学位論文要旨



No 111375
著者(漢字) 小野,歩
著者(英字)
著者(カナ) オノ,アユム
標題(和) 自然発症高血圧ラットにおける食塩による高血圧と経口カルシウムの降圧作用に関する交感神経性機序 : 動脈圧受容器反射の関与
標題(洋) Smpathetic Mechanisms for Salt-Induced Hypertension and Antihypertensive Effect of Dietary Calcium Supplementation in Spontaneously Hypertensive Rats : Involvement of the Arterial Baroreceptor Reflex
報告番号 111375
報告番号 甲11375
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1029号
研究科 医学系研究科
専攻 第一臨床医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,清
 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 野々村,禎昭
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 講師 木村,健二郎
内容要旨 【はじめに】

 カルシウム(Ca)摂取量と血圧値に負の相関関係があることを示す多くの疫学的研究は、高血圧患者に経口的にCaを補充することにより降圧が得られる可能性を示唆している。ところが、実際の経口Ca補充の降圧効果については一致した臨床成績が得られず、未だ結論には至っていない。経口Ca補充による降圧の成否には被験者の背景の違いが関与しており、中でも食塩感受性の有無が重要であることが指摘されているが、この点は経口Ca負荷の降圧作用機序を考える上で重要な示唆を与えている。食塩感受性高血圧の発症には腎臓のナトリウム(Na)排泄の異常が基本的に重要であり、その機序として腎交感神経活動(RSNA)の調節異常が報告されている。また、経口Ca補充が食塩感受性高血圧において降圧を示す際にも、RSNAの異常の是正やNa利尿を伴うとの報告がある。従って、食塩感受性高血圧の発症および経口Ca補充の降圧の機序に交感神経活動の調節変化が重要であることが考えられる。交感神経活動の主要な調節機構の1つに動脈圧受容器反射があるが、この反射が食塩感受性高血圧の発症および経口Ca補充の降圧機序においてどのような役割を果たしているか未だ充分に検討されていない。

 そこで今回、まず最初に、幼若WKYおよび幼若SHRを用い、食塩負荷が平均血圧(MAP)、RSNAおよび動脈圧受容器反射にどのように影響するかを調べ、食塩感受性動物と食塩非感受性動物の間の食塩負荷に対する交感神経活動調節の変化様式の差異を検討した(実験1)。次ぎに、幼若SHRにおいて食塩摂取量を変化させた際に、経口Ca補充がMAP、RSNAおよび動脈圧受容器反射に与える影響を調べ、食塩高血圧と経口Ca補充による降圧作用との関連、および経口Ca補充による交感神経活動調節の変化様式を検討した(実験2)。両実験とも動脈圧受容器反射については反射の全般特性と中枢特性を共に求め、各群で比較検討した。

【方法】

 実験1では6週齢のWKY、SHRをそれぞれ正常(0.66%)食塩食を与える群、高(8.00%)食塩食を与える群に分け、この4群(正常食塩WKY群,n=10;高食塩WKY群,n=9;正常食塩SHR群,n=8;高食塩SHR群,n=10)を4週間飼育した。実験2では6週齢のSHRを4群に分け、それぞれ普通食(0.66%NaCl,1.17%Ca:Control群,n=13)、高食塩食(8.00%NaCl,1.17%Ca:High salt群,n=14)、高食塩+高Ca食(8.00%NaCl,4.07%Ca:High salt+Ca群,n=12)、高Ca食(0.66%NaCl,4.07%Ca:High Ca群,n=8)にて4週間飼育した。その後、両実験ともハロセン麻酔下にMAP、心拍数(HR)及びRSNAを測定した。RSNAは血管運動神経活動の指標である。動脈圧受容器反射の全般特性として、phenylephrine(0.5-30g/kg)またはsodium nitroprusside(1-10g/kg)の静注により血圧を急性に変化させ、MAP-RSNA関係およびMAP-HR関係を4群で比較した。また中枢神経系の特性を比較するために大動脈神経(ADN)を電気刺激(100Hzまたは25Hz,0.2ms,0.5〜10V)し、有髄(A)および無髄(C)線維群によるRSNAおよびHR反応の抑制率(%)を4群で比較した。以下、p<0.05をもって有意とする。

【結果】実験1.

