学位論文要旨



No 111321
著者(漢字) 金,俌炅
著者(英字)
著者(カナ) キム,ボギュン
標題(和) 子宮平滑筋の収縮機構に関する研究 : 妊娠による変化を中心に
標題(洋)
報告番号 111321
報告番号 甲11321
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1612号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨

 これまで、妊娠や分娩の仕組みを解釈しようとする努力が多くの研究者によって行われ、子宮筋に関する研究も積み重ねられてきた。しかし、妊娠と分娩時の子宮筋収縮機構に対する知見は十分とはといえず、早産や難産に対する治療法を確立するための基本的知見が不足していることは明らかである。すなわち、子宮筋に課せられた最も重要な役割である妊娠の維持と分娩を正常に遂行させ、病的状態や分娩時の事故を予防するためには、子宮筋収縮の機構の解明が必要とされる。

 そこで、本研究では子宮筋の収縮特性が妊娠末期でどのように変化しているかを明らかにするために細胞内Ca濃度([Ca2+]i)、ミオシン軽鎖(MLC)のリン酸化および収縮張力を測定し、また、妊娠による子宮筋の生理活性物質への感受性の変化ならびに、収縮に関わる各種機能蛋白質の変化を明らかにすることを目的とした。実験動物としてはラットを用い、発情期の子宮を非妊娠筋、分娩直前(妊娠21日目)の子宮を妊娠筋として比較した。

1妊娠による子宮筋の収縮性の変化

 細胞内Ca濃度および収縮張力 蛍光Ca指示薬のfura-2を負荷した子宮筋標本に高濃度Kを投与すると、[Ca2+]iの上昇と伴って収縮張力が発生した。高濃度Kによる[Ca2+]iと収縮の増加は持続的であった。一方、非妊娠筋にオキシトシンおよびカルバコールを投与すると律動性の[Ca2+]iの増加とこれによく対応した収縮が発生した。このような律動性反応は高濃度になっても同じ傾向であった。妊娠筋では、オキシトシンおよびカルバコールは低い濃度では非妊娠と同様に律動性の収縮を発生させたが、高濃度になると[Ca2+]iと収縮が持続的に増加した。

 非妊娠筋と妊娠筋はともに外液K濃度の増加により濃度依存的に収縮を発生し、約40mMで最大収縮に達した。それぞれの筋の高濃度Kに対する最大収縮を100%とした場合、非妊娠筋では妊娠筋に比べ低い濃度のKで反応した。一方、高濃度Kに対する反応を筋標本の断面積当たりで表すと、非妊娠筋に比べ妊娠筋で強い収縮が発生していることが明らかとなった。

 オキシトシン、カルバコール、prostaglandin 、prostaglandin E2(PGE2)などの受容体作動薬を投与すると、非妊娠筋および妊娠筋で濃度依存的に収縮が増加した。受容体作動薬に対する感受性(反応の開始される濃度またはEC50)には非妊娠筋および妊娠筋で大きな差は見られなかった。受容体作動薬の最大反応を断面積当たりで表すと、高濃度Kと同様に非妊娠筋に比べ妊娠筋で大きかった。

 Platelet activating factor(PAF)は非妊娠筋で低濃度(〜100nM)ではほとんど収縮作用を示さず、高濃度(1,10M)でわずかな収縮を示した。しかし、妊娠経過に伴ってPAFの収縮作用は増加し、妊娠末期の筋ではオキシトシンと同様の強い持続性の収縮が発生し、さらにその感受性は非妊娠筋に比べ約1万倍以上高いことが示唆された。

 以上の結果から子宮筋は妊娠経過にともない、刺激に対する収縮反応を増強する機構があることが示唆された。さらにPAFが分娩時に作用する重要な子宮筋収縮物質である可能性が示唆された。

 MLCのリン酸化と収縮張力 非妊娠筋の場合、静止時にはMLCはほとんどが脱リン酸化され、高濃度K処置後数秒でリン酸化は最大値に達し、その後次第に減少し、静止時より高いレベルで一定となった。妊娠筋の静止時のリン酸化量は非妊娠筋に比べ高く、また高濃度K刺激時は非妊娠筋とほぼ同じ値を示した。

