学位論文要旨



No 111352
著者(漢字) 笹島,ゆう子
著者(英字)
著者(カナ) ササジマ,ユウコ
標題(和) 膿胸後リンパ腫とEBウイルスの関連およびその遷延蛋白質発現の解析
標題(洋)
報告番号 111352
報告番号 甲11352
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1006号
研究科 医学系研究科
専攻 第三基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,宣生
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 講師 東原,正明
内容要旨 研究の目的と概要

 膿胸後リンパ腫(pyothorax-associated lymphoma,PAL)という疾患概念が最近提出され広く受け入れられている。PALとは、結核性膿胸の瘢痕部に発生したリンパ腫を指す。PALは、疫学的には我が国にとくに多く、結核性膿胸の既往のある人の2.2%に発生し、患者の多くが男性である(井内ら、1987,1989)。臨床的には高度悪性で発症後数カ月で死に至る例が多いと報告されている。病理組織学的には、びまん性大細胞型ないし免疫芽球型リンパ腫に分類され、マーカーはB細胞性もしくはnull細胞性である。PALの発生機序はいまだ解明されていない。

 Epstein-Barr(EB)ウイルスは、伝染性単核球症の原因ウイルスとして知られているほか、一部のリンパ球性および上皮性腫瘍発生と関連が深いことが報告されている。バーキットリンパ腫、上咽頭癌、免疫不全患者に発生するリンパ腫が代表的なものであるが、近年ではこれ以外の疾患、例えばホジキン病、鼻のリンパ腫、NK細胞白血病、一部の胃癌などにおいても腫瘍細胞内にEBウイルスが同定されている。これらEBウイルス関連腫瘍においてはウイルスによって遷延蛋白質が産生されることがその腫瘍発生の一つの原因と考えられている。

 最近私は、PALより得た細胞株を検索する過程でこの腫瘍細胞にEBウイルスが強発現していることを発見した。そこでPALの発生にはそもそもEBウイルスがかかわっているのではないかという仮説をたて、今回の検索を行った。この結果EBウイルスはPALの全例に陽性であり、かつウイルス蛋白質の発現パターンがこれまでに知られているヒトリンパ腫における発現形式と異なったものであることを知った。そこでさらにPALにおけるEBウイルス蛋白質、とくにLMP1の発現について蛋白質および遺伝子レベルで検討した。

検索方法と結果1.膿胸後リンパ腫にEBウイルスが存在していることの証明

 膿胸後リンパ腫(PAL)4例の剖検または生検材料の凍結組織を薄切、固定したのち、EBウイルス蛋白質EBNA2およびLMP1に対する抗体を用いて免疫組織染色をおこなったところ、次のような結果を得た。

 1-1)PALの全例において、大部分の腫瘍細胞にEBNA2がつよく発現していた。

 1-2)PALの腫瘍細胞におけるLMP1の発現は全例が陰性〜弱陽性であった。さらに、EBウイルス感染を確認するため、感染細胞核内に発現するEB virus encoded small RNA(EBER)を、in situ hybridization法にて同定した。その結果、

 1-3)PAL全例において多くの腫瘍細胞核内に強いシグナルが認められた。

 以上1-1)〜1-3)より、PALの全例にEBウイルスが強く感染していることが示された。

 さらに各例におけるEBウイルスのクローナリティを決定するために、膿胸後リンパ腫4例の凍結組織からDNAを抽出し、Southern blot hybridizationによる検討を行った。

 EBウイルスは増殖期には線状形態をとり、細胞内に侵入し潜伏する際にウイルス遺伝子末端の繰返し部分(terminal repeat)をランダムに切り落とす形で環状DNA(episome)となる。潜伏状態のウイルスは、宿主細胞周期にあわせて複製するのみでそのterminal repeatの数を変えない。したがって、terminal repeatの両端を認識して切断するような制限酵素で処理した腫瘍細胞DNAに、terminal repeatに対するプローブをハイブリダイズしてやると、terminal repeatの数に対応したバンドが検出される。ウイルスが単一の場合には1本のバンドとして検出され、この場合存在するウイルスは1個のウイルス株から複製されてきたものであるといえる。この結果として次のことが得られた。

 1-4)膿胸後リンパ腫に存在するEBウイルスはterminal repeatの数が各症例においてそれぞれ単一であることが示唆された。

 この1-4)の結果より、PAL腫瘍細胞内に存在するウイルスは腫瘍細胞が増殖した後に感染したのではなく、EBウイルスが感染し潜在化した細胞が始祖となり腫瘍化した可能性が強いことが判明した。

