学位論文要旨



No 111319
著者(漢字) スリ・アグス・スジャルオ
著者(英字)
著者(カナ) スリ・アグス・スジャルオ
標題(和) 血管におけるエンドセリン受容体のサブタイプと情報伝達
標題(洋) Endothelin receptor subtypes and signal transduction in blood vessels
報告番号 111319
報告番号 甲11319
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1610号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨

 エンドセリン-1(ET-1)はブタの培養血管内皮細胞から分離された、強力な血管収縮物質である。その後ET-1とはアミノ酸残基が2ないし6個異なるET-2およびET-3が見つかり、ファミリーが存在することがわかった。さらにエンドセリンファミリーにはAtractaspis engaddensisより分離され、構造的にも機能的にもエンドセリンと良く似ているサラフォトキシンも加わった。エンドセリンには2つの受容体が知られている。ET-1によって選択的に活性化されるETA受容体とET-1およびET-3により非選択的に活性化されるETB受容体である。ETA受容体は血管収縮に関与し、血管の弛緩作用は内皮細胞にあるETB受容体が関与している。

 近年、エンドセリン受容体に選択的な作動薬や阻害薬が開発され、エンドセリンの生理作用や受容体の性質の検討が可能になった。そこでエンドセリンの血管収縮作用および弛緩作用の機序を解明するため、血管内皮および平滑筋のエンドセリン受容体とその情報伝達系について検討した。

1.血管内皮

 ラット大動脈標本にIRL1620またはET-3を投与すると、静止張力にはほとんど影響を与えずに内皮細胞の細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)を増加させた。ETB受容体の選択的拮抗薬であるIRL1038によりIRL1620の作用は抑制された。ET-3は[Ca2+]iも収縮も増加させ、これらの作用はETA受容体の選択的拮抗薬であるBQ-123により抑制された。外液Ca2+不在下ではIRL1620およびET-3は内皮の[Ca2+]iを一過性に増加させた。

 ノルエピネフリンで収縮させたラット大動脈標本において、IRL1620やET-3は内皮の[Ca2+]iを増加させ、平滑筋収縮を抑制した。NO合成酵素阻害薬であるNG-monomethyl-L-arginine(L-NMMA)はIRL1620やET-3による内皮の[Ca2+]iの増加を抑制せず、収縮抑制のみを解除した。内皮除去標本あるいはIRL1038存在下ではIRL1620やET-3による内皮の[Ca2+]iの増加および平滑筋収縮抑制作用は抑制されたが、BQ-123やベラパミルは無効であった。これらの結果からIRL1620やET-3が内皮細胞のETB受容体に作用して、貯蔵部位からのCa2+遊離やL型電位依存性Ca2+チャネル以外の経路からのCa2+流入により内皮の[Ca2+]iを増加させ、NO合成酵素を活性化し、NOを遊離して血管平滑筋を弛緩させることが示唆された。

2.血管内皮と平滑筋の相互作用

 ラット大動脈のエンドセリン収縮は内皮除去、IRL1038、L-NMMAにより同程度に増強された。IRL1038やL-NMMAは内皮除去した血管には作用しなかった。これらの結果から内皮細胞存在下ではエンドセリンはETB受容体を活性化させて内皮からNOを遊離させ、それが平滑筋のETA受容体を介する収縮作用を抑制するものと考えられた。

3.動脈におけるエンドセリン収縮

 ラット大動脈やブタの肺動脈ではET-1やET-3は収縮作用を示したが、ETB受容体の選択的作動薬であるサラフォトキシンS6cやIRL1620は無効であった。この収縮はBQ-123により抑制されたが、ETB受容体の選択的拮抗薬であるRES-701では抑制されなかった。これらの結果はエンドセリンが平滑筋のETA受容体に作用して収縮をひきおこすことを示す。