 高濃度K刺激時の収縮とリン酸化の変化の相関関係を見ると、非妊娠筋と妊娠筋におけるリン酸化量変化と収縮張力変化の間に乖離が観察された。すなわち、妊娠筋では急速な[Ca2+]iとリン酸化量の増加の後これらは徐々に減少したが、収縮張力は増加し続けた。妊娠筋で見られたリン酸化の増加を伴わない収縮増加は非妊娠筋では小さく、またリン酸化が最大値に至った時点では絶対張力は非妊娠筋および妊娠筋で差は見られなかった。すなわち、収縮の持続相においては同量のリン酸化でも非妊娠筋に比べ妊娠筋で有意に大きな収縮張力が発生することが観察された。

 以上の結果から、妊娠筋で見られる収縮性の増加にはミオシンリン酸化反応で説明できない他の機構が関与している可能性が考えられた。

 ミオシン軽鎖のリン酸化酵素および脱リン酸化酵素の活性 非妊娠筋および妊娠筋でのミオシン軽鎖リン酸化酵素(MLCK)と脱リン酸化酵素(MLCP)の活性を測定した。その結果、非妊娠筋および妊娠筋の両標本において、MLCKおよびMLCPの活性に有意な差は見られなかった。

 スキンドファイバー -toxinで処理した非妊娠筋および妊娠筋に各種濃度のCaを投与すると、ともに0.3MCaから収縮し始め、10MCaでほぼ最大反応が得られた。各濃度のCaに対する収縮張力をスキンドファイバー標本の断面積当たりで示すと、非妊娠筋に比べ妊娠筋で有意に大きく、Ca-収縮曲線は妊娠筋が非妊娠筋の上方に位置した。

 Ca10Mによる収縮時に脱リン酸化酵素抑制薬であるカリクリンAを添加し、ミオシンを最大限にリン酸化すると収縮が増強された。しかし、カリクリンAによる収縮の増加率は、妊娠筋に比べて非妊娠筋で大きかった。さらに、10MCa存在下のカリクリンA処置時の発生張力を標本の断面積当たりで示すと、非妊娠筋および妊娠筋で差は見られなかった。以上の結果、ならびにMLCKとMLCP活性に差がみられなかったことから、妊娠筋で見られる収縮性の増加にはミオシンのリン酸化制御以外の収縮蛋白系の関与が示唆された。

 収縮蛋白質含量 妊娠筋においては、非妊娠筋に比べ総蛋白当りのアクチン含量の増加が観察された。またアクチン結合蛋白であるカルデスモンは非妊娠筋および妊娠筋で有為な差は観察できなかったが、カルポニンは非妊娠筋に比べ妊娠時には減少していた。カルポニン含量をアクチン含量との比率で表すと、両標本の間に有意な差が認められた。一方、20kDaのMLCについては、総蛋白当りの含量には有為な変化が見られなかった。

 小括 以上の結果から、妊娠筋で見られた収縮性の増加は主として収縮蛋白レベルでの変化によると考えられる。収縮蛋白含量の測定結果から、妊娠時のアクチン含量が増加していること、ならびにアクチン含量に対するカルポニンの比率が減少していることが明らかとなった。他方、非妊娠筋と妊娠筋ではMLCのリン酸化の程度には差はなく、妊娠による収縮性の増加をもたらす機構としてミオシンのリン酸化制御機構より、むしろアクチン制御系の変化が重要であると考えられた。

2妊娠筋における蛋白キナーゼCの役割

 最近、血管平滑筋など多くの平滑筋収縮で蛋白キナーゼC(PKC)が重要な役割を果たしていると知られている。子宮平滑筋でもPKCの存在が報告され、子宮筋の収縮や弛緩に関与すると考えられる。本研究では子宮筋の収縮機構におけるPKCの役割と、妊娠の経過に伴うPKCの役割の変化についてPKC活性薬であるホルボールエステルを用いて検討した。

