学位論文要旨



No 111328
著者(漢字) 大口,恵子
著者(英字)
著者(カナ) オオグチ,ケイコ
標題(和) 微小管関連蛋白Microtubule Associated Protein 2Cの遺伝子欠失マウス作製とその解析
標題(洋) Gene Targeting of MAP2C
報告番号 111328
報告番号 甲11328
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第982号
研究科 医学系研究科
専攻 第一基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 藤原,道夫
内容要旨

 微小管関連蛋白質(MAPs)は微小管に結合する一群の蛋白質であり,in vitroでは,微小管の重合と安定化をになっている。この一群の蛋白質は,カエルから哺乳類に至るまで非常によく保存されており,また発生学的にも発現順序が,明確に規定されていることから,神経細胞の形態形成と極性化に深く関与していると考えられている。

 MAP2は,哺乳類の神経系で,もっともよく研究されている微小管関連蛋白質の一つであり,一つの遺伝子からalternative splicingにより少なくとも三つのアイソフォーム(MAP2a,b,c)を形成する。MAP2aとMAP2bは、高分子量(288kDと280kD)の蛋白質であるのに対し,MAP2cは,低分子量の蛋白質(70kD)である。これらは,発生学的に発現が規定されており,MAP2bが,胎児期から一生継続的に発現し続けるのに対し,MAP2cは,おもに胎児期から生後10日くらいまでしか発現されず,MAP2aが,入れかわるように,そのころから発現し始める。この特徴ある発現パターンは,進化学的に非常によく保存されていることから考えても高分子量と低分子量のMAP2は,異なる機能を持っていることが推察されるが,まだ解明されていない。高分子量のMAP2と,低分子量のMAP2は,その分布も異なっている。高分子量MAP2は,選択的に樹状突起に発現するが,MAP2cは,微小管関連蛋白質tauと一緒に軸索に発現される。MAP2cは,細胞体および樹状突起にも発現している。構造学的には,高分子量MAP2は,三つの部分より成り立っている。N末の短い部分は,type2 cAMP-dependent protein kinaseと結合能を持ち,C末は,tauと相同領域を持ちチュブリン結合モチーフを三回繰り返す配列を含む。中央部の大きなprojection domainと呼ばれる部分は,おそらく細胞骨格成分の架橋構造として働いているのではないかと考えられている。MAP2cは,このprojection domainの大部分を欠きN末とC末のdomainが結合したユニークな構造を持つ。高分子量MAP2の局在を免疫細胞化学及びin vitro再構成で解析すると,微小管どうし,あるいは微小管とニューロフィラメントの間の架橋構造を形成することがわかった。このことから,MAP2の機能の一つは微小管を束ね,神経細胞の形態形成に影響を与えることであると考えられる。またin vitroのアンチセンスRNAを用いた研究では,MAP2が,神経細胞の突起の伸長に関与していることが示唆された。我々は,in vivoでのMAP2の機能を知るために,遺伝子の相同組み換え法を用いて,MAP2遺伝子欠失マウス作製を試みた。

 まず、ES細胞から作ったgenomic libralyより、MAP2遺伝子を含むクローンを単離し、MAP2遺伝子の翻訳開始コドンを含むエクソンの構造を決定した。このエクソンの中のNarIサイトに、PGK-neo遺伝子を挿入し、また組み換え効率を高めるために3’側にPGK-tk遺伝子を加えてターゲティングベクターを作製した。電気穿孔法により、ES細胞にターゲティングベクターを導入し、G418とFIAUの二つの薬剤に耐性を示す細胞を456個ピックアップした。サザーンブロットハイブリダイゼーション解析により、このうち19個が、相同組み換えをおこしたES細胞であることが解った。このうちの5つのクローンをC57B1/6マウスの胚盤胞に注入し、3つのクローンから、キメラマウスを得た。これらキメラマウスのうち、80%以上がES細胞由来の体毛色をもつオスのキメラマウスを選び、C57B1/6のメスマウスと交配し、3つのクローンともMAP2遺伝子の一方がつぶれたヘテロマウスMAP2+/-を得た。ヘテロマウスは、どのクローンにおいても形態学的・行動学的異常は見られず、野生型との違いは見いだせなかった。ヘテロマウスをかけ合わせることによってホモマウスMAP2-/-を得たが、やはり野生型との違いは見いだせなかった。

