学位論文要旨



No 111351
著者(漢字) 瀬尾,尚宏
著者(英字)
著者(カナ) セオ,ナオヒロ
標題(和) γ/δT細胞による細胞性免疫調節機構の研究
標題(洋)
報告番号 111351
報告番号 甲11351
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1005号
研究科 医学系研究科
専攻 第三基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 成内,秀雄
 東京大学 教授 高津,聖志
 東京大学 教授 藤原,道夫
 東京大学 教授 伊藤,幸治
 東京大学 助教授 浅野,喜博
内容要旨 1.研究の目的

 癌に対する生体の防御反応を担当する一つの免疫細胞として細胞障害性T細胞(CTL)が挙げられる。非担癌体を薬剤等によって処理された同系癌細胞によって免疫することにより、明らかに抗癌CTLが誘導されるような場合でも、その癌細胞は担癌体に於いてはCTLの攻撃を免れているかのように挙動する。予備的な研究から、担癌体に於いても抗癌CTLが存在するものの、その活性が抑制された状態であることを示唆する結果を得た。このような担癌体における抗癌CTLの活性抑制の機構を研究するためには、CTLの認識対象となる癌細胞表面抗原の同定と、この抗原を認識するCTLクローンを得ることが必要である。本研究では、まずこの二つの点を解決し、次にこのCTLクローンと標的癌細胞の反応系を用いて、CTLの癌細胞障害活性が担癌体に於いてどのような機構により抑制されているのかを知ることを目的として、試験管内反応による解析を試みた。

2.結果及び考察2-1.H-2kマウス由来の癌細胞の表面に表現されるQa-2k形質をコードする遺伝子の同定

 H-2kマウスはアロリンパ球抗原の一つであるQa-2抗原が陰性であることが知られている。然し、H-2kマウスに由来する多くの実験癌細胞の表面に、抗Qa-2単クローン抗体で検出される抗原(Qa-2k抗原)が存在することが明らかにされた(1)。この抗原は癌細胞の抗移植抗原となることが確かめられている。

 アロリンパ球抗原であるQa-2抗原は、マウス第17番染色体のQa-2,3領域に存在するQ7及びQ9遺伝子の産物であることが知られている。この抗原はglyco-phosphatidylinositol(GPI)アンカーを持つリンパ球表面抗原である。ところがH-2kマウスに於いてはQa-2,3領域のQ6からQ9遺伝子に至るDNA領域が欠損しているために、これらのマウスがQa-2陰性の表現型を持つということが報告されたため、Qa-2陰性のマウス由来の癌細胞に表現されているQa-2k抗原がQa-2抗原と異なる性質を持っているのか否か、またQa-2k抗原がどのような遺伝子の産物であるのかが問題となった。そこでまず、Qa-2k抗原がQa-2抗原とどのように異なる性質を持っているのかを検討した。その結果、癌細胞上のQa-2k抗原は、抗Qa-2単クローン抗体59及び141-15.8に対しては反応性を持つものの、抗Qa-2単クローン抗体34-1.2に対しては反応性を持たないこと、及びphosphatidylinositol-specific phospholipase C(PI-PLC)処理に対して抵抗性であることからGPIアンカーによって細胞表面に結合しているのではないことが示された。AKR(H-2k)マウスに由来する胸腺腫瘍細胞株BW5147に於いては、Qa-2k抗原はPI-PLCに耐性であるが、Thy-1抗原はPI-PLC感受性であることから、この耐性が細胞のGPIアンカー合成能の欠損によるものではないことが明らかとなった。これらの結果から、Qa-2k抗原はQa-2抗原とは抗原性に於いても、生化学的性質に於いても微細に異なるものであることが明らかとなった。

