[緒言]脊椎動物の神経系は、嚢胚期に原口陥入する原口上唇部の形成体(背側中胚葉)の誘導作用を受けた背側外胚葉から分化する。先ず背側外胚葉から将来神経系を構成する細胞が神経板細胞として誘導される。発生が進むと神経板の中央部は神経管へ、周縁部は神経冠へと形態形成を遂げ、各々から中枢及び末梢神経系が分化する。この一連の神経分化誘導現象は一般に形成体の及ぼす2段階の作用で起こると考えられてきた。即ち、最初の神経板の分化は形成体から背側外胚葉面に一様に及ぼされる神経化作用により起こり、続く神経管、神経冠の分化は、形成体から外胚葉の部域によって局所差次的に発せられる部域化作用により起こる。また特に中枢神経系で著しい前脳から尾部脊髄にいたる頭尾軸に沿った部域特殊化も、形成体の部域化信号により起こるとされている。この神経誘導現象がシュペーマンにより発見されて以来60年以上にわたり、形成体より発せられる神経化因子・部域化因子の探索が様々に試みられてきたが、その実陣は未だに明らかでない。本研究はこれらの因子を同定する事を目的とし、アフリカツメガエル初期嚢胚細胞の初代培養系を用いて、未分化外胚葉細胞に対し神経誘導作用を及ぼす内因性の成長因子を探索した。その結果、塩基性繊維芽細胞成長因子(bFGF)が生理的濃度で神経誘導効果を示し、形成体由来の神経化因子、部域化因子として極めて有力な候補である事が示された。 [方法]アフリカツメガエル嚢胚(stage 9+〜12)から動物極未分化外胚葉細胞片を切り出し、Ca,Mg-free培養液中で細胞を解離させ、正常培養液に再懸濁させた後、一定個数の細胞をマイクロウェルに分注した。各ウェルに様々な濃度のbFGFを添加し、22℃で一定時間培養した後、組職特異的単クローン抗体を用いた間接蛍光抗体法または神経系頭尾軸分化分子マーカーを用いた定量的RT-PCR法により、分化した細胞種を同定した。 [結果]I.bFGFの神経誘導効果:近年様々な初期発生過程においてタンパク質成長因子の関与が示唆されている。この点に着目し、神経誘導が起こる直前のstage10 1/4の嚢胚外胚葉細胞に、形成体由来の神経化因子の候補としてツメガエル胚に存在する各種成長因子(bFGF、EGF、TGF、PDGF、アクチビン)を各々培養液中に添加して培養し、神経細胞の分化の有無を調べた。細胞分化マーカーとしてツメガエル幼生の様々な組織特異的単クローン抗体を用い、間接蛍光抗体法で定量的に解析した。その結果、bFGFのみが極めて低濃度(5-10pM)で神経管系統の中枢神経系ニューロンと、神経冠系統の色素細胞の両者を誘導分化させる事が明らかになった。st.10 1/4の前後の様々な発生段階の外胚葉細胞に対するbFGFの効果を調べたところ、外胚葉の分化能は発生段階により異なり、初期嚢胚(st.10)の外胚葉細胞ではニューロンの分化が、一方中期嚢胚(st.10 1/2)では色素細胞の分化が最大に誘導された。bFGFの神経誘導効果は生体内で神経誘導が起こる時期の外胚葉細胞のみに見られ、これより早い後期胞胚(st.9+)と遅い後期嚢胚(st.11 1/2)ではニューロン、色素細胞いずれの分化も僅かしか見られなかった。 II.外胚葉細胞被誘導能の自律的変化:Iに示した結果から、単一の神経化因子に反応する外胚葉細胞の分化能が、胚発生の進行に伴い神経管系統から神経冠系統へと変化する事が示唆された。しかし、初期嚢胚から中期嚢胚の間に発せられる別の因子の影響で外胚葉細胞の性質が変化している可能性もある。この点を明らかにするため、神経管誘導が最大に観察されるst.10の動物極外胚葉細胞を単独培養し、胚の他の部域からの影響を除去してin vitroで発生を進行させ、培養開始後様々なタイミングでbFGFを添加して分化する細胞種を観察した。その結果、培養開始直後の初期嚢胚期(st.10)相当の外胚葉細胞にbFGFを添加した場合、ニューロンの分化が最大に観察され、色素細胞の分化はみられないが、添加のタイミングを2時間遅らせた中期嚢胚期(st.10 1/2)相当では、ニューロンの分化は減少し、代わりに色素細胞の分化が最大に観察された。この結果からbFGFにより誘導される細胞種の変化は、培養に用いた動物極外胚葉の性質が、嚢胚の他の部域に由来する別の因子の影響で変化する為に起こるのではなく、bFGFに対する個々の外胚葉細胞の反応能が発生の進行に伴い自律的に変化する為に起こる事が明らかになった。 III.神経誘導の細胞内情報伝達経路:神経誘導は外胚葉細胞内のタンパク質キナーゼC(PKC)の活性化を介して起こるという報告がある。