学位論文要旨



No 111372
著者(漢字) 秋山,暢
著者(英字)
著者(カナ) アキヤマ,ノブ
標題(和) 食道がんにおける遺伝子増幅領域の解析
標題(洋)
報告番号 111372
報告番号 甲11372
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1026号
研究科 医学系研究科
専攻 第一臨床医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒木,登志夫
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 大原,毅
 東京大学 講師 北村,聖
内容要旨

 がんの特徴であるゲノム領域の増幅は、ゲノム不安定性の一つとして知られており、当初、がん原遺伝子のコピー数が増加する現象として捉えられていた。がん原遺伝子増幅は、そのコピー数の増加により遺伝子産物が過剰産生され、がん細胞に増殖優位性を賦与することによってがんの発生・進展に関与するものと推測されている。また、臨床的にも、がん原遺伝子増幅と予後に関する報告もなされている。数百キロベースから数メガベースにも及ぶ増幅単位内には、種々のがんで増幅しているc-ERBB-2,c-MYCといったがん原遺伝子が存在するように、がんの進展に関わる遺伝子の存在が予想される。現時点では、1つのかん細胞に増幅領域がいくつ存在し、その領域内で活性化されている遺伝子がいくつあって、その遺伝子ががんの進展とどう関わっているかということは、十分には明らかにされていない。今回、ゲノム・サブトラクション法を用いて、食道がんで増幅している新たなゲノム領域を単離し、食道がん細胞株及び手術標本併せて19検体について、この新たな領域と既知の4つのがん関連遺伝子の増幅を検討した。次に、数百キロベースに及ぶゲノム領域から発現している遺伝子を効率的かつ高感度に単離する方法を開発し、c-ERBB-2増幅領域内にあって発現が上昇している遺伝子の単離を行った。また、染色体11q13増幅単位内の遺伝子に関して、BCL-1転座を有するB細胞性腫瘍での発現を検討し、この領域でがんの進展に関与する遺伝子の同定を試みた。

 未知の増幅領域を分離・同定するためにゲノム・サブトラクションの手法の一つであるin-gel competitive reassociation(IGCR)法を用いて、食道がん細胞株TE11細胞DNAと正常胃粘膜組織DNAとのサブトラクション・ライブラリーを作成し、このライブラリーからTE11細胞で増幅している3個のクローン(Subtracted Genome Sequence:SGS-6,SGS-36,SGS-58)を単離した。ヒト-マウス体細胞雑種パネルを用いた染色体位置の検討では、SGS-6,SGS-36,SGS-58は、それぞれ、染色体4,11,8番に位置することが示された。細胞株及び手術標本での増幅パターンも考慮すると、SGS-6は新たな増幅単位上のゲノムDNA断片で、SGS-36とSGS-58は、それぞれ11q13増幅単位、c-MYC増幅単位上に位置するものと考えられた。4つのがん関連遺伝子(cyclin D1,c-ERBB-1,c-ERBB-2,c-MYC)及びSGS-6の増幅を6つの食道がん細胞株と13例の食道がん手術標本で検討した。SGS-6は、30%の検体で増幅が認められた。6つの食道がん細胞株のうちcyclin D1,c-ERBB-1,c-MYC,SGS-6の4領域が増幅しているものが2株、3領域が1株、1領域が1株、これら5領域の増幅を認めなかったものが2株あった。手術標本については、13症例中5症例(38.5%)に2つ以上(最高3つ)のゲノム増幅が認められた。このように、細胞株のみならず手術標本においても、かなりの頻度でゲノム増幅領域が複数個存在することが明らかとなった。また、複数の異なるゲノム領域の増幅は予想より有意に高頻度に起こっており、異なるゲノム領域が同時に増幅する確率は、何らかの機序によって上昇することが示唆された。今後、遺伝子異常と予後との関係を論ずる際、ゲノム不安定性の一つの指標として、どれだけの異なるゲノム増幅が存在するのかという量的な異常も考慮する必要があるものと思われる。

