学位論文要旨



No 111311
著者(漢字) 大迫,誠一郎
著者(英字)
著者(カナ) オオサコ,セイイチロウ
標題(和) 精細胞特異的カルシウム結合タンパク : カルネキシンT
標題(洋)
報告番号 111311
報告番号 甲11311
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1602号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 三菱化学生命研究所 部長 藤本,弘一
内容要旨

 精子発生(Spermatogenesis)は、精祖細胞(Spermatogonium)の体細胞分裂、精母細胞(Spermatocyte)の減数分裂、精子細胞(Spermatid)の形態変異を含む、細胞分化過程である。中でも精子細胞の形態変異は、精子形成(Spermiogenesis)と呼ばれ、古くから組織学者、細胞学者の関心を集めたダイナミックな細胞の形態変化である。精細胞が精子へと変態していくためには、その分化の過程で精子発生に特異的な遺伝子の発現が必要である。現在までに、プロタミンなどの塩基性核タンパクや解糖系酵素など数多くの精細胞特異的遺伝子が分離同定され、精子形成におけるそのタンパクの機能について検討されている。一方、精細胞小胞体は精子細胞内で3次元的ネットワーク構造をとり、細胞間橋を通じて隣接する精子細胞同士を同調させたり、アクロゾームタンパクなどの分泌タンパクの合成に関与したり、精子細胞細胞質が精子形成の最終段階で除去される際に何らかの影響を持つなど重要な機能を持っていることが示唆されている。しかしながら、上述のように数々の精細胞特異的タンパクが分離されているにもかかわらず、精子細胞小胞体に特異的なタンパクの報告はこれまでなかった。本研究では著者がハムスター精巣の精細胞ステージ特異的抗原の解析の中で発見した、分子量約100kDaの精細胞小胞体特異的タンパク(カルネキシンT)について、1)組織化学的分布所見、2)cDNA分子クローニングおよび塩基配列決定、3)発現ベクターを用いたタンパク構造の生化学的解析により、本タンパクの精子形成における役割について考察した経緯を示す。

 まず第1章では、本タンパクを認識するモノクローナル抗体1C9を用い、本タンパクがハムスターのみならず、マウスやラットの同一ステージの精細胞に発現していること、また他の組織では全く交叉反応が見られないことをウエスタンプロットで確認した。また、ブアン固定のパラフィン切片を用いた光学顕微鏡レベルの免疫組織化学で、本タンパクはパキテン中期の精母細胞からstep15の精子細胞まで発現していることが確認された。特に伸長型精子細胞の濃縮しつつある核後方部に強い反応が認められた。さらに親水性樹脂を用いた免疫電顕観察により、このタンパクは陽性の精細胞の小胞体膜上に局在していることが確認された。陽性の精子細胞の核後方部に強い反応が認められたのは、伸長型精子細胞に特異的な構造物であるマンシェットと呼ばれる微小管束の周囲に多くの小胞体が集積しているためであった。またゴルジ装置、アクロゾーム、細胞膜などの他の膜系には反応は見られなかった。さらにミクロゾームとサイトゾルを用いたウエスタン解析では反応はミクロゾームにのみ認められ、小胞体局在を支持するものであった。またアフィニティー精製により、全量425mgのハムスター精巣タンパク抽出液から約320g回収され、このタンパクが精細胞中に多量に存在していることが示された。過去においてこのような発現様式を示す同様な分子量のタンパクは報告されていないこととから、このタンパクは新しい精細胞特異的タンパクであると考えられ、精子形成後期に何らかの重要な役割を持っていると推測された。

