学位論文要旨



No 111334
著者(漢字) 馬場,恵一
著者(英字)
著者(カナ) ババ,ケイイチ
標題(和) 心臓及び末梢血管系機能の最適性と体重依存性に関する研究
標題(洋)
報告番号 111334
報告番号 甲11334
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第988号
研究科 医学系研究科
専攻 第一基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 藤正,厳
 東京大学 助教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 諏訪,邦夫
内容要旨 1.はじめに

 (広範囲な体重における生理学的循環、代謝データ)この地球には実に様々なサイズの哺乳動物が生息している。小さいものは体重数グラムのハリネズミから大きいものは地上では体重約1トンのアフリカゾウ、海中も含めると体重130トンほどもあるクジラまでおり、クジラの体重はハリネズミの10億倍にも達する。これほどまでに実在する哺乳動物のサイズは変化に富んでいるが、その諸生理学的パラメータは体重に関してallometricな関係式(体重による指数関数表示)で統一的に奇麗に表わされる事が比較生理学やscalingの研究分野で明らかになってきている。心臓生理学的機能に関してStahlは様々な哺乳動物のデータで心重量は体重の0.58%でほぼ体重に比例すること、心拍出量は体重の0.81乗に比例して大きくなること、心拍数は体重の-0.25乗に比例して小さくなること等を示した。エネルギー代謝に関してもKleiber、BrodyやBenedictが体重の0.75乗に比例することを報告してきた。これは現在ではネズミ-ゾウ曲線としてよく知られている。これまで比較生理学やscalingの分野で報告されてきたデータはほとんど全て、成長した種の異なる様々な哺乳動物のものが中心であり、報告ごとに結果の微妙な違いが生じている。したがって、次のような疑問が提起される。1)哺乳動物は生まれてから成体になるまでの成長期においても、様々なサイズの成体の動物が満たしているのと同じ関係を満たしながら成長しているのだろうか。2)哺乳動物の種の違いに起因する誤差がデータに含まれているのではないか。その誤差は哺乳動物全般について論じるに当たって支障となっていないか。このような疑問を解決するために、特に心機能と代謝エネルギーについて、同じ種の哺乳動物(ブタ)の成長期のデータを取って行った。

 (心臓血管系機能の酸素利用に関する最適モデル)生理学的循環、代謝データの体重依存性を解釈する一つの方法として、最適モデルによる解析方法がある。本研究の対象となる心臓血管系は生体にとって酸素をはじめとした必須の生活物質を各組織に分配し、その結果組織で生じた代謝産物を除去するという非常に重要な働きを担っている。このような生体システムの機能は合理的に整合しており、その生理学的機能が最高の効率を取るような構造になっていることが指摘されている。心臓血管系の最適性に関する研究は様々な角度から研究が進められてきており、様々なことが調べられてきているが、各部の生理学的機能について統一的に評価できる機能効率の評価方法というものはいまだ確立されていない。本研究では心臓血管系が扱っている運搬物質のうちで、生体を維持するために、酸素の運搬が最も緊急を要し、重要な物質と考えられるので、この酸素の使用効率を考え、心臓血管系のうち、特に酸素を使って機械的仕事を行なう心臓と酸素を各組織に供給する末梢血管について酸素の使用効率の面から統一的に説明を試みた。そして、その機能の最適性を実験的,文献的に得られた広範囲な体重におけるデータを用いて評価した。

