学位論文要旨



No 111323
著者(漢字) ネイデ マリコ タナカ
著者(英字) Neide Mariko Tanaka
著者(カナ) ネイデ マリコ タナカ
標題(和) 犬の腫瘍中20-水酸化ステロイド脱水素酵素に関する研究
標題(洋) A Study on 20-Hydroxysteroid Dehydrogenase Activity in Canine Neoplasms
報告番号 111323
報告番号 甲11323
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1614号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 20-水酸化ステロイド脱水素酵素(20-HSD)は卵巣,精巣,胎盤,副腎などのステロイドを産生する組織に存在する酵素であり,ステロイド代謝に主要な役割を果たしている。本酵素はまたリンパ球,マクロファージ,赤血球中にも存在することが報告され,さらに少数例ではあるが犬,猫の自然発生腫瘍組織にも存在することが報告された。これらの報告から,本酵素は単に性腺におけるステロイド代謝だけでなく,これらの細胞の生体内における作用あるいは増殖などといった別の側面における生物学的作用を有すると推測されるが,その点についてはほとんど解明されていない。

 そこで本研究では,腫瘍中の20-HSDの存在ならびにその作用を検討することを目的とし,以下の実験を行った。すなわち,第一により多くの犬の自然発生腫瘍について本酵素の存在を確認し,その活性と腫瘍の組織型,悪性度等を比較した。第二に,すでに細胞株として樹立されている犬の骨肉腫細胞を用い,プロジェステロンならびに本酵素,さらに本酵素に拮抗作用を有するステロイド化合物を組み合わせ,これらの腫瘍細胞発育に対する影響をin vitroで検討した。最後にこれらの細胞ならびに化合物をヌードマウスに投与し,in vivoにおける腫瘍発育と20-HSDの関連についても検討した。

 第一に,本学付属家畜病院で外科的摘出時に採取した自然発生腫瘍57例の20-HSD活性を測定した。酵素活性は,Noda et al.(1991)の報告に準じ,腫瘍細胞のサイトゾル分画によりプロジェステロンが20-ジヒドロプロジェステロンに変換される際に産生されるNADPHを測定して20-HSD量を測定した。57例の腫瘍中,20-HSD活性が測定されたのは48例(84.2%)(良性腫瘍22,悪性腫瘍26:肝腫瘍9例,精巣腫瘍5例,卵巣腫瘍2例,乳腺腫瘍27例,肛門周囲腺腫7例,その他の皮膚腫瘍5例)であった。一方,同時に測定した正常組織(卵巣5例,精巣6例,乳腺7例,肝臓5例)では精巣の2例ならびに乳腺の2例にわずかな活性が認められるのみであった。

 これらの腫瘍を組織学的に良性と悪性に分け,両者の平均20-HSD活性を比較したが,良性腫瘍では1.63nmolNADPH/min.mg protein,悪性腫瘍では1.92nmolNADPH/min.mg proteinであり,悪性腫瘍が若干高値を示す傾向にあったものの,両者には有意差は認められなかった。これらの腫瘍を上皮系,非上皮系,混合腫瘍(このタイプの腫瘍はすべて乳腺腫瘍であった)の3グループに分けると,乳腺悪性混合腫が最も高い20-HSD活性値を示した。また,上皮系腫瘍では悪性腫瘍が良性腫瘍より有意に高値を示した。腫瘍の臨床病期と20-HSD活性値には有意な関連は認められなかった。

 以上の結果から,犬の種々の腫瘍にはその組織型とは必ずしも関係なく,高頻度に本酵素活性の存在することが証明された。また,悪性腫瘍の本酵素活性は若干高い傾向にあったが,必ずしも有意な変化ではなかった。このことは,腫瘍中の20-HSDが,20-HSDの本来の役割である性周期,妊娠などの調整,あるいはプロジェステロンによる胎児の細胞障害性の防止等の作用以外に,少なくとも腫瘍発育に関する何らかの生物学的役割を果たすことを示唆するものと推測された。

 第二に,我々の研究室で樹立した犬由来の骨肉腫培養細胞であるPOS細胞を用い,in vitroにおける本酵素と腫瘍細胞増殖との関連を検討した。この骨肉腫細胞の平均20-HSD活性値は0.85±0.26nmolNADPH/min.mg proteinであり,自然発生腫瘍の平均活性値よりやや低いものの20-HSD活性が認められた。次に5×104個のPOS細胞を24穴プレート上で0.5mlの培養液(RPMI1640,L-グルタミン,10%牛胎児アルブミン等)によって培養した。これに0.1〜10Mのプロジェステロンを加えて2日間培養し,その細胞数の変化を測定した。