 第2章ではこのタンパクの構造を明らかにするために、マウス精巣cDNAライブラリーより本タンパクのcDNAを1C9抗体を用いたイムノスクリーニングでクローニングした。釣り出された5つのクローンのうち最大長の2.3kbのクローンA2/6の全塩基配列を決定したところ、このcDNAは1,833bpのオープンリーディングフレームと232bpの5’非翻訳領域、220bpの3’非翻訳領域および19bpのポリAテールにより構成されていることが明らかとなった。予想されるタンパクは611個のアミノ酸からなり、計算上の分子量69,454Daであった。GenBankとのデータ検索の結果、A2/6cDNAのオープンリーディングフレームはカルネキシンに60%の類似性を、カルレティキュリンに47%の類似性を示すことが明らかとなった。またアミノ酸レベルでカルネキシンには54%の類似性、カルレティキュリンに27%の類似性を持つことが明らかとなった。本タンパクは、N-(アミノ酸1-300)、P-(301-450)、C-(451-611)領域の3つに分割できるが、N-領域には19-残基の小胞体へのシグナル配列がアミノ末端に見られ、P-領域はプロリンが豊富な繰り返し配列で、カルネキシンやカルレティキュリンにおいて報告されている高親和性のカルシウム結合ドメインに酷似していた。C-領域にはカルネキシンに見られるような一つの膜貫通ドメインと、細胞質側ドメインにはカゼインキナーゼIIリン酸化部位が認められた。マウスの精巣、脳、腎臓、肝臓、心臓、脾臓、精巣上体、分離パキテン精母細胞、分離円形精子細胞に対し、A2/6を用いたノーザン解析では精巣と分離精細胞のみに2.4kbのメジャーなシグナルが認められ、この転写体が精細胞特異的であることが示された。またマウスのゲノムDNAを用いたサザン解析では、この転写体は単一遺伝子に由来していることが示された。計算値分子量はウエスタンプロットの結果よりはるかに小さいものであったが、このcDNAからin vitro転写翻訳により合成されたタンパクは分子量約100kDaに泳動され、A2/6は目的のタンパクであることが確認された。さらにバクテリア組み替えタンパクを用いてカルシウム結合実験を行ったところ、明らかな結合活性が認められた。これらのことから著者は、構造的類似性を考慮して、本タンパクを精細胞特異的カルネキシン変異種として、カルネキシンTと命名した。

 第3章ではさらにこのカルネキシンTの性状を検討するため、N-,P-,C-各領域の組み替えタンパクを作製した。カルシウム結合能は予想通り、P-領域に最も強く認められた。またモノクローナル抗体1C9もP-領域に反応することが分かった。次にカルネキシンTの全ドメインを含む組み替えタンパクに対するポリクローナル抗体(A-130)を作製し、N-およびP-領域を含む組み替えタンパクで吸収することで、C-領域に対する抗体(Anti-C)を作製した。生後10,18,26,60日齢のマウス精巣でこれら3種の抗体(1C9,A-130,Anti-N)を用いてウエスタン解析を行ったところ、すべて101kDaのタンパクを優位に認識したが、1C9,A-130は99kDaのバンドも認識した。また精巣切片の免疫組織化学ではA-130,Anti-Nともパキテン期精母細胞と精子細胞ともに強い反応が認められたが、1C9では精母細胞に対する反応は弱かった。カルネキシンTはリン酸化タンパクであることが予想されるため、次にフォスファターゼを用いて精巣ミクロゾームを脱リン酸化したところ、101kDaのカルネキシンTのバンドは93kDaに減少した。この分子量の減少はHeLa細胞S100分画で再びもとに戻った。さらに驚くべきことに、バクテリア内で誘導した組み替えタンパクも脱リン酸化によって分子量の減少が認められ、バクテリア発現系でもこのタンパクはリン酸化を受けていることが示唆された。分子量の減少が確認できたのは、C-領域のみであった。また実際に放射性の32Pとともにバクテリアを培養するとC-領域がラベルされることから、これがリン酸化であることが証明された。これらの結果から、カルネキシンTは精巣内でも高度にリン酸化されており、Anti-Cがこのリン酸化フォームのドメインを認識すると考えられることから、上述のウエスタン解析、免疫組織化学の結果は、カルネキシンTのリン酸化が精細胞の分化ステージに依存していないことを提起している。

 以上のように本研究では新しい精細胞の小胞体に特異的カルシウム結合タンパク、カルネキシンTを分離同定した。このタンパクは細胞質ドメインを高度にリン酸化されており、小胞体の内腔ドメインにカルシウム結合部位を持つ。本タンパクの精子形成における機能は依然不明であるが、1)体細胞タイプのカルネキシンが小胞体内で合成されたばかりの糖タンパクに相互作用する分子シャペロンであることから、カルネキシンTもアクロゾーム酵素などの糖タンパク前駆体にシャペロンとして結合し、アクロゾームの形成時期を調整しているのではないかと推測される。また2)細胞質側にもリン酸化されたドメインを持っており、第1章の電子顕微鏡観察でこのタンパクを最も多く発現する精細胞小胞体と細胞骨格との相互作用が示唆されたこと考慮すると、微小管などの細胞骨格と小胞体を結びつけるレセプタータンパクである可能性も考えられる。

