学位論文要旨



No 111357
著者(漢字) 邱,林
著者(英字) Chiu,Lin
著者(カナ) チュウ,リン
標題(和) プロゲステロンにより誘導される末梢血単核球由来の免疫抑制因子の習慣流産免疫療法における臨床的意義に関する研究
標題(洋) Clinical Implication Of Progesterone-Induced Suppressor Factor From Peripheral Blood Mononuclear Cells In Immunotherapy Against Recurrent Spontaneous Abortion
報告番号 111357
報告番号 甲11357
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1011号
研究科 医学系研究科
専攻 第三基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 教授 藤原,道夫
 東京大学 教授 江川,滉二
 東京大学 助教授 福岡,秀興
内容要旨

 習慣流産(RSA)は連続三回以上の自然流産と定義され、先天性子宮奇形,自己免疫疾患、内分泌機能異常、染色体異常等幾つかの原因があると考えている。しかしながら、そのほぼ半数は原因が不明とされ、免疫学的機構と関与していることが示唆されている。正常な妊娠の場合には、同種移植片である胎児が母体から拒絶を受けることはない。この現象に関しては不明な点が多いが、母体と胎児の接点に存在する免疫機構が妊娠維持に重要と考えられる。原因不明習慣流産は正常妊娠と比べると、母体と胎児の接点である脱落膜では正常妊娠によりリンパ球侵潤が強く認められ、妊娠維持に重要な抗体とされる遮断抗体がほとんど見られず、妊娠血清中に存在する免疫抑制物質も減少した。即ち、胎児の生存に対する母体免疫学的妊娠維持機構の障害が原因不明RSAの一つの原因と考えられている。

 RSA患者に夫のリンパ球を輸血することにより流産を免れ、生児を得るという免疫療法が世界的に普及されつつあり、我が施設でも産婦人科と輸血部の協力のもとで、88%の成功率が得られている。しかし、その作用機構についてはほとんど解明されていない。女性ホルモンと関連する免疫抑制作用は、正常妊娠維持に最も重要であり、免疫抑制機構の破綻により流産が起こると想定されている。

 我々はPgにより誘導される免疫抑制機構がRSA免疫療法に重要な役割をはたしていると考え、Pgにより誘導される免疫抑制因子の産生、RSA免疫療法前後の末梢血単核球(PBMCs)のPg受容体(PgR)の発現及び免疫療法による免疫抑制因子の産生について検討した。

対象及び方法対象

 非妊婦PBMCs:年齢19-35歳の健常人献血者(女性)のバフィーコートから分離した。妊婦PBMCs:日本赤十字社医療センター産婦人科を受診した正常妊婦(妊娠30〜35週)から採取した。RSA免疫療法前後の患者PBMCs:東大病院産婦人科を受診した反復および習慣流産のうち、子宮奇形、染色体異常、その他流産の原因となる異常を認めなかった症例を対象とした。PBMCsはあらかじめ免疫療法前と終了直後に採取しておき、凍結保存した。その中から免疫療法が成功した10例を対象とした。

方法Pgにより誘導される免疫抑制因子(PISF)の調製:

 非妊婦あるいは習慣流産患者PBMCs(Responder)と25Gyの放射線照射済みの他人あるいは習慣流産患者夫PBMCs (Stimulator)のリンパ球混合培養(MLR)系に0.01-10.0g/mlのPgを加えた。37℃、5%、CO2下で5日間培養後上清を回収し、500倍量の培養液中で透析した。この透析操作を3回繰り返すことにより、遊離のPgは完全に除かれた。PISFの産生細胞は、CD4、CD8、CD14陽性の免疫磁気ビーズを用いて非妊婦単核球中純度98%以上の陽性細胞をそれぞれ除いて、残った細胞でPISFを作り、アロのMLR反応に対する抑制効果で評価した。PISFの産生はPgに依存性があるかどうかを調べる実験では、PgのアンタゴニストであるRU486存在下で、PISFを作り、アロのMLR反応に対する抑制効果で評価した。PISFの分子量の検討は、作ったPISFを限外濾過膜を用いて分子量カットを行い同様に評価した。

MLR応答に対するPISFの抑制作用の評価:

 アロのMLR応答に対するPISFによる抑制作用は以下のように観察した。非妊婦あるいはRSA患者PBMCs(Responder)と25Gyの放射線照射した他人あるいはRSA患者夫のPBMCs(Stimulator)を、96穴マイクロクローニングプレートに1穴あたり1.5×105ずつ植え込み、さらにPISF100lを添加した。5日間培養後トリチウムチミジンの取り込み量を測定した。抑制の評価は計算式により算出した。%抑制率=(1-PISF添加MLRcpm/PISF未添加MLRcpm)x100。

NK活性に対するPISFの抑制作用:

 NK感受性K562細胞を標的として、4時間のクロミウム遊離試験を施行し、PISFによるNK活性の抑制作用を観察した。非妊婦あるいはRSA患者PBMCs1×106個に100lのPISFまたは培養液(コントロール)を加えて、16時間培養したものをエフェクター細胞(E)とした。ターゲット細胞(T)としてK562およびDaudi細胞を1穴あたり1×104個植え込み(E/T=100:1)活性を測定した。結果は計算式のように評価した。%NK活性=(実験cpm-自然放出cpm)/(最大放出cpm-自然放出cpm)x100。%抑制率=(1-PISF添加NK活性/PISF未添加NK活性)x100。

