審査要旨 | | イヌジステンバーウイルス(canine diatemper virus;CDV)は,イヌに致死的感染をおこす感染症よして知られている。弱毒化ワクチンの普及によりイヌジステンバー(CD)の発生は激減したが,CDVに対する感受性動物種が多く,犬科や猫科の野生動物での発生も多く報じられており問題とされている。本研究では,CDVの病原性を解明する一端として,CDVの増殖や細胞性免疫などにおいて重要な役割を担うと考えられている核蛋白(NP)遺伝子について分子生物学的解析を行った。本論文は以下の3章より構成されている。 第1章において,reverse transcription-polymerase chain reaction(RT-PCR)法によるイヌ末梢血単核細胞からのCDV-NP遺伝子の検出を行った。2組のプライマーを用いたRT-PCR法により,各検体からのCDV-NP遺伝子検出を試みた。6株のCDV実験室継代株,および3株のイヌのパラミクソウイルスを用いたRT-PCRの結果,用いた2組のプライマーは,CDV-NPのmRNAのみ特異的に増幅し,最低200コピーのNP-DNAまたは1個のCDV感染細胞があれば,NP遺伝子が検出可能であることが判明した。次に,実験的にCDVの弱毒化ワクチンを接種した犬から経時的にNP遺伝子の検出を試みた結果,接種後3週以上のイヌでのCDV感染症の同定には本法が有効であると考えられた。また52頭の健常犬の末梢血からはNP遺伝子は検出されなかった。そこで,CD様症状を呈する臨床例32頭の末梢血単核細胞のRNAを用いてRT-PCRを行った。また同時に,各検体からウイルス分離を試みた。臨床例32検体のうち,17頭の例よりNP遺伝子が認められた。PCR陽性となった犬の中和抗体価は10倍以下から1280倍までと様々であり,いずれの検体からもCDVは分離されなかった。これらの結果,本RT-PCR法は中和抗体の有無に関係なくNP遺伝子が検出可能であることから,診断法として有効であると考えられた。また,血中中和抗体が高いイヌでも末梢血細胞でNP遺伝子の転写が行われていることが明らかになった。さらに,陽性例中6検体はいずれかのプライマーペアーを用いたときにのみPCRで陽性を示したことから,野外ウイルスのNP遺伝子配列が多様である可能性が推察された。 第2章において,CDV-NP遺伝子のクローニングおよびその発現を試みた。研究開始時点ではNP遺伝子の塩基配列の内,5’側の転写開始配列及び開始コドン前後の配列は決定されていなかった。そこで,Onderstepoort株感染細胞よりRNAを抽出し,PCR後,クローニングにより,全長1691bpのNPのcDNAクローンを得た。開始コドンの位置,N末のアミノ酸配列に存在する疎水性ドメインはCDV,麻疹ウイルス(MV)及び牛疫ウイルス(RPV)で一致していたが,5’側の転写開始配列,想定されるN末のアミノ酸配列,およびN末の2次構造はMV及びRPVと異なることが推察された。さらに,NP遺伝子を組み込んだ発現ベクターをVero細胞へ導入し,NPの発現を試みた。CDV-NPに対する3種のモノクローナル抗体(MAb),抗CDV-イヌ血清,および抗MV-NPウサギ血清を用いて間接蛍光抗体法(IFA)により検索した結果,細胞核内でのNPの発現が認められた。イムノブロッティングにより同定された発現NPのゲルでの移動度はCDVのそれと同様であり,算出された分子量は約65キロダルトンであった。 第3章において,CDV-NPの欠損クローンの発現による抗原部位の解析を行った。Onderstepoort株のNP遺伝子を用いて,11種の5’および3’側からの欠損クローン,および13種の中央欠損クローンを作製した。これらの欠損遺伝子は発現ベクターに挿入し,COS細胞で発現させ,MAbを用いて抗原部位の同定を試みた。各遺伝子クローンからの発現蛋白はNPに対する3種のMAbおよび抗CDV-NPウサギ血清を用いたIFAにより検索した。その結果,MAbf-5,6H,c-5の認識するエピトープはそれぞれ1-18,300-393,393-489アミノ酸領域内のNPに存在すると考えられた。さらに3’側欠損蛋白および中央欠損蛋白の発現は核内でのみ認められたが,5’側欠損蛋白は主に細胞質でその発現が認められた。最長5’側欠損遺伝子は1-80アミノ酸領域を欠いており,この領域のアミノ酸が構成する疎水性ドメインはMVおよびRPV間でも保存されていた。この疎水性ドメイン,またはN末端側を欠くことによりNPの構造に変化をもたらし,核内への輸送を妨げられると考えられ,NP-N末端側の80アミノ酸は機能的に重要であることが示唆された。 以上の通り,本研究はRT-PCR法がCDV感染個体検出のための簡便で感度の高い診断法として有用であることを示すと共に,CDV-NP遺伝子の分子生物学的特性を明らかにした。これらの知見は臨床ウイルス学的に貢献するところが少なくない。よって審査員一同は申請者について博士(獣医学)の学位を授与に然るべきと判定した。 |