 数百キロベースにも及ぶ大きなゲノム領域上にコードされていてかつ発現している遺伝子を効率的、高感度に単離する方法を開発し、c-ERBB-2を含む約500kbの酵母人工染色体(yeast artificial chromosome;YAC)よりc-ERBB-2増幅単位内に位置する遺伝子の単離を試みた。ビオチン化したYACDNAとポリメラーゼ連鎖反応(PCR)で増幅されるようにアダプターを連結した食道がん細胞株TE6細胞由来のcDNAを熱変性後、液相でハイブリダイゼーションさせた。ハイドロキシアパタイトで1本鎖DNAを除去し、アビジン付着ビーズにビオチン化YACDNAを捕捉した。このYACDNAには、cDNAと会合しているものが含まれるので、引き続きPCRを行い、目的のcDNAを増幅した。この操作を2サイクル行った後、濃縮cDNAライブラリーを作成した。2サイクルの操作によりc-ERBB-2は、高度に濃縮されており、1,000,000クローンに1個の割合で含まれるような低発現のクローンであっても、容易に単離可能なまでに濃縮されていることが明らかとなった。TE6細胞でc-ERBB-2と共増幅している4種類のクローン(A39,B23,B47,C51)を濃縮ライブラリーより単離した。ノーザン解析では、B23とB47はc-ERBB-2の増幅しているTE6細胞、胃がん細胞株MKN-7細胞で過剰発現していたが、A39とC51の発現は認められなかった。しかしながら、A39クローンは、逆転写(RT)-PCRによってTE6細胞での発現が認められた。この様に発現量の極めて低いcDNAでも実際に単離されることが示され、この方法の感度、効率の高さが改めて実証された。B23の全長cDNAクローンを単離し、塩基配列を決定した。GenBankに対するホモロジー検索の結果、新たな遺伝子であることが判明し、B23をCAB1(a gene co-amplidied with c-ERBB-21)と命名した。CAB1は、種々のヒト正常組織で発現しているが、腎、肺、胎盤で比較的発現量が増加していた。また、ヒト、ウシ、ラット、チキン間で少なくとも塩基配列の一部が保存されていた。B47の塩基配列を決定したところ、B47は、SH2ドメインを持ち、マウスGrb-7cDNAと塩基配列で84.4%の相同性が認められ、マウスGrb-7のヒト・カウンターパートであった。従って、ヒトGRB-7とc-ERBB-2は、500kb以内に存在することが示された。最近、GRB-7が、SH2ドメインを介してリン酸化されたc-ERBB-2と結合することが報告されており、機能的に関連のある遺伝子が同一の増幅領域に存在することは、ゲノム増幅とがんの進展を考える上で大変興味深い。この様に、C-ERBB-2増幅領域には、増幅に伴って発現量が増加する3つの遺伝子、c-ERBB-2,CAB1,GRB-7、が存在することが明らかとなった。11q13増幅領域においても、複数の遺伝子が遺伝子増幅に伴って過剰発現していることが報告されており、1つのゲノム増幅領域には、ゲノム増幅に伴って過剰発現している遺伝子が複数個存在するという一般的概念が確立された。

 染色体11q13領域は、約50%の食道がんで増幅しており、この約300kbの増幅単位より5つの遺伝子(cyclin D1,EXP1,MB38,HST1,INT2)が単離されている。また、cyclin D1の110kbセントロメア側にはBCL-1座があって、これはマントルゾーン・リンパ腫などに特異的な染色体転座t(11;14)(q13;q32)の切断点として知られている。この領域でがんの進展に関与している遺伝子を同定するため、BCL-1転座を持つB綿胞性腫瘍におけるこれら5つの遺伝子の発現を検討した。食道がん細胞株では、ゲノム増幅に伴ってcyclin D1,EXP1の発現が上昇することが報告されているが、転座に伴って発現が上昇するのは、最も切断点に近いcydin D1遺伝子のみであった。従って、cyclin D1は、11q13領域内でがんの進展に関与する遺伝子の有力な候補と考えられた。cyclin D1は、G1期からS期への移行を促進する蛋白であり、転座ないし増幅によるcyclin D1の過剰発現ががんの進展に関与するものと推測されている。12-O-tetradecanoylphorbol-13-acetate(TPA)刺激によって増殖が止まり、単球系細胞に最終分化するヒト赤白血病細胞株HEL細胞を用いて、cyclin D1の発現と細胞増殖との関連を検討した。TPA刺激前の増殖細胞においてもcyclin D1の発現は認められたが、TPA刺激により完全に増殖が抑制されたHEL細胞におけるcyclin D1のmRNA量は予想外に増加した。従って、cyclin D1の発現上昇は必ずしも細胞増殖を引き起こすものではないことが示された。cyclinは、cyclin dependent kinase(cdk)の活性を調節している制御因子であり、Cip1/Waf1,p16,p27Kip1といったcdk阻害蛋白と相互作用することによって、G1期からS期への移行を調節していることが最近明らかとなっており、cyclin D1の細胞増殖活性を論じる際には、これらの蛋白との相互作用も考慮する必要があるものと思われた。このことは、単一の遺伝子異常が直接的にがんの発生・進展に関与しているのではなく、複数の遺伝子異常が関与しているとする多段階発がん説を裏付ける一つの傍証と考えられた。

 食道がんのゲノム増幅に関する一連の検索によって明かとなったゲノム増暢の一般的な特徴をまとめると、食道がんの約40%は、異なる複数のゲノム増幅領域を有し、このようなゲノムの多発性増幅は何らかの機序によって加速される。また、増幅単位内には、増幅に伴って発現量の増加している遺伝子が複数個存在するということである。従って、この様なゲノム構造の変化によって、今まで考えられていた以上に多くの遺伝子が活性化されることが明らかとなり、ゲノム増幅は、がんの進展に大きく寄与しているものと思われた。今までのがん研究においては、がん遺伝子の生物学的機能を中心に質的異常が検討され、強調されてきたが、本研究で示したように、がん遺伝子の量的異常に関しても十分考慮する必要があるものと思われた。

