本研究はヒト涙腺の病理組織学的変化に関する研究をまとめたものであり、以下の2つの内容から構成される。 (1)ヒト主涙腺の病理組織学的変化-頻度および年齢・性差との関係- 涙液は加齢により、その質や量が変化することは一般的に知られている。また、加齢とは関係なく、涙液の質あるいは量の低下は乾性角結膜炎を生じさせ、眼表面に異常をきたす。しかし、涙腺に実際どのような形態変化がみられるかについての報告は極めて限られている。 本研究では、病理解剖例からヒト主涙腺を完全に摘出し、眼瞼部と眼窩部を区別して、どのような病理組織学的所見が観察されるかについて検討し、その頻度を調べた。また、各所見と年齢や性との関係を評価するために、性を層別要因として、年齢と各所見の関連をスピアマンの順位相関係数を用いて検討した。また、性と各所見の関連を調べるために、年齢階級を層別要因として、オッズ比とその95%信頼区間を求めた。 その結果、ヒト涙腺には、腺房の萎縮、小葉内の線維化、導管周囲の線維化、小葉間導管の拡張、小葉間導管の増生、導管周囲のリンパ球浸潤、巣状のリンパ球浸潤、脂肪浸潤など種々の病理組織学的変化が観察され3.8%〜35.0%の頻度で存在することが判明した。また、眼瞼部と眼窩部の両者間の各所見の頻度の差を調べたところ、小葉性の萎縮、小葉性の線維化、びまん性の萎縮、びまん性の線維化、導管周囲の線維化、巣状のリンパ球浸潤、そして脂肪浸潤は、眼瞼部より眼窩部に多く観察された。一方、小葉間導管の拡張は、眼窩部より眼瞼部に多く観察された。 危険率5%未満で統計的に開連ありとなった加齢変化の組織所見は、眼瞼部における男性の導管周囲の線維化、眼窩部における女性のびまん性の萎縮、びまん性の線維化、および導管周囲の線維化であった。この他に、小葉間導管の増生も加齢変化の方向にある所見としてあげられた。このような組織学的変化は、加齢に伴う涙液の質と量の変化と密接な関係があると考えられた。腺房の萎縮は、涙液中の蛋白成分を減少させると考えられる。すなわち涙液の質的異常を生じさせることになると推察される。一方、導管周囲の線維化により、水の分泌障害がおこると推察される。また小葉間導管の拡張は、涙液の排出障害の存在を推察させる。このような導管の病理組織学的変化は、涙液の量的異常を生じさせることになると考えられる。さらに、びまん性の萎縮、びまん性の線維化、および導管周囲の線維化は高齢の女性に有意に多くみられたということは、乾性角結膜炎の患者が閉経後の高齢の女性に多いという臨床所見と一致していると考えられ興味深い。また、眼窩部の脂肪浸潤は年齢階級の若い女性に多くみられ、脂肪浸潤は加齢変化であるという結論は得られなかった。 主涙腺にみられた多彩な病理組織学的変化は、涙液の質と量に密接に影響を与えているものと考えられ、今後涙腺の形態と機能を研究する際に重要であると考えられた。 (2)導管周囲のリンパ球浸潤とEpstein-Barrウイルスとの関係-in situ hybridization法およびPCR法を用いて- 主涙腺にみられる導管周囲のリンパ球浸潤は、病的な所見であると考えられる。唾液腺の場合、導管周囲のリンパ球浸潤はシェーグレン症候群の初期病変であると考えられている。しかし、主涙腺でみられる導管周囲のリンパ球浸潤がシェーグレン症候群の初期病変であるのかについては不明である。 近年,シェーグレン症候群患者の顎下腺組織、涙液、涙腺組織などからEpstein-Barr virus(以下EBウイルス)が、polymerase chain reaction(以下PCR)法により、78%〜86%の高頻度で検出されるという報告があいつでなされ、EBウイルスとシェーグレン症候群の病因との関連が注目を集めている。また、シェーグレン症候群の唾液腺や涙腺組織に浸潤するリンパ球には、in situ hybridization法によりEBウイルスが検出されるという報告もある。 本研究では、シェーグレン症候群と診断されていない病理解剖例の主涙腺にみられた導管周囲のリンパ球浸潤がEBウイルスと関連があるか否かについて検討した。まず、2ケ所以上の導管周囲にリンパ球浸潤みられる検体13例(A群)のパラフィン切片において、浸潤するリンパ球がBリンパ球、あるいはTリンパ球のどちらが優位であるのか、pan-B cellびpan-T cellを認識する抗体で、免疫染色を行なった。その結果、導管周囲のリンパ球浸潤は、B細胞が62.8%T細胞が37.2%であり、Bリンパ球の方が優位に浸潤していた。 次に、この導管周囲のリンパ球浸潤にEBウイルスが関与しているか否かについて、同切片を用いてin situ hybridization法と同切片より抽出したDNAについてpolymerase chain reaction(PCR)法を用いて、EBウイルスの検出を行なった。対照には、HE染色で正常な涙腺組織10例(B群)を用いた。なお、in situ hybridization法には、Epstein-Barr virus encoded RNA(EBER)に相補的なプローブを用いた。EBERは、EBウイルスのコードする短いRNAで、核内に最大107個のコピー数があり、パラフィン標本でも優れた検出能を有している。また、PCR法に用いたプライマーの塩基配列は、EBウイルス遺伝子のBamHI W領域の121bpのDNA断片を増幅させる部分を用いた。 その結果、A群13例のうち、PCR陽性検体は10例(77.0%)であった。一方、B群10例のうち、PCR陽性検体は3例(30.0%)であった。A群のPCR陽性検体10例のうち、in situ hybridization法でEBER陽性の検体は4例であり、導管周囲のリンパ球に弱い反応がみられた。B群ではEBERの陽性所見は1例にもみられなかった。 また、EBウイルス関連蛋白の一つであるlatent membrane protein(LMP)に対する免疫染色を施行したところ、A群、B群どちらにも陽性所見は1例もみられなかった。以上の結果から、シェーグレン症候群と診断されていない病理解剖例の涙腺においても、導管周囲のリンパ球浸潤にEBウイルスが関与している可能性が示唆された。 本研究において、ヒト主涙腺に種々の重要な病理組織学的所見がみられることが判明した。このような組織学的変化が、涙腺の機能と密接に関係し、涙腺の機能に影響を与える重要な所見であると考えられた。 |