学位論文要旨



No 111361
著者(漢字) 帯刀,誠
著者(英字)
著者(カナ) タテワキ,マコト
標題(和) ATL(成人T細胞性白血病)腫瘍細胞におけるL-セレクチン発現異常の分子機構の解析
標題(洋)
報告番号 111361
報告番号 甲11361
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1015号
研究科 医学系研究科
専攻 第三基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,光昭
 東京大学 教授 吉倉,廣
 東京大学 教授 浅野,茂隆
 東京大学 教授 町並,隆生
 東京大学 教授 岩本,愛吉
内容要旨 1.研究の目的と概要

 成人T細胞性白血病(以下ATL)はHumanT-lymphotropic Virys type1(以下HTLV-1)感染で発症することが明らかにされた最初の疾患であり、ヒトレトロウイルスによる発癌機構を解明するうえで極めて重要な疾患である。また本疾患は日本に多く、しかも臨床的には予後不良であり、その病態解明は急務といえる。

 ATLは、臨床的に種々の特徴ある病態を示すが、近年の分子生物学の進歩により、これらの病態が分子レベルで解明されつつある。例えばATLに合併する高カルシウム血症については、腫瘍細胞における悪性高カルシウム血症因子PTHrPの構成的過剰発現とHTLV-1の転写活性化因子Taxによるこの遺伝子の発現誘導の存在が挙げられる。ところがATLのもう一方の特徴ある病態で、予後不良の原因でもある、腫瘍細胞の著明な組織浸潤の発症機構については、未だに明らかではない。リンパ球の組織浸潤はATLに限らず、HTLV-1感染で発症する熱帯性痙性対麻痺症(Tropical Spastic Paraparesis:TSP)/HTLV-1関連脊髄症(HTLV-1Associated Myelopathy:HAM),HTLV-1ぶどう膜(HU)等の非腫瘍性炎症性疾患にも共通に認められる病態であり、HTLV-1感染で発症するこれらの疾患の病態発症に、リンパ球の組織浸潤が深く関与している可能性が示唆される。

 近年、リンパ球表面に発現された接着分子と、サイトカインの作用で血管内皮細胞上に発現誘導された接着分子との相互作用が、血流中のリンパ球が組織内に移行する際の不可欠な初期過程であることが明らかにされている。L-セレクチンはこの過程に重要な役割を持つ接着分子であり、リンパ球の活性化に伴い速やかに膜表面上より消失し、遺伝子の転写も抑制されることが知られている。一方、ATL腫瘍細胞は典型的な活性化T細胞の表現型を示すにもかかわらず、活性化で消失するはずのL-セレクチン抗原(Leu8)が発現している。これは、ATL腫瘍細胞においてL-セレクチンの発現に何らかの異常が存在することを示唆するものと考えられる。

 本論文では分子病理学的立場から、実際にATL腫瘍細胞でのL-セレクチン遺伝子の発現異常を実証し、これとHTLV-1ウイルス遺伝子との関連性ならびにリンパ球の組織浸潤におけるL-セレクチン遺伝子の過剰発現の関与を明らかにすることを目的に、以下の実験を行った。

2.方法と結果

 ATL患者の腫瘍細胞を用いてL-セレクチン遺伝子のmRNAレベルでの発現をノザンブロット法で解析した。また、その一部を活性化刺激後に同様に解析した。その結果、新鮮なATL腫瘍細胞では、正常人末梢血単核球と比較して、L-セレクチン遺伝子の発現がmRNAレベルで常に亢進していた。また、活性化刺激後では、正常単核球ではその発現が低下するのに対し、ATL腫瘍細胞では逆に発現量がさらに増加した。また後者では、HTLV-1ウイルス遺伝子の発現も見られた。一方、ATL患者の血清中のL-セレクチンのshed formをELISA法で測定したところ、正常人血清と比較して著明に増加しており、またそれは、腫瘍細胞の量を反映するとされている血清中の可溶性IL-2R値との間に相関を認めた。これは、腫瘍細胞におけるL-セレクチンの過剰発現を示唆する結果と考えられる。