 (1)MAPは、SHRでは高食塩群が正常食塩群より有意に高く(145±4vs118±3mmHg)、WKYでは両群に有意差を認めなかった(95±4vs95±2mmHg)。

 (2)RSNAは、SHRでは高食塩群で正常食塩群より有意に高く(315±30vs211±16p/s)、WKYでは両群に有意差を認めなかった(48±13vs34±8p/s)。

 (3)MAP-RSNA関係の最大ゲイン(Gmax)は、SHRでは高食塩群が正常食塩群より有意に低かったが(0.61±0.07vs0.98±0.05mmHg-1)、WKYでは逆に高食塩群が正常食塩群より有意に高かった(1.23±0.09vs0.96±0.07mmHg-1)。MAP-HR関係のGmaxも同様の傾向を示し、SHRでは高食塩群が正常食塩群より有意に低かったが(0.38±0.13vs0.96±0.05mmHg-1)、WKYでは逆に高食塩群が正常食塩群より有意に高かった(1.36±0.13vs0.97±0.07mmHg-1)。

 (4)ADNのA線維群の電気刺激(100Hz)によるRSNAの抑制率は、SHRでは0.5〜10Vにおいて高食塩群が正常食塩群より有意に低かったが、WKYでは逆に0.5〜10Vにおいて高食塩群が正常食塩群より有意に高かった(図1)。ADNのC線維群の電気刺激(25Hz)によるRSNAの抑制率にはSHRおよびWKYのいずれにおいても高食塩群と正常食塩群で有意差を認めなかった(図1)。

 (5)ADNの電気刺激によるHRの抑制率は、100Hzおよび25Hzとも4群間に有意差を認めなかった。

 (6)普通食群のSHRとWKYを比較すると、MAPとRSNAについてはSHRがWKYより有意に高かったが、動脈圧受容器反射のGmaxおよびADNの電気刺激によるRSNAの抑制率には両群で有意差を認めなかった(図1)。

実験2.

 (1)MAPは、High salt群ではControl群より有意に高く(142±4vs120±3mmHg)、High salt+Ca群(119土3mmHg)ではHigh salt群より有意に低かった。High Ca群(119±4mmHg)はControl群と有意差がなかった。

 (2)RSNAは、High salt群ではControl群より有意に高く(336±26vs177±14p/s)、High salt+Ca群(185±19p/s)ではHigh salt群より有意に低かった。High Ca群(148±28mmHg)はControl群と有意差がなかった

 (3)MAP-RSNA関係のGmaxは、High salt群ではControl群より有意に低く(0.60±0.06vs1.02±0.06mmHg-1)、High smlt+Ca群(0.95±0.12mmHg-1)ではHigh salt群より有意に高かった。High Ca群(1.11±0.13mmHg-1)はControl群と有意差がなかった。MAP-HR関係のGmaxも同様の傾向を示し、High salt群がControl群より有意に低かったが(0.44±0.12vs1.07±0.12mmHg-1)、High salt+Ca群(0.99±0.09mmHg-1)ではHigh salt群より有意に高かった。High Ca群(0.89±0.05mmHg-1)はControl群と有意差がなかった。

 (4)ADNの100Hz刺激でのRSNAの抑制率は、High salt群では1〜10VでControl群より有意に低く、High salt+Ca群では1〜10VでHigh salt群より有意に高かった(図2)。High Ca群はControl群と有意差がなかった(図2)。ADNの25Hz刺激によるRSNAの抑制率には4群間に有意差が見られなかった(図2)。

 (5)ADNの電気刺激によるHRの抑制率は、100Hzおよび25Hzとも4群間に有意差を認めなかった。

図表図1.WKYおよびSHRの動脈圧受容器反射の中枢特性(大動脈神経の電気刺激による腎交感神経括動の減少)に食塩負荷が与える影響 W:WKY,S:SHR *p<0.05,**p<0.01:WKYの正常食塩群との比較 †p<0.05,††p<0.01:SHRの正常食塩群との比較 / 図2.食塩摂取量を変化させた時のSHRの動脈圧受容器反射の中枢特性の変化に経口Ca補充が与える影響 *p<0.05,**p<0.01:Control群との比較 †p<0.05,††p<0.01:High salt群との比較
【考案】

