaを用いて疎水性物質の変換による有用物質の生産など、この酵母の特徴を活かした物質生産系への利用が考えられる。本研究では、C.maltosaにおける遺伝子誘導発現のためのベクター系を開発して、本菌を疎水性物質変換酵素遺伝子を初めとするさまざまな遺伝子の発現の宿主として利用できるようにすること、更にその系を用いて本来n-アルカンによって増幅される小胞体の膜蛋白質であるチトクロームP450ALK(P450ALK)の大量発現を行い、それに伴って発達する小胞体の誘導にかかわる要因を生化学的、形態学的に解析し、本菌における小胞体の誘導生成機構に関する知見を得ることを目的とした。

1.GAL1,GAL10遺伝子の単離とその構造の解析

 細胞内で遺伝子を大量に発現させる際に最も重要となるのは、強力に発現させるプロモーターの取得であり、本研究では特に誘導性の強力プロモーターの取得を目的とした。そこで、まずガラクトース存在下で強い誘導性を示す遺伝子であるC.maltosaのGAL1とGAL10を、Saccharomyces cerevisiaeのGAL1をプロープとしてC.maltosaのゲノムライブラリーを検索し、クローン化した。ノーザン解析を行った結果、グルコースを炭素源として培養したC.maltosaではGAL1とGAL10の発現はほとんど見られなかったのに対し、ガラクトースで培養した場合には非常に強い発現がみられた。

 C.maltosaGAL1遺伝子は塩基配列の一部が判明しているKluyveromyces lactisの対応する遺伝子と、GAL10遺伝子はK.lactis、Pachysolen tannophilusらのGAL10遺伝子と高い相同性を示した。また、両遺伝子がプロモーター領域を挾んで逆向きに位置しているというS.cerevisiae、S.carlsbergnsis、及びK.lactisに見られる構造も保存されていた。本菌のGAL1-GAL10読み枠(ORF)間の長さは931bpであり、S.cerevisiae(608bp)、S.carlsbergnsis(660bp)とK.lactis(765bp)のものより少し長かった.

 TATA配列と考えられるものはGAL1,GAL10の開始コドンの約80bp上流に各々存在していた。K.lactisのGAL遺伝子、S.cereviciaeのGAL遺伝子、C.maltosaのP450ALK遺伝子のプロモーター領域に存在する上流抑制配列(URS)と同様の配列が見いだされた。この結果はこれらの遺伝子がグルコースによって同じような抑制制御を受けることを示唆している。しかしながらS.cereviciaeとK.lactisのGAL系で保存されていた上流活性化配列(USA)の共通配列は見出すことができなかった。

2.誘導的発現ベクターの構築と異種及び同種遺伝子の大量発現

 前節で得られたC.maltosaのGAL1とGAL10両遺伝子のプロモーター領域をPCR法によって増幅させ、セントロメア(CEN)と自律的複製配列(ARS)を持つC.maltosaを宿主とするベクターpTAMに挿入してYCp型のベクターpMGA2を、ARSだけをもつベクターpBTH20Aに挿入してYRp型のベクターpNGH2を、それぞれ構築した(図1参照)。

図1:C.maltosa の誘導的発現ベクターの構造

 これらのベクターのGAL10プロモーター下流にK.lactisの-ガラクトシダーゼをコードする遺伝子LAC4を挿入してC.maltosa CHA1株に導入し、形質転換体の-ガラクトシダーゼ活性を測定した。その結果、それぞれの形質転換体についてグルコースで培養したときには活性がほとんど検出できないレベルであったのに対し、ガラクトースによって培養した時にはpMGA2-LAC4保持株では13ユニット/mgタンパク質、pNGH2-LAC4保持株では1300ユニット/mgタンパク質であった。続いて、この発現ベクターを用いてC.maltosaのn-アルカンの初発酸化を行うチトクロームP450ALK1(P450ALK1)とチトクロームP450ALK3(P450ALK3)の大量発現を試みた。まずpNGH2のGAL1プロモーター下流に各P450ALK遺伝子のORFと3’隣接領域をそれぞれ挿す入し、C.maltosa CHA1株に導入した。得られた形質転換体の各P450ALKの生産量はガラクトースを炭素源とする培養によって時間がたつとともに上昇した。一方、グルコースを炭素源とした場合これらのP450の生産は認められなかった。高コピーベクターpNGH2による生産量は低コピーベクターpMGA2による場合に比べていずれのP450の場合も100倍程度高かった。

