審査要旨 | | イノシトール3リン酸(IP3)受容体は,細胞内二次メッセンジャーであるIP3の受容体として細胞機能の制御に重要な役割を果たしているが,個体レベルでの役割については,いまだ十分に解明されていない。本論文は,現在までに報告されている3種の受容体のうち,小脳プルキニエ細胞において高濃度の発現が見られ,小脳の機能及びその形態形成に関わることが予測されている1型IP3受容体に着目し,標的遺伝子組み換え法による欠損マウスの作製を試みたものであり,その成果は以下のように要約できる。 第1章で,マウスの胚性幹細胞(ES細胞)における相同遺伝子組み換えを利用して,1型IP3受容体の遺伝子に変異を導入するためのターゲッテングベクターの構築および標的遺伝子組み換え法による変異ES細胞の樹立について述べている。まず,マウス1型IP3受容体cDNA配列のうち,推定開始コドンを含む380bをプローブとして,129系マウスES細胞由来染色体DNAより作成したゲノムライブラリーをスクリーニングすることにより,推定開始コドンを含む染色体DNAクローン(Alb)を単離し,制限酵素による切断パターンにより,マウスIP3R遺伝子開始コドン領域の制限酵素地図を作成した(全長13.7kb)。さらに,オリゴヌクレオチド・プロープを用いたサザン法の結果より,開始コドンの存在領域を同定し,この周辺の塩基配列を決定した。ターゲティング・ベクターの型としては,導入したい変異の両側に相同遺伝子部を付加し,5’側及び3’側の二カ所での組み換えを期待する「置換型」を採用し,ターゲティング・ベクターAおよびBの2種類を構築した。いずれも,優性選択マーカーとしてはネオマイシン遺伝子を用い,推定開始コドン直下(15塩基)のEcoRI部位にネオマイシン遺伝子が挿入される結果,正常遺伝子のオープン・リーディング・フレームがそこで中断され,機能しなくなることを期待した。また,相同組み換え体を濃縮するためのカウンターセレクション・マーカーには,A型ではHerpes simplex virus-thymidine kinase(HSV-TK)を採用して,これを,5’相同領域の外側に連結し,B型ではDiphteria toxin A fragment(DT-A)を3’相同領域の外側に連結した。ES細胞は, J1株を使用し,電気穿孔法によりベクターを導入し,薬剤選択(G418及び,ターゲティング・ベクターAのみFIAUな使用)条件下に培養して,サザンハイブリダイゼーション法による相同組み換え体ES細胞の選別を行った。 その結果,1,331個のコロニーの中からターゲティング・ベクターBを用いた1クローン(No.162)において期待通りのバンドパターンを得ることに成功し,さらに詳細な解析を行い,このクローンが目的通りの相同組み換え体であることを確認した。 第2章では,No.162クローンを用いてキメラマウスを作製し,さらに,FlおよびF2個体の作製して,その表現型を解析している。まず,自然交配させたC57BL/6雌マウスより得た胚盤胞に対し,No.162ES細胞各12-15個なマイクロインジェクションし,計11匹の雄キメラマウスを得た。次いで,毛色判定によるキメリズムの高い6匹を,各2匹のC57BL/6雌マウスに交配した結果,得られた産子のほぼ全て(78匹/79匹)が,ES細胞由来の毛色を示し,変異遺伝子の伝達が期待されたので,各個体の尾部より抽出したDNAを鋳型とし,開始コドンを含むエキソン直前のイントロン配列およびNeoカセットpgk-1プロモーター内の配列をプライマーとしてPCR増幅を行ったところ,予想通り,約半数に当たる40匹(雄20匹,雌20匹)で,変異遺伝子特有のバンドが検出され,キメラマウスにおける生殖系列への遺伝子の伝違が確認された。これらのヘテロ接合型マウスは,野生型に比べ,出生率,体格,行動とも特に変化は認められなかった。 次いで,ヘテロ接合型個体間の兄妹交配(41組)により300匹のF2マウスを得た。これらF2マウスの遺伝子型決定を行ったところ,F2ホモ個体に関し次の二つの表現型が認められた。すなわち,1)ホモ個体の出生率は5.5%と低く,期待値の25%には遥かに及ばなかった。また生まれて来たホモ個体15匹のうち半数に近い5匹は体格矮小であり,正常な大きさのものを含む5匹が生後10日目以前に死亡した。2)生後13日目以降生き残ったホモ個体の全てが,10日目前後より,後肢開脚,左右の上肢不平衡,捻転,後弓反張等の特有の神経症状な示し,これらは全て26日目以前に死亡した。これら神経症状を示すマウスは全てホモ接合型であり,遺伝子型と表現型の完全な一致が認められた。また,抗マウス1型IP3受容体抗体18A10を用いた免疫組織染色では,ホモ個体における1型IP3受容体のほぼ完全な欠損が確認された。 以上要するに,本論文は,標的遺伝子組み換え法による1型IP3受容体欠損マウスの作製に成功し,興味深い知見を得たものであり,学術上,応用上貢献する所が少なくない。よって,審査員一同は,本論文が,博士(獣医学)の学位論文として十分価値あるものと判定した。 |