 その結果,POS細胞は用量依存的に増殖が抑制され,0.1Mのプロジェステロン存在下で約25%の抑制が認められた。さらに20-HSDに拮抗作用を有する4種のステロイド誘導体STZ20,23,25,26を用いて,同様にプロジェステロン存在下でのPOS細胞の増殖に対する影響を検討した。すなわち,同様の培養条件下で,プロジェステロン0.1Mと同時に各STZの0.002〜0.2Mを加え2日間培養し,細胞数を測定した。その結果,各STZを加えた場合,プロジェステロンを加えた場合よりもさらに細胞数は減少し,STZによる20-HSD阻害によって,プロジェステロンの細胞増殖抑制作用が強く出現したものと考えられた。また,用いたSTZの中で,STZ25およびSTZ26が最も強く20-HSDを阻害した。さらにプロジェステロンとSTZを添加するとPOS細胞にはわずかな形態学的変化を示す所見が認められた。このことは,これらの細胞数の低下が単純な細胞障害だけではなく,細胞の分化に影響を与え,その結果として増殖が抑制された可能性のあることを示唆するものと考えられた。

 第三に,POS細胞とこれらの化合物との関係をin vivoで検討した。すなわち,放射線を照射した3日後の5週齢の雄のヌードマウスの皮下に5×106個のPOS細胞(0.2l)を移植した。これらのヌードマウスを4群(n=5,対照群のみn=3)に分け,それぞれの皮下にシリコンチューブ(内径2mm,長さ0.5cm)のみ(対照群),あるいはプロジェステロン,STZ25,STZ26の各化合物をいれたシリコンチューブを移植した。なお,シリコンチューブからこれらの化合物は徐々に体内に吸収されることが確認されている。移植後は週2回腫瘍の発育ならびにその大きさを測定し,3週後に安楽死し,発育した腫瘍の組織学的検査を行った。

 その結果,対照群ではいずれも2週目頃から腫瘤が形成され,3週目には600〜1000mgの容積に達した。一方,プロジェステロン,STZ25,26をそれぞれ投与されたヌードマウスにおける腫瘍の発育は様々で,個体毎にその大きさはかなり異なっており,対照群と同様の大きさとなるものから,それより小さいものも存在した。

 そこで各個体ごとに病理組織学的検査を実施した。その結果,対照群ではいずれも未分化型の腫瘍であったが,プロジェステロン投与群では2匹に骨芽細胞型,1匹は線維芽細胞型,2匹が未分化型を示した。各STZ投与群でも同様で,未分化型がそれぞれ2匹,骨芽細胞型,線維芽細胞型等の組織型を示す腫瘤がそれぞれ3匹に認められた。各組織型と腫瘤の発育速度との関係から,未分化型では発育速度が速く,骨芽細胞型あるいは軟骨芽細胞型では中等度で,線維芽細胞型が最も遅い発育速度であった。

 これらの結果から,in vivoではプロジェステロンとSTZ投与による骨肉腫細胞の抑制作用の差は必ずしも明らかではなかった。しかし,STZによって20-HSDを阻害することにより,すべてではないが個体によっては腫瘍の発育速度の低下する可能性のあることを示唆され,また,その作用は直接的な細胞障害ではなく,むしろ細胞の分化を促進し,そのために発育速度が減少した可能性を示唆するものであった。

 以上の成績から,1)犬の自然発生腫瘍にもきわめて高頻度に20-HSD活性が存在すること,2)プロジェステロンは少なくとも株化された骨肉腫細胞のin vitroでの増殖抑制作用を有し,その発育抑制作用は20-HSDによって阻害される可能性のあること,3)その作用はプロジェステロンの直接的な細胞障害性とともに,腫瘍細胞の分化を通して発現する可能性のあること,が推測された。近年,ラットの20-HSDのcDNAがクローニングされ,全アミノ酸配列が決定された。それによると20-HSDはアルドケト還元酵素ファミリーに属することが明らかになった。本ファミリーには実験的肝癌組織で活性の増加することが知られているアルドース還元酵素が含まれている。現在までのところ,これらの酵素群は活性ステロイドを含む多くの様々な基質を代謝する解毒酵素よりなることが明らかになってきている。したがって,今回の実験成績は腫瘍増殖とこれらのアルドケト還元酵素ファミリーとの関連を追求する一つの大きな手がかりとなる可能性を示すものであり,今後にさらに詳細な検討を積極的に実施する必要があると考えられた。

