学位論文要旨



No 111355
著者(漢字) イリッチ,デゥシュコ
著者(英字) Ilic,Dusko
著者(カナ) イリッチ,デゥシュコ
標題(和) ジーンターゲッティングによるFAKの機能解析
標題(洋) Functional analysis of FAK by gene targeting in ES cells
報告番号 111355
報告番号 甲11355
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1009号
研究科 医学系研究科
専攻 第三基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 黒木,登志夫
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 藤原,道夫
 東京大学 助教授 小林,一三
内容要旨

 チロシン燐酸化酵素はリセプター型と非リセプター型に大別される。リセプター型酵素はその細胞外の領域でリガンドと結合し、細胞質側の触媒領域の活性化により細胞内にシグナルを伝達する。一方、非レセプター型チロシン燐酸化酵素(NR-PTK)は、細胞質に存在する酵素で、多くは細胞表面蛋白と接して、細胞表面からのシグナルを細胞内に伝達する手助けをしていることが明らかとなってきた。NR-PTKはさらにいくつかのグループに分けられるが、これらの全ては、細胞の増殖、分化、そして分化後の細胞機能を修飾するいくつかのタイプのシグナル伝達に関与していると考えられ、また、これらの多くが、癌化能を有することが示されている。

 NR-PTKに属するFAK(Focal Adhesion Kinase)は、v-srcでトランスフォームしたニワトリ細胞中のチロシン燐酸化蛋白を認識するモノクローナル抗体の一つに反応する125kDのタンパク質として同定された(Kanner、S.B.et al.1990)。ニワトリFAKcDNAはこのモノクローナル抗体2A7を用いて、発現ライブラリーより単離された。これとは別にマウスFAKはチロシン燐酸化酵素で保存されている配列のプライマーを用いたRT-PCRにより、Hanks等のグループ(Hanks,S.K.et al.1992;Devor,B.B.et al.1993)と我々のグループの藤本によりクローニングされた。また、ヒトFAK cDNAも同様の方法によりクローニングされた(Andre,E.& Becker-Andre,M.1993)。これらは推定されるアミノ酸配列で95%と高い相同性を示している。FAKはSH2,SH3領域、ミリスチレーション部位を持たず、他のNR-PTKと有意な相同性を示さないことから非常に興味深い分子であると考えられた。

 FAKは今まで調べられている殆ど全ての細胞株・組織で発現しており(Hanks,S.K.et al.1992;Andre,E.& Becker-Andre,M.1993;Turner,C.E.et al.1993)、培養細胞ではFAK蛋白はfocal adhesionに局在していることが知られている。FAKはv-srcなどのNR-PTK癌遺伝子による癌化には関与しているが、ras等の他の癌遣伝子による癌化には関与していないことが示されている(Guan,J.-L.& Shalloway,D.1992;Weiner,T.M.et al.1993)。またボンベシン、バソプレッシン、エンドセリンによる細胞刺激によりFAKが燐酸化されることから、分裂促進的ニューロペプチドによるシグナル伝達への間与も示唆されている。しかしながら、最も與味深いのはインテグリンからもたらされる細胞内へのシグナル伝達機構に於けるFAKの機能である(Lipfert,I.et al.1992)。

 インテグリンは細胞外のリガンドとの結合領域、細胞膜貫通領域、細胞質領域からなり、鎖と鎖のヘテロ二量体として細胞表面リセプターを形成している一群である。鎖と鎖の組み合わせの種類によってフィブロネクチン、ラミニン、コラーゲンのような細胞外マトリックス(ECM)タンパク質との結合特異性が決まっている。一般に、一つのインテグリンはいくつかのECM蛋白を認識し、またあるECM蛋白はいくつかのインテグリンによって認識されると考えられている(Hynes,R.O.1992)。インテグリンを介したシグナル伝達機構の一説によると、インテグリンを介したシグナルは細胞骨格の形成に関与していると考えられている。インテグリンを介したECMと細胞との接着部位であると考えられるfocal adhesionは細胞骨格の会合のための核(nucleation foci)として働いている。FAKの局在、そしておよびいくつかの観察から(Lipfert,L.et al. 1992;Schaller,M.D.et al.1992;Hanks,S.K.et.al.1992)、インテグリンの二量体形成とFAKの活性化との間の強い関連性が示唆されている。また、FAKはsrcファミリーの基質である(Kanner,S.B.1990;Guan,J.-L.& Shalloway,D.1992;Cobb,B.S.et al.1994)ことが知られており、srcとFAKの相互作用がインテグリンからのシグナル伝達に関係していると推測される。しかしながら、この可能性を支持する明らかな証拠はまだ得られていない。

 この問題を明らかにするために、本研究ではまず遺伝子相同組換えを用いてFAK遺伝子の燐酸化領域を欠いたマウスES細胞を樹立した(Fig.1,2)。更にFAKが直接細胞の増殖や分化に関係しているかどうかを調べるため相同染色体両方のFAK遺伝子の燐酸化領域を不活化したES細胞株を樹立した(Fig.3)。FAK遺伝子が不活化していることはRT-PCRとウェスタンブロッテイングにより確かめた(Fig.4)。

 次にFAK遺伝子を不活化したES細胞を用いてその分化能力をin vitroおよびin vivoの分化系で検討した。in vitroの分化系を用いた解析では野生型、FAK不活性の両ES細胞株は赤血球系譜の細胞に分化できた(Fig.5)。また、これらのES細胞をヌードマウスの皮下移植により生じたテラトーマ内には三胚葉由来の細胞、組織が観察され(Fig.6)、細胞の分化能には明らかな差異は認められなかった。しかしながら、胚発生においては、FAK遺伝子欠損により中胚葉の異常のために8日胚以降の胚発生が進まないことが観察された(Fig.9,10)。頭部間葉、傍軸中胚葉や、羊膜、卵黄嚢、脈管構造などの組織はgastrulation初期では正常に形成されているよう観察されるが、以降これらの組織には正常胚に比べ著しい発達の阻害が観察される。更に、FAK欠損胚の表現型はフィブロネクチン欠損胚と非常によく似ており、このことはフィブロネクチンからのシグナルがFAKを介して細胞内に伝えられることを強く示唆している。個体発生に於けるFAK欠損の影響をまとめると、その異常は特に中胚葉系の細胞の接着性、移動、または増殖の異常によると推測され、組織構築をまとめる能力を欠いたことによると考えられる。

 8日目のFAK欠損胚からの初代培養纎維芽細胞では培養容器への付着性、細胞の広がりに於いては正常胚由来のものと差がみられなかったが、ストレスファイバーの形成不全が認められた(Fig.11)。このことは、FAKがECMから細胞骨格へのシグナル伝達に関係していることを示している。

 ECMからのインテグリン、FAKを介するシグナル伝違の分子機構はまだ殆ど解っていない。最近、in vitroの実験よりFAKの基質となるfocal adhesionタンパク質、パキシリンが同定された(Cobb,B.S.et al.1994;Turner,C.E.& Miller,J.T.1994)。そこで、バキシリンの燐酸化を調べた結果、FAKを不活化したES細胞でのバキシリンの燐酸化が明らかに減少していることがわかった。

 しかしながら,パキシリンの燐酸化はFAK欠損細胞中でも完全になくなるわけではなく、このことからパキシリンの燐酸化に関しては、FAKの機能を相補する他の燐酸化酵素の存在、またはFAKを介さないシグナル伝達経路の存在の可能性が示唆される。しかし,もしFAKの機能を相補するような燐酸化酵素があるならば、FAK遺伝子欠損胚の表現型はフィブロネクチン欠損胚の表現型より弱く現れることが予想されるが、本研究の結果ではFAK欠損胚の表現型はフィブロネクチン欠損胚より弱く現れていることはなく、このことから、パキシリンの燐酸化に関してはFAKを介さずにパキシリンを燐酸化する他の経路が存在している可能性の方が高いと考えられる。その候補としては現在のところsrcファミリーのチロシン燐酸化酵素が有力であると思われる(weng,Z.et al.1993;Cobb,B.S.et al.1994;Schaller,M.D.et al.1994)。それらも含めて、どの様な燐酸化酵素によってパキシリンが燐酸化されるのか、またこの様な燐酸化がどの様な細胞機能に結びつくのか、問題として残っており、さらなる解析が必要である。

