学位論文要旨



No 111327
著者(漢字) 熊田,政信
著者(英字)
著者(カナ) クマダ,マサノブ
標題(和) 日本語母音発音時の舌関連筋の機能 : 特にオトガイ舌筋と内舌筋について
標題(洋)
報告番号 111327
報告番号 甲11327
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第981号
研究科 医学系研究科
専攻 第一基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 加倉井,周一
 東京大学 教授 山内,昭雄
 東京大学 教授 桐谷,滋
 東京大学 助教授 高戸,毅
内容要旨 1目的

 本研究の目的は、構音障害の病態生理を知りそのリハビリ法を検討するのに必要な、発話時の舌関連筋の機能を知ることである。本研究ではTagging Snapshot MRIおよび筋電図を用い、持続発声母音に関して、1.これまで解剖学的にも生理学的にも見解の一致をみていなかったオトガイ舌筋の機能単位の有無、2.これまで推測の域を出ていなかった母音調音時の内舌筋群の機能、について特に検討する。

2方法

 2-1 実験1 Tagging Snapshot MRIを用いた形態の解析 Tagging Snapshot MRIとは、あらかじめ筋内部組織の一部を磁気的に標識しておき、筋を変位させた後の内部組織の変位をその標識とともに画像化する手法である。まず被験者に、舌尖を上顎の切歯に舌背を口蓋にそれぞれ当てる再現性の高い一定の構え(reference position(r.p.))をとらせ、舌組織の一部を、水平および垂直方向に並ぶ帯状に標識する。r.p.後の持続母音発声中の画像では標識された帯に変位が生じ、内部組織の変位が画像化される。撮影所要時間は約2秒である。

 5名の被験者(東京方言話者)(Sub.1-5)について、日本語5母音とr.p.の、矢状断正中面および正中面から1cm外側の面、冠状断、水平断の画像を得た。まず、標識された帯の変位を観察することにより、舌の内部形態変化の定性的解析を行った。次に、筋収縮に関する定量的解析を行った。即ち、高解像度のMRIをもとに、解剖学的に筋の走行に沿っていると考えられる線をTagging Snapshot MRIのr.p.像の上に書き込み、標識された帯を参照しながらそれらの線に相当する線を母音発音時の像の上に再現し、線の長さを比較した。矢状断正中面にてオトガイ舌筋と上縦舌筋、正中面から1cm外側の面にて下縦舌筋と垂直舌筋について解析を行った。特にオトガイ舌筋に関しては、その機能単位の存在を想定して、4本の線(GG1-4)を引き解析した。

 2-2 実験2 筋電図を用いた生理学的解析 被験者1名(Sub.1)について、bipolar hooked wire electrodeを用いて、持続母音発声中のオトガイ舌筋の筋電図を測定した。4本の電極を、下顎骨と舌骨の中間ほぼ正中の点から経皮的に頭頂にむけ挿入した。その際、高解像度のMRIにおける計測値を用いて、4本の電極がそれぞれ実験1におけるGG1-4の深さに到達するように挿入した。発声時の体位は仰臥位および座位とし、MRIの条件とあわせるべく、r.p.の構えからの発声開始0.3秒後から0.5秒間の筋電図データを用い、その区間にて各母音の筋電図の加算平均をとって比較した。

3結果

 3-1 実験1 まず、定性的解析をおこなった。矢状断正中面および1cm外側面については、/i/,/u/それに/e/おいては、被験者間で形態変化の著しい違いは見られなかった。/i/発音時には舌は最も高い位置をとり、舌の前後方向の長さが小さくなる。下方の水平方向の帯は非常に短くなり、垂直方向の帯の間隔が特に下方で狭まるが、これらはオトガイ舌筋の収縮を示していると思われる。/u/発音時には舌は上下前後両方向とも長さが短くなる。水平・垂直両方向の帯ともr.p.にくらべ短くなっており、オトガイ舌筋の収縮を示していると思われる。垂直方向の帯が口腔底の高さで前後方向に「断層」を見せる。これは、1cm外側の面においてもみられる。/e/発音時の舌の形態と位置は/i/発音時に似ており、やはり、オトガイ舌筋の収縮が強く示唆される。/i/発音時よりも舌の位置はやや後方である。/a/,/o/発音時には、舌上半分が一塊となり口腔底の高さで後方に「断層」るが、この「断層」の程度は被験者間で差がみられた。/a/発音時には全被験者にて舌は5母音内で最も低い位置をとり垂直方向の帯はr.p.に比べ短くなる。冠状断像においては、全母音全被験者にて舌表面の正中において溝が観測された。水平断像では、オトガイ舌筋の最後部、水平に走る繊維(ほぼGG4に相当)の収縮をみることができるが、下顎骨付着部に近い前3分の1に関してはほとんど短縮せず、それより後方においては、帯が前方に弧状に偏位し、筋の短縮を示している。