 作製した発現ベクターの特徴を挙げれば

 (1)グルコース存在下では発現が極めて低く、炭素源をガラクトースに変えることによって簡単に誘導できる。

 (2)GAL1とGAL10遺伝子の逆向きの両プロモーターを同時に利用すれば、より大量のタンパク質生産が可能である。

 (3)各々のプロモーター支配下に異なる遺伝子を押入することにより、それらの発現を同時に誘導できる。

 最近かなりの広範のCandida属酵母では、変則コドン(CUG=Ser)が使用されていることが報告された。またある種のかびでも同様な変則コドンの使用が報告されている。我々が用いたC.maltosaでも同様な変則コドンを使用することを証明した。従ってこれら生物の遺伝子の機能の解析にも本研究で作製したベクターは有用であると考えられる。

3.チトクロームP450の大量発現によって誘導される小胞体膜の生合成の解析

 複数存在するP450ALKの中でP450ALK1,P450ALK3についてはは既に基質特異性が明らかにされており、n-アルカンによって他のP450ALKをコードする遺伝子より強く発現されることがわがっている。またC.maltosa EH15株のチトクロームP450cm2(P450cm2)はP450ALK3と相同性がきわめて高く同様の基質特異性を持つ。これら3種のP450をコードする遺伝子を用いてその大量発現が小胞体膜の生合成に与える影響を調べた。なおこれまでに動物細胞、S.cerevisiaeあるいはS.pombeなどでHMG-CoA reductase、cytochromeb5、cytochrome P450などを大量発現することにより小胞体膜の顕著な発達(karmellae ER、crystalloid ER)が起こることが知られている。高発現ベクターpNGH2を用い、2つのGALプロモーター下流にそれぞれP450ALK1とP450ALK3、あるいはP450ALK1とP450cm2をコードする遺伝子、また両プロモーターに同じ遺伝子、P450ALK1あるいはP450ALK3を挿入し、C.maltosa CHA1株に導入した。これらの組換え体をジャーファーメンターを用いて低グルコース培地で培養し、グルコース消費後ガラクトースを炭素源として培養を行うことにより、これらの遺伝子の発現を誘導した。このときのP450の生産はSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動及びCO-還元差スペクトルで確認した。電子顕微鏡による細胞内構造の観察では核を取り巻くいわゆるkarmellae状の膜構造を含む顕著な小胞体の発達が見られ、そこに免疫標識によって誘導したP450の局在が認められた。P450誘導に伴い生体膜成分であるリン脂質の含量上昇、及びリン脂質合成系のホスファチジルセリンシンターゼの比活性の上昇がベクターのみの株に比べて観察された。これらの結果は、特定の小胞体膜蛋白質成分の合成によって小胞体膜の合成が誘導され、膜リン脂質合成系も活性化されていることを強く示唆するものである。さらにこのような小胞体膜の誘導は他の小胞体膜蛋白質の合成にも影響を与えることが考えられる。そこで、ゲノム上の他のP450ALK遺伝子の転写に与える影響をNorthem解析とLAC4をレポーター遺伝子として用いたプロモーター活性解析で調べた。その結果、P450ALK3を誘導合成した場合にP450ALK5遺伝子の転写が活性化された。この結果は、P450ALK5遺伝子のプロモーターが小胞体膜合成の昂進に反応するものである可能性を示しているが、P450ALK3の酵素作用の結果生ずる酸化物によって二次的に誘導された可能性も否定できず、今後変異体型P450ALK3のような誘導の影響などを解析する必要があろう。なおこのような現象はP450ALK1の誘導合成の場合は見られなかった。

 動物細胞ではチトクロームP450レダクターゼをP450遺伝子と共に発現させるとP450の発現量が3〜5倍高くなるという報告がある。しかし、C.maltosaの場合、チトクロームP450レダクターゼ遺伝子をP450ALK1、あるいはP450ALK3と共に高発現させても、若干P450ALKの量は増えるが大きい変化は見られなかった。従って、チトクロームP450レダクターゼはとくに誘導しなくてもすでに十分量生産されているか、あるいはP450ALKの合成はレダクターゼの存在に依存しないものと思われる。また、P450ALKl,2,3及び5をそれぞれ大量に生産させてもP450レダクターゼの転写にはほとんど影響がなかった。この結果は、C.maltosa内のP450レダクターゼ転写も、P450ALKの合成による小胞体の誘導には反応しないと考えられる。

 C.maltosaのGAL遺伝子を新たに単離しYCp型とYRp型の2種の誘導的発現ベクターを構築した。これらのベクターを用いてC.maltosaを宿主としての同種、異種の遺伝子の誘導発現を検証することにより、特異で有用な遺伝子発現系を確立することができた。特に高発現するベクターを用いて行ったC.maltosaのP450の大量誘導生産に伴い、小胞体が増幅することを観察し、さらにその時小胞体リン脂質合成酵素の活性化していることを示唆する結果を得た。またその時、他のP450ALKのひとつが転写レベルで誘導されることを示す結果も得た。これらの結果は特定の小胞体膜蛋白質の合成に誘起されて他の小胞体膜成分の合成が促進していることを示唆するものであり、今後の小胞体膜生合成制御の解明に大きな手掛かりを得るものと考えられる。

