学位論文要旨



No 111325
著者(漢字) ルビー・パトリシア・ヴァルディヴィア・アルコタ
著者(英字) Ruby Patricia Valdivia Alcota
著者(カナ) ルビー・パトリシア・ヴァルディヴィア・アルコタ
標題(和) マウス初期胚の発生能力と性染色体との関連
標題(洋) Relationship between sex chromosomes and developmental potential of mouse preimplantation embryo
報告番号 111325
報告番号 甲11325
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1616号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 佐藤,英明
内容要旨

 哺乳動物において、卵子を産生する雌と精子を産生する雄との間における唯一の遺伝的な違いは、性染色体の差である。雌においては、父親、母親由来の全ての染色体、つまり常染色体およびX染色体に至るまでが、遺伝的に相同な染色体で構成されている。雄においても、常染色体は雌と同様に相同染色体で構成されているが、性染色体は形態的にも非常に異なったX染色体とY染色体を有している。X染色体はサイズ的にも大きく、これまで100個を超える遺伝子の存在が確認され、一方、Y染色体は非常に小さく、性決定遺伝子以外には、数個の遺伝子の存在が推定されているのみである。

 Y染色体に位置する遺伝子は、雄性生殖腺の形成や機能などと特異的に関連していると考えられてきた。しかし、最近、ジーンマッピングによりY染色体上に位置するいくつかの遺伝子は、X染色体上にも相同な遺伝子として存在することが報告されている。このXとY染色体上の相同遺伝子の存在と、その間の変異は、数億年間の生物の進化の過程に因ることが考えられている。つまり、哺乳動物のXとY染色体は、1対の相同な常染色体として存在していたが、進化の過程において、Y染色体はX染色体に比べ、著しく急速な進化を遂げ、Y染色体上に位置していた多数の遺伝子は欠損して、X染色体と相同な偽常染色体部位のみが、相同組変えにより保持されてきたと考えられる。

 哺乳動物の胚は、通常、常染色体とXX染色体、または常染色体とXY染色体を有しているが、常染色体とOY染色体を有した胚は、着床せず、また、出産してこないことが知られている。しかし、このOY染色体を有した胚が、いつ、どの胚発生の時期に発生を停止し、死胚となるのか明らかになっていない。さらに、XおよびY染色体の役割に関し、マウスを用い、生殖腺が出現する以前の妊娠9日目の胎児おいて、XXよりもXY染色体を有した胎児の方が大きく、すでに性差が見られたという報告、また、胚盤胞を偽妊娠雌に移植し、出産直前の胎子の性を検査した結果、胞胚腔の形成が早い胚では雄の胎子の比率が高いという報告がある。これらの報告より、XおよびY染色体上に位置する遺伝子が、生殖腺の分化にとどまらず胚および胎児の発生を制御している可能性が考えられる。

 本研究では、マウスの着床以前の初期胚の発生能力が、XまたはY染色体の遺伝的差異によってどのような影響を受けるかを、体外受精および培養、Polymerase chain reaction(PCR)、DNAシークエンス、交配試験などの手法を用いて検討した。

 第1章では、XXおよびXY性染色体をそれぞれ有する着床前の正常な胚について、胞胚腔形成に至るまでの発生速度に差異が見られるか否かを、培養実験および移植実験によって検討した。まず、C57BL/6N系の成熟マウスを用い、体外受精により受精開始時期を1時間以内に同調させ、胞胚腔の形成が観察されるまで体外培養し、Y染色体上に位置している特異的な塩基配列をPCR増幅法により、発生した各々の胚盤胞の性を判定した。その結果、早く胞胚腔を形成した胚の約78%がXY染色体を有する胚と判定され、一方、胞胚腔形成の遅い胚では、XY胚の割合は、その約42%にとどまった。この傾向は胚移植によっても確かめられ、XY胚はXX胚よりも着床前の発生速度が早いことが明らかになった。この違いは、Y染色体の有無またはX染色体の数が着床前の胚発生の速度に影響を与えているをことを示唆している。