 HTLV-1の転写調節因子Taxは、感染細胞側の複数の遺伝子に対して発現を誘導することが知られているが、L-セレクチン遺伝子にも同様の機序が想定される。そこで、まずTax発現誘導可能な細胞株JPX9を用いてノザンブロット法で解析したところ、Taxの発現誘導に伴いL-セレクチン遺伝子の発現が次第に増加するのが認められた。更に、Taxによる発現誘導をin vitroで直接検討するため、未同定のL-セレクチン遺伝子の転写開始点とプロモーターを、以下のオリゴキャップ置換法で同定した。L-セレクチンの発現している細胞株J24とMT-1のpoly A+RNAのCAP構造を、特異的に合成RNAのオリゴキャップに置換した後、cDNAを合成した。次にL-セレクチンcDNAの5’側の既知の領域から複数のprimerを設定してRT-PCRを施行し、PCR産物から5’側末端のcDNAの塩基配列すなわち転写開始点を決定した。その結果、転写開始点は既知のゲノム遺伝子のエクソン2の上流約10ベース周囲に収束していた。この上流約1000ベースにはプロモーターに一般的なTATAボックスのような配列が認められなかったが、CATアッセイではプロモーター活性が認められた。またこの領域にはETS oncogeneファミリーのひとつのPEA3の結合配列を複数箇所認めたが、Taxと反応する既知の転写因子の結合配列は認めなかった。

 そこで、このプロモーターに対するTaxの作用をCATアッセイ法で検討した結果、Taxにより約5倍の転写活性の増加を認めた。一方、プロモーターの欠損変異についても同様に検討したが、反応性の変化が連続的であり、ある特定の領域のみが関連しているとの結果は得られなかった。生体内のATL腫瘍細胞では、ウイルス遺伝子の発現は殆ど認められず、L-セレクチンの過剰発現には別の機構が関与することが想定される。そこでL-セレクチンの過剰発現に関与する転写因子を、プロモーターの配列から推測・検証し、次にATL腫瘍細胞での、その発現を検討することとした。プロモーター内にPEA3結合配列が複数箇所認められることから、プロモーターの欠損変異とPEA3との関連をCATアッセイ法で検討したところ、PEA3の結合配列の数およびPEA3の量に依存して、転写活性の増加が認められた。またPEA3の結合配列を含んだプロモーターの断片をゲルシフトアッセイで検討したところ、PEA3があるときにはバンドはシフトし、またこのシフトは競合実験にて消失した。さらにこの結合配列の中央を変異させるとシフトは認めず、また転写活性の低下にも対応した。しかし、ATL腫瘍細胞ではPEA3の発現はノザンブロット法では認めなかったことから、ATL腫瘍細胞におけるL-セレクチン遺伝子の過剰発現には、別のETS oncogeneの関与、あるいは、さらに異なる機構が関与する可能性が考えられた。

 次に、生体内で過剰発現したL-セレクチンが、リンパ球の組織分布動態に影響を及ぼすかラットを用いて検討した。ラットL-セレクチン遺伝子を過剰発現させた細胞株L+TARL-2とその親株でこの遺伝子の発現していないTARL-2をFITCで標識し、各々1×107個をラットの尾静脈より投与して、2および18時間後に臓器を摘出した。次に凍結切片を作成し、抗FITC抗体を用いた免疫組織化学的検索で標識したリンパ球の組織分布を検討した。その結果、L+TARL-2の肺・肝・脾臓への分布が有意に高まっているのが認められた。

2.考察

 本研究によって得られた新たな知見をまとめると次のようになる。第一にATL腫瘍細胞では、L-セレクチン遺伝子の構成的過剰発現と発現調節異常が存在し、この構成的過剰発現はshed formL-セレクチンレベルの検討の結果からも支持された。第二にL-セレクチン遺伝子は、Taxによって発現が転写活性化される細胞側の一連の遺伝子群に入ると考えられる。第三に、L-セレクチン遺伝子のプロモーターはTATAlessプロモーターであり、ETS oncogeneファミリーのひとつのPEA3は、確かにL-セレクチン遺伝子の転写活性化に作用する。第四に、リンパ球におけるL-セレクチン遺伝子の過剰発現が、生体内で確かにリンパ球の組織分布動態に影響を及ぼす。以上の知見より、ATL腫瘍細胞の組織浸潤の発症機構にL-セレクチン遺伝子の過剰発現が関与している可能性が示唆された。

 実際にリンパ球が組織に浸潤するには、血管内皮細胞側のリガンドの発現がサイトカインによって誘導される必要がある。ATL腫瘍細胞では種々のサイトカインが発現していることから、これらが血管内皮細胞上のリガンドの発現に作用し、接着分子間の相互作用に影響を及ぼしていることが推測できるが、実際にどのサイトカインが関与しているのかは今後の検討が必要である。またL-セレクチンのshed formが流血中にある程度以上増加すると、逆にリンパ球と血管内皮細胞の結合を抑制するとの報告もある。従って、細胞表面に発現しているL-セレクチンとそのshed formの動的なバランスと臨床像との検討が今後必要であると考えられた。