 次に定量的解析を行った。オトガイ舌筋に沿って引かれた線は、/i//u//e/発音時には、全被験者にてGG1-4すべて短縮した。/a//o/発音時には、GG1-3が、口腔底の高さにての「断層」が目立つ例では伸長し、目立たない例においてはむしろ短縮しており、「断層」の大きさの決定にGG1-3が関与しているものと考えられる。上縦舌筋に沿って引かれた線は、全母音全被験者にてr.p.よりも短縮した。下縦舌筋に沿って引かれた線は全母音にて短縮した。垂直舌筋に沿って引かれた線は/a/において短縮しており、「断層」の小さいSub.2の/o/においても短縮が目立った。

 3-2 実験2 両体位とも全GGチャンネルにて/i/,/e/,/u/,r.p.,/o/,/a/の順に値が大きく、これらの母音間には多くの場合有意差がみられた。仰臥位と座位とで比較すると仰臥位での筋活動の方が大きい傾向があり、多くの場合にて両体位間に有意差がみられた。仰臥位にて垂直方向に近く走る部分(GG4)においてその差が顕著であった。

 3-3 筋電図とMRIの比較 筋電図とMRIの結果はよく一致し、全GGチャンネルとも、筋電図の値が大きいほどMRIにおいて相当する線が短縮するという関係がみられ、高い負の相関がみられた。したがって、MRI上で筋走行に沿って引かれた線の短縮は、筋の短縮を強く示唆すると思われる。

4考察

 4-1 オトガイ舌筋の機能単位について。オトガイ舌筋に関しては、矢状断正中面において下顎骨付着部より扇状に広がるというその走行の方向の多岐さゆえに、いくつかの機能単位に分かれるであろうことは考え得ることであり、このことに関しては現在までにいくつかの報告があるが、解剖学的にも生理学的にも一致した見解をみるにいたっていない。本実験では、Tagging Snapshot MRIによる定量的解析および筋電図を行ったのであるが、各被験者各母音にてGG1からGG4まで値は連続的に増減する傾向があり、特に機能単位の存在を示唆するような非連続性はみられなかった。したがって、最も考えうることは、オトガイ舌筋にははっきりした機能単位はないが、部位により電気的な筋活動や収縮の程度を連続的に変えうるということである。

 なお、仰臥位と座位の筋電図の比較という新しい視点で明らかになったことであるが、オトガイ舌筋に関しては仰臥位における筋活動が座位のそれよりも大きい傾向がみられた。それは特に仰臥位において垂直方向に近く走る部分にて顕著であった。つまり仰臥位において抗重力筋的な働きを示したことになる。母音構音の最終目標は、日本語におけるその母音のフォルマントの範疇にあり聴取者にその母音として判断されうるような音声の生成であるが、体位による重力の影響の違いによって筋活動の大きさを変化させ結果的に同様の舌の構えを得るような、かなり高次のプログラムの存在が示唆される。また、睡眠時の舌根沈下の防止等で長時間にわたって抗重力筋的な働きをすると思われるオトガイ舌筋の後部は、他の部分と筋収縮の様子が異なっている可能性もあり、組織学的な検討が必要と思われる。

 4-2 内舌筋の収縮 本実験で、内舌筋は母音発音時にもさかんに活動することが確認された。上縦舌筋は各母音で収縮の傾向をしめした。この筋は、オトガイ舌筋とともに、矢状断正中面舌背において前後方向にみられる溝の形成に関与していると思われる。そのことは、オトガイ舌筋の収縮があまりみられない/a//o/についても溝がみられることから示唆される。冠状断像にて正中に溝をつくる機能は、他の筋では考えにくい。下縦舌筋においても各母音で収縮の傾向がみられた。口腔底の高さにての「断層」が目立つ例で特に収縮しており、「断層」の形成に何らかの関与をしているものとおもわれる。垂直舌筋は/a/において短縮しており、舌が低い位置をとる際にこの筋が活躍すると思われる。/o/における舌が他の被験者よりも低い位置をとったSub.2の/o/においても垂直舌筋の短縮が目立った。

5結語

 1 従来困難であった、舌を構成する筋肉の筋活動を解剖学的に正確に同定された位置から導出することが、高解像度のMRIを用いることによって可能になった。また、Tagging Snapshot MRIによる定量的解析法すなわち筋走行に一致した線の短縮の程度を調べる方法を見いだし、それを筋電図を導出した部位において用いることによって、従来明らかでなかった、筋活動と舌形態の関連をあきらかにした。

 2 Tagging Snapshot MRIの定量的解析すなわち筋走行に一致した線の短縮の程度と、筋電図の値とが高い相関を示すことが確かめられた。したがって、筋走行に一致した線の短縮は、筋の収縮を強く示唆するものと考えられる。

 3 /a//o/においては、口腔底の高さにて断層が形成されることが見いだされた。また、断層の大きさには大小2つのパターンが存在し、被験者によって選択されるパターンが違うことが見いだされた。これは、構音における戦略が、複数存在することを示している。

