我々の研究室では、ヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)の遺伝子発現の調節機構を解析してきた。 HTLV-1は、成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルスとして分離されたレトロウイルスである。我々はこのウイルスの遺伝子発現に、ウイルス由来の蛋白"Tax"が関与することを見い出し、またTaxに応答性を持つエンハンサーとして、21塩基対からなる配列(21bpエンハンサー)をウイルスゲノムの中から同定してきた。その後、Taxが何らかの細胞性蛋白を介して間接的にここに結合することが強く疑われたため、我々はHTLV-1感染細胞株のcDNAライブラリーからこの配列に結合する因子を単離することを試み、3つの新規な遺伝子(hXBP-1,ATF-1,ATF-2)とCREBの遺伝子を得た(注:CREBは、cAMP応答エレメント(CRE)に結合する蛋白として単離され、「cAMPを介する刺激に依存してCREからの転写を活性化する因子」として広く理解されている)。 さて私は、これらの4種の蛋白が21bpエンハンサー与える影響を調べるために、各々の蛋白の発現ベクターを、21bpエンハンサーを持つルシフェラーゼ・リポーターとともに培養細胞株に導入し、ルシフェラーゼ・アッセイを行った。その結果、CREB、またはそれと高い相同性をもつATF-1を導入した時にのみ、ルシフェラーゼ活性値が強く低下することを観察した。同様の現象は、21bpエンハンサーを持たない、複数の、互いに関連性のないルシフェラーゼ・リポーターを用いた場合にも観察された。 このように、CREBおよびATF-1の導入に伴って、リポーター遺伝子に由来する「ルシフェラーゼ」の活性値が非特異的に低下するとき、その原因として以下の3つの場合が考えられる。 I)ルシフェラーゼの分解促進、または活性阻害物質の蓄積が起きた場合、 II)ルシフェラーゼ・リポーターからの蛋白合成過程に障害が起きた場合、 III)細胞が傷害を受けた場合、または細胞が死んだ場合、 この検討を進めていた時、私は偶然にも、ヒトFL細胞にCREBの発現ベクターを導入した際に、時間経過に伴って培養皿から剥離してくる細胞が増えることに気づいた。そこで、CREBの導入に伴って細胞が傷害を受ける(死ぬ)のではないかと考えた。また、これらの剥離した細胞を光学顕微鏡で観察したところ、やや凝縮した形態を呈していることが解ったため、私は「CREBの導入に伴って細胞がアポトーシスを起こす」のではないかと考えた。(注:アポトーシスとは、細胞の形態学的変化(細胞質の凝縮、クロマチンの濃縮・分断、アポトーシス小体の形成)により定義される「細胞死」であり、しばしばゲノムDNAの特徴的な断片化を伴う。) 私は本研究において、上の仮説の検証を行った。 具体的には、以下の四つの点についての検討を行った。 培養細胞株にCREBの発現ベクターを、リン酸カルシウム法によるトランスフェクションにて導入し、この際に 1)傷害を受けた(死んだ)細胞の数が有意に増加するか 2)アポトーシスに特徴的なDNAの断片化現象が誘導されるか 3)傷害を受けた細胞において、アポトーシスに特徴的な形態変化が確認できるか 4)形態変化を起こした細胞では、CREBが高発現しているか を調べた。 以下に各々の項目の検討法とその結果を記す。 1)FL細胞に、CREBまたは他のCRE結合性蛋白(hXBP-1,ATF-1,ATF-2,ATF-4)の発現ベクターを導入し、37℃で30時間の培養を行った。その後、培養皿から剥離してきた細胞を全て回収し、その数を測定することで各々の蛋白の細胞傷害性を評価した。結果は、CREBおよびATF-1の導入に際してのみ、剥離細胞数の有意な増加を観察した。 2)FL細胞に、CREBまたは他のCRE結合性蛋白の発現ベクターを導入し、37℃で30時間の培養の後、全ての細胞(剥離した細胞、接着している細胞の両者)を回収し、そこからDNAを抽出して断片化の有無を調べた。結果は、CREBおよびATF-1の導入に際してのみ、アポトーシスに特徴的な断片化DNAが検出された。 3)2)で回収した剥離細胞をスライドグラスに固定し、DNAキレート剤により細胞の核を染色した後に光学顕微鏡で形態を観察した。結果は、CREBおよびATF-1の導入に伴って出現した「剥離細胞」の殆どのものが、アポトーシスに特有な濃縮した核を示していた。