2.広範囲な体重におけるブタのエネルギー代謝と心機能の計測

 (実験)実験動物としてランドレース種の同腹から生まれた兄弟豚を用いて生後数日目から約150日目まで約2週間に一度の割合で覚醒時における心機能計測を行なった。この間にブタは体重約3(kg)から100(kg)近くまで成長する。サイズに応じた体重計で体重を計測し、ブタの身長、胸囲、胴囲をメジャーで計測した。よい安静状態を作るためにハンモック状の固定器を用いて固定させ、エネルギー代謝と心機能の計測を行なった。エネルギー代謝の計測はダグラスバックを用いて呼気ガスを集め、それをガス解析装置で解析し、標準大気圧(STPD)での酸素消費量を計算することによって行なった。また心機能の計測には超音波診断装置を用い、心臓の短軸断層図及び左室長軸断層図を得、これから楕円球体モデルを用いて、拡張期末容積(EDV)、収縮期末容積(ESV)、一回拍出量(SV)を計算し、更に心電から心拍数(HR)を求め、SVとHRから心拍出量(CO)を求めた。また麻酔下で今回使用した超音波(Echocardiography)法の精度を検討するために熱希釈(Thermodilution)法によるCOの値と超音波法によるCOの値を比較検討した。そして頸動脈に圧力計測用のカテーテルを挿入して圧力センサーを介して動派圧を検出し心機能としての最高動脈圧、最低動脈圧、平均動脈圧の体重依存性を調べた。

 (結果と考察)今回実験した成長期のブタが他の哺乳動物と同じように絶対成長においてs字曲線を取っており、また身長、胸囲、胴囲の体重依存性も一般的な哺乳動物と同じ傾向にあることを確認できた。また成長期のブタにおけるエネルギー代謝VO2(ml/min)の体重(g)依存性はVO2=10.23Wb0.738(r=0.922,n=56)となりこれまでに報告されてきている哺乳動物全般のエネルギー代謝の体重依存性と同じ傾向を示しており(図1参照)、相関係数も哺乳動物全般のものより高いということはなかった。

 EDV(ml),ESV(ml),SV(ml)と体重との関係は(r=0.942,n=80),(r=0.883,n=80),(r=0.911,n=80)となった。これからEDV,ESV,SVはそれぞれ体重の約1.1乗に比例することがわかる。これらのデータから左心駆出率(EF)を計算するとEFは体重に関わらず約40%一定の値となり、これはこれまでの他の哺乳類のEFの報告と良く一致する。また、HR(1/min)とWb(kg)の関係は次のようになる。(r=-0.721,n=85)さらにSVとHRからCOを求めるととなった。このCOの体重依存性は成体の様々な哺乳類のデータに非常に近い(図2参照)。平均動脈圧Pa(mmHg)は体重に関してほぼ一定でPa=117.5±16.7となった。熱希釈法によるCOの値と超音波法によるCOの値を比較すると、次のような関係が導かれた。log(COe.c.)=1.09log(COt.d.)-0.54(r=0.912,n=16)COe.c.とCOt.d.の間の相関関係の傾きはほぼ1となっており、値のシフトはこれまでにも報告がある。対数軸上でデータが4桁の変化がありながら0.54ほどのずれしかないので、今回のscaling計測では実用上問題はないといえる。またこの実験系は今回計測した生理学的ファクターに関しては哺乳動物全般のデータとほとんど等価的に扱うことができ、短時間で非常に幅広いデータを取ることができるので、scalingに関して非常に利点の多い実験系であるということができる。

3.最適酸素利用仕事効率による心機能モデル

 心臓の機械的外部仕事における酸素利用効率が最も高くなるような最適条件を菅らの提唱した心室可変弾性モデルを用いて計算し、最適動脈圧及び、最適駆出率を導いた。これらの最適ファクターと実際の生理学的ファクターを比較するために、最も多くの報告があるイヌのデータを用いて最適動脈圧及び、最適駆出率を計算したところ、実際の生理学的ファクターとの良い一致を示した。また計算に用いるデータの種類が少なくてすむ簡略化された最適動脈圧及び、最適駆出率の計算式を導き、これをイヌのデータと実験で得た成長期におけるブタの広範囲な体重における心機能データを主に用いて検討したところ、実際の生理学的ファクターとの良い一致を示した。またEmaxについて成長期におけるブタのものと哺乳動物全般のものとのある程度の一致を見た。その他の心臓生理学的ファクターについても予測される体重依存性を式上で導いた。さらにP-V平面上での最適動脈圧及び、最適駆出率の幾何学的条件を導き、標準状態の場合及びカテコルアミンによる陽性変力効果を及ぼした場合について検討したところ、動脈圧及び、駆出率が最適条件を満たしていることが示唆された。