2.PLAにおけるLMP1の発現についての検索

 免疫染色において得た、PALではLMP1蛋白質の発現が非常に弱い、もしくはほとんど発現していないという所見について他の方法で確認を行った。前項で使用したPALの1例をSCIDマウスに移植し、株化したもの(YF株)を用いた。移植前の生検組織中の腫瘍細胞とYF株は、形態、免疫学的表現型、および再構成免疫グロブリン遺伝子において一致を見、同一クローンと判断された。

 まずLMP1蛋白質のWestern blotによる同定を試み、その結果、

 2-1)対照の免疫不全合併EBウイルス陽性腫瘍ではLMP1の強い発現が認められたにもかかわらず、YF株では、抗LMP1抗体によるシグナルは認められなかった。

 次に、フローサイトメトリーでLMP1の発現を調べたところ、

 2-2)YF株に抗LMP1抗体を反応させたものは、対照とした正常マウスIgGに比べてわずかながら蛍光度の増加が認められた。

 以上2-1)、2-2)の結果より、膿胸後リンパ腫においてウイルスは、LMP1をわずかに発現しているが、他の免疫不全合併EBウイルス陽性腫瘍にくらべ発現量が著しく少ないことがわかった。

 次にLMP1遺伝子ゲノムおよびRNAに異常があるかどうかを調べた。まずYF株腫瘍細胞よりRNAを抽出し、LMP1についてNorthern blot hybridizationを行った。その結果、

 2-3)YF株においてLMP1-mRNAは他のEBウイルス陽性株と同じサイズであったが、シグナルの強さ(転写量)はきわめて低レベルであった。

 次にYF株腫瘍細胞よりDNAを抽出し、適当な制限酵素で消化したのち、Southern blotを行い、LMP1プローブをハイづリダイズした。その結果、

 2-4)YF株においてLMP1遺伝子の大きさおよび数種の制限酵素による切断パターンは、他のEBウイルス陽性株とくらべ特別の変異を認めることができなかった。

 以上2-3)、2-4)の結果より、膿胸後リンパ腫におけるEBウイルスのLMP1遺伝子には、明らかな異常は認められなかった。

考察

 本研究は、PALの発生にEBウイルスの関与があることを示した最初の研究である。(ほぼ同時期にFukayamaらが同じ主旨の研究発表を行った)。さらに本研究では、PALにおけるEBウイルス蛋白質の発現様式が、EBNA2強陽性LMP1弱陽性という点で従来知られてきた類型と異なるものであることを示した。

 まず第一に、この腫瘍においてEBNA2が強く発現しているが、このことはEBウイルスによるヒト腫瘍として大変特徴的である。なぜならばEBNA2〜6およびLMP1〜2は宿主体内で細胞傷害性T細胞の標的となるため、免疫不全のある宿主においてのみ発現できるとされてきたからである。すなわち免疫学的健常人においてこれらの蛋白質が発現されれば、その細胞はMHC class I拘束性細胞傷害性T細胞によってたちまち駆除されてしまい、生体に存在しつづけることができないとされている。しかしPALの全例において患者は少なくとも見かけ上は免疫不全状態でないにもかかわらずEBNA2が強陽性であった。

 このEBNA2強陽性という現象に対する解釈としていくつかの推論が可能である。その一つは、宿主がEBNA2を抗原として認識できなかったのかもしれないということである。実際に、宿主のHLAのタイプによって、細胞傷害性T細胞を誘導できるEBウイルス蛋白質が違うということが報告されている。これをふまえて考えると、膿胸後リンパ腫を発症した患者のHLAは、EBNA2を認識できない、従って細胞傷害性T細胞を誘導できないタイプだったのかもしれないという考え方が成立しうる。今後PAL患者においてHLAのタイピングすることが、この推論の正当性を証明するであろう。

 PALが、EBNA2強発現の腫瘍であるのに生体に拒絶されないことについての第二の推論は、宿主のHLAが細胞傷害性T細胞を誘導できるタイプであったにもかかわらず、別の要因で感染細胞の認識ができなかった場合である。膿胸瘢痕部は炎症細胞その他の細胞が浸潤し線維化などにより周囲組織から物理的に孤立しうる場である。その孤立した空間にEBNA2陽性の細胞が出現して増殖し、さらに腫瘍性を獲得したとしても、腫瘍細胞がその空間にとどまっている限りその抗原性を宿主側が認知できないかもしれない。この環境下で、さまざまなプログレッションやクローンの選択が起こり、最終的に腫瘍として急速に増殖し膿胸瘢痕壁を破壊する。ここで初めて宿主に認識され攻撃を受けるが、その時点では腫瘍の増殖力のほうが勝ってしまうのかもしれない。PALの病理組織像はたしかに壊死部分が多く、宿主からの激しい攻撃を想像させる。膿胸発症からリンパ腫発症までは長期間であるのに、リンパ腫発症ののちは非常に速い経過をたどるという臨床経過もこの推論に一致する。すなわち、宿主からの攻撃がほとんどないという環境で、長い時間をかけて増殖性の強い悪性の細胞が発生してき、その増殖性がすでに阻止できない状態になってから姿をあらわすという筋書きである。この推論の妥当性は、腫瘍を発生していない膿胸後瘢痕組織中に、すでにEBウイルスによって不死化している細胞を同定することによって得られよう。