審査要旨

 20-水酸化ステロイド脱水素酵素(20-HSD)は卵巣,精巣,胎盤,副腎などのステロイド産生組織に存在し,生物学的活性のあるプロジェステロンを不活性物質に変換する酵素である。本酵素はまたリンパ球,マクロファージ等にも存在することが報告され,少数例ではあるが犬,猫の自然発生腫瘍組織にも存在することが報告されており,本酵素にはステロイド代謝以外の生物学的作用の存在が示唆される。そこで本研究は,腫瘍中の20-HSDの存在ならびにその作用を検討することを目的として以下の実験を行った。

 外科的に摘出したさまざまな犬の自然発生腫瘍57例の20-HSD活性を測定した結果,48例(84.2%)ときわめて高率に20-HSDの存在が確認された。またその値は悪性腫瘍が良性腫瘍より若干高い傾向にあり,とくに上皮系腫瘍では有意に悪性腫瘍が高値を示した。同時に測定した正常組織23例では精巣の2例ならびに乳腺の2例にわずかな活性が認められるのみであった。腫瘍の臨床病期と20-HSD活性値には有意な関連は認められなかった。

 次申請者の研究室で樹立した犬由来の骨肉腫培養細胞であるPOS細胞を用い,in vitroにおける本酵素と腫瘍細胞増殖との関連を検討した。なおPOS細胞の平均20-HSD活性値は0.85±0.26nmol NADPH/min.mg proteinであった。はじめに5×104個のPOS細胞を0.1〜10Mのプロジェステロンを加えた培養液で2日間培養したところ,プロジェステロンはPOS細胞の増殖を用量依存的に抑制した。そこで20-HSDに拮抗作用を有する4種のステロイド誘導体STZ20,23,25,26を用いて,同様にプロジェステロン存在下でのPOS細胞の増殖に対する影響を検討した。その結果,STZによる20-HSD阻害によって,プロジェステロンの細胞増殖抑制作用がより強く出現した。また,プロジェステロンとSTZの添加によりPOS細胞に形態学的変化を示す所見が認められたことから,これらの細胞増殖抑制作用が単純な細胞障害だけではなく,細胞の分化に影響を与え,その結果として増殖が抑制された可能性が示唆された。

 最後に,POS細胞とこれらの化合物との関係をin vivoで検討した。すなわち,5週齢の雄のヌードマウス皮下に5×106個のPOS細胞を移植し,同時にプロジェステロン,STZ25,STZ26の各化合物をいれたシリコンチューブを移植した。なお,シリコンチューブからこれらの化合物は徐々に体内に吸収される。移植後は週2回腫瘍の発育ならびにその大きさを測定し,3週後に安楽死し,発育した腫瘍の組織学的検査を行った。その結果,薬剤を投与していない対照群ではいずれも均一な大きさの腫瘤が形成されたが,各薬剤を投与されたヌードマウスにおける腫瘍の発育はさまざまで,対照群と同様の大きさのものからそれより小さいものも存在した。各個体ごとに病理組織学的検査を実施したところ,対照群ではいずれも未分化型の腫瘍であったが,各薬剤投与群では個体により骨芽細胞型ないし軟骨芽細胞型,線維芽細胞型を示すものが認められた。また,未分化型では発育速度が速く,骨芽細胞型あるいは軟骨芽細胞型では中等度で,線維芽細胞型が最も遅い発育速度であった。これらの結果から,STZによる20-HSD阻害により,個体によっては腫瘍の発育速度の低下する可能性のあることが示唆され,また,その作用は細胞の分化を介していることが示唆された。

 これらの成績をまとめると,犬の自然発生腫瘍にもきわめて高頻度に20-HSD活性が存在すること,プロジェステロンはPOS細胞の発育を抑制するが,その抑制作用は腫瘍中の20-HSDを阻害すると増強されること,ならびにこのような作用が腫瘍の分化を介して生じる可能性のあることが示された。

 以上要するに,本論文は腫瘍発育に関するステロイド代謝酵素の関与という新しい一面を開拓した研究であり,腫瘍研究に寄与するところは少なくない。よって審査員一同は博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク