〈序論〉芽殖孤虫Sparganum proliferumは、1905年に飯島が世界第1例を報告し、1908年にStilesが命名した寄生虫であるが、その生活史、固有宿主、ヒトへの感染経路など依然解明されていない。芽殖孤虫の特徴は、出芽や分枝により自己増殖することである。ヒトでの感染においてはその分裂増殖は頗る活発であり、全ての臓器、組織に侵襲する例も報告されている。治療法は確立されておらず、したがって予後は不良で致死的である。またヒトへの感染経路が不明で、予防法もない。分類上はその形態的特徴から条虫類擬葉目に属すると考えられているが明確ではなかった。マンソン裂頭条虫Spirometra erinaceiとの極めて近い近縁関係を示唆する報告もなされていたが詳細に検討されたことはなかった。生物学的にもその自己増殖のメカニズムなど興味深い点はあるが、芽殖孤虫症が極めて珍しいことと培養法が確立されていなかったためこれまで十分な研究はなされていない。しかし最近、Noya等によりin vivoの継代・維持が確立され、生物学的研究が可能となった。そこで我々はまず始めに芽殖孤虫の分類上の位置をDNAレベルで調べる目的で、ミトコンドリアの遺伝子を解析することにした。ミトコンドリア遺伝子はその変異速度が核遺伝子の数倍であるため、特に近縁種間の系統関係の解析にしばしば用いられている。そこで、芽殖孤虫について、ミトコンドリアにコードされている遺伝子としてシトクロームcオキシダーゼサブユニットI遺伝子(CO1)の部分塩基配列、およびNADHデヒドロゲナーゼ遺伝子(ND3)の全長を決定した。また核にコードされている遺伝子として呼吸鎖複合体II(コハク酸-ユビキノン酸化還元酵素)Ipサブユニット遺伝子の部分塩基配列(イントロンを含む領域)を決定した。 <材料と方法>芽殖孤虫の材料としては、1982年にヴェネズエラより報告された患者より分離、マウス腹腔にて継代・維持されている虫体、および1907年に日本で発見され東京大学医学部標本室にてホルマリン保存されていた世界第3例目の患者の剖検臓器(肺)より採取した虫体を用いた。その他、比較対象として条虫類擬葉目に分類されているマンソン裂頭条虫のプレロセルコイド(ヘビより採取)、臨床例より駆虫により得られた日本海裂頭条虫Diphyllobothrium nihonkaiense、および大複殖門条虫 Diplogonoporus grandisの成虫を用いた。常法に従ってDNAの抽出を行った。抽出されたtotal DNAは質・量ともにPCRのテンプレートとして充分であった。PCRに用いたプライマーはCO1遺伝子に関してはプラナリアの配列を基に多くの生物種間で幅広く保存されている領域で作成した(p-84,p-85)。ND3遺伝子については肝蛭Fasciola hepaticaのミトコンドリア遺伝子の部分配列をもとにND3遺伝子を含む領域を増幅できるようにプライマーを作成し(p-132,p-130)、さらにこのPCB産物(芽殖孤虫とマンソン裂頭条虫の2種)の配列に基づいてND3遺伝子の全長を増幅できるプライマーを作成した(p-151,p-152)。Ip遺伝子については生物間で幅広く保存されている領域(鉄-硫黄クラスター結合部位)を基に縮重型プライマーを作成した(p-21,p-111,p-22)。PCRの条件は、熱変性95℃30秒アニーリング反応50℃30秒、伸長反応72℃1分、で行った。得られたPCR産物はそれぞれTA Cloning Kitを用いてクローニングし、自動DNAシークエンサーDSQ-1(Shimadzu)を用いてその塩基配列を決定した。 <結果>CO1遺伝子についてはp-84,p-85を用いてPCRを行ったところ、すべての条虫で444bpと予想されたサイズのPCR産物を得た。塩基配列を決定したところ芽殖孤虫に関して日本、ヴェネズエラの両者に共通する配列を得ることができた。またその配列は大複殖門条虫の配列と完全に一致していた。また2個体の日本海裂頭条虫と比較したところ1個体とは完全に一致し、他の1個体ともわずか2塩基異なるのみであった。しかし、2個体のマンソン裂頭条虫との比較では、それぞれ40,47塩基の差が見られた。しかしこれらの塩基配列を基に予想されるアミノ酸配列を比較したところ、芽殖孤虫とマンソン裂頭条虫との差は、130アミノ酸のうち2個体とも1アミノ酸であった。Bowles等が報告した円葉目(単包条虫、多包条虫)と比較すると塩基では70から90塩基、アミノ酸では約25残基の違いを認めた。