 このマウスを用いて本当にMAP2遺伝子産物が、発現していないかどうかを検証した。まず、脳全体のcrude homogenateを精製し、三種類のMAP2抗体(HM-2と2G5;MAP2a,b,c全てを認識、AP-20;MAP2a,bのみを認識)を用いて、immunoblottingをおこなった。HM-2抗体のブロッティングでは,高分子量MAP2・低分子量MAP2ともに,ヘテロマウスでは発現量が半分,ホモマウスではまったく発現がみられず,予想どうりの結果であったが,2G5、AP20を用いたブロッティングでは,ヘテロマウスとホモマウスにおいて、高分子量MAP2より少し分子量が低いところに,これらの抗体で染まるバンドが出現した。このバンドが何であるのかを解析するために,生後7日と9週令のマウスからMAPs分画のタンパクを,抽出した。野生型マウス,ヘテロマウス,ホモマウスから抽出したタンパクを等量ずつSDS-PAGEゲルに流しWestern blottingを行ったところ,ヘテロマウスとホモマウスにおいて,やはり高分子量MAP2より少し低い分子量をもったタンパクの発現が,認められた。またこのゲル中の野生型、ヘテロ、ホモマウスのチュブリンの量がほとんど変わり無いことからこのfragmentは、チュブリン結合能を持っていると推察される。このタンパクは,ホモマウスにおいてヘテロマウスの二倍量の発現が見られることから,今まで知られていたスプライシング機序とは違うメカニズムが働いて,高分子量MAP2の頭の部分(N末のtype2 cAMP-dependent protein kinase結合domainを含む)が欠けたMAP2 fragmentが,発現したものと考えられる。immunoblottingの結果もこの推察を支持している。このfragmentは,発生学的な変化が見られないので、おそらくMAP2bの変形したものであろうと推察される。このfragmentの量を定量したところ、ホモマウスでは野生型マウスのMAP2に比べて0.43倍であった。

 次に形態学的変化を調べた。最初に野生型とホモマウスの脳を取り出して大きさや形、重量などを比較したが、外見上の違いは全くみられなかった。次に、電子顕微鏡を使って神経細胞の構造を調べてみた。おおまかな細胞構築や形態に違いはみられなかった。MAP2はin vitroで微小管の重合と安定化の機能をになっていることがわかっているので、プルキンエ細胞の樹上突起の微小管の数を比較してみたが、やはり差は見られなかった。さらに詳しく微小管の構造を見るため、急速凍結ディープエッチ顕微鏡法で観察すると、微小管どうし、或いは微小管とニューロフィラメントの間に、野生型のマウスと変わらない架橋構造を認めた。未知のスプライシングメカニズムにより発現されたMAP2fragmentは、N末の短いdomainを持たず、発現量も正常なMAP2の半分以下であるが、MAP2の構造的及び形態形成上の働きは十分にしているようである。

 MAP2cが発現していないことは、immunoblottingの結果より明らかなので、海馬神経細胞培養におけるMAP2cの神経突起の伸長に及ぼす影響を調べることにした。同腹のホモマウスとヘテロマウス(コントロールとして用いた)の胎生16.5日の胎児より、海馬を摘出し、いったん細胞をisolateしたあとグリア細胞の上で、神経細胞を培養する。プレーティングしたのち0.5、1、1.5、2、3、7日と、日を追って観察したが、ホモマウスとヘテロマウスでまったく違いは、見られなかった。この実験より、MAP2cは、神経細胞の突起伸長や神経細胞の初期の形態形成に単独で必須な役割はになっていないことがわかった。