 これらの動脈で[Ca2+]iと収縮を同時測定すると、ET-1やET-3は持続性に[Ca2+]iを増加させ、収縮も持続性に増加させた。この[Ca2+]iの増加と収縮はBQ-123により抑制されたが、RES-701は無効であった。同じ[Ca2+]i当たりの収縮の大きさは高濃度K+よりも大きかった。Ca2+除去液中ではET-1やET-3は一過性に[Ca2+]iを増加させ、またゆっくりと持続性収縮もひきおこしたが、これらの作用はBQ-123により抑制された。これらの結果からETA受容体がCa2+遊離とCa2+流入さらにはCa2+感受性の増加の機構と関連していること、しかしCa2+遊離は収縮機構を活性化しないことが示された。

 毒素で脱膜化した標本はCa2+により収縮する。ET-1とGTP存在下ではCa2+収縮が増強された。BQ-123はCa2+収縮を変化させなかったが、ET-1とGTPによるCa2+収縮の増強を抑制した。これらの結果はETA受容体が収縮蛋白のCa2+感受性を増加させることを示した。

4.静脈におけるエンドセリン収縮

 ウサギ伏在静脈においてET-1あるいはET-3の投与は持続性収縮を引き起こしたが、サラフォトキシンS6cやIRL1620による収縮は一過性であった。BQ-123存在下ではET-1あるいはサラフォトキシンS6cやIRL1620による収縮は変化しなかったが、ET-3収縮は一過性になった。RES-701はこれらの収縮にほとんど影響しなかった。サラフォトキシンS6c処置によりETB受容体を脱感作すると、サラフォトキシンS6cやIRL1620による収縮は消失し、ET-3収縮も強く抑制されたが、ET-1収縮はほとんど変わらなかった。ETB受容体を脱感作した標本において、BQ-123はET-3収縮を完全に抑制し、ET-1収縮を一部抑制した。同様な結果はブタ肺静脈でも認められた。これらの結果から静脈には脱感作されにくくET-1選択性の高いETA受容体と、脱感作され易くリガンド選択性の低いETB受容体の2種類が共存することがわかった。さらにETA受容体はBQ-123に感受性のETA1受容体とBQ-123に非感受性のETA2受容体に分けられた。またETB受容体も拮抗薬に感受性のETB1受容体と非感受性のETB2受容体に分けられた。

 ブタの肺静脈においてET-1とET-3は[Ca2+]iと収縮を持続性に増加させたが、サラフォトキシンS6cやIRL1620による[Ca2+]iと収縮の増加は一過性であった。BQ-123存在下ではET-1あるいはサラフォトキシンS6cやIRL1620による[Ca2+]iと収縮の増加は変化しなかったが、ET-3による[Ca2+]iと収縮の増加は一過性になった。RES-701はET-1、ET-3、サラフォトキシンS6cによる[Ca2+]iと収縮の増加にほとんど影響しなかったが、IRL1620の作用を完全に抑制した。ETB受容体を脱感作した標本では、サラフォトキシンS6cやIRL1620の作用は消失したが、ET-1やET-3の作用は変わらなかった。同じ[Ca2+]i当たりの収縮の大きさはこれらの作動薬の方が高濃度K+より大きかった。Ca2+除去液中ではET-1やET-3は[Ca2+]iを一過性に増加させ、持続性の収縮を発生させたが、サラフォトキシンS6cは[Ca2+]iを増加させずに小さな持続性収縮を発生させ、IRL1620は無効であった。これらの結果は静脈のETA受容体がCa2+遊離(これは収縮とは関係していない)とCa2+流入さらにはCa2+感受性の増加の機構と関連していることを示した。また静脈のETB受容体はCa2+遊離をおこさず、Ca2+流入とCa2+感受性の増加の機構と関連していることを示した。

 毒素処理標本のCa2+収縮はET-1とGTP存在下で増強された。BQ-123とIRL1038両者の存在下でもCa2+収縮もET-1とGTPによるCa2+収縮増強作用も抑制されなかった。これらの結果はエンドセリンがETB受容体(主にETB2受容体)とETA受容体(主にETA2受容体)の両方またはどちらか一方を介して収縮蛋白のCa2+感受性を増加させることを示した。