ND3遺伝子については、p-151,p-152を用いてPCRを行ない塩基配列を決定したところ,ND3遺伝子は芽殖孤虫とマンソン裂頭条虫では369bp、日本海裂頭条虫と大複殖門条虫では354bpで構成されていた。芽殖孤虫と2個体のマンソン裂頭条虫との塩基数の差は、それぞれ51,52塩基であった。芽殖孤虫と2つの日本海裂頭条虫との差はそれぞれ94,95塩基であった。大複殖門条虫に関しては3個体調べたが、うち2個体は日本海裂頭条虫の配列とほぼ同じであり、もう1個体は芽殖孤虫とは91塩基また他の大複殖門条虫とも69塩基の差が認められた。これらの塩基の変化は多くのアミノ酸の置換をもたらすものであった。Ip遺伝子に関してはp-21,p-22を用いてPCRを行うと擬葉目および芽殖孤虫ではおよそ800bpの産物が得られ、円葉目である無鉤条虫ではおよそ480bpの産物が得られた。擬葉目においてはこの領域にイントロンを含むものと考えられた。そこでp-111,p-22を用いてPCRを行い塩基配列を決定したところ、イントロンの配列において芽殖孤虫とマンソン裂頭条虫同士、日本海裂頭条虫と大複殖門条虫同士の配列はほぼ同じであったが、芽殖孤虫と日本海裂頭条虫では34%とかなりの違いが認められた。 <考察>芽殖孤虫症として報告されている症例は世界で14例あるが、Beaver等による考察によるとその病原体として本来の芽殖孤虫の他に、円葉目条虫の幼虫であるcysticercus、cysticercoid、およびtetrathyridiumに属するものがあると考えられている。本研究に用いた材料は記録から判断すると両者とも本来の芽殖孤虫と考えられ、CO1およびND3遺伝子に関しても今回調べた範囲で一致した。芽殖孤虫の分類に関しては、CO1遺伝子の塩基配列から予想されるアミノ酸配列を他の擬葉目条虫および円葉目に属する無鉤条虫、単包条虫、多包条虫の配列と比較したところ擬葉目、円葉目それぞれに特徴的な配列の存在を認めたが、芽殖孤虫の配列は擬葉目のそれと一致した。この事実より芽殖孤虫が擬葉目に属することが明らかになった。今回調べた範囲CO1遺伝子の塩基配列を調べれば、他の症例における病原体が芽殖孤虫によるものか、円葉目の幼虫によるものなのかを明らかにできると考えられる。またCO1遺伝子の塩基配列に基づいて近隣接合法により作成した系統樹においても、芽殖孤虫は擬葉目に分類されるという結果が得られた。さらに擬葉目内において、芽殖孤虫はマンソン裂頭条虫よりむしろ大複殖門条虫および日本海裂頭条虫と非常に近い位置に存在することが示唆された。マンソン裂頭条虫はイヌ・ネコなどを固有宿主とし、ヒトにおいては成虫にならず幼虫のまま体内を移動する所謂孤虫症をひきおこす。ヒトへの感染はヘビやカエルを摂取することや、幼虫に感染したミジンコに汚染された水を飲むことによって成立する。日本海裂頭条虫はヒトを終宿主とし、その感染はマスやサケを食することにより成立する。大複殖門条虫もその生活史は不明であるが、疫学的に考えておそらくイワシを食することによりヒトに感染すると思われている。確実な芽殖孤虫症の症例として我が国から6例が報告されているが、我が国は周囲を海に囲まれており、また魚類を生食する習慣がある。ヴェネズエラも海に面しており、アメリカの患者の職業は漁師であった。これらの事実とCO1遺伝子が示唆する近縁関係は芽殖孤虫の感染源として魚類を疑わせる。しかしながらND3遺伝子の塩基配列を基に擬葉目の系統樹を作成したところ、芽殖孤虫の位置は日本海裂頭条虫および大複殖門条虫の位置よりむしろマンソン裂頭条虫の位置に近かった。またIp遺伝子のイントロンの塩基配列の比較においても、マンソン裂頭条虫に極めて近かった。日本6例目の患者血清がマンソン裂頭条虫の抗原と反応したことが報告されており、また分枝状のマンソン裂頭条虫のプレロセルコイドの報告があることはND3、およびIp遺伝子に基づく近縁関係を支持している。比較検討に用いる遺伝子によって得られる近縁関係が異なるが、これは各遺伝子がコードする蛋白質の性質の相違、各遺伝子の変異速度の差などによるものと考えられる。他の可能性としてDNAの混入も完全には否定できない。また現在まで報告はないが、ミトコンドリアDNAの組み換えの可能性もあり、今後の研究が必要である。 本研究は芽殖孤虫に関してDNAレベルで解析を行った初めての報告であり、芽殖孤虫が擬葉目に属することを遺伝子の配列から明らかにしたものである。ここでは擬葉目内における近縁関係を明確にすることはできなかったが、今後18Sribosomal RNAなどの配列を調べることによりその近縁関係が明らかにされることと思われる。 |