 以上、低分子量MAP2欠失マウスを解析することによってMAP2に関して様々なことがわかった。まず、MAP2cが幼若マウスの脳でしか発現しないにも関わらず、上で述べたように神経細胞の突起伸長にとって必須な役割を果たす蛋白ではないということ。このことは、やはり神経細胞の突起、特にaxonの伸長に重要な役割を持っていると考えられていたtauタンパクをノックアウトしたマウスの神経細胞の培養実験でも、正常にaxonが伸長したことと関連があると考えられる。この事は神経軸索伸長にとっておそらくtau,MAP2c,それに加えてMAP1B等が一群として働いていることを示唆している。現在我々は、tauとMAP2cを両方ノックアウトしたマウスを作製中であり、そのマウスを解析することによって、tauとMAP2cがお互いに補いあって神経細胞の突起の伸長に関与しているのか、それともこれらのタンパクが単に神経細胞の形態形成の維持にだけ働いているのかはっきりすると考えている。二つめとして、MAP2には今まで知られていた以外にもスプライシングの機構があるのではないかということ。またMAP2のプロモーターに関しては今までにまったく調べられていないが、我々の実験で現れたMAP2のfragmentの量が、もともとのMAP2の量の半分以下だったことから、複数個あるのではないかと類推している。最近MAP2のチュブリン結合モチーフの繰り返し回数が、従来知られていた3回だけでなく、4回のものもあることがわかったので、スプライシングの機構がほかにも存在するのは、確実なようである。三つめとして、N末のtype2 cAMP-dependent protein kinaseドメインがなくても、架橋構造を形成することができること。このことは、従来言われていたように、中央部の長いprojection domainが架橋構造を形成している可能性を示しただけでなく、N末のドメインが新たな機能を持っていることを示しているのではないかと考えられる。神経細胞中に存在するtype2 cAMP-dependent protein kinaseの3分の1がMAP2と結合していることからMAP2が神経細胞の情報伝達に関与している可能性もある。今後、MAP2のN末ドメインを欠くミュータントマウスを使って生理学的変化を調べたいと考えている。また、MAP2のチュブリン結合ドメインをつぶすコンストラクトを作製中で、MAP2が微小管と結合せず架橋構造を形成できなかったときに、神経細胞の形態形成がどうなるかを検討する予定である。

審査要旨

 本研究は神経細胞の形態形成と極性化に深く関与していると考えられている微小管関連蛋白(MAPs)の代表的な一つであるMAP2の機能を明らかにするため,遺伝子の相同組み換え法を用いて,MAP2遺伝子欠失マウス作製とその解析を試みたものであり,下記の結果を得ている。

 1.ES細胞から作ったgenomic libralyよりMAP2遺伝子を含むクローンを単離し,それをもとにターゲティングベクターを作製した。電気穿孔法により,相同組み換えをおこしたES細胞を得た。そのうち3個のクローンからキメラマウスを得,そのマウスをC57B1/6マウスとかけあわせることによってヘテロマウスを,またヘテロマウスどうしをかけあわせることによってホモマウスを得ることができた。しかし,ヘテロマウス,ホモマウスとも野生型マウスとの形態学的,行動学的異常は見られなかった。

 2.3種類の抗MAP2抗体を用いて,野生型マウス,ヘテロマウス,ホモマウスの脳タンパクのWestern blottingを行ったところ,ヘテロマウス,ホモマウスで高分子量MAP2より少し分子量が低い,MAP2fragmentが生じていることが判明した。このfragmentの発現量は,ホモマウスでは野生型マウスの0.43倍で,3種類の抗体の結果から,MAP2分子のN末の部分が欠けたものであることが推測された。またいずれの抗体によってもMAP2C分子の発現が見られないことから,MAP2Cだけがノックアウトされたと考えられた。

 3.電子顕微鏡及び急速凍結ディープエッチ顕微鏡でプルキンエ細胞の樹状突起の微小管とMAP2の関係を調べてみたが、微小管の数を含めて野生型マウスとホモマウスの間に形態学的変化は全くみられなかった。ホモマウスのMAP2 fragmentは,樹状突起とニューロフィラメント間の架橋構造を作っていることもわかった。

 4.MAP2cが発現していないことが神経細胞の突起の伸長に影響を与えるかを調べるために、海馬神経細胞培養をしてホモマウスの海馬の神経細胞の突起の伸長を観察した。軸索,樹状突起共にその伸長の仕方は,コントロールのヘテロマウスと全く変わらないことが分かった。

 以上、MAP2ターゲティングマウス作成したところ予測できないスプライシングメカニズムによりMAP2 fragmentを生じてしまったが、低分子量のMAP2Cをノックアウトすることには成功した。従来MAP2Cは、神経細胞の突起の伸長に重要な働きをすると考えられていたが、この実験により必須の蛋白ではないことが示された。本研究は、微小管関連蛋白の神経細胞の形態形成への関与の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

UTokyo Repositoryリンク