PBMCsにおけるPgR発現率の測定:

 非妊婦および妊娠後期の妊婦または免疫療法前後のRSA患者より採取したPBMCsを用いて、蛍光抗体染色によりフローサイトメーターで測定した。PBMCsを種々のPg濃度下で3時問および24時間培養し、一次抗体としてマウス抗ヒトPgRモノクローナル抗体、二次抗体としてPE標識ヤギ抗マウスIgG抗体で染色し、さらに、二重蛍光抗体法で観察する場合はFITC標識抗CD3、CD4、CD8、CD14およびCD16抗体を各々使用した。

 統計:データの統計解析はt-student検定により行った(P<0.05)。

結果および考察

 非妊娠女性PBMCsからPgによってPISFの産生が認められ、0.1-1.0g/mlのPg濃度でMLR応答を有意に抑制した(図1)。妊婦末梢血中のPg濃度は0.02-0.2g/mlであることを考え、以下の実験では0.1g/mlのPg濃度でPISFを調製した。同時にRu486を添加すると全く抑制が認められないことから、PISFはPgにより特異的に産生されると考えられた。また、PISFの産生にはCD8+とCD14+細胞を必要とした。Szekeresらは妊娠後期妊婦CD8陽性リンパ球を高濃度のPg(10g/ml)で処理することにより、分子量34kDaのブロッキングファクターを分離したと報告している。しかしながら、以下の結果から我々の見いだしたPISFはこれとは異なる因子であると考えられた。1)我々の系では、PISFは高い濃度のPgにより誘導されなかった;2)PISFは非MHC拘束性MLR応答を抑制したが、NK活性は抑制しなかった;3)PISFの分子量は34kDaではなく、100kDa以上であった;4)ブロッキングファクターは静止状態T細胞から産生されるのに対し、PISFは活性された細胞から産生された。以上からSzekeresらのblocking factorとは異なるPISFはPgにより誘導される可溶性免疫抑制因子と考えられた。

図1 MLR反応に対する異なる濃度のプロゲステロンにより誘導された非妊婦PBMCsの培養上清の抑制作用各培養はトリプリケートで行い、結果は2回の実験から得られた計6人の培養の平均値で表した。

 次に、RSA患者PBMCsの免疫療法前後におけるPgR発現率を検討した。PgRをよく発現してる乳癌細胞株MCF-7を用いて、マウス抗ヒトPgRモノクローナル抗体の特異性が調べると、50%以上細胞が染色された。従って、この抗体はヒトPgRに対して、高い特異性を持つと考えられた。

 非妊婦、妊婦、習慣流産患者免疫療法前後単核球をPgで3時間培養して、PgRの発現を見ると、Pgの濃度が高くなると非妊婦PgRの発現が増加した。妊婦単核球のPgRの発現にはPg濃度依存性がなかった。RSA患者PgRの発現は免疫療法前の場合は非妊婦と比べると低かったが、免疫療法後では免疫療法前と比べると増加する傾向があった。しかしながら、有意差は見られなかった。高濃度Pgでは免疫療法後のPgRの発現が有意に高くなった(図2)。従って、PgはPgRの発現レベルによって、PgRの発現を調節している可能性が示唆された。さらに習慣流産患者PgRの発現機構に何らかの異常が存在することが考えられた。図2で示したように、非妊婦単核球をPgで3時間培養すると、PgRの発現がよく見られたが、PISFの産生は認められなかった。図1の結果のように、非妊婦単核球にPgの処理とアロの細胞の刺激が共に加えられたときはPISFの産生が見られなかった。これらのことから、PISF産生の機構の一つの仮説として、このようなことが考えられた。Pgが存在しない場合、Targetの細胞核に存在するPgRはheat shock protein-hsp90とnuclear protein P59と共に結合し、PgRとhormonoe resopnse element(HRE)との結合を妨げている。静止状態のPgR陽性細胞はPgが存在しても、hsp90の構造は変わらず、PgRはHREと結合することができず、PISFの産生はできない。しかしながら、一旦Target細胞がアロの細胞の刺激を受けて活性化されると、hsp90、あるいはp59蛋白の構造が変わってPgRはHREと結合ができるようになり、核内のシグナルが伝わって、PISFのmRNAが発現し、PISFが産生されると考えられた。図3には免疫療法によって、習慣流産患者単核球がPISFを産生するようになるかどうか調べた結果を示した。我々は成功例の内の6人と失敗例二人の単核球を用いて、習慣流産免疫療法前後単核球から産生するPISFの抑制作用を比較した。免疫療法前と比べると、成功例6人すべて免疫療法後単核球から産生するPISFの量が多くなることが分かった。二例失敗例患者の単核球では免疫療法による、PISFの産生は認められなかった。従って、PISFの産生は、習慣流産免疫療法が有効である一つの原因だと考えられる。今後さらに例数を重ねて、検討することが重要であると考えられる。

