学位論文要旨



No 111316
著者(漢字) 吉野,正康
著者(英字)
著者(カナ) ヨシノ,マサヤス
標題(和) マウス組換え高発部位に関する遺伝学的研究
標題(洋) Genetical studies on recombinational hotspots in the mouse
報告番号 111316
報告番号 甲11316
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1607号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 河本,馨
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 教授 林,良博
 国立遺伝学研究所 助教授 城石,俊彦
内容要旨

 哺乳動物における減数分裂組換えの研究において、マウス主要組織適合抗原複合体(MHC)領域は、最も優れた材料の1つである。1.2Mb(組換えが任意の位置で起こると仮定すれば、0.6%の組換え頻度に相当する大きさ)離れてMHCの両端に位置するK、D遺伝子は、非常に多型に富んだ細胞表面抗原をコードしている。したがって、血清学的手法により迅速にK-D間組換え体をスクリーニングすることができる。また、K-D間には多数の遺伝子が単離同定されており、K-D間組換え体の切断点を詳細に解析することができる。さらに、MHCだけが異なり他のバックグランドは同一であるB10.H-2コンジェニック系統が多数確立されており、様々なMHCハプロタイプの効果を解析することができる。

 マウスMHCの近位側に位置するクラスII領域に関しては、組換えの切断点が詳細に解析されており、切断点は任意に分布するのではなく、交配に用いたMHCハプロタイプに依存した固有のクラスターをなして分布する(ホットスポット)ことが明らかになっている。即ち、標準実験用マウスのMHCハプロタイプ(b、d、k、s)の間のヘテロ接合では、K-Ab遺伝子座間での組換え頻度は0.02%と極めて低いのに対して、この標準実験用マウスMHCとアジア産野生マウス由来のMHCハプロタイプwm7、cas3、cas4とのヘテロ接合では、K-Ab間での組換えが夫々2.1%、0.6%、1.5%と高い頻度で観察される。したがって、これらのアジア産野生マウス由来のMHCハプロタイプにはK-Ab間での組換えを促進する因子が存在し、しかもその促進因子は遺伝的に優性に働くと結論できる。さらにK-Ab間での組換え体の切断点を詳細に解析した結果、wm7とcas3ではLmp2遺伝子近傍に位置する1〜4kbのDNA断片に(Lmp2ホットスポット)、cas4はこれより100kbセントロメア側にあるPb遺伝子近傍の約40kbのDNA断片に(Pbホットスポット)に限定し組換えが観察された。まず最初に、このような野生マウス由来MHC間でのヘテロ接合を用い、組換え促進因子の遺伝子量が組換えの頻度や部位に及ぼす効果を調べた。相同染色体の同一部位にホットスポットを持つwm7とcas3の間でのヘテロ接合において、総計2970頭の戻し交配から35個体のK-D間組換え体を得(1.2%)、21個体のK-Ab間組換え体を得た(0.7%)。つまり、頻度に対するwm7/cas3の2遺伝子量による相加的効果は認められなかった。K-Ab間組換え体の切断点を解析したところ、切断点はLmp2ホットスポットに限られ、組換えの部位特異性は保存されていた。相同染色体の異なった部位にホットスポットを持つwm7とcas4の開でのヘテロ接合において、総計600頭の戻し交配から15個体のK-D間組換え体を得(2.5%)、8個体のK-Ab間組換え体を得た(1.3%)。この結果から、wm7/cas4での2遺伝子量による頻度に対する相加的効果は認められなかった。K-Ab間組換え体の切断点を解析した結果、切断点はPbホットスポットとLmp2ホットスポットの2つの領域に分配され、wm7とcas4の交配では2つのホットスポットの両方に組換え活性があることが明らかになった。

 wm7(またはwm7由来の組換え体であるR209)のヘテロ接合の相手にB10、B10.Aを用いると、Lmp2遺伝子近傍のホットスポットにおいて極めて高い頻度(2%)で組換えを起こす。次に、以下の3点を考慮して、4種類のMHCハプロタイプを相手にwm7のヘテロ接合を作製し組換え頻度を算出した。(1)MHCに関してはB10系統と血清学的に同じbハプロタイプを持つが、バックグラウンドがB10と遺伝的距離が大きい129系統を用いた場合。(2)B10と最も遺伝的距離が大きい系統の1つであるDBA/2系統由来のMHCを持つB10.D2を交配の相手とした場合。(3)東南アジアの野生マウスに特徴的なMHCハプロタイプを持つB10.M、B10.TEN1を交配の相手とした場合。この結果、(1)129系統との交配では、B10、B10.Aとの場合と同様にK-Ab間で高い組換え頻度を得た。また、組換えの切断点は、B10、B10.Aと同様にほとんどがLmp2ホットスポットにマップされた。このことから、バックグランドがB10であることとは無関係に、wm7はLmp2ホットスポットでの組換えを促進すると結論できる。(2)B10.D2系統との交配では、B10、B10.Aとの場合と比較して、K-Ab間の組換え頻度は低かった。しかし、組換えの切断点は、B10、B10.AでみられたLmp2ホットスポットにマップされた。(3)B10.M、B10.TEN1を交配の相手とした場合、K-Ab間の組換え体は得られなかった。次に、B10、B10.A、129、B10.D2、B10.M、B10.TEN1ならびにCAS4のLmp2ホットスポットの塩基配列と、これらの系統とwm7のヘテロ接合がホットスポットで組換えを起こす頻度を比較した。その結果、wm7の組換え頻度は、交配の相手のホットスポット内に存在する57bp反復配列の数、同じくTCTG反復配列の数と相関がみられた。すなわち、両者ともwm7とコピー数が一致するB10、B10.A、129では約2%と高く、TCTG反復配列のみwm7とコピー数が一致し57bp反復配列の数は一致しないB10.D2とCAS4では0.3%と低くなり、ともにwm7と一致しないB10 M、B10.TEN1では全く組換えが起きなかった。この結果は、組換え頻度は相同染色体間での塩基配列の相同性と相関があることを示唆している。