 4 オトガイ舌筋にははっきりとした機能単位はないが、部位により筋活動を連続的に変え得ることが明らかになった。そこには、発話時のこの筋の制御をおこなうかなり高次のプログラムの存在が示唆される。

 5 これまであまり注目されていなかった構音の際の筋活動の体位による違いを検討したところ、一定の舌外部形態を得るためにオトガイ舌筋の筋活動は体位によって異なることが示された。特にオトガイ舌筋後部においてそのことが顕著であった。また、オトガイ舌筋の後部は、気道確保のため、睡眠時等に長時間の抗重力筋的な活動を強いられることが示唆され、組織化学的な検討も必要と思われる。

 6 これまで困難であった内舌筋の活動の検討を行った。これまで推測の域を出なかった内舌筋の母音構音への関与がはじめて確認された。垂直舌筋は舌の位置を低くし、上縦舌筋は舌背表面の矢状断正中面に前後方向に形成される溝の形成に関与していることが確認された。

審査要旨

 本研究の目的は、構音障害の病態生理を知りそのリハビリ法を検討するのに必要な、発話時の舌関連筋の機能を知ることである。本研究ではTagging Snapshot MRIおよび筋電図を用い、特に、1.オトガイ舌筋の機能単位、2.内舌筋群の収縮とその機能、について、持続発声母音に関して検討し、下記の結果を得ている。

 1 舌を構成する筋肉の筋電図を、解剖学的に正確に同定された位置から導出することは従来困難であったが、本研究においてそれが、高解像度のMRIを用いることによって可能になった。また、画像的に筋の収縮を測定する方法として、Tagging Snapshot MRIによる定量的解析法すなわち筋走行に一致した線の短縮の程度を調べる方法を見いだした。この手法を、筋電図を導出した部位において用いることによって、従来明らかでなかった筋活動と舌形態の関連をあきらかにした。

 2 Tagging Snapshot MRIの定量的解析すなわち筋走行に一致した線の短縮の程度と、筋電図の値とが高い相関を示すことが確かめられた。すなわち、筋電図の値が大きいほど筋走行に一致した線が短縮するという関係がみられた。したがって、筋走行に一致した線の短縮は、筋の収縮を強く示唆するものと考えられ、筋電図の導出の困難な筋の活動を調べるのにこのTagging Snapshot MRIによる定量的解析が有効であることが見いだされた。

 3 /a//o/においては、口腔底の高さを境に舌の上半分が後方に一塊となって変位し、Tagging Snapshot MRIの画像上、口腔底の高さにて「断層」が形成されることが見いだされた。また、この「断層」の大きさには大小2つのパターンが存在し、被験者によって選択されるパターンが違うことが見いだされた。これは、構音における戦略が、複数存在することを示している。

 4 オトガイ舌筋の機能単位に関してはこれまで解剖学的にも生理学的にも一致した見解をみていなかった。本実験では、オトガイ舌筋の4つの部位においてTagging Snapshot MRIによる定量的解析および筋電図を行ったが、4つの部位における値は連続的に増減する傾向があり、特に機能単位の存在を示唆するような非連続性はみられなかった。したがって、オトガイ舌筋にははっきりした機能単位はないが、部位により電気的な筋活動や収縮の程度を連続的に変えうるということが明らかになった。そこには、発話時のこの筋の制御をおこなうかなり高次のプログラムの存在が示唆される。

 5 これまであまり注目されていなかった構音の際の筋活動の体位による違いを検討したところ、一定の舌外部形態を得るためにオトガイ舌筋の筋活動は体位によって異なることが示された。特にオトガイ舌筋後部においてそのことが顕著であった。また、オトガイ舌筋の後部は、気道確保のため、睡眠時等に長時間の抗重力筋的な活動を強いられることが示唆され、組織化学的な検討も必要と思われる。

 6 これまで困難であった内舌筋の活動の検討を行った。これまで推測の域を出なかった内舌筋の母音構音への関与がはじめて確認された。垂直舌筋は舌の位置を低くし、上縦舌筋は舌背表面の矢状断正中面に前後方向に形成される溝の形成に関与していることが確認された。下縦舌筋は、3で述べた口腔底の高さににおける「断層」の形成に関与していることが示唆された。

 以上、本論文は、Tagging Snapshot MRIによる定量的解析と、正確に同定された位置からの筋電図という新しい手法を用い、オトガイ舌筋にははっきりとした機能単位はなく部位によって連続的に活動を変え得ることを見いだし、また、内舌筋群の母音構音への関与を確認した。本研究は、構音障害の病態生理を知りそのリハビリ法を検討するのに必要な、発話時の舌関連筋の機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54472