学位論文要旨



No 111362
著者(漢字) 森田,陽子
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,ヨウコ
標題(和) 高速液体クロマトグラフィーによる血漿および全血中デルタミノレブリン酸の測定-鉛の非顕性影響の鋭敏な指標として
標題(洋) Determination of delta-aminolevulinic acid in plasma and whole blood using high-performance liquid chromatography:Sensitive indicators of subclinical effects of lead
報告番号 111362
報告番号 甲11362
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1016号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 和田,攻
 東京大学 教授 野々村,禎昭
 東京大学 教授 大久保,昭行
 東京大学 講師 長尾,正崇
 東京大学 講師 東原,正明
内容要旨 I.はじめに

 非顕性影響とは化学物質への比較的低濃度の曝露によって現れる通常の臨床検査では発見されない健康影響であり、産業、環境および予防医学における主要な問題の1つである。鉛による非顕性影響にはヘム生合成系の攪乱が知られており、鉛作業者の生物学的影響モニタリングとして利用されている。デルタアミノレブリン酸脱水酵素活性(ALA-D)は鉛により鋭敏に阻害され、血漿その他の組織へのALAの蓄積に引続いて尿中へ多量のALAの排泄をもたらす。尿中ALA(ALA-U)はWHOにより鉛の影響指標として採用され、ルーチンには比色法により測定されているが、この方法は特異性に問題がある。最近開発された、ALAを蛍光誘導体化し高速液体クロマトグラフィー(HPLC)で測定する方法は、比色法より特異性が優れるが、尿流量による影響をまぬがれない。一方、鉛の影響指標として血漿(血清)中ALA(ALA-PまたはALA-Sr)や全血中ALA(ALA-B)の測定も試みられてきたが、これまでの測定法では感度や回収率に問題があり、ALA-PとALA-Bとの関係も不明であった。本研究では簡便で適切なALA-PおよびALA-Bの測定法を開発し、低濃度鉛曝露における量-影響関係の指標としての両者の有用性を評価した。

II.対象と方法

 鉛曝露集団は、塗装、古鉛再生などに従事する男子鉛作業者72名(21〜62歳、平均45歳、鉛曝露歴2-39年、平均14年)、対照集団は男子非曝露者26名(19〜61歳、平均44歳)であり、両者の年齢には有意差はなかった。健診時に両集団から血液(ヘパリンまたはEDTA処理)とスポット尿(鉛作業者のみ)を採取した。採血後は速やかに血漿分離し、全血も共に4℃で保存し、3日以内にALA-P、ALA-Bの測定を行った。一部の検体は、ひき続き4℃および-80℃で保存し、経日変化を調べた。尿は測定するまで-20℃で保存した。

 ALA-PおよびALA-Bの測定は本研究において種々条件を検討し、以下の方法で行った。血漿または全血100lに30mMヨードアセトアミド10lを添加し、25%トリクロロ酢酸50lで除蛋白し、得られた上清の10lを、蒸留水240l、200mM酢酸緩衝液(pH3.8)250l、A液(アセチルアセトン-エタノール-水,10:15:54,v/v/v)1.25ml、B液(8.5%ホルムアルデヒド,w/v)250lと共に15分間煮沸し、ALAの蛍光誘導体化を行った。水冷後、80lをHPLC分析に用いた。HPLCシステムには島津のLC-10Aポンプ、RF-550A蛍光検出器、SIL-10Aオートサンプラーを用いた。カラムはInertsil ODS-2(カラム温度40℃)を、移動相は0,1%酢酸含有50%メタノールを用い、0.7ml/minで溶出し、373nm/463nm(励起/蛍光)で蛍光検出した。ALA-Uは岡山らのHPLC法に準じて測定し、クレアチニン補正を行った(ALA-UCre)。Pb-Bはフレームレス原子吸光光度法により、ALA-Dはヨーロッパ標準法に準じて測定した。

 試料保存の影響を調べるため、採血時の値との間で対応のあるt検定を行った。鉛曝露に対する2指標間の関連はピアソンの積率相関係数(r)で表し、関連の強さの比較には相関係数の差の検定を行った。

III.結果1.ALA-PおよびALA-Bの測定条件

 ALAの蛍光誘導体化反応の反応効率と回収率は、反応に用いる緩衝液のpH、濃度に大きく影響された。反応効率は、pH3.6(ALA-P)、pH3.4(ALA-B)で最高であったが、回収率はpH3.8で両者共ほぼ100%となり最良であった。pH3.8での緩衝液濃度を検討すると最終濃度25mM以上で良好な回収が得られた。また20l以上の上清を用いると反応効率が低下した。以上の検討から「対象と方法」に述べた測定法を確立した。ALA-P、ALA-B共に検量線は400g/lまで直線性を示し、検出限界は2g/l(S/N=5)であった。ALA-P,ALA-Bの回収率はそれぞれ100.4±2.6%、102.0±4.1%(平均±標準偏差)であった。同時測定のCVはALA-Pで4.7%、1.8%(ALA-P濃度、10.5および60.5g/l)、ALA-Bで5.9%、1.7%(ALA-B、5.5および55.0g/l)であった。ALA-P、ALA-B共に抗凝固剤の違いによる測定値の差は認められなかった。