審査要旨

 本研究は、マウス胚性未分化細胞(ES細胞)での遺伝子相同組換えを利用した遺伝子破壊法を用いて、細胞・基質間接着の過程に重要な役割を果たすと考えられている新規のチロシンキナーゼFocal Adhesion Kinase(FAK)を欠損したマウス個体及び培養細胞を作出することにより、FAKの個体発生、及び細胞内における生理機能の解析を試みたものである。本研究より得られた主な成果は以下の通りである。

 1.マウスFAK遺伝子ゲノムDNAを単離し、それをもとにして構築した遺伝子破壊ベクターを用いて、FAK遺伝子の片側のalleleを欠損した(+/-)ES細胞株を同定・単離した。さらに高濃度の薬剤耐性選別により、FAK遺伝子の両方のalleleを欠損した(-/-)ES細胞株を樹立した。

 2.ES細胞を用いた分化系において、in vitroでは(-/-)ES細胞は正常対照と同じ効率で種々の血球細胞に分化すること、また、ヌードマウス皮下でのテラトーマ形成実験でも正常対照と同程度に三胚葉由来の種々の胚性組織に分化する知見を得、FAK欠損はES細胞の分化能そのものには影響を与えないことを示した。

 3.FAK欠損ES細胞からキメラマウスを作出し、さらにその子孫でFAK欠損マウスラインを樹立した。これらを用いてFAK欠損が個体発生に及ぼす影響を検討したところ、FAK欠損は胎生10日目迄に致死であることが明らかとなった。更に詳しい表現型の解析から、主に中胚葉細胞由来の胚性組織の構築に異常があることが示され、しかもその表現型が、すでに報告されていた、細胞外基質の一つで細胞の移動に重要な役割を果たしていると考えられているFibronectin(FN)欠損変異の表現型と酷似していることが明らかとなった。そのことから、FAK欠損による中胚葉細胞の移動の異常が、胚性致死の主原因であることが強く示唆された。

 4.FAK欠損胚より胚性線維芽細胞を樹立し、FAK欠損による細胞の細胞外基質物質に対する反応性を検討したところ、FN、type I collagen、laminin、vitronectinといった基質に対する接着性に正常対照とは有為な差違が認められた。また、(-/-)ES細胞より胚様体を形成させ、培養皿に播いた後、這い出してくる細胞の移動能にも著しい現象が認められ、FAKが細胞外基質に対する細胞の応答に深く関与していることを示した。

 5.FAK欠損胚性線維芽細胞を用いて細胞学的な観察を行い、FAK欠損細胞では、細胞骨格系の構築が著しく阻害され、また、細胞・基質間の接着構造であるFocal Adhesionの形成にも顕著な異常を認めた。Focal Adhesionに局在することが知られている他の蛋白であるvinculin、tallin、あるいは細胞骨格系に深く関与していると考えられるcortactinなどの細胞内局在にも変化が認められ、FAK欠損によるこれらの異常は、FAKの機能が正常な細胞形態の形成・維持に必須であることが示された。

 6.FAK欠損胚性線維芽細胞を材料として生化学的な解析を行い、いくつかの既知、あるいは未知の蛋白質のリン酸化状態に正常細胞と比較して変化が認められることを見いだし、FAKは、細胞と細胞外基質との相互作用によるシグナルを、蛋白質のリン酸化によって細胞内に伝達する過程において重要な役割を果たしていることを明らかにした。

 以上、本論文は、FAK遺伝子欠損による影響の個体レベル・細胞レベルでの詳細な解析により、その生理学的な機能の一端を明らかにした。今後も更に広範かつ詳細な解析が必要と考えられるが、本研究による成果は細胞・細胞外基質間の相互作用によってもたらされるシグナル伝達の機構の解明にとって重要な知見及び材料を提供したものであり、今後のこの分野の研究の進展にも大きな貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと判断された。

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