 第2章では、XおよびY染色体のそれぞれが、着床前の胚発生にどのような影響を与えるかを検討するため、XOマウスを用いることを考案した。XOマウスは、正常マウスと同様な排卵および妊娠能力を有する雌マウスである。しかし、排卵前の第1次卵母細胞から第2次卵母細胞への減数分裂時に、X染色体を有する第2次卵母細胞と性染色体を有しない第2次卵母細胞が生じ、これらの第2次卵母細胞は、XまたはY染色体を有した精子と受精し、XO、XX、XYおよびOYの4タイプの性染色体構成を有した胚が形成される。これらの着床前のすべての胚の性染色体構成の判別は、直接的な細胞遺伝学的手法を用いた場合、少数の細胞についての染色体標本作製時の技術的問題に加えて、分裂中期像の観察される時期が限られ、特に、OY染色体を有する胚は、胚発生の過程において死胚となり、分裂中期像が観察されないことが考えられるなど、困難な点が多く、今までに報告がない。そこで本章では、PCR法を用いて、すべての着床前の胚の性染色体の判別を試みた。

 XOマウスは、X染色体上に突然変異のTabby(Ta)遺伝子を有し、毛色の表現型によってXX雌とXO雌を識別することが可能である。一方、着床前の胚においては、Ta遺伝子の塩基配列が未知であるために、染色体標本による観察でも、またPCR法を用いても、Ta遺伝子を持つX染色体と正常なX染色体を識別することは、不可能であった。そこで、本章では、X染色体上に位置する種々のマイクロサテライトマーカーについてXOマウス集団内の多型現象を解析した。その結果、DXMit25 locusの中に多型が検出され、DNAシークエンスの結果より、Ta遺伝子を有するX染色体に位置するDXMit25 locus中のマイクロサテライト領域はCAの2塩基配列が10回くり返した構造であるが、Ta遺伝子を有しないX染色体に位置するDXMit25 locus中のマイクロサテライト領域は、CAの2塩基配列が15回くり返した構造となったいることを見出した。したがって、XOマウスの交配から得られたXX胚における母親由来および父親由来のX染色体が、このマーカーを用いることによってPCR法で識別が可能となった。また、XX胚およびXO胚の識別も可能となった。

 第3章では、XおよびY染色体の遺伝的制御が、着床前の胚発生のいつの時期に開始されるかを研究するため、XOマウスの交配から得られたXOおよびOY胚が、どの時期に発生停止するかを検討した。体外受精によりTa/Ox+/YおよびTa/+x+/Yの胚を作製後、媒精96時間後まで培養した結果、桑実胚までの各々の時期で発生停止した胚(2、4、8細胞期胚、桑実胚)および胚盤胞まで発生した胚が観察された。これらの胚を回収し、PCR法(2段階法)で各々の胚の有する性染色体を識別した。X染色体はDXMit-25をマーカーとし、また、Y染色体は、Y染色体上に特異的に位置するZfy遺伝子マーカーとし、PCR法を用いて、XO胚、XX胚、XY胚およびOY胚を判別した。その結果、XO胚はXX胚とほぼ同様の発生を示し、第1章で観察されたXY胚とXX胚との発生速度の違いは、主にY染色体上の遺伝子の効果によるものと考えられた。一方、OY胚はすべて8細胞期以前で発生を停止した。したがって、X染色体は、8細胞期胚以上に発生するには、少なくとも1本必要であることが明らかにされた。さらに、XO雌マウスから得られた全ての胚(XO胚、XX胚、XY胚およびOY胚)の発生速度は、正常なXX雌マウスから得られた胚の発生速度よりも遅延していたことから、卵子形成過程における1本のX染色体の欠損は、排卵後の発生速度の遅延とも関連性があることが推測された。

 以上の第1章から第3章までの研究結果から、初期胚の発生は、生殖腺が出現する以前に、すでに性染色体の遺伝子により制御されているという仮説が、証明されたものと考えられる。