2.ALA-PとALA-Bの関係

 鉛作業者72名のPb-Bは2.5-115.4(平均36.2)g/dl、ALA-Pは40.5±77.1(範囲6.5-441.5)g/l、ALA-Bは25.8±51.7(3.1-279.8)g/lであった。鉛作業者のALA-PとALA-Bの間には強い直線関係がみられた(r=0.997)。各作業者について、ALA-P由来のALA-Bを意味する"ALA-B(P)"、すなわちALA-B(P)=ALA-P(100-Hct)/100を求め、ALA-B(P)/ALA-Bを計算すると平均0.976±0.110となり、この比はPb-Bが上昇しても有意な変化を示さなかった。非曝露者26名のALA-Pは8.6±1.3g/l、ALA-Bは4.8±0.6g/l、ALA-B(P)/ALA-Bの平均は0.971±0.048であった。測定試料の安定性を調べた所、4℃ではALA-Pは3日間、ALA-Bは6日間有意な低下がみられなかった。-80℃では両者共に6か月間安定であった。

3.鉛の影響指標としてのALA-PおよびALA-B

 鉛作業者においてALA-P、ALA-B、ALA-UCre、ALA-Dそれぞれの対数値はPb-Bと強い相関(いずれもrが0.9前後)を示した。しかしPb-Bレベルで鉛作業者を区切ったところ、40g/dl未満の鉛作業者群ではPb-BとlogALA-PおよびlogALA-Bとの相関(r=0.811およびr=0.798)はlogALA-UCreとPb-Bとの相関(r=0.600)より有意に高く、logALA-Uでのそれは有意でなかった。さらに、15g/dl未満の群でも、logALA-P、logALA-B、logALA-DがなおPb-Bと有意に相関する一方、logALA-UCreとPb-Bとの間には有意な相関はなかった。また、15g/dl未満の群でALA-Dと有意な相関を示すものはALA-P、ALA-B、Pb-Bだけであった。鉛作業者全員での関係をみた場合、ALA-PおよびALA-Bは両者とも、ALA-UおよびALA-UCreとの間に強い相関(r>0.9)を示した。

IV.考察1.ALA-PおよびALA-Bの測定条件

 HPLCがALAの測定に導入される以前、ALA-P、ALA-Srは比色法により測定されていたが、その方法は多量の試料を必要とし、検出限界も非常に高いものであった。最近、Hosodaら、TakebayashiらはHPLC法による測定を試みているが、彼等の方法はALAのピーク分離が不完全で回収率が悪いため、標準添加法によらねば測定できない繁雑さがあった。本研究では、蛍光誘導体化反応条件を検討(酢酸緩衝液の導入、用いる除蛋白上清の減量など)し回収率をほぼ100%に改良したため、絶対検量線法による簡便な測定を可能にした。その結果、本法による非曝露者のALA-PおよびALA-Bは、Hosoda、Takebayashiらの値の約1/3となった。Tomokuniらは血漿または血清中ALAを除蛋白なしで直接蛍光誘導体化する方法を報告しているが、HPLCに注入する前に検体毎のfiltrationが必要であり、ALA-Bの測定もできない。Tomokuniらの非曝露者のALA-Pの値は本法による値とほぼ一致するが、彼等の値は回収率で補正すると高くなる。本法は少量の試料に適用可能なため、1回の採血でPb-B、ALA-P、ALA-Bの測定ができ、オートサンプラーを用いればルーチン化も可能である。

2.ALA-PとALA-Bの関係

 これまで報告されているALA-Bの値は同一研究グループ(Hosodaら)においても一致せず、その値は他の研究グループによるALA-PのHct補正値とも一散しない。同一集団内でのALA-P、ALA-Bの測定なしには、血漿と血球中のALAの量的比較は困難である。また、血中でのALAの分布が鉛作業者と非曝露者で異なるかどうかも不明であった。本研究は鉛作業者および非曝露者の各人の血液について両者を平行して測定し、ALA-PからHct補正により計算されるALA-B(P)はALA-Bとほぼ一致し、血液中ALAはPb-Bによらずにほとんどが血漿中に存在することを明らかにした。ALA-BとALA-Pは計算により相互に変換可能である。ALA-Bの場合、溶血によりALA-Dが血球外に流出すると測定不能となるので、4℃保存ではALA-Pより安定性が劣る。-80℃保存では両者共6か月は安定である。ALAの血中分布および試料保存時の安定性に限ればルーチンの分析にはALA-Pの方が適していると考えられる。