審査要旨

 精子発生の中でも精子細胞の形態変異は,精子形成と呼ばれ,古くから組織学者,細胞学者の関心を集めたダイナミックな細胞の形態変化であるが,その分化の過程には精細胞に特異的な遺伝子の発現が必要である。現在までに数多くの精細胞特異的遺伝子が分離同定されている。一方,精細胞小胞体は精子細胞内で3次元的ネットワーク構造をとり,精子細胞間の生理的同調性や,分泌タンパクの合成の機能を持っている。しかし,精子細胞小胞体に特異的なタンパクの報告はこれまでなかった。本研究では著者がハムスター精巣の精細胞ステージ特異的抗原の解析の中で発見した,分子量約100kDaの精細胞小胞体特異的タンパクについて論じた。

 第1章ではモノタローナル抗体1C9を用い,本タンパクがハムスターのみならず,マウスやラットの精巣に発現していること,また他の組織では全く交叉反応が見られないことを確認した。光顕免疫組織化学で,パキテン中期の精母細胞からstep15の精子細胞まで発現していること,さらに免疫電顕観察で,このタンパクが陽性の精細胞の小胞体膜上にのみ局在している事を明らかにした。また精巣タンパク抽出液中の約0.1%からこのタンパクをアフィニティー精製により精製し,精細胞中に多量に存在している事を示した。

 第2章ではこのタンパクの構造な明らかにするために,マウス精巣cDNAライブラリーより本タンパクcDNAを1C9を用いてクローニングした。2.3kbのクローンA2/6の全塩基配列を決定したところ,予想されるタンパクは611個のアミノ酸からなり,遺伝子データ検索の結果,小胞体分子シャペロンのカルネキシンに54%の類似性を持つことが明らかとなった。A2/6タンパクは,N,P,C領域の3つに分割できるが,P領域はプロリンが豊富な繰り返し配列で,カルレティキュリンの高親和性のカルシウム結合ドメインに酷似していた。C領域は細胞質側ドメインと考えられ,カゼインキナーゼIIリン酸化部位が認められた。マウスの精巣および他組織のノーザン解析では精巣のみにシグナルが認められ,またサザン解析ではこの転写体は単一遺伝子に由来していることが示された。計算値分子量は予想より小さいものであったが,無細胞系により合成されたタンパクは100kDaに泳動され,A2/6は目的のタンパクであることが証明された。さらにバクテリア組み替えタンパクは明らかなカルシウム結合能を示した。そこで本タンパクを精細胞特異的カルネキシン変種として,カルネキシンTと命名した。

 第3章ではさらにこのカルネキシンTの性状を検討するため,N,P,C各領域の組み替えタンパクを作製した。カルシウム結合能はP領域に最も強く認められた。次にカルネキシンTの全ドメインを含む組み替えタンパクに対するポリクローナル抗体A-130,C領域に対する抗体Anti-Cを作製した。ウエスタン解析を行ったところ,すべて101kDaのタンパクを優位に認識した。また精巣切片の免疫組織化学ではA-130,Anti-Cともパキテン期精母細胞と精子細胞に強い反応が認められた。カルネキシンTはリン酸化タンパクであることが予想されるため,フォスファターゼを用いて精巣ミクロゾームを脱リン酸化したところ, 101kDaのカルネキシンTのバンドは93kDaに減少した。さらに,組み替えタンパクも脱リン酸化によって分子量の減少が認められ,バクテリア発現系でもこのタンパクはリン酸化を受けていることが分かった。分子量の減少が確認できたのは,C領域のみであった。これらの結果からカルネキシンTは精巣内でも高度にリン酸化されており,Anti-Cがこのリン酸化フォームのドメインを認識すると考えられることから,上述のウエスタン解析,免疫組織化学の結果はカルネキシンTのリン酸化が精細胞の分化ステージに依存していないことを提起している。

 以上本研究では精細胞小胞体に特異的カルシウム結合タンパクを分離同定した。このタンパクは細胞質ドメインが高度にリン酸化されており,小胞体の内腔ドメインにカルシウム結合部位を持つ。カルネキシンTの精子形成における機能は依然不明であるが,体細胞タイプのカルネキシンが小胞体内で合成されたばかりの糖タンパクに相互作用する分子シャペロンであることから,アクロゾーム酵素などの糖タンパク前躯体にシャペロンとして結合し,アクロゾームの形成時期を調整しているのではないかと推測される。

 このように,本研究は学術的に貢献するところが大であり,審査員一同は本論文が博士(獣医学)に価すると判定した。

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