学位論文要旨



No 111309
著者(漢字) 野崎,一敏
著者(英字)
著者(カナ) ノザキ,カズトシ
標題(和) 骨肉腫の分化誘導療法に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 111309
報告番号 甲11309
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1600号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 骨肉腫はきわめて悪性度の高い腫瘍で,早期の外科的切除にもかかわらず肺への転移が起こることから,治療の困難な腫瘍の一つとなっている。骨肉腫の治療としては従来,外科手術,化学療法および放射線療法などを組み合わせて行う集学的治療が一般に行われてきた。しかし,従来の治療法は必ずしも十分な効果を得てはおらず,化学療法ではその細胞毒性に基づく重篤な副作用を起こす可能性のあることや化学療法剤に耐性の腫瘍細胞が出現し始めていることなどから,さらに効果が高く,かつ副作用の少ない治療法の開発が望まれている。一方,最近従来の化学療法剤とは異なる作用機序によって抗腫瘍作用を示す薬剤を用いた分化誘導療法が注目を集めており,医学領域ではすでに白血病を中心に臨床応用が開始された。

 分化誘導療法とは,細胞毒性の低い生理活性物質,化学物質等を用いて腫瘍細胞を分化・成熟させ,増殖性や造腫瘍性を低下あるいは消失させることで治癒をめざす治療法である。骨肉腫に対する分化誘導療法については現在のところ,活性型ビタミンD3やcAMPアナログを用いた実験的研究報告がいくつか報告されているにすぎない。

 我々はすでに,犬の自然発生骨肉腫から様々な細胞で構成される培養細胞株を樹立しており,本研究ではイヌの骨肉腫の分化誘導療法に関して以下に述べる基礎的研究を行い,骨肉腫における分化誘導療法の可能性について検討を行った。

 第1の実験として,骨肉腫組織は多彩な組織像を呈し,ポリクローナルな細胞集団から構築されていると考えられ,性状の異なる細胞に対する治療を考慮する必要がある。そこで性状の異なるクローン細胞を分離する目的で,上述の樹立細胞株(POS細胞)のクローニングを限界希釈法により試みた。

 その結果,POS細胞株から6種類の細胞(POS53A,53B,53C,53D,14Aおよび30A)を分離した。得られたクローン細胞は形態学的にそれぞれ均一の大きさで,多角形から紡錘形を呈していた。倍加時間およびアルカリフォスファターゼ(ALP)活性値はそれぞれ30±1.4から54±1.3時間,0.040±0.001から2.610±0.435mol/min/mg porteinの範囲で各細胞によって異なっていた。得られた6種類の細胞をヌードマウスに移植したところ,各細胞ごとにそれぞれ骨芽細胞型(POS53Aおよび53D),軟骨芽細胞型(POS53B),線維芽細胞型(POS14Aおよび30A)または未分化細胞型(POS53C)の組織を形成した。これらの結果から得られたクローン細胞は骨肉腫組織の多様性に対応する性状の異なる細胞であることが明らかとなった。

 第2の実験として,分離したクローン細胞のうち,上記の4つの異なる組織を形成し,かつin vitroおよびin vivoの性状が類似している4種類(POS53D,53B,53Cおよび14A)を選択し,骨芽細胞系に関連した3種類の生理活性物質として,活性型ビタミンD3(1,25(OH)2D3),形質転換成長因子(TGF-1),骨形成因子(BMP-2)を培養液中に加えて一定時間処理した後,各細胞の骨芽細胞の表現形質(ALP活性値および染色性,オステオカルシン産生量,1型コラーゲン産生量およびPTH応答性cAMP産生量)を分化誘導効果の指標として検討した。また,形態に対する影響をおもに透過型電子顕微鏡による微細構造の変化の観察により検討した。

 その結果,1,25(OH)2D3処置群では,ALP活性値は14Aが有意な増加を示し,染色性とも一致していた。オステオカルシン産生量は,53Cおよび53Dにおいて増加を示した。培養液中の1型コラーゲン量は,53D以外の細胞は濃度依存性の増加を示した。PTH応答性cAMP産生量は,53C以外の細胞で有意な増加を示した。

 TGF-1処置群では,ALP活性値は53Bが増加を示したのみであった。オステオカルシン産生量は,14Aで有意な増加を示した。培養液中の1型コラーゲン量は,53Bおよび53Cで増加を示した。PTH応答性cAMP産生量は,53Dおよび14Aにおいて濃度依存性とはいえないものの,有意な増加を示した。

 BMP-2処置群では,ALP活性値はすべての細胞で有意な増加を示した。オステオカルシン産生量は,53Bおよび14Aで有意な増加を示した。培養液中の1型コラーゲン量は,53C以外の細胞では濃度依存性の増加を示した。PTH応答性cAMP産生量は,53C以外の細胞でほぼ濃度依存性の増加を示した。