 食塩感受性高血圧モデルであるSHRにおいて、食塩負荷は血圧および交感神経性血管運動神経活動を増大させるとともに、動脈圧受容器神経のうち興奮閾値がより低い有髄線維群による交感神経反射を抑制した。他方、食塩非感受性モデルであるWKYにおいては、食塩負荷は血圧および交感神経性血管運動神経活動には影響しなかったが、動脈圧受容器反射に関してはSHRの場合とは逆に有髄線維群による交感神経反射を増強させた。従って、SHRとWKYにおける血圧・交感神経活動の食塩感受性の差は、動脈圧受容器反射の中枢機構の食塩に対する反応性の差と関連することが示唆された。次ぎに、経口Ca補充は食塩を負荷した幼若SHRにおける高血圧、緊張性交感神経活動の亢進および動脈圧受容器を介する反射性交感神経活動調節の異常を是正するが、食塩を負荷していない幼若SHRにおいてはそれらに影響しないことが示された。以上より、経口Ca補充の降圧効果は食塩感受性高血圧と関連が深く、その機序に食塩負荷による動脈圧受容器反射の中枢神経機構の異常を経口Ca補充が回復させることが関与しているものと考えられる。食塩およびCa摂取による動脈圧受容器反射の中枢神経機構の変化の機序は不明であるが、NaイオンやCaイオンの中枢への直接作用、もしくはレニン-アンジオテンシン系やウアバイン様物質の変化を介する作用が関与している可能性があり、今後の検討を要する。

審査要旨

 研究者のグループは食塩感受性高血圧の発症機序に交感神経系の亢進が関与し、経口Ca補充の降圧作用機序に交感神経系の抑制が関与することを報告してきた。申請者は、今回の実験で食塩感受性高血圧モデルである幼若期の自然発症高血圧ラット(SHR)を用いて直接的に交感神経活動を測定し、経口的に食塩負荷およびカルシウム(Ca)補充を行った際の交感神経活動の緊張性調節および動脈圧受容器による反射性調節がどのように変化するかを検討し、下記の結果を得た。

 1.4週間の食塩負荷は幼若SHRの平均血圧(MAP)および腎交感神経の緊張性活動(RSNA)を有意に増大させたが、Wistar-Kyoto rats(WKY)のそれらには有意な影響を与えなかった。したがって、幼若SHRの食塩感受性高血圧の発症、維持機構に交感神経系の亢進が関与することが示唆された。

 2.動脈圧受容器反射の全般特性として、薬物によりMAPを急性に変化させた際のMAPとRSNAの関係およびMAPと心拍数(HR)の関係を求めた結果、食塩負荷はSHRにおける両関係の最大ゲインを減弱させたが、WKYにおいては逆にそれらを増強させた。

 3.動脈圧受容器反射の中枢特性として、大動脈神経(AN)を電気刺激した際のRSNAおよびHRの減少の度合を検討した。食塩負荷はSHRにおけるANのA線維群によるRSNAの抑制反射を抑制したが、WKYにおいては逆にその反射を増強させた。一方、ANのC線維群を介するRSNAの抑制反射については、食塩負荷はSHRおよびWKYのいずれにおいても有意な影響を及ぼさなかった。また、ANの電気刺激によるHRの減少反射については、食塩負荷はSHRおよびWKYのいずれにおいても有意な影響を及ぼさなかった。

 4.4週間の食塩負荷と同時に経口的にCaを補充しておくと、食塩負荷によるMAPおよびRSNAの上昇が防止された。

 5.食塩負荷による動脈圧受容器反射の全般特性および中枢特性の変化はいずれも経口Ca補充により防止された。

 6.経口Ca補充は食塩を負荷していないSHRにおいては、MAP、RSNA、動脈圧受容器反射の全般特性および中枢特性のいずれに対しても有意な影響を及ぼさなかった。

 以上のように、本論文は交感神経性血管運動神経活動を直接モニターすることにより、幼若SHRにおける食塩による血圧上昇に、緊張性交感神経活動の増大と動脈圧受容器反射による交感神経調節の障害を伴うことを示しており、食塩感受性高血圧の発症、維持機構における交感神経系の関与を強く示唆している。また、経口Ca補充が食塩負荷による交感神経活動の緊張性調節および動脈圧受容器を介する反射性調節の異常を是正することを示し、経口Ca補充による降圧作用機序に交感神経調節の回復が関与することを示唆した。さらに重要な知見は、食塩負荷および経口Ca補充による動脈圧受容器反射の可塑性に、中枢神経機能の変化が寄与している可能性を示した点である。以上の結果は、食塩感受性高血圧の発症、維持および経口Ca補充の降圧作用に関わる交感神経性機序の理解をさらに深めるものであると考えられ、学位の授与に値するものであると認める。

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