4.最適酸素供給効率による末梢血管-組織系モデル

 哺乳動物類の骨格筋における毛細血管-組織系の酸素供給効率を評価した。使用したモデルは1)酸素を供給するために必要な特定の毛細血管数で養われる最大組織量を推定するためのKroghの円筒モデル。これによって毛細血管-組織系を表現する。2)毛細血管網に血流を通して供給されるエネルギーコストを評価するための二分岐血管系の最小容量モデル。3)毛細血管数の関数として与えられ(組織最大酸素消費量)/(エネルギーコスト)の比で定義される生体システムの効率。主要な生理学的入力データは安静時及び運動時の骨格筋酸素消費量と骨格筋血流量である。これらのデータの体重依存性を最近の様々な哺乳動物類の実験報告から調べた。本モデルの計算結果から運動時の場合に、広範囲な体重においてモデルによる最適骨格筋組織量と生理学的骨格筋組織量の関係が理想直線と非常に良い一致を示し、この時の最適組織円筒半径と生理学的組織円筒半径も非常に近い値を取っていることがわかる(図3参照)。これは最適毛細血管数が実際の毛細血管数と近い値を取っている事を表わしており、毛細血管血流速度等を評価してもモデルによる計算値と生理学的な値は良い一致を示す。また、この時効率は体重に関わらずほぼ一定の値を取っている。これらの結果から哺乳動物類の骨格筋の毛細血管-組織系は運動時においてその体重に関わらず同じ効率で最適酸素供給構造を維持している事が示唆されている。

5.最適酸素熱産生効率による末梢血管-組織系モデル

 哺乳動物類の最適酸素熱産生効率を熱的に平均的な組織として扱える骨格筋のモデルを用いて評価した。使用したモデルはKroghの円筒モデルや最小容量モデルは最適酸素供給モデルの場合に準じるが、効率は(酸素による熱産生量)/(エネルギーコスト)で計算する。主要な生理学的入力データは安静時及び運動時の熱産生量と全血流量である。これらのデータの体重依存性をそれぞれ酸素摂取量に酸素の熱当量を乗じたものと心拍出量として用いた。本モデルの計算結果から安静時の場合に、広範囲な体重においてモデルによる最適骨格筋組織量と生理学的骨格筋組織量の関係が理想直線と非常に良い一致を示し、この時の最適組織円筒半径と生理学的組織円筒半径も非常に近い値を取っていることがわかる。これは最適毛細血管数が実際の毛細血管数と近い値を取っている事を表わしており、毛細血管血流速度等を評価してもモデルによる計算値と生理学的な値は良い一致を示す。また、最適酸素供給モデルによる運動時の組織円筒半径と本モデルの安静時の組織円筒半径は生理学的な値と良い一致を見るので、これらの計算結果から骨格筋毛細血管の開存率(open fraction)を求め、これと生理学的な開存率を比較したところ、これも非常に良い一致を見た(図4参照)。この時効率は体重に関わらずほぼ一定の値を取っている。これらの結果から哺乳動物類の骨格筋の毛細血管-組織系は安静時においてその体重に関わらず同じ効率で最適酸素熱産生構造を維持している事が示唆されている。

図表図1 / 図2 酸素消費量(図1)と心拍出量(図2)における成長期のブタのデータ、Stahl(1967)による様々な哺乳動物のデータ、1980年代の報告による様々な哺乳動物のデータの体重依存性の比較 / 図3 / 図4 最適組織半径と実際の半径の比較(図3)及び最適開存率と実際の開存率の比較(図4)
審査要旨