 次にBW5147細胞を材料としてQa-2k抗原をコードする遺伝子の検索を行った。Qa-2k抗原の性質がQa-2抗原の性質と極めて似ていることから、Qa-2抗原をコードするQ7或いはQ9遺伝子と高い相同性を持つQa-2,3領域の各遺伝子(Q1k,Q2k,Q4k,Q5k及びQ10k)又はH-2Dk遺伝子に特異的なオリゴヌクレオチドプローブ及びプライマーを合成し、これらを用いてpolymerase chain reaction(PCR)によるcDNAの部分的増幅及びノーザンハイブリダイゼーション法によるmRNAの検出を行った。その結果、PCRに於いては、Q5k及びH-2Dk遺伝子に特異的なプライマーを用いた場合のみにcDNAの増幅が認められ、その他のプライマーを用いた場合には増幅が認められなかった。また対照としてAKR胸腺細胞よりcDNAを合成し、これを鋳型として用いた場合には、H-2Dk特異的なプライマーを用いた場合のみDNA増幅が認められた。またノーザンハイブリダイゼーションに於いてもH-2Dk特異的プローブを用いたときはBW5147poly(A)-RNA及びAKR胸腺細胞poly(A)-RNAのいずれにもシグナルが認められたが、Q5kプローブを用いた場合には前者にのみシグナルが認められた。この結果より、Qa-2,3領域の遺伝子のいずれもAKR胸腺細胞では転写が認められないのに、Q5k遺伝子のみはBW5147細胞で転写されていることが明らかとなった。PCRによって、Q5k遺伝子のエクソン全てを含むDNAをcDNAより増幅させ、その塩基配列を決定したところ、すでに報告されているQ5k遺伝子の塩基配列から予想されるcDNAの塩基配列と全く一致した。またこの塩基配列より、Qa-2抗原のGPIアンカー結合部位となっていることが推測されているglu259がQ5kcDNAではvalになっていることが推定され、これがQ5k抗原のPI-PLC耐性の理由であろうと考えられた。次に、lacZ発現プラスミドのlacZプロモーターの下流にQ5kcDNAのexon2からexon4を含む部分を組み込んだ組換え体を作製し、これを大腸菌に導入して、lacZ-Q5k(α1〜α3ドメイン)融合タンパクの発現を誘導した。誘導されたタンパクは、ウェスタンブロツティングに於いて、予想された分子量を示し、抗Qa-2単クローン抗体59及び141-15.8とは反応性を持つが、34-1.2とは反応性を持たなかった。このことから、Q5k遺伝子の産物が抗原性の上からQa-2k抗原と同じ性質を持つことが明らかとなった。

 以上の結果から、癌細胞表面に表現され移植拒絶抗原となるQa-2k抗原はQ5k遺伝子産物(Q5癌抗原)であることが結論された(2)

2-2.抗Q5癌抗原CTLクローンの作製

 抗Q5癌抗原CTLクローンの作製は、Qa-2陰性マウスにおけるQa-2抗原とQ5癌抗原との共通抗原性を利用して行った。即ち、Qa-2コンジェニック系のB6.K1(Qa-2-)マウスをB6(Qa-2+)マウスリンパ球で免疫し、その脾細胞を抗原刺激を与えつつ試験管内培養し、更に限界希釈法によって抗Qa-2CTLクローンを得た。この中からBW5147(Qa-2-,Q5+)細胞を障害するクローンを選択し、更にそのBW5147細胞を標的とした細胞障害活性が抗Qa-2単クローン抗体141-15.8で阻止されるが34-1.2では阻止されないものとして、抗Q5癌抗原CTLクローンを得た。また対照実験のために抗H-2KbCTLクローンも同様に作製した。これらはいずれもCD8陽性でα/β型T細胞抗原受容体(TCR)を持つ細胞であった。また、この結果はQ5癌抗原がCTLの認識標的となり得る細胞表面物質であることを示していた。

2-3.γ/δT細胞によるCTL活性抑制因子の産生

 担癌体に於いては、癌細胞の影響のもとに抗癌CTLを抑制する活性を獲得した何らかの免疫細胞が存在することが予想されるが、予備的実験により、癌細胞培養上清存在下に培養した正常マウスリンパ球が、抗癌CTLの細胞障害活性を抑制する液性因子を産生することを示唆する結果が得られていた。まずこの結果を上記のCTLクローンを用いて確認した。正常C3H/Heマウス脾細胞をMM2癌細胞培養上清とIL-2を含む培地中で10日間培養した後、IL-2を含む新鮮通常培地中で3日間培養して再培養上清を得た。この再培養上清をCTL反応系に添加したところ、その活性を阻害した。抗Q5癌抗原CTLクローンの活性も、抗H-2KbCTLクローンの活性も同様に阻害され、この阻害には抗原特異性がないことが示された。最大の阻害活性を誘導するためには10日間の前培養が必要であった。またこの培養上清中の阻害因子は分子量が1万以下の物質であることが推定され、培養上清をpH3処理或いは50℃処理しても失活しなかったが、pH10処理或いは100℃処理により失活した。一方、癌細胞培養上清を含まない培地中で前培養を行った場合には、再培養上清中にこの活性は認められなかった。

 次に、上記の如く癌細胞培養上清存在下に前培養した正常C3H/He脾細胞を、各種のリンパ球表面抗原特異的単クローン抗体と補体で処理した後、再培養を行い、再培養上清中にCTL活性阻害活性が検出されるか否がを検討した。その結果、抗体として抗γ/δTCR抗体或いは抗CD3抗体を用いた場合に活性が低下したが、抗α/βTCR抗体、抗CD4抗体、或いは抗CD8抗体を用いた場合には活性の低下が認められなかった。この結果、阻害因子産生に対するγ/δT細胞の関与が示唆された。次にMM2担癌C3H/Heマウス脾細胞から抗γ/δTCR抗体と磁気ビーズを用いてγ/δT細胞を単離し、IL-2を含む培地中で4日間培養した後、新鮮通常培地中で1日再培養したところその培養上清中に阻害活性が認められた。前培養を抗CD3抗体を固相化した培養プレート中で行うと、通常プレートを用いた場合に比べて有意に強い阻害活性が得られた。一方、正常C3H/He脾細胞から単離されたγ/δT細胞を用いた場合には、同じ条件のいずれの培養を行った場合にも阻害活性が認められなかった。また、単離したγ/δT細胞を用いたこれらの実験に於いては、いずれの培養に対しても癌細胞培養上清の添加は影響を示さなかった。これらの結果から、担癌体のγ/δT細胞がCTL活性阻害因子を産生すること、及びその活性はTCRを介した刺激によって増強されることが示された。また、癌細胞の産生する何らかの因子がこの因子の産生に対して促進的に働くが、その作用は間接的であることが示唆された。