審査要旨

 哺乳類の初期発生において,性染色体上の遺伝子が如何なる役割を果たしているかについては,いまだ十分に明らかにされていない。本研究は,マウスの着床以前の初期胚の発生能力が,XまたはY染色体の遺伝的差異によってどのような影響を受けるかを,体外培養の条件下で検討したものである。論文は,3章から成り,その成果は以下のように要約できる。

 第1章では,XXおよびXY性染色体をそれぞれ有する着床前の正常な胚について,胞胚腔形成に至るまでの発生速度に差異が見られるか否かを検討している。まず,C57BL/6N系の成熟マウスを用い,体外受精により受精開始時期を1時間以内に同調させ,胞胚腔の形成が観察されるまで体外培養し,Y染色体上に位置している特異的な塩基配列のPCR増幅法により,発生した各々の胞胚の性を判定した。その結果,XY染色体を有する胚は,XX染色体を有する胚よりも発生速度が早いことを明らかにした。この結果より,Y染色体が着床前の胚発生の速度を加速するか,または,X染色体が着床前の胚発生の速度を遅延させる作用を有していることが示唆された。

 第2章では,XおよびY染色体のそれぞれが,着床前の胚発生にどのような影響を与えるかを検討するため,XOマウスを用いることを考案した。XOマウスは伴性遺伝するTa遺伝子特有の毛色によって識別され,その第2次卵母細胞は,XまたはY染色体を有する精子と受精し,XO,XX,XYおよびOYの4タイプの性染色体構成を有する胚が形成されることが期待されるが,Ta遺伝子の塩基配列が未知であるために,これらの胚の遺伝子型を決定することは,不可能であった。そこで,本章では,X染色体上に位置する種々のマイクロサテライトマーカーについてXOマウス集団内の多型現象を解析した。その結果,DXMit-25 locusの中に多型を検出し,DNAシークエンスの結果より,Ta遺伝子を有するX染色体に位置するDXMit-25 locus中のマイクロサテライト領域はCAの2塩基配列が10回くり返した構造であるが,Ta遺伝子を有しないX染色体tこ位置するDXMit-25 locus中のマイクロサテライト領域は,CAの2塩基配列が15回くり返した構造となっていることを見出した。したがって,XOマウスの交配から得られたXX胚における母親由来および父親由来のX染色体が,このマーカーを用いることによってPCR法で識別が可能となった。また,XX胚およびXO胚の識別も可能となった。

 第3章では,XおよびY染色体の遺伝的制御が,着床前の胚発生のいつの時期に開始されるかを研究するため,XOマウスの交配から得られたXOおよびOY胚が,どの時期に発生停止するかを検討した。Ta/o雌と+/Y雄の卵子と精子を用いた体外受精により得られた胚を媒精96時間後まで培養した。各々の段階で発生を停止した胚および胞胚まで発生した胚を観察し,これらの胚を回収し,PCR法(2段階法)で各々の胚の有する性染色体を識別した。X染色体はDXMit-25をマーカーとし,また,Y染色体は,Y染色体上に特異的に位置するZfy遺伝子マーカーとし,XO胚,XX胚,XY胚およびOY胚のすべてについて判別を行った。その結果,XO胚はXX胚とほぼ同様の発生を示したが,OY胚はすべて8細胞期以前に発生を停止することを見出した。この結果から,X染色体上の遺伝子は,8細胞期以上への発生に不可欠であると結論している。さらに,XO雌マウスから得られた全ての胚(XO胚,XX胚,XY胚およびOY胚)の発生速度は,正常なXX雌マウスから得られた胚の発生速度よりも遅延していたことから,卵子形成過程における1本のX染色体の欠損は,排卵後の発生速度の遅延とも関連性があると推測している。

 以上要するに,本論文は,着床前の胚の初期発生が性染色体上の遺伝子により制御されていることを明確に示したものであり,学術上,応用上,貢献する所が少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分価値あるものと判定した。

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