5.エンドセリン収縮におけるCキナーゼの役割

 ウサギ伏在静脈においてCキナーゼ阻害薬のカルフォスチンC処置やCキナーゼの不活化は、ET-1、ET-3、サラフォトキシンS6c、IRL1620による収縮の用量反応曲線を右方に移動させた。RES-701はカルフォスチンCの作用を変化させなかった。ETB受容体を脱感作した標本では、カルフォスチンC処置やCキナーゼの不活化はET-3の作用を完全に抑制し、ET-1の作用を一部抑制した。毒素処理標本においてカルフォスチンC処置やCキナーゼの不活化は、エンドセリンによるCa2+収縮の増強を一部抑制した。ETB受容体を脱感作させた標本におけるカルフォスチンC処置やCキナーゼの不活化はエンドセリンの作用を完全に抑制した。これらの結果からETA受容体を介するCa2+感受性の増加はCキナーゼの活性化に依存するが、ETB受容体を介するCa2+感受性の増加はCキナーゼにほとんど依存しない可能性が示された。

5.静脈のエンドセリン収縮におけるミオシン軽鎖キナーゼの役割

 ミオシン軽鎖キナーゼ阻害薬のウオートマンニンは[Ca2+]iを減少させずに、ET-3、サラフォトキシンS6c、IRL1620による収縮を完全に抑制した。しかしET-1収縮は部分的に抑制されたのみであった。ETB受容体を脱感作した標本では、ウオートマンニンはET-3の作用を完全に抑制したが、ET-1収縮の抑制は部分的であった。この結果からエンドセリン収縮はミオシン軽鎖キナーゼの活性化に依存するが、ETA2受容体を介する収縮はミオシン軽鎖キナーゼの活性化に依存しない可能性が示された。

6.まとめ

 血管内皮においてエンドセリンはETB1受容体に作用して、貯蔵部位からのCa2+遊離やL型電位依存性Ca2+チャネル以外の経路からのCa2+流入により[Ca2+]iを増加させ、NO合成酵素を活性化し、NOを遊離して血管平滑筋を弛緩させたり、ETA受容体の収縮作用を減弱させる。動脈平滑筋ではエンドセリンはETA1受容体に作用してCa2+遊離、Ca2+流入、収縮蛋白のCa2+感受性を増加させることにより収縮を引き起こす。しかしCa2+遊離は収縮には関与しないと考えられる。静脈平滑筋ではETA1、ETA2、ETB1、ETB2受容体が存在する。静脈のETA1、ETA2受容体の性質は動脈のETA1受容体とよく似ている。しかしETB1、ETB2受容体はCa2+流入と収縮蛋白のCa2+感受性を増加させるがCa2+遊離はおこさない。CキナーゼはETA受容体のCa2+感受性を増加させるが、ETB受容体のCa2+感受性増加への関与は少ない。そしてETA2受容体以外のエンドセリン受容体を介する収縮はミオシン軽鎮キナーゼの活性化に依存する。

審査要旨

 エンドセリン-1(ET-1)はブタの血管内皮細胞培養上清から分離された,強力な血管収縮物質で,その後ET-1とはアミノ酸残基が少し異なるET-2およびET-3が見つかり,ファミリーが存在することが明らかにされた。エンドセリンは全身の臓器に分布し,ホルモンやオータコイドとしての機能ばかりではなく,神経伝達物質としての役割をもになっていると考えられている。エンドセリン受容体にはET-1によって選択的に活性化されるETA受容体とET-1およびET-3により非選択的に活性化されるETB受容体の2種類が知られている。ETA受容体は血管収縮に関与し,内皮細胞にあるETB受容体は血管の弛緩作用に関与しているものと考えられている。近年,エンドセリン受容体に選択的な作動薬や阻害薬が開発され,エンドセリンの生理作用や受容体の性質の検討が可能になった。本研究は,エンドセリンの血管収縮作用および弛緩作用の機序の解明を目的とし,血管内皮および平滑筋におけるエンドセリン受容体の分類を試みると同時に,これに関わる情報伝達系について検討を行っている。