審査要旨

 酵母Candida maltosa IAM12247株は二倍体ゲノムを有する酵母で,n-アルカンを唯一の炭素源として生育させると,チトクロームP450(P450)やチトクロームP450レダクターゼ(P450レダーゼ)などの酵素群の発現が誘導され,同時に小胞体,パーオキシソームなどの細胞内膜系の顕著な発達が観察される。n-アルカンのようなきわめて疎水性の高い物質によって引き起こされるこのような細胞内変化の分子機構にはたいへん興味深いものである。本研究では,C.maltosaにおける誘導的発現ベクター系を開発し,更にこの系を用いてチトクロームP450ALK(P450AKL)の大量発現を行い,それに伴って発達する小胞体の誘導にかかわる要因を生化学的,形態学的に解析し,本菌における小胞体の誘導生成機構に関する知見を得ることを目的とした。

 第1章では細胞内で遺伝子を大量に発現させる際に最も重要となる,強力に発現するプロモーターの取得を目的とした。そこで,ガラクトース存在下で誘導性もつG.maltosaのGAL1とGAL10遺伝子を,Saccharomyces cerevisiasのGAL1をプローブとしてC.maltosaのゲノムライブラリーを検索し,クローン化した。その結果,得られたGAL1及びGAL10遺伝子とそれぞれ高い相同性を示した。また,両遺伝子がプロモーター領域を挾んで逆向きに位置しているというS.cerevisias及びK.lactisに見られる構造も保存されていた。ノーザン解析を行った結果,炭素源による誘導的発現を確かめた。

 第2章では前章で得られたC.maltosaのGAL1とGAL10の両遺伝子のプロモーター領域を用い,セントロメア(CFN)と自律的複製配列(ARS)を持つYCp型のベクターpMGA2を,ARSだけをもつYCp型のベクターpNGH2をそれぞれ構築した。これらのベクターのGAL10プロセータ下流に異種遺伝子であるK.lactisの-ガラクトシダーゼ遺伝子,LAC4を,GAL1プロモーター下流には同種遺伝子,チトクロームP450ALK1(あるいはP450ALK3など)の大量発現を試みた。高コピーベクターpNGH2による生産量は低コピーベクターpMGA2による場合に比べていずれの場合も100倍程度高かった。

 最近C.albicansなどの広範のCandida属酵母では,変則コドン(CUG=Ser)が使用されていることが報告された。我々が用いたC.maltosaでもtRNAserCAGが存在しており,同様な変則コドンを使用することをin vivoで証明した。従ってこれら生物の遺伝子の機能の解析にも本研究で作製し九ベクターは有用であると考えられる。

 第3章では,複数存在するP450ALKの中でP450ALK1,P450ALK3の大量発現が小胞体膜の生合成に与える影響を調べた。このときのP450の生産はSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動及びCO-還元差スペクトルで確認した。電子顕微鏡による細胞内構造の観察では核を取り巻くいわゆるkarmellae状の膜構造を含む顕著な小胞体の発達が見られ,そこに免疫標識によって誘導したP450の局在が認められた。P450誘導に伴い生体膜成分であるリン脂質の含量の上昇及びリン脂質合成系のホスファチジルセリンターゼの比活性の上昇がベクターのみの株に比べて観察された。これらの結果は,特定の小胞体膜蛋白質成合の合成によって小胞体膜の合成が誘導され,膜リン脂質合成系も活性化されていることを強く示唆するものである。さらにこのような小胞体膜の誘導は他の小胞体膜蛋白質の合成にも影響を与えることが考えられる。そこで,他のP450ALK遺伝子の転写に与える影響をNorthern解析とLAC4をレポーター遺伝子として用いたプロモーター活性解析で調べた。その結果,P450ALK3を誘導合成した場合にP450ALK5遺伝子の転写が活性化された。この結果は,P450ALK5遺伝子のプロモーターが小胞体膜合成の昂進に反応するものである可能性を示しているが,P450ALK3の酵素作用の結果生ずる酸化物によって二次的に誘導された可能性も否定できず,今後変異体型P450ALK3のような誘導の影響などを解析する必要があろう。このような現象はP450ALK1の誘導合成の場合は見られなかった。これらの結果は特定の小胞体膜蛋白質の合成に誘起されて他の小胞体膜成分の合成が促進していることを示唆するものであり,今後の小胞体膜生合成制御の解明に大きな手掛かりを得るものと考えられる。

 以上本論文では,酵母C.maltosaにおける発現ベクター系の開発と,それを利用した小胞体形成機構の分析を詳細に行っており,学術上貢献するところが少くない。よって審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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