PKC活性化はbFGFの主要な反応経路としても知られているので、bFGFによる神経管・神経冠の誘導がPKC活性化を介して起こる可能性を検証した。具体的にはニューロン、色素細胞の分化がそれぞれ最大に誘導される初期嚢胚、中期嚢胚の外胚葉細胞をbFGF存在下で培養し、そこに様々なタイミングでPKC阻害剤のスタウロスポリン(20nM)を加えて、ニューロン、色素細胞の分化が抑制されるかどうかを調べた。その結果、初期嚢胚細胞からのニューロンの分化は、スタウロスポリンによりほとんど抑制されなかったが、中期嚢胚細胞からの色素細胞の分化は、スタウロスポリンを培養開始後1時間以内に添加した場合に限り約50%に抑制された。更に、形成体細胞と外胚葉細胞の共培養下にスタウロスポリンを添加した場合も、外胚葉細胞からのニューロンの誘導分化には影響が見られず色素細胞の誘導分化のみが特異的に約60%に抑制された。この事から、神経管と神経冠の誘導は同一の誘導因子に対し異なる情報伝達経路を介して起こる事、bFGFによる神経冠誘導は正常発生と同様に誘導刺激後早期のPKC活性化を介して起こる事が示唆された。 IV.bFGFの頭尾軸部域化作用:上記I、IIの結果より、bFGFが未分化外胚葉細胞に対し神経化因子として作用するのみならず、外胚葉の発生段階によりつ中枢・末梢両神経系を誘導する部域化因子としても作用する事が明らかになった。更に前脳から脊髄までの中枢神経系の頭尾軸部域化と形態形成を司る可能性を検討するため、ニューロンの分化が最大になるst.10の外胚葉細胞を様々な濃度のbFGF存在下で培養してRNAを抽出し、定量的RT-PCR法により神経系頭尾軸分化分子マーカー(homeobo×遺伝子XeNK-2、En-2、XlHbox1、XlHbox6等)の発現を調べた。その結果、低濃度のbFGFでは前脳、後脳マーカーのXeNK-2、En-2の発現が誘導されたが、bFGF濃度の上昇に伴い、これらの発現は抑制されて代わりに脊髄マーカーのXlHbox1、XlHbox6の発現が漸次誘導される事が明らかになった。各マーカーの生体内での発現部域と、培養下で各々のマーカーを最大に誘導するbFGF濃度は相関し、低濃度のbFGFほどより頭側の部域を、高濃度ほどより尾側の部域を誘導したこれらのマーカー遺伝子の発現には神経細胞一般に対するマーカーNCAMの発現が伴い、形成体やその他の中胚葉に発現する遺伝子noggin、goosecoid、brachyury、Xwnt等の発現は見られなかった事から、bFGFは直接神経系細胞の分化を誘導し、濃度勾配により単独で神経系の頭尾軸に沿った部域化を誘導し得る事が明らかになった。 [考察]本研究により、bFGFが生理的濃度で形成体の神経誘導効果を代行し、嚢胚外胚葉細胞を神経細胞に分化させ、更に発生時期や濃度勾配により中枢⇔末梢、頭⇔尾の部域化を誘導し得る事が示された。神経誘導因子が原口上唇部の形成体から分泌され、動物極に向かって濃度勾配を生じるとすると、外胚葉の尾側ほど高濃度の、頭側ほど低濃度の因子から作用を受ける事になり、bFGFの濃度上昇に伴い前脳から脊髄の分化マーカーが漸次誘導されるという本結果と良く一致する。また分泌された因子が経時的に拡散するとすれば、中枢神経に分化する背側正中の外胚葉が先ず誘導作用を受け、末梢に分化する側面の外胚葉は遅れて誘導作用を受ける事になり、本結果を良く説明できる。即ちbFGFが形成体から拡散される間に外胚葉の被誘導能が中枢から末梢へと経時変化し、背側正中に中枢、その周縁部に末梢神経系が分化するのである。 また神経冠、神経管の誘導は別々の情報伝達機構を介する事を示唆する結果を得た。即ち前者はFGF受容体の下流で起こるPKC活性化を経て、後者はそれとは別の経路を経て起こる事が示唆された。神経誘導の詳細な細胞内情報伝達機構の解明は今後の研究の課題である。 嚢胚期にbFGFやその相同物質が形成体域周辺に発現している事も既に報告されており、神経誘導因子としての時間的・空間的発現パターンの条件を満たしている。従来、神経化因子と部域化因子は独立の物質であり,それらが形成体からの一方的な信号として均一な外胚葉に局所差次的に分泌されると考えられてきた。本研究結果はこの定説とは異なり、bFGFが単独で神経化因子としてのみならず部域化因子としても作用し、外胚葉の自律的な反応能の変化により神経系の分化、形態形成を生じる事を示唆するものである。bFGFが唯一の神経誘導因子であるとは特定できないが、本研究の結果はbFGFが形成体に由来する主要な神経誘導因子である可能性を強く示すものである。 |