学位論文要旨



No 111310
著者(漢字) 松本,峰男
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ミネオ
標題(和) 標的遺伝子組み換え法による1型IP3受容体欠損マウスの作製
標題(洋)
報告番号 111310
報告番号 甲11310
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1601号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 後藤,直彰
 東京大学 助教授 東条,英昭
 東京大学 助教授 甲斐,知恵子
内容要旨

 イノシトール3リン酸(IP3)受容体は、細胞内二次メッセンジャーであるIP3の受容体であり、細胞外一次メッセンジャーと細胞内カルシウム放出系を結ぶシグナル伝達の一端を担っている。IP3受容体は、滑面小胞体(ER)に局在し、それ自身がCa2+チャネルとして機能してIP3依存的Ca2+放出を行い、生理機能を引き起こす。マウス、ヒトなど様々な種よりcDNAがクローニングされ、配列の決定がなされた結果、IP3受容体は、現在まで1、2、3型の3種が報告され、これらは異なる組織局在を示し、かついずれも異なる遺伝子上にコードされていることが判明している。このうち、1型IP3受容体は、小脳プルキンエ細胞において高濃度の発現が見られ、小脳の機能及びその形態形成に関わることが予測されているが、その直接的な証明はなされていない。また、抗体による阻害実験から、同受容体は、Xenopus卵における受精時のCa2+波形成、伝播、卵活性化、さらには中胚葉誘導にも関与することが推測されているが、個体レベルあるいは組織レベルでの役割は、全く未解明の状態である。

 一方、近年、マウス胚由来未分化(ES)細胞が樹立され、このES細胞における相同遺伝子組み換えを利用して、特定の遺伝子に変異を導入する標的遺伝子組み換え法が確立されつつある。特に、神経系の分野では、培養系確立の困難さが大きな制約要因となっており、ES細胞の段階で遺伝子に変異を加え、その生体への影響を見ようとする標的遺伝子組み換え法が、効力を発揮するものと思われる。本研究では、この標的遺伝子組み換え法による1型IP3受容体(以下IP3R)欠損マウスの作製と解析を、その内容としている。

1.相同組み換えを利用した、IP3R変異ES細胞の樹立1、マウスIP3R遺伝子開始コドン領域の単離、及び制限酵素地図の作成

 まず,マウスIP3RcDNA配列のうち、推定開始コドンを含む380bをプローブとして、129系マウスES細胞由来染色体DNAより作成したゲノムライブラリーをスクリーニングすることにより、11個のマウスIP3R遺伝子ファージクローンを得た。次に、これらのクローンを、推定開始コドンを含むオリゴヌクレオチド・プローブaを用いてスクリーニングすることにより、推定開始コドンを含む染色体DNAクローン(A1b)を単離した。このA1bDNAの、制限酵素(EcoRl,Xbal,Sall)等による切断パターンにより、マウスIP3R遺伝子開始コドン領域の制限酵素地図を作成した(全長13.7kb)。オリゴヌクレオチド・プローブaを用いたサザン法の結果より、開始コドンの存在領域を同定し、この周辺の塩基配列を決定したところ、同部位を含むエキソンは,cDNA配列313番から420番の108baseに相当し、この上流に少なくとも2つのnon-coding exonが存在することが判明した。また、転写開始部位を含むエキソン1特異的オリゴヌクレオチド・プローブbによる検索の結果、A1bは,同エキソンを含まないことが示された。さらに、cDNA中で、このエキソンのすぐ下流のエキソン配列に特異的なオリゴヌクレオチド・プローブcによる検索から、同エキソンは、A1b中で開始コドンを含むエキソンより4.4kb下流に位置し、cDNA配列421番から491番の71baseの配列に相当することが明らかとなった。

2、ターゲティング・ベクターAの作製

 ターゲティング・ベクターの型としては、導入したい変異の両側に相同遺伝子部を付加し、5’側及び3’側の二カ所での組み換えの結果、変異遺伝子が正常遺伝子と置換されることを期待する「置換型」を採用した。ターゲティング・ベクターAは、5’(2.0kb)側、3’(8.0kb)側いずれの相同領域とも、A1bよりその配列を得た。優性選択マーカーとしては、ネオマイシン遺伝子を用い、推定開始コドン直下(15塩基)のEcoRl部位にネオマイシン遺伝子が挿入される結果、IP3R遺伝子のオープン・リーディング・フレームがそこで中断されてしまい、機能を有する産物が産生されなくなることを期待した。また、相同組み換え体を濃縮して得るための、カウンターセレクション・マーカーには、HSV-TK ; Herpes simplex virus-thymidine kinaseを採用し、これを、5’相同領域の外側に連結した。ES細胞への導入の際には、ターゲティング・ベクターを直鎖状にすることが必要であるが、このための切断部位としては、3’相同領域の3’端に存在するXhol(pBluescript II KS-のmulti-cloning site)を選んだ。