 PALにおけるEBウイルス蛋白質発現様式の第二の特徴は、EBNA2が陽性であることが確実であるにもかかわらず、LMP1がフローサイトメトリーでのみわずかに認められる程度の弱陽性であるということである。これまでEBウイルスの腫瘍細胞での蛋白質発現様式は、3型すなわち、EBNA2、LMP1ともに陰性のもの(バーキットリンパ腫等)、EBNA2陰性、LMP1陰性〜弱陽性のもの(上咽頭癌等)、ともに陽性のもの(免疫不全合併リンパ腫)があるとされてきた。これらに共通して発現している蛋白質はEBNA1のみで、その他翻訳されないRNAであるEBER、BamH I断片A領域からの転写産物が発現している。PALは、EBNA2が陽性であるにもかかわらず、LMP1は弱陽性であるから、この3型のどれにもあてはまらない。我々はLMP1がきわめて弱い発現量であるという事実を確かめるため、免疫染色以外にいくつかの方法をおこなったが、それらの結果はこの免疫染色の結果をうらづけるものであった。このことから、PALでは、細胞の腫瘍化に関わったのはLMP1以外のものであったとするのが考えやすい。EBNA1やEBNA2もしくはその他のウイルス蛋白質の作用、またはこれに加えて、我が国にしか報告がないことから地理的環境や生活習慣からの影響、膿胸という特定の疾患の後に発生するという状況から膿胸病変部における炎症性物質などが加わって発生してきた可能性も考えられるであろう。

 膿胸後リンパ腫において、LMP1が発現抑制されている一方、EBNA2が強発現している理由および意義はいまのところ不明である。しかし膿胸後リンパ腫におけるEBNA2やLMP1その他の蛋白質の機能や発現機序を詳細に検索することによって、EBウイルスがひきおこす細胞腫瘍化の未知の経路が導かれる可能性がある。

審査要旨

 本研究は、結核性膿胸の瘢痕部に発生するリンパ腫、すなわち膿胸後リンパ腫とEBウイルスとの関連、さらにこの疾患におけるEBウイルス遷延蛋白質LMP1の発現を調べたものであり、下記の結果を得ている。

 1.4例の膿胸後リンパ腫について、凍結組織を用いて免疫染色をおこない、全例の腫瘍細胞核内にEBウイルスの産生する遷延蛋白質(EBNA2)を検出した。またin situ hybridization法にて同じく全例にウイルスRNA(EBERs)を検出した。

 2.4例の膿胸後リンパ腫の凍結組織を用いてEBウイルスの他の遷延蛋白質であるLMP1についての免疫染色をおこない、コントロールとしたEBウイルス陽性腫瘍と比べてきわめて弱い反応しか認められなかった。

 3.4例の膿胸後リンパ腫腫瘍細胞に存在するEBウイルスのクローナリティを知るため、Southern blot hybridization法を用いてterminal repeatの数を調べた。その結果、terminal repeatの数は症例ごとにクローナルであることが示唆された。このことは、もともとEBウイルスが感染していた一個の細胞が母細胞となり腫瘍が増殖したことを示唆する。

 4.膿胸後リンパ腫の1例から手術的にとられた腫瘍細胞をSCIDマウスに移植することによって細胞株(YF株)を得た。もとの腫瘍細胞とYF株は、形態、免疫学的表現型、および再構成免疫グロブリン遺伝子において一致を見、同一クローンと判断された。

 5.YF株のLMP1の発現をWestern blot法を用いて検索したところ、特異的なバンドは得られなかったが、フローサイトメトリーを用いた検索では非常に弱いながら陽性反応がみられ、YF株ではごくわずかにLMP1蛋白質が産生されていることが示された。

 6.Northern blot hybridisation法を用いてYF株のLMP1-mRNAを検索したところ、ごく弱い発現を示した。一方、Southern blot hybridization法を用いて、LMP1ゲノムの制限酵素断片のパターンを調べたが、EBウイルス陽性LMP1強陽性腫瘍に比べ特別の異常を認めることができなかった。

 以上、本論文は膿胸後リンパ腫の発生にEBウィルスの関与があることを示し、しかもこの疾患におけるEBウイルス遷延蛋白質の発現様式が従来考えられてきた類型と異なるものであることを明らかにした。本研究は、いままで未知に等しかった膿胸後リンパ腫の原因究明に寄与すると同時に、EBウィルスによる細胞腫瘍化の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54476