 本研究はscalingの観点から非常に興味が持たれる成長期の哺乳動物(ブタ)の代謝、心機能の体重依存性を実験的に明らかにし、哺乳動物の代謝、心機能の体重依存性の意義を、酸素の利用効率から見た最適モデル解析を通して示そうと試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1)成長期のブタの基礎エネルギー代謝量の体重依存性は成体の哺乳動物類の場合と同様の0.75乗則を保っていることが示された。また、基礎代謝量に含まれるブタの成長に要するエネルギーの影響はほとんどないか、あったとしてもわずかなものであることが示唆された。

 2)成長期のブタの心拍出量、一回拍出量、心拍数、平均動脈圧などの心機能の体重依存性もそれぞれ成体の哺乳動物類の場合と同様の傾向を保っていることが示された。また、新たにEDV、ESV、EFなどの体重依存性も明らかにされた。これらのデータは成体の哺乳動物類の場合と同様の傾向を保っている可能性が高い。

 3)文献的に得られた安静時の哺乳動物類における基礎エネルギー代謝に関しては、成長期のブタのデータと同じ傾向を示していることが確認された。運動時のエネルギー代謝は、以前は体重に関して0.75乗則を保つと考えられていたが、運動時はほぼ体重に比例することが示され、このデータの信頼性が高いことがその他の報告からも示唆された。

 4)文献的に得られた安静時の哺乳動物類における心拍出量、平均動脈圧に関しては、成長期のブタのデータと同じ傾向を示した。運動時の心拍出量の体重依存性についてはこれまでに十分な報告はないが、今回ほぼ体重に比例することが示された。また、運動時の平均動脈圧に関しても報告はないが、今回、体重依存性はなく約145(mmHg)となることが示された。

 5)可変弾性モデルが適用される心臓において、外部機械的仕事の酸素利用効率が最高となるなる条件下での安静時の最適動脈圧と最適駆出率を体重依存性がある心機能データを入力して計算すると生理学的値に近い値が得られた。この結果は心機能データの体重依存性がこのような生体の最適条件を維持する様に働いている可能性を示唆している。

 6)運動時の心臓については十分なデータがなく検討はできなかったが、運動時に生じる大きな特徴の一つである陽性変力効果を生じさせるカテコルアミンを投与した際のデータを用いて5)と同様の検討を行ない、カテコルアミンを投与時でも心臓は今回検討した最適条件を満たすことが示唆された。

 7)最適酸素供給モデルを末梢血管系に適用し、体重依存性がある生理学的な心機能、代謝データを入力して、モデルの効率が最高になる条件を求めると、運動時にモデルによる組織半径等が生理学的なデータと良く一致することが示された。これは心機能、代謝データの体重依存性がこのような生体の最適条件を維持する様に働いている可能性を示唆している。

 8)最適熱産生モデルを末梢血管系に適用し、体重依存性がある生理学的な心機能、代謝データを入力して、モデルの効率が最高になる条件を求めると、安静時にモデルによる組織半径等が生理学的なデータと良く一致することが示された。これは心機能、代謝データの体重依存性がこのような生体の最適条件を維持する様に働いている可能性を示唆している。

 以上、本論文は今までに知られていない成長期のブタの代謝、心機能の体重依存性が成体の哺乳動物全般のものと同等に扱えることを実験的に明らかにしている。さらに、今までに知られていない代謝、心機能の体重依存性の意義についても扱い、心臓および末梢血管系機能を果たす上で重要な働きをしていることを、酸素の利用効率から見た最適モデル解析を通して示している。以上の成果は哺乳動物類の代謝、心機能の体重依存性に関する生体内部機構解明のために重要な貢献をなすと考えられ、比較生理学的、生体医工学的に大きな価値があると見なせるので、学位の授与に値するものと考えられる。

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