3.鉛の影響指標としてのALA-PおよびALA-B

 ALA-Dは鉛曝露に極めて鋭敏であり、その間値は10-20g/dlのPb-B範囲にあるとされてきた。しかしALA-Dには、40-50g/dl以上のPb-Bで活性の低下がプラトーに達すること、採血後の不安定性、測定法の繁雑さなどの問題があり、鉛曝露の生物学的モニタリングとしてルーチンに測定されるには至っていない。本研究ではALA-P、ALA-B、ALA-U、ALA-UCreおよびALA-Dの各指標を測定したが、ALA-PとALA-Bの間には他の指標との相関係数において有意差がみられなかった。Pb-Bとの相関において、全Pb-B範囲では、この両者はALA-UCreと同様の高い相関を示し、40g/dl未満のPb-B範囲ではALA-UCreより優れている。さらに、ALA-UCreでは(Tabuchiらと同様に)有意な増加がみられない15g/dl未満のPb-B範囲においてもALA-P、ALA-Bが有意に増加し、かつALA-Dとも有意に相関することは、両者のPb-Bに対する閾値がALA-UCreよりも低く、ALA-Dのそれに近いことを示している。以上より、ALA-PおよびALA-Bは低Pb-Bから高Pb-Bまで利用可能であり、鉛の非顕性影響の鋭敏な指標と考えられる。

 血中ALAと尿中ALAの比較を行った所、5mg/lのALA-Uは73.6g/lのALA-Pに相当すると計算された。この値はTomokuniらの報告より高いが、彼等の値はわずか16名での測定によるものであった。

V.結論

 本研究により回収率、感度共に良好なALA-PおよびALA-Bの測定法が開発された。また、血中ALAはPb-Bレベルとは無関係にそのほとんどが血漿中に存在することが示された。さらに、本法によるALA-PおよびALA-Bは低Pb-Bから高Pb-Bまで利用可能であり、鉛の非顕性影響の鋭敏な指標であることが明らかにされた。

審査要旨

 本研究はヘム生合成系の中間代謝産物の1つであるデルタアミノレブリン酸(ALA)を血漿および全血中で測定する方法を開発し、その鉛曝露指標としての有用性についても検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.測定法の概要は蛍光誘導体化したALAを高速液体クロマトグラフィーで蛍光検出するものであるが、誘導体化の際の反応効率と回収率を検討した結果、10lの除蛋白上清中のALAを、pH3.8、最終濃度25mMの酢酸緩衝液中で蛍光誘導体化する方法を確立した。この方法は全血、血漿の両者に適用可能であり、回収率はほぼ100%、検出限界も2g/lと非曝露者の測定にも十分な感度であった。また本法は100lという微量サンプルで実行でき、CVも良好でオートサンプラーを用いたルーチン化も可能であることが示された。

 2.鉛作業者および非曝露者のそれぞれについて、血漿中ALA(ALA-P)および全血中ALA(ALA-B)の両者を測定して比較した。この際、各人についてALA-P由来のALA-Bを意味する"ALA-B(P)"、すなわちALA-B(P)=ALA-P(100-Hct)/100を求め、測定によるALA-Bと比較した。その結果、鉛作業者・非曝露者共にALA-B(P)/ALA-Bの平均はほぼ1となり、しかもその比は血中鉛濃度(Pb-B)が上昇しても有意な変化を示さなかった。これにより血中ALAはPb-Bレベルとは無関係にそのほとんどが血漿中に存在することが示された。

 3.鉛作業者においてALA-P、ALA-Bを測定したところ、Pb-B、デルタアミノレブリン酸脱水酵素活性(ALA-D)、および尿中ALA(ALA-U)との相関係数において両者に差はなかった。また両者はPb-B40g/dl未満の作業者におけるPb-Bとの相関においてALA-Uよりも優れていた。さらに少ない人数ではあるが、15g/dl未満の作業者においても、この両者はPb-BおよびALA-Dと相関を示した。これによりALA-PおよびALA-Bは低Pb-Bから高Pb-Bまで利用可能な、鉛のヘム生合成系への非顕性影響を示す指標となりうると考えられた。

 以上、本論文は血漿および全血中のデルタアミノレブリン酸(ALA)の測定において、両者を簡便に感度よく測定する方法を開発した。本研究はこれまで確証のなかった血中でのALAの分布を明らかにし、かつ両者の鉛曝露指標としての利用可能性も示したことから、学位の授与に値するものと考えられる。

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