 前述したように、マウスMHCクラスII領域では、組換え部位は任意に分布するのではなく、特定のクラスターに集中して存在する。このような組換え部位のゲノム上での偏りは、MHCクラスIIという領域に特異的にみられる現象なのか、それとも、他のゲノム領域でも普遍的に観察されるのかという問題は、非常に興味深い。この問題に答えるための第一歩として、MHCクラスIII領域での組換え部位の分布を解析した。マウス乳ガンの形成に関与するInt3遺伝子、細胞間マトリクスの1つであるテネイシンX遺伝子、ホルモンの合成に関わるCyp21遺伝子、血液補体成分のC4、Bf遺伝子、精子の形態形成に関与しているHsp70遺伝子、サイトカインとして働くTnf遺伝子などが存在するMHCクラスIII領域は、抗原提示に関わる細胞表面抗原をコードする遺伝子が多数クラスターをなして存在するMHCクラスIやクラスII領域とは進化的起源が異なっていると考えられている。主にアジア産野生マウス由来のMHCと標準的な実験用マウスが持つMHCの間でのクラスIII内組換え体79個体について、前述の遺伝子のDNAプローブを用いて組換え部位の分布を解析したところ、40系統の組換え切断点がクラスIII近位端のInt3とTnx遺伝子の間、または、そこと重複する領域にマップされた。標準的な実験用マウスのみを用いた場合では、クラスIII近位での組換えは希であることが報告されているので、この結果は、クラスIII近位にはアジア産野生マウスに固有にみられるホットスポットが存在することを示唆しており、MHCクラスIII領域での組換えも交配に用いたMHCハプロタイプに依存して不均等に起こることを示している。

審査要旨

 減数分裂における組換えの機構の解明は,遺伝学における最も基本的な研究課題の一つである。本論文は、マウスの主要組織適合抗原複合体(MHC)領域に位置する組み換えの高頻度部位(組換えのホットスポット)に着目し,その遺伝学的解析を行ったものである。論文は,3章に大別され,その内容は以下のように要約できる。

 まず,第一に,MHCクラスII領域に位置する高頻度部位特異的組換えを示す染色体領域を2本の相同染色体の両方に持たせたマウスの交配を行い,組換え頻度に対してホットスポットは優性に働くことを示し,さらに,PbとLmp2の異なる2つのホットスポットに注目し,ヘテロ接合体では両者は協調して働くことはなく,組換え活性を高めることはないことを示している。これらの結果は3500匹にもおよぶ戻し交雑個体から得られたものであり,そこから導かれる結論は非常に信頼性が高い。この他にも評価すべきこととして,Pbホットスポットの詳しい解析を行っていること,およびwm7ハプロタイプについてはヘテロ接合の相手の遺伝子型により,Lmpホットスポットでの組換え率が異なることを指摘したこと,およびEa遺伝子からクラスIII補体領域での高頻度組換えを見出したことが挙げられる。

 第二に,Lmp2ホットスポットにおいて,遺伝子型に依存した組換え率と遺伝子型間の塩基配列の比較から,ホットスポットでの組換え率は2本の染色体間の相同性の程度に依存していることを明らかにしている。さらに,不均等な反復配列のコピー数はホットスポットにおける組換えを阻害するが,点突然変異はさほど組換えを阻害しないことを示唆する結果を得ている。組換え反応における基質であるDNA間の塩基配列の同一性の役割は多くの生物種で記載されてきたが,真核生物の減数分裂期で見られる組換え反応では本研究が初めてであり,注目に値する。

 第三に,組換えのホットスポットがゲノム上に普遍的に認められる現象か否かを検討するために,MHCクラスIII領域の解析を行っている。すなわち,抗原の提示,認識に関与する免疫系に関わる遺伝子が多重遺伝子族を形成するMHCクラスII領域が非常に多型的であることから,免疫系の遺伝子の多様性をさらに高めるために組換えのホットスポットがMHCクラスII領域に出現,進化してきたとする仮説があるが,この仮設を検証するために,免疫系には関係のない遺伝子が多数位置するMHCクラスIII領域にも組換えのホットスポットが存在するかどうかを,79個体のAb遺伝子からD遺伝子間での組換え体と11の遺伝マーカーを用いて解析した。その結果,MHCクラスIII領域でも組換えは不均等に分布していることを明らかにした。これに加え,Hsp70遺伝子からTnf遺伝子までの領域に示唆されていた組換えのホットスポットの存在を確証し,さらに,Int3遺伝子からTnx遺伝子までの領域に新たにホットスポットを同定した。また,MHCクラスIII領域においてもクラスII領域と同様に,MHCハプロタイプに依存して組換え切断点の位置が変わることを示した。

 以上要するに,本論文は,緻密なデータに基づき,マウスにおけるMHC領域での組換えの頻度を制御する機構に関する新しい知見を得たものであり,学術上,応用上,貢献する所が少なくない。よって,審査員一同は,本論文が,博士(獣医学)の学位論文として十分価値あるものと判定した。

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