 今回明らかになったL-セレクチン遺伝子をはじめ、Taxで転写活性化される細胞側の一連の遺伝子群は、一般的に生体内のATL腫瘍細胞で過剰発現しているが、一方、ウイルス遺伝子の発現はほとんど検出できない。従って、これらの遺伝子群の過剰発現の維持には、Tax以外の別の分子機構が存在している可能性も考えられる。そしてそれは、HTLV-1感染細胞の腫瘍化の後期過程に関連する可能性も考えられる。in vivoのリンパ球ではPEA3の発現は認められなかったが、L-セレクチン遺伝子を発現している多くの血球系細胞株でPEA3の発現が認められたことは、PEA3がin vivoでも、L-セレクチン遺伝子発現調節に関与する可能性を示唆するものと考えられる。また本研究によって、L-セレクチンのプロモーターはTATA boxやCAAT motifを持たないこと、またAP-1、Ets等のエンハンサー配列が複数存在するという特徴が初めて明らかになったが、これは、近年報告されてきた他の接着分子のプロモーターの構造的特徴と一致するものである。これは発現調節をうける遺伝子といわゆるhouse keeping geneとよばれる遺伝子の両者の特徴を合わせもつものであり、このようなプロモーターを持つ新たな遺伝子グループの存在を示唆するものである。また、L-セレクチンの発現調節は、リンパ球、顆粒球、単球等の組織浸潤および再循環において重要な役割を果たすものであり、今回のプロモーターの同定はその機能解析を進めてうえで、新たな手がかりを提示しているものと考えられる。

審査要旨

 本研究は、ATLの特徴的病態の一つである、腫瘍細胞の組織浸潤について、その分子機構を明らかにするため、接着分子L-セレクチンに注目して解析を行ない、下記の結果を得ている。

 1.新鮮なATL腫瘍細胞では、L-セレクチンの発現はmRNAレベルで常に亢進しており、また活性化刺激を加えると、正常のリンパ球ではこの発現が低下するのに対して、ATL腫瘍細胞ではL-セレクチンの発現が逆に更に増加した。すなわち、ATL腫瘍細胞では、L-セレクチンの構成的過剰発現と発現調節異常が存在することが示された。

 2.HTLV-1の転写調節因子,Taxの発現誘導が可能な細胞株、JPX9を用いた解析の結果、Taxの発現誘導に伴ってL-セレクチンのmRNAレベルの発現は、約2倍に増加した。

 3.オリゴキャップ置換法とCATassayによって、L-セレクチン遺伝子の転写開始点とプロモーターを同定した。このプロモーターCATとTax発現プラスミドを用いてcotransfection CAT assayを行なった結果、約5倍の転写活性化が認められたことから、L-セレクチン遺伝子の発現はTaxによって誘導される事が示された。

 4.L-セレクチンのプロモーターには、既知の転写因子の結合配列を複数箇所に認めるが、なかでもPEA3やPU BOXといったetsオンコジーンの転写因子の結合配列が多数認められた。in vitroの実験では、L-セレクチン遺伝子のプロモーター活性は、PEA3のトランスフェクションの量およびその結合配列の数に依存しており、またプロモーター内のPEA3結合配列の変異によって、DNAのPEA3蛋白に対する結合能の消失とプロモーター活性の低下が対応していた。このことから、PEA3はその結合配列に特異的に結合し、転写を活性化させることが示された。

 5.ATL腫瘍細胞では、PEA3の発現が認められなかったことから、L-セレクチンの構成的過剰発現には、別のetsオンコジーンの関与、あるいは、さらに異なる機構が関与する可能性が示唆された。

 6.ラットL-セレクチン遺伝子を過剰発現させた細胞を、経静脈的にラットに投与したところ、L-セレクチン遺伝子の発現していない親株に比べて、過剰発現した細胞を投与した場合には肝臓、脾臓にこれらの細胞を多数認めた。

 以上、本論文は、ATL腫瘍細胞における接着分子Lセレクチンの構成的過剰発現と発現調節異常の存在を明らかにし、この分子の発現調節において、HTLV-1の転写調節因子Taxが発現誘導に働くことを明らかにした。また生体内におけるLセレクチンの過剰発現は、リンパ球の組織分布に影響しうる事が示された。これらの知見は、ATL腫瘍細胞で認められる組織浸潤のみならず、他のHTLV-1関連疾患に共通して認められるリンパ球の組織浸潤の病態を分子機構から理解する上で新たな情報をもたらすと共に、その過程でこれまで不明であったLセレクチンの転写開始点とプロモーター領域を同定し、その構造および機能について、etsオンコジーンの転写因子PEA3との関連で、基礎的知見を明らかにしたことは、今後のこの分子の発現調節の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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