 第1章では内皮細胞における反応ならびに内皮細胞と平滑筋との相互作用について解析している。ラット大動脈標本にET-3を投与すると,内皮細胞の細胞内Ca濃度が増加し,この増加はETA受容体の選択的拮抗薬では抑制されず,ETB受容体の選択的拮抗薬により抑制された。ノルエピネフリンで収縮させたラット大動脈標本において,ET-3は内皮の細胞内Ca濃度を増加させ,平滑筋収縮を一過性に抑制した。NO合成酵素阻害薬はET-3による内皮の細胞内Ca濃度の増加を抑制せず,収縮抑制のみを解除した。内皮除去標本あるいはETB受容体の拮抗薬存在下ではET-3による平滑筋収縮抑制作用は抑制されたが,ETA受容体拮抗薬は無効であった。これらの結果からET-3は内皮細胞のETB受容体に作用して細胞内Ca濃度を増加させ,NO合成酵素を活性化し,NOを遊離して血管平滑筋を弛緩させることが示唆された。

 第2章では動脈におけるエンドセリン受容体と収縮との関係を論じている。内皮を除去したラット大動脈やブタ肺動脈において,ET-1は持続性に平滑筋の細胞内Ca濃度を増加させ収縮をひきおこした。この細胞内Ca濃度の増加と収縮はETA受容体拮抗薬により抑制されたが,ETB受容体の拮抗薬は無効であった。Ca除去液中ではET-1は一過性に細胞内Ca濃度を増加させ,これはETA受容体の拮抗薬により抑制された。これらの結果からETA受容体が平滑筋のCa遊離とCa流入さらには収縮発生に関与しているものと考えられた。

 第3章では静脈を用いエンドセリンの新たな受容体サブタイプの分類を試みている。ブタの肺静脈においてET-1とET-3は細胞内Ca濃度と収縮を持続性に増加させたが,ETB受容体の選択的活性化薬(STxやIRL1620)による細胞内Ca濃度と収縮の増加は一過性であった。ETA受容体の選択的拮抗薬はET-1あるいはSTXS6cやIRL1620による細胞内Ca濃度と収縮の増加に作用しなかったが,ET-3による細胞内Ca濃度と収縮の増加は一過性になった。ETB受容体の選択的拮抗薬はET-1,ET-3,STxによる細胞内Ca濃度と収縮の増加にほとんど影響しなかったが,IRL1620の作用を完全に抑制した。STx処置によりETB受容体を脱感作した標本では,STxやIRL1620の作用は消失したが,ET-1やET-3の作用は変わらなかった。ETB受容体を脱感作した標本において,ETA受容体の選択的拮抗薬はET-3収縮を完全に抑制し,ET-1収縮を一部抑制した。これらの結果から静脈には脱感作されにくくET-1選択性の高いETA受容体と,脱感作され易くリガンド選択性の低いETB受容体の2種類が共存することがわかった。さらにETA受容体は拮抗薬に感受性のETA1受容体と非感受性のETA2受容体に分けられ,またETB受容体も拮抗薬に感受性のETB1受容体と非感受性のETB2受容体に分けられた。同様な結果はウサギ伏在静脈でも認められた。Ca除去液中ではET-1やET-3は細胞内Ca濃度を一過性に増加させ,持続性の収縮を発生させたが,STxは細胞内Ca濃度を増加させずに小さな持続性収縮を発生させ,IRL1620は無効であった。これらの結果は静脈のETA受容体がCa遊離とCa流入さらにはCa感受性の増加の機構と関連していること,またETB受容体はCa遊離をおこさず,Ca流入とCa感受性の増加の機構と関連していることを示した。

 以上を要約すると,本論文は新たな試薬を用いて血管系におけるエンドセリン受容体の分類を確立したこと,ならびにこれら受容体と細胞内情報伝達系との関係を明らかにしたものであり,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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