審査要旨

 本研究は、がんに特徴的で、その進展に関与すると思われる遺伝子増幅に関し、検討を行ったものである。ゲノム・サブトラクション法を用いて、食道がんで増幅している新たなゲノム領域の単離を行うとともに、ゲノム増幅領域内に存在する遺伝子の単離法の開発を行い、以下の結果を得ている。

 1.ゲノム・サブトラクション法を用いて食道がんで増幅しているゲノム領域の単離を試みた結果、食道がん細胞株TE11細胞で増幅している3個のゲノムDNA断片(SubtractedGenome Sequence:SGS-6,SGS-36,SGS-58)が単離され、そのうちSGS-6は、30%の食道がんで増幅が認められる新たなゲノム増幅単位上に位置するものであった。SGS-36とSGS-58は、それぞれ11q13増幅単位、c-MYC増幅単位上に位置するものと考えられた。4つの遺伝子(cyclin D1,c-ERBB-1,c-ERBB-2,c-MYC)とSGS-6の増幅を6つの食道がん細胞株と13例の食道がん手術標本で検討したところ、6つの食道がん細胞株のうち4領域が増幅しているものが2株、3領域が1株、1領域が1株、これら5領域の増幅を認めなかったものが2株あり、手術標本については、13症例中5症例(38.5%)に2つ以上(最高3つ)のゲノム増幅が認められ、約40%の食道がんにおいては、一つのがん細胞クローン中に複数のゲノム増幅領域が存在することが明らかとなった。

 2.増幅単位のように数百キロベースから数メガベースにも及ぶ大きなゲノム領域上にコードされ、かつ発現している遺伝子を効率的、高感度に単離する方法を開発し、c-ERBB-2を含む約500kbの酵母人工染色体(yeast artificial chromosome;YAC)よりc-ERBB-2増幅単位内に位置する遺伝子の単離を試みた。その結果、食道がん細胞株TE6細胞でc-ERBB-2と共増幅している4種類のクローン(A39,B23,B47,C51)が単離された。TE6細胞で過剰発現しているB23は、種々のヒト正常組織で発現し、ウシ、ラット、チキンで塩基配列の一部が保存されていたが、既知の遺伝子と有意な相同性のない新たな遺伝子であることが判明し、CAB1(a gene co-amplified with c-ERBB-21)と命名した。同様に過剰発現しているB47は、マウスGrb-7cDNAと塩基配列で84.4%の相同性が認められ、マウスGrb-7のヒト・カウンターパートであることが示された。今回開発した方法では、cDNAライブラリー中100万クローンに1個の割合で含まれる程度の極めて発現の低いものでも単離されうることが示され、実際に、ノーザン解析では発現は認められず、RT-PCRで検出されるような低発現のクローンA39が単離されている。この結果から、一つの増幅単位上には、増幅に伴って過剰発現する遺伝子が複数個存在することが明らかとなった。

 3.ゲノム増幅領域内に存在する遺伝子が、がんの進展にどう関わっているのかを明らかにするために、染色体11q13増幅単位上に存在する5つの遺伝子(cyclin D1,EXP1,MB38,HST1,INT2)の発現に関して検討を行った。この5つの遺伝子のうちゲノム増幅に伴って発現が上昇するものは、cyclin D1とEXP1であり、染色体転座t(11;14)(q13;q32)を持つB細胞性腫瘍においては、転座切断点に隣接するcyclin D1の発現のみが上昇していた。従って、cyclin D1は、11q13増幅単位上のがん遺伝子の有力な候補の一つと考えられた。一方、cyclin D1は、G1期からS期への移行を調節するG1サイクリンの一種であり、その逸脱した発現上昇により細胞増殖が促進されるものと予想された。そこで、TPA刺激によって増殖が止まり、単球系細胞に最終分化する赤白血病由来のヒト白血病細胞株HEL細胞を用いて、cyclin D1の発現と細胞増殖との関連を検討した。その結果、TPA刺激により完全に増殖が抑制されたHEL細胞において、cyclin D1のmRNA量は予想外に増加し、cyclin D1の発現上昇が必ずしも細胞増殖を引き起こすものではないことが示された。このことは、単一の遺伝子異常が直接的にがんの発生・進展に関与しているのではなく、複数の遺伝子異常が関与しているとする多段階発がん説を裏付ける一つの傍証と考えられた。

 以上、本論文は、一つの食道がんクローンにおいて複数のゲノム増幅領域が存在すること、一つの増幅単位には、過剰発現している遺伝子が複数個存在することを明らかにし、今まで考えられていた以上に多くの遺伝子が活性化されることを示した。本研究は、がんにおける遺伝子増幅の解析に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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