 高濃度Kおよびカルバコールに対する効果 高濃度Kで収縮させた子宮筋に対して、12-deoxyphorbol-13-isobutyrate(DPB)は[Ca2+]iを減少させ、収縮を抑制した。妊娠および非妊娠筋においてDPBは高濃度K収縮を濃度依存的に抑制したが、その作用は妊娠筋において顕著であった。一方、カルバコール収縮に対してもDPBは濃度依存性の抑制示し、またその抑制の程度は非妊娠筋に比べ妊娠筋で大きかった。このDPBによる抑制作用はCaチャネル活性薬のBay k8644や高濃度Ca処理により回復したことから、DPBによるCa流入の抑制はL型Caチャネル(VDC)の抑制が関与する可能性が示唆された。

 イオノマイシン収縮に対する作用 Caイオノフォアであるイオノマイシンを妊娠筋に投与すると急速な[Ca2+]iの増加にともなう比較的ゆっくりした収縮が発生した。そこにベラパミルを投与すると[Ca2+]iと収縮が部分的に抑制された。さらにDPBを処置すると[Ca2+]iおよび収縮が抑制された。

 スキンドファイバー -toxinを用いた妊娠筋スキンドファイバー標本でDPBは、Caによる収縮に対して有意な収縮増強および抑制作用を示さなかった。

 PKC含量 PKC抗体を用いて妊娠および非妊娠子宮筋のPKC含量を測定した。この結果、妊娠子宮筋では非妊娠子宮筋に比べPKCの含量が多いことが明らかとなった。

 小括 以上の成績から、高濃度K刺激時にPKCを活性化すると、強力な持続的弛緩作用を持つことが分かった。この弛緩作用はL型Caチャネル(VDC)の抑制によることが推測され、またDPBによる抑制は非妊娠筋に比べ妊娠筋で顕著であった。さらに、妊娠筋においてはイオノマイシン刺激時のベラパミル非感受性の[Ca2+]iおよび収縮を抑制した。一方、子宮筋のPKC含量は非妊娠筋に比べ妊娠筋で多いことも明らかとなった。

3総括

 本研究から、子宮筋は妊娠により筋の収縮性が増加するが、MLCのリン酸化に依存する収縮成分には変化はないことが明かとなった。収縮蛋白系の変化を検討したところ、妊娠筋ではアクチンが増加する一方で、アクチン制御蛋白であるカルポニンが減少していることが観察され、妊娠筋で見られる大きな収縮性の増加機構として、アクチン制御系の変化が関与する可能性を示していると考えられた。さらに、子宮筋は妊娠により収縮性の増加だけでなく、PKCによる収縮制御系の増加も見られることが示唆された。この機構は、分娩時まで子宮筋を静止状態に維持させる抑制機構として重要な働きをし、収縮性増大とバランスをとっていると考えられた。

審査要旨

 子宮筋はその収縮により,胎児や子宮内膜などの子宮内容物を排出することを生理的役割としている。この役割を正常に遂行させ,病的状態や分娩時の事故を予防するためには,子宮筋収縮機構の解明が重要である。本研究は,子宮筋の収縮特性が妊娠末期でどのように変化しているかを明らかにすることを目的としている。

 第1章では,子宮筋の収縮性が妊娠子宮筋でどのように変化しているかを検討し,以下の成績を得ている。なお,実験動物としてはラットを用い,発情期の子宮を非妊娠筋,分娩直前(妊娠21日目)の子宮を妊娠筋として比較した。

 1)非妊娠筋と妊娠筋はともに外液K濃度の増加により濃度依存的に収縮を発生した。高濃度Kに対する反応を筋標本の断面積当たり,あるいは,湿重量または乾燥重量当りで表わすと,非妊娠筋にくらべ妊娠筋で大きな最大収縮が得られた。受容体作動性の子宮筋収縮薬(oxytocin,carbachol,platelet activating factor(PAF),,PGE2)を投与すると非妊娠筋,妊娠筋ともに濃度依存的に収縮した。PAFは非妊娠筋ではほとんど収縮効果が得られなかったが,妊娠経過によりその収縮作用は増加し,強い持続性の収縮を起こした。高濃度K+と同様,これら受容体作動薬の最大反応を断面積当り,あるいは,湿重量または乾燥重量当りで表わすと非妊娠筋に比べ妊娠筋で大きかった。