3、開始コドン領域5’側への遺伝子歩行、制限酵素地図の作成、及びターゲティング・ベクターBの作製

 1と同じゲノムライブラリーに対して、Alb5’端に存在するプローブ11.0kbを用いて新たに得られた1クローン(13C)の解析から、このクローンは、A1bの上流4.7kbに始まりA1bの一部10.4kbに重なる、全長15.1kbであることが判明した。ターゲティング・ベクターBは、Aと同じ「置換型」ベクターであるが、、5’相同領域(7.6kb)が3’相同領域(1.2kb)より長く、前者の大部分の配列を13Cより得ている点が異なっている。(後者及び、優性選択マーカー前後の配列は、ターゲティング・ベクターAと全く同じ。)また、カウンターセレクション・マーカーには、DT-A ; Diphteria toxin A fragmentを採用し、これを、3’相同領域の外側に連結した。最後に、DNAを直鎖状にするための切断部位としては、5’相同領域5’端に存在するNotl(pBluescript II KS-のmulti-cloning site)を選んだ。

4、DNAのトランスフェクション

 ES細胞は、J1株(M.I.T.,R.Jaenisch研究室由来)を使用した。電気穿孔法は、30g DNA/2×107cells/1cubettについて、20F,400Vの条件下(BioRad Gene-Pulser使用)で行なった。培養、薬剤選択(G418及び、ターゲティング・ベクターAのみFIAU使用)、コロニー採取、細胞凍結、DNA抽出等は、全て常法に従った。

5、サザンハイブリダイゼーション法によるES細胞相同組み換え体の選別

 ES細胞より抽出したDNAを、全てEcoRIで消化し、サザン法によるスクリーニングを行った。ターゲティング・ベクターAでは、プローブl1.0kb(5’flanking領域)を、Bでは、プローブII0.7kb(3’flanking領域)を使用した。これにより、目的通り相同組み換えが起きた場合、野生型の5.3kbpのバンドに加え、3.2kbpのバンド(Aの場合)、あるいは3.6kbpのバンド(Bの場合)が、1対1の比率で現れるはずであるが、実際に期待通りのバンドパターンが得られたのは、Bの1クローン(No.162)のみであった(相同組み換え体/採取コロニー数は、A...0/764,B...1/567)。次に、No.162について、ブローブI(internal probe)を用いて、同様にEco RI消化でサザン法を行なうと、予想通りのバンドパターン(5.3kbp-3.2kbp)が得られ、5’側方向へ、ターゲティング・ベクターが連結して挿入される等の、異常がおきている可能性は、否定された。さらに、Neoブローブ(ネオマイシン遺伝子PstI-PstI670b)を用いて、同様にサザン法を行うと、予想通り3.6kbpバンドが得られ、ターゲティング・ベクターの2コピー挿入等の異常がおきている可能性は、否定された。以上より、このクローンは、目的通りの相同組み換え体であると判断された。

2.キメラマウスの作製を通じた、Flヘテロ個体の作製1、キメラマウスの作製

 自然交配させたC57BL/6より得たブラストシスト31個に対し、No.162ES細胞各12-15個をマイクロインジェクションし、計11匹のキメラマウスを得た。これらは全て雄であり、キメリズムの指標である雄性性転換が有意に認められたので、このうちさらに、毛色判定によるキメリズムの高い6匹(いずれも129系由来アグチ色が70-95%)を、F1マウス作製用に使用した。

2、F1マウス作製

 上記6匹のキメラマウスを、各2匹のC57BL/6(雌)に交配させた結果、6匹×2匹=計12腹より得られたF1のほぼ全て(78匹/79匹)が、ES細胞由来のアグチ色であった。次に、各個体の尾部より抽出したDNAを鋳型とし、開始コドンを含むエキソン直前のイントロン配列、Neoカセットpgk-1プロモーター内の配列をそれぞれ、5’-,3’-プライマーとしてPCR増幅を行ったところ、予想通り、約半数に当たる40匹(雄20匹、雌20匹)で、mutant alleleの指標である177bpのバンドが検出され、キメラマウスにおけるgermline transmissionが確認された。冒頭の様に1型IP3受容体は、個体内では、小脳プルキンエ細胞において、最も多く発現していることが知られている。従って、今回の変異導入により、もし期待通り蛋白が産生されなくなるとすると、1型IP3受容体の発現量が半分になったヘテロマウスが、小脳症状等を示す可能性は、考えられる。しかし、その様な、行動異常は、観察されなかった。また、同受容体は、初期形態形成に関与することが推測されているため、ヘテロマウスの出生率、体格等に影響を及ぼす可能性も考えられるが、その様な変化は、やはり観察されなかった。今後、ヘテロマウスどうしの兄妹交配により、F2ホモ個体、すなわち1型IP3受容体を、完全に欠損したマウスが得られれば、当初期待した通り、同受容体の個体レベルにおける機能を検索する上で、有用となり得ると考えられる。