 電子顕微鏡による観察では,使用薬剤の細胞毒性によると思われる細胞の変性,障害などの所見は認められず,1,25(OH)2D3,TGF-1およびBMP-2で処理した細胞はいずれも程度は異なるものの,活性化している像を呈していた。53Dおよび53BではBMP-2処置により,14Aではすべての生理活性物質でアポトーシス細胞が観察された。

 以上の結果から,本研究で使用した3種類の生理活性物質が骨芽細胞の表現形質のすべてを増加させうるわけではなかったが,総合的に評価するとBMP-2が最も骨芽細胞の特徴を発現させる分化誘導作用が強く,次に1,25(OH)2D3であり,TGF-1は今回用いた犬の骨肉腫細胞では分化誘導作用は軽度であると考えられた。また,これらの生理活性物質が,アポトーシスを誘発する可能性が示唆された。

 実際の臨床においては,腫瘍の増殖を抑制あるいは停止させることが癌治療の中心となる。そこで,第3の実験として,3種類の生理活性物質の細胞増殖に及ぼす影響を検討し,さらに一定期間分化誘導処置した細胞の抗腫瘍薬および放射線に対する感受性の変化を水溶性のtetrazolium塩がミトコンドリア内のコハク酸脱水素酵素により不溶性の紫色のformazanに還元される反応を利用したMTTassayにより検討した。抗腫瘍薬としてシスプラチン(CDDP),アドリアマイシン(ADM),5-フルオロウラシル(5-FU),ミトキサントロン(MIT),メトトレキサート(MTX),ビンクリスチン(VCR)およびシタラビン(AraC)の7種類を用い,抗腫瘍薬の濃度は0.1,1,10および100g/ml,放射線の照射線量は2.5,5,10および20Gyとした。また,骨肉腫が肺へ高率に転移することから,転移の重要なステップの一つである浸潤能に及ぼす効果をケモインベージョン測定法によって検討した。なお,14Aはケモインベージョン測定法が困難であったため,運動能に及ぼす効果を傷つけアッセイにより検討した。

 その結果,細胞増殖は,TGF-1およびBMP-2の一部を除いて早いものでは2日目より有意に低下した。臨床使用量の血中濃度に比較的近い0.1および1g/mlにおいて,いずれかの生理活性物質で抗腫瘍薬の感受性の有意な増加を示したものは,53DではCDDP,ADM,5-FUおよびAraC,53BではADMおよび5-FU,53CではCDDP,5-FU,MTXおよびAraC,14AではCDDP,5-FU,MTX,VCRおよびAraCであった。今回使用した抗腫瘍薬のうちではCDDP,5-FUおよびAraCの感受性が増加すること,中でも5-FUは低濃度においてすべての細胞で感受性が増加していた。また,生理活性物質の中ではBMP-2がどの細胞にも比較的均一に作用していた。放射線に対する感受性は,1,25(OH)2D3処置群では,53Bおよび53Cではすべての照射線量において,また,14Aでは5Gyまでの照射線量において有意な増加を示した。TGF-1処置群では,53Cでは2.5Gy,14Aでは5Gyまでの照射線量において有意な増加を示した。BMP-2処置群では,53Cおよび14Aではすべての照射線量において有意な増加を示した。しかし,53Dだけは分化誘導処置によっても著しい効果は認められなかった。浸潤能は,53Dおよび53Bはすべての生理活性物質によって濃度依存性に有意な低下を示した。53CはTGF-1では有意な差は認められなかったが,1,25(OH)2D3およびBMP-2では濃度依存性に有意な低下を示した。14Aでは傷つけアッセイにより,すべての生理活性物質によって運動能の有意な低下を示した。これらの結果から,本研究で使用した生理活性物質は,細胞の増殖能,浸潤能および運動能を低下させることが明らかとなった。

 以上の結果から,今回使用した3種類の生理活性物質は作用の強さは異なるものの,それぞれ固有の分化誘導作用を有しており,実際の治療で問題となる腫瘍細胞の増殖,浸潤および転移に関しても,細胞の増殖抑制,抗腫瘍薬あるいは放射線に対する感受性の増強効果を示すことが明らかとなった。また,生理活性物質の処置によりアポトーシスが認められたことから,分化誘導によりアポトーシスが誘発される可能性も示唆された。今回用いた生理活性物質の中では,特にBMP-2および1,25(OH)2D3において効果が高く,骨肉腫の分化誘導療法に有用な生理活性物質である可能性を示しており,今後さらに検討する価値があると思われた。