 2)Fura-2を負荷した非妊娠筋および妊娠筋に高濃度Kあるいは受容体作動薬を投与すると,細胞内Ca濃度の増加と収縮が発生した。

 3)-Toxinで脱膜化した妊娠筋および非妊娠筋はCaを投与すると収縮した。妊娠筋および非妊娠筋のCa感受性に有意な差は認められなかった。また,10MCaによる収縮時に脱リン酸化酵素阻害剤であるcalyculin Aを添加し,ミオシンを最大限にリン酸化した場合の絶対張力にも差が見られなかった。

 4)妊娠筋においては,非妊娠筋に比べ総蛋白当りのactin含量の増加が観察された。また,actin制御蛋白であるcaldesmon含量は妊娠,非妊娠筋の間で有意な差はみられなかったが,calponin含量は非妊娠に比べ妊娠時に減少していた。Calponin含量をactin含量との比率で現すと,両標本間で大きな差が認められた。20kDaのミオシン軽鎖については,総蛋白当りの含量には有意な差はみられなかった。

 5)非妊娠筋および妊娠筋において,高濃度K投与数秒後にリン酸化は最大値に達し,その後次第に減少し,静止時より高いレベルで一定となった。妊娠筋では非妊娠筋に比べ同量のリン酸化で大きな収縮が得られた。

 6)非妊娠および妊娠筋でのミオシン軽鎖キナーゼとミオシン軽鎖ホスファターゼ活性には,有意な差はみられなかった。

 以上の結果から,妊娠筋でみられた収縮性の増加は主として収縮蛋白レベルでの変化によると考えられた。妊娠時にactin含量が増加していること,ならびにactin含量に対するcalponinの比率が減少しているが,妊娠筋と非妊娠筋ではミオシンリン酸化の程度には差はないことから,妊娠による収縮性の変化がミオシンリン酸化機構よりむしろアクチン制御系の変化によると考えられた。

 第2章においては妊娠によるプロテインキナーゼC(PKC)機能の変化を検討している。本章では子宮筋の収縮機構におけるPKCの役割と,妊娠の経過に伴うPKCの機能の変化についてPKC活性薬であるホルボールエステルを用いて検討し以下の成績を得ている。

 1)高濃度Kで収縮させた子宮筋に対して,12-deoxyphorbol-13-isobutyrste(DPB)は抑制作用を示した。その作用は妊娠筋において顕著であった。

 2)Fura-2を負荷した妊娠筋および非妊娠筋を高濃度Kで刺激後,DPBを投与すると,初期にわずかな細胞内Ca濃度の増加が認められた後,抑制が現われた。このDPBによる抑制作用はCa channel活性薬のBay k8644や高濃度Ca処理により回復した。

 3)PKC抗体を用いてPKC含量を測定したところ,妊娠筋では非妊娠筋に比べ総蛋白質当たりのPKC含量が多いことが明かにされた。

 4)生理的にPKC活性を増加させる物質と考えられるoxytocinはDPBのような抑制作用を示さなかった。

 以上の成績から,高濃度K収縮時にPKCを活性化させた場合に見られる持続的弛緩作用は,Ca channel(VDC)の抑制によると推測された。一方,子宮筋のPKC含量は妊娠経過によって増加していることも明らかとなった。このような子宮筋におけるPKCを介する収縮抑制反応は,妊娠時に子宮筋緊張を減少させる役割,あるいは分娩時にみられる感受性増加に対するnegative feed-backの役割を果たすと考えられたが,oxytocinがこの様な作用を示さなかったことからPKCは妊娠子宮での組織変化など収縮抑制以外の作用の役割を示すことも示唆された。

 以上を要約すると,本論文は子宮筋の妊娠に伴う収縮機構の変化を明らかにしたものであり,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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