審査要旨

 イノシトール3リン酸(IP3)受容体は,細胞内二次メッセンジャーであるIP3の受容体として細胞機能の制御に重要な役割を果たしているが,個体レベルでの役割については,いまだ十分に解明されていない。本論文は,現在までに報告されている3種の受容体のうち,小脳プルキニエ細胞において高濃度の発現が見られ,小脳の機能及びその形態形成に関わることが予測されている1型IP3受容体に着目し,標的遺伝子組み換え法による欠損マウスの作製を試みたものであり,その成果は以下のように要約できる。

 第1章で,マウスの胚性幹細胞(ES細胞)における相同遺伝子組み換えを利用して,1型IP3受容体の遺伝子に変異を導入するためのターゲッテングベクターの構築および標的遺伝子組み換え法による変異ES細胞の樹立について述べている。まず,マウス1型IP3受容体cDNA配列のうち,推定開始コドンを含む380bをプローブとして,129系マウスES細胞由来染色体DNAより作成したゲノムライブラリーをスクリーニングすることにより,推定開始コドンを含む染色体DNAクローン(Alb)を単離し,制限酵素による切断パターンにより,マウスIP3R遺伝子開始コドン領域の制限酵素地図を作成した(全長13.7kb)。さらに,オリゴヌクレオチド・プロープを用いたサザン法の結果より,開始コドンの存在領域を同定し,この周辺の塩基配列を決定した。ターゲティング・ベクターの型としては,導入したい変異の両側に相同遺伝子部を付加し,5’側及び3’側の二カ所での組み換えを期待する「置換型」を採用し,ターゲティング・ベクターAおよびBの2種類を構築した。いずれも,優性選択マーカーとしてはネオマイシン遺伝子を用い,推定開始コドン直下(15塩基)のEcoRI部位にネオマイシン遺伝子が挿入される結果,正常遺伝子のオープン・リーディング・フレームがそこで中断され,機能しなくなることを期待した。また,相同組み換え体を濃縮するためのカウンターセレクション・マーカーには,A型ではHerpes simplex virus-thymidine kinase(HSV-TK)を採用して,これを,5’相同領域の外側に連結し,B型ではDiphteria toxin A fragment(DT-A)を3’相同領域の外側に連結した。ES細胞は, J1株を使用し,電気穿孔法によりベクターを導入し,薬剤選択(G418及び,ターゲティング・ベクターAのみFIAUな使用)条件下に培養して,サザンハイブリダイゼーション法による相同組み換え体ES細胞の選別を行った。

 その結果,1,331個のコロニーの中からターゲティング・ベクターBを用いた1クローン(No.162)において期待通りのバンドパターンを得ることに成功し,さらに詳細な解析を行い,このクローンが目的通りの相同組み換え体であることを確認した。

 第2章では,No.162クローンを用いてキメラマウスを作製し,さらに,FlおよびF2個体の作製して,その表現型を解析している。まず,自然交配させたC57BL/6雌マウスより得た胚盤胞に対し,No.162ES細胞各12-15個なマイクロインジェクションし,計11匹の雄キメラマウスを得た。次いで,毛色判定によるキメリズムの高い6匹を,各2匹のC57BL/6雌マウスに交配した結果,得られた産子のほぼ全て(78匹/79匹)が,ES細胞由来の毛色を示し,変異遺伝子の伝達が期待されたので,各個体の尾部より抽出したDNAを鋳型とし,開始コドンを含むエキソン直前のイントロン配列およびNeoカセットpgk-1プロモーター内の配列をプライマーとしてPCR増幅を行ったところ,予想通り,約半数に当たる40匹(雄20匹,雌20匹)で,変異遺伝子特有のバンドが検出され,キメラマウスにおける生殖系列への遺伝子の伝違が確認された。これらのヘテロ接合型マウスは,野生型に比べ,出生率,体格,行動とも特に変化は認められなかった。

 次いで,ヘテロ接合型個体間の兄妹交配(41組)により300匹のF2マウスを得た。これらF2マウスの遺伝子型決定を行ったところ,F2ホモ個体に関し次の二つの表現型が認められた。すなわち,1)ホモ個体の出生率は5.5%と低く,期待値の25%には遥かに及ばなかった。また生まれて来たホモ個体15匹のうち半数に近い5匹は体格矮小であり,正常な大きさのものを含む5匹が生後10日目以前に死亡した。2)生後13日目以降生き残ったホモ個体の全てが,10日目前後より,後肢開脚,左右の上肢不平衡,捻転,後弓反張等の特有の神経症状な示し,これらは全て26日目以前に死亡した。これら神経症状を示すマウスは全てホモ接合型であり,遺伝子型と表現型の完全な一致が認められた。また,抗マウス1型IP3受容体抗体18A10を用いた免疫組織染色では,ホモ個体における1型IP3受容体のほぼ完全な欠損が確認された。

 以上要するに,本論文は,標的遺伝子組み換え法による1型IP3受容体欠損マウスの作製に成功し,興味深い知見を得たものであり,学術上,応用上貢献する所が少なくない。よって,審査員一同は,本論文が,博士(獣医学)の学位論文として十分価値あるものと判定した。

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