図2 非妊婦、妊婦、習慣流産患者免疫療法前後PBMCsでのPgRの発現PBMCsはPg存在下で3時間培養した。 *P<0.05.Nor:非妊婦PBMCs.Pr.:妊婦PBMCs.Pre.及びPos.:習慣流産患者免疫療法前後PBMCs.図3 非妊婦PBMCsのMLR反応に対する習慣流産患者免疫療法(成功例と失敗例)前後PBMCs由来PISFの抑制作用。Pre.:習慣流産免疫療法前PBMCsにより産生されるPISF.Pos.:習慣流産免疫療法後PBMCsにより産生されるPISF。
まとめ

 今回我々はPg処理によってMLR応答を抑制する免疫抑制因子PISFの存在を見出した。PISFの産生がPgRの発現とどのような関連があるかはまだ明確ではない。しかしながら、活性化されたPgR陽性細胞はPISFの産生について、不可失だと考えられる。さらに免疫療法により、PISFが十分量産生することが免疫療法が有効である原因の一つと考えられる。

審査要旨

 本研究は妊娠を維持するプロゲステロン(Pg)により誘導される免疫抑制機構が習慣流産(RSA)免疫療法に重要な役割を果たしているとの仮説のもとに、Pgにより誘導される免疫抑制因子(PISF)の特性及びこの因子のRSA免疫療法における臨床的意義を解明するものであり、下記の結果を得ている。

 1.我々はまず非妊婦のリンパ球混合培養(MLR)の系に0.1-10.0g/ml濃度のPgを加えて、5日間培養してから、培養上清を回収した。この培養上清にPg誘導される免疫抑制因子が存在するかどうかを確認するため、アロのMLR反応に対する抑制効果を検討した。0.1-1.0g/ml濃度のPgからの培養上清はアロのMLRの反応を抑制することが認められたが、2.0g/ml以上濃度のPgでは抑制が認められなかった。0.1-1.0g/ml濃度のPgは直接MLR反応を抑制し、培養上清の中ではPgと違う抑制物質であるPISFが存在することが証明された。妊婦末梢血中のPg濃度は0.02-0.2g/mlであることを考え、以下の実験では0.1g/mlのPg濃度でPISFを調製した。

 2.PISFの産生がPgに依存性があるかどうかを確認するため、PgRのアンタゴニストであるRu486を添加して作った培養上清の存在下で同様のMLR反応を行なった。その結果、1.0g/ml Ru486を添加すると、Pgによる抑制作用は消失した。

 3.PISFの産生細胞を調べるため、免疫磁気ビーズを用いてCD4、CD8、CD14細胞をそれぞれ除いた細胞群により調製されたPISFのMLR反応抑制効果について検討した。その結果、CD4細胞が存在しない場合でもPISFの抑制作用は見られたが、CD8とCD14細胞が存在しないと、PISFの抑制作用が見られなかった。従って、PISFの産生はCD8とCD14陽性細胞に関連すると考えられた。

 4.PISFの分子量を調べるため、限外濾過膜を使ってPISFを10万以上、10万と3万の間、3万以下にカットしたところ、10万以上の分画ではPISFの抑制作用が認められたが、10万以下の分画ではPISFの抑制作用が認められなかった。従って、PISFの分子量は10万w.m以上と推定された。

 5.二重蛍光抗体法によりヒト末梢血単核球のPgR陽性細胞のサブゼットを調べた。CD3、CD8、及びCD14陽性細胞では、PgRの発現が強く、CD4陽性細胞では、PgRの発現が弱く、CD16陽性細胞では、PgRが発現していないことが判明した。

 6.非妊婦、妊婦、RSA患者免疫療法前後単核球をそれぞれ0-10.0g/ml濃度のPgで3時間培養することによりPgRの発現を検討した。Pgが存在しないとRSA患者免疫療法前単核球のPgRの発現は非妊婦、妊婦と比べると低かった。免疫療法後では免疫療法前と比べると増加する傾向が見られたが、有意差には至らなかった。免疫療法前にはPgにより誘導されるPgRの発現は高くなかったが、免疫療法後のPgRの発現は有意に高くなった。従って、RSA患者ではPgRの発現機構に異常が存在することが推定され、PgRの発現の状態を調べることによって免疫療法の効果を判断できる可能性が示唆された。

 7.免疫療法によって、RSA患者単核球がPISFを産生するようになるかどうか調べた。免疫療法後生児を得た6人(成功例)と得られなかった2人(失敗例)の単核球を用いて、免疫療法前後における単核球により産生されるPISF活性を比較した。成功例6人すべてにおいて免疫療法前と比べると、免疫療法後PISFの活性が高くなった。失敗例患者の単核球では免疫療法による、PISFの活性の増加は認められなかった。従って、PISFの産生能とRSA免疫療法の成否との関連が示された。

 以上、本論文では、Pgにより誘導される免疫抑制因子の存在及び特性を明らかにし、抑制因子の産生能と免疫療法の予後との関連を見い出した。本研究は正常妊娠維持機構及びRSAにおける免疫療法のメカニカズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと思われる。

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