審査要旨

 犬,ヒト等の骨肉腫は,早期の外科的切除でもしばしば肺転移が生じ,また化学療法および放射線療法に対する抵抗性が高く,きわめて難治性の悪性腫瘍であるといわれている。一方,最近細胞毒性の低い生理活性物質,化学物質等を用いて腫瘍細胞を分化・成熟させ,増殖性や造腫瘍性を低下させる分化誘導療法が注目を集めており,白血病に対する臨床応用が開始されている。しかし,骨肉腫に対する分化誘導療法については現在のところ実験的研究がいくつか報告されているにすぎない。申請者らはすでに,犬の自然発生骨肉腫由来の培養細胞株を樹立しており,本研究ではこの細胞を用いて骨肉腫の分化誘導療法に関する基礎的研究を行い,骨肉腫における分化誘導療法の可能性について検討した。

 第一に,骨肉腫組織は分化程度の異なる多彩な細胞からなると考えられており,これらの各細胞を分離する目的で,この樹立細胞株(POS細胞)のクローニングを限界希釈法により試みた。

 その結果,POS細胞株から6種類の細胞を分離した。得られたクローン細胞は形態学的にそれぞれ均一の大きさで,多角形から紡錘形を呈しており,また細胞により倍加時間およびアルカリフォスファターゼ(ALP)活性値は異なっていた。得られた細胞をヌードマウスに移植したところ,各細胞ごとにそれぞれ骨芽細胞型,軟骨芽細胞型,線維芽細胞型または未分化細胞型の組織を形成した。これらの結果から得られたクローン細胞は骨肉腫組織の多様性に対応する性状の異なる細胞であることが明らかとなった。

 そこで,これらの細胞のうち,異なる各組織を形成する4種類(POS53B,53C,53Dおよび14A)の細胞を用い,骨芽細胞系に関連する生理活性物質である活性型ビタミンD3(1,25(OH)2D3),形質転換成長因子(TGF-1),骨形成因子(BMP-2)の分化誘導能を検討した。すなわち,これらの生理活性物質を培養液中に加えて一定時間処理した後,各細胞の骨芽細胞の表現形質(ALP活性値および染色性,オステオカルシン産生量,1型コラーゲン産生量およびPTH応答性cAMP産生量)を分化誘導効果の指標として検討した。また,形態に対する影響を主に透過型電子顕微鏡による微細構造の変化により検討した。

 その結果,これらの生理活性物質は骨芽細胞の表現形質すべてを増加させうるわけではなかったが,総合的に評価するとBMP-2が最も骨芽細胞の特徴を発現させ,次に1,25(OH)2D3であり,TGF-lは最も軽度であった。また,電顕所見からこれらの生理活性物質がアポトーシスを誘発する可能性も示唆された。

 第三に,これらの生理活性物質の細胞増殖に及ぼす影響ならびに一定期間分化誘導処置した細胞の7種類の抗腫瘍薬および放射線に対する感受性の変化を検討した。さらに骨肉腫が肺へ高率に転移することから,転移の重要なステップの一つである腫瘍細胞の浸潤能に及ぼす効果についてもケモインベージョン測定法ならびに傷つけアッセイにより検討した。

 その結果,細胞増殖速度は各生理活性物質処置によりおおむね2〜4日目より有意に低下した。また抗腫瘍薬に対する感受性は,臨床使用量の血中濃度に比較的近い濃度において,抗腫瘍薬の種類は多少異なるが,いずれの細胞も感受性の増加を示した。また,生理活性物質の中ではBMP-2がどの細胞にも比較的均一に抗腫瘍薬感受性の増強作用を示した。放射線に対する感受性は,各生理活性物質によって多少差があったが, 53D細胞を除きいずれも増加した。53Dは各分化誘導処置によっても著しい効果は認められなかった。浸潤能は検査可能であった3種の細胞すべてにおいてTGF-1を除き,濃度依存性に有意な低下を示した。14Aでは傷つけアッセイにより,すべての生理活性物質によって運動能の有意な低下を示した。これらの結果から,本研究で使用した生理活性物質は,in vitroにおいて骨肉腫細胞の増殖能,浸潤能および運動能を低下させることが証明された。

 以上の成績から,今回使用した3種類の生理活性物質はそれぞれその作用の強さは異なるものの,骨肉腫細胞に対する分化誘導作用を有しており,細胞の増殖抑制,抗腫瘍薬あるいは放射線に対する感受性の増強効果を示すことが明らかとなった。また,生理活性物質の処置によりアポトーシスが認められたことから,分化誘導によるアポトーシス誘発の可能性も示唆された。以上要するに,本研究は骨肉腫に対する新しい治療法の開発の可能性を示したものであり,応用上,学術上その価値は高い。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するにふさわしいと認めた。

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