また電子顕微鏡による観察から、これらの細胞が実際にアポトーシスに特徴的な微細構造変化(クロマチンの濃縮・分断、アポトーシス小体の形成等)を来していることも確認した。なお接着している細胞の中にも少数ながら、CREBまたはATF-1の導入に際して濃縮した核を示す細胞が検出されたが、他のCRE結合性蛋白を導入した場合は全く検出されなかった。 4)FL細胞に、CREBまたは他のCRE結合性蛋白の発現ベクターを導入し、37℃で30時間培養した。その後全ての細胞を回収し、DNAキレート剤による核染色と抗CREB血清による免疫染色との二重染色を施して、核の濃縮とCREBの発現の関係を調べた。結果は、濃縮した核を持つ細胞の殆どのものがCREBを高発現していた。 以上、培養細胞株にCREBを導入した際に、CREBの発現に一致してアポトーシスに特徴的な形態学的変化が誘導されること、およびアポトーシスに特有なDNAの断片化現象が誘導されることが示された。従って「培養細胞株におけるCREBの過剰な発現はアポトーシスを誘導する」と結論した。 次に、CREBのアポトーシス誘導効果に対するbcl-2の拮抗性を調べた。(bcl-2とは、ヒトB細胞性リンパ腫で見られるt(14,18)の転座位の近傍から単離された癌遺伝子であり、ある種のアポトーシスを阻害することが知られている) 具体的には、FL細胞に、CREBとともにbcl-2の発現ベクターを共導入して、上の1)および2)のアッセイを行った。結果は、CREBを単独で導入した場合に比べてbcl-2を共導入した際には、剥離細胞の数、断片化DNA量のどちらもが有意に減少した。従って、CREBのアポトーシス誘導効果にbcl-2は拮抗すると結論した。 次に、CREBのアポトーシス誘導作用の分子機構を解析する目的で、CREBの変異体解析を行った。最初に、DNAへの結合性を欠く変異体(Pro-CREB)についてそのアポトーシス誘導性を調べた。具体的には、FL細胞にPro-CREBの発現ベクターを導入し、先の1)および2)のアッセイを行った。結果は、Pro-CREBを導入しても剥離細胞の数、断片化DNA量に有意な増加は観察されず、この変異体にはアポトーシス誘導作用がないこと、つまりアポトーシスの誘導にはCREBのDNA結合性が必要であることが示された。次に、DNA結合性を持つCREBの一連の欠損変異体を作成し、各々についてアポトーシス誘導作用を調べた。その結果、CREBの各ドメインのうち、Q1およびKIDが欠損してもアポトーシス誘導作用は低下しないこと、しかしQ2ドメインが欠損するとQ1、KIDが残っていてもアポトーシス誘導作用は完全に消失すること、一方このときQ2ドメインのC末側4アミノ酸が温存されていればアポトーシス誘導作用は弱いながらも認められることが解った。以上から、CREBによるアポトーシスの誘導にはQ2ドメインが必須であり、特にC末領域が重要であると結論された。 次に、CREBの「アポトーシス誘導作用」と「CREからの転写活性化作用」との関連性を検討する目的で、後者についてもCREBの欠損変異体解析を行った。その結果、Q1、KIDの両ドメインが欠損するとQ2ドメインが温存されていても「転写活性化作用」は減弱すること、Q1、KIDに加えてQ2ドメインのN末側半分が欠損すると「転写活性化作用」は完全に消失することが解った。以上、「アポトーシス誘導作用」と「転写活性化作用」についてのCREBの変異体解析の結果には不一致が認められ、この二つの作用が異なる機序に基づくものであることが示唆された。 最後に、CREBの導入に伴って「ルシフェラーゼ活性値」が非特異的に低下するという現象が、CREBによりアポトーシスが誘導されたことに原因があるのかを検討した。具体的には、bcl-2を共存させることでアポトーシスを抑制させた時に「ルシフェラーゼ活性の低下」が解消されるかどうかを調べた。結果は、CREBの発現量は低下しないにもかかわらず、bcl-2の発現ベクターを共導入した場合には、CREBによる「ルシフェラーゼ活性低下」の現象が全く観察されなくなることが示された。以上から、CREBの導入に伴う「ルシフェラーゼ活性の低下」という現象は、アポトーシスの誘導に伴う二次的な結果であると結論した。 以上、私は本研究にて、培養細胞株でのCREBの過剰発現がアポトーシスを誘導することを示した。その分子的機構の解明、および生理学的意義の検討が、今後の課題であると考えている。 |