3.参考文献(1),Tanino,T.,N.Seo,T.Okazaki,C.Nakanishi-Ito,M.Sekimata,and K.Egawa.1992.Detection of allogeneic Qa/TL and Ly specificities on murine tumor cells with IgD in tumor-regressor serum.Cancer Immunol.Immunother.35:230.(2),Seo,N.,T.Okazaki,C.Nakanishi-Ito,T.Tanino,Y.Matsudaira,T.Takahashi,and K.Egawa.1992.Expression of the Qa-2kphenotype encoded by the Q5k gene on the surface of tumor cells derived from H-2k mice.J.Exp.Med.175:647.
審査要旨

 本研究は、癌に対する宿主の抵抗性を担う抗癌CTLによって認識される細胞表面分子を同定すること、及び宿主中でその分子を表現している癌細胞が抗癌CTLの攻撃から免れる機構を試験管内反応によって知ることを目的としたものであり、下記の結果を得ている。

 1)アロリンパ球抗原であるQa-2抗原が陰性のH-2kマウスに由来する癌細胞表面に表現され、抗Qa-2単クローン抗体に反応する抗原(Qa-2k抗原)は、抗原性の差及びPI-PLCに非感受性であることから、Qa-2抗原とは異なる物質であることが推定された。

 2)マウス17番染色体Qa-2,3領域に存在するQ遺伝子群のそれぞれに特異的なプローブ及びプライマーDNAを合成し、これを用いたノーザンハイブリダイゼーション解析及びPCRによるDNA増幅実験を行った。その結果、AKR(H-2k)マウス由来のBW5147癌細胞に於いて、Q5遺伝子が特異的に転写されていることが判った。

 3)Q5遺伝子のexon2-exon4に対応するcDNAをPCRにより増幅し、これを過剰産生用発現プラスミドに組込み、lacZタンパクとの融合タンパクを作製した。このタンパクはウェスタンブロッティング解析に於いてQa-2k抗原と等しく、Qa-2抗原とは異なる抗原特異性を示した。

 4)Q5遺伝子の全coding regionの塩基配列を決定した。その結果は、既に報告されているQ5遺伝子の塩基配列から予想される配列と完全に一致していた。従って、Qa-2k抗原はQ5遺伝子産物(Q5癌抗原)であることが示された。またQa-2k抗原のPI-PLC非感受性もQa-2抗原遺伝子(Q7又はQ9遺伝子)のexon5に由来するアミノ酸配列中の1残基のGluがQ5抗原ではValになっていることが原因であると理解された。

 5)Qa-2陰性マウスにおけるQa-2抗原とQ5癌抗原の共通抗原性を利用して、Q5癌抗原に特異的なCTLクローンを作製した。

 6)このCTLクローンを用いて、脾細胞が癌細胞の影響の下に産生するCTL活性抑制因子についての検討を行った。正常マウス脾細胞を癌細胞培養上清存在下に培養すると、CTL活性抑制因子産生能を獲得した。その抑制因子産生能を獲得した脾細胞を種々の抗体と補体とで処理することにより、γ/δT細胞がこの因子の産生に関与していることが示唆された。

 7)担癌マウス脾細胞から磁気ビーズを用いてγ/δT細胞を単離したところ、単離された細胞の培養上清中にはCTL抑制活性が認められた。この活性の産生はγ/δT細胞を抗CD3抗体によって刺激することにより増強されたが、癌細胞培養上清によっては増強されなかった。また正常マウス脾細胞から単離したγ/δT細胞では、この抑制因子の産生が認められなかった。

 討議の結果、CTL活性抑制因子に関する実験結果の内、CTLクローンを使用した実験から得られた結果以外については、その結果から得られる解釈が曖昧であると判断し削除した。

 以上、本論文はQ5癌抗原を正確に同定したこと、またその癌抗原特異的なCTLクローンを取得したことにより、癌に対する免疫反応を試験管内の単純な系で検討できる実験系を確立し、その結果としてγ/δT細胞が担癌宿主で起こる免疫抑制の一端を担うことを明らかにしたものである。本研究は癌免疫学研究に重要な貢献をなすと考えられるため、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54475