学位論文要旨



No 111379
著者(漢字) 虞,嘉恵
著者(英字)
著者(カナ) グ,カケイ
標題(和) トリグリセリドによる血小板膜流動性の変化とそのメカニズムについて
標題(洋)
報告番号 111379
報告番号 甲11379
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1033号
研究科 医学系研究科
専攻 第二臨床医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 日暮,真
 東京大学 助教授 岩森,正男
 東京大学 講師 東原,正明
 東京大学 講師 山田,信博
内容要旨

 近年小児期の高コレステロール血症と成人の動脈硬化との間の因果関係が示唆され、小児期にすでに、成人病である動脈硬化のプロセスが始まっていることが明らかになりつつある。

 従来、動脈硬化の独立促進因子ではないとみなされていたトリグリセリドにもLDLなどを通じて動脈硬化を促進する作用があると報告されている。一方、Aviram、Shattilらはトリグリセリドによる血小板の凝集能低下作用があることを示し、それが血小板膜のコレステロール含量の低下による膜流動性の増加と関連していることを推測している。

 このように、トリグリセリドの動脈硬化成立における役割についてはまだ不明な点が多い。さらに、日常の診療においてイントラリピッドやイントラファットなどの脂肪製剤は栄養剤として広く使われている。このような背景の下に、我々はトリグリセリドの血小板に対する影響を検討するために、トリグリセリド投与による血小板膜流動性の変化を測定した。

材料と方法(1)血小板の採取、

 成人ボランティアより空腹時に採取した静脈血から血小板血漿(Platelet rich plasma:PRP)を分離した。

(2)血小板膜の調製

 PRPは各濃度のトリグリセリド(triglyceride rich fraction)とさまざまな条件下でインキュベートした後、蒸留水で洗浄、浸透圧ショックにより形質膜を破壊し、更にリン酸緩衝液で洗浄後、2.5mlリン酸緩衝液中でホモジネート(polytron,スピード5、30秒)し、最後にリン酸緩衝液で蛋白濃度250g/mlに調節し、血小板膜懸濁液を作成した。

(3)膜流動性の測定

 血小板膜流動性は蛍光プローブDPHによる蛍光異方性(fluorescent anisotropyを利用した方法で測定した。anisotropyは次式に当てはめて算出した。r=(I|-I)/(2I+I|)。なお、膜流動性は1/rと比例することが示されている。

(4)トリグリセリド分画の調製

 トリグリセリド分画(triglyceride rich fraction:TRF)はAviramらの方法に従って、20%イントラファットより濃度勾配による超遠心法で調製した。

(5)血小板脂質の測定

 血小板よりFolchの方法で、抽出した脂肪分画中のコレステロール、リン脂質、トリグリセリドをそれぞれコレステロールオキシダーゼ法、Bartlett法及び薄層クロマトグラフィーで測定した。

結果(1)in vitroでのトリグリセリドの血小板膜流動性への影響

 血小板を,トリグリセリド懸濁牛アルブミン(1%)リン酸緩衝液中でインキュベートし、、血小板膜流動性の時間的変化について検討した。血小板膜流動性はトリグリセリドとインキュベート後30分で増加し始め、時間と共に約2時間で前値の125-167%にまで上昇(アニソトロビーの低下)することが示された。なお、BSAリン酸緩衝液中でインキュベートした血小板では膜流動性の上昇が認められなかった。次に23人のボランテイアから採取した血小板を同様の条件で6時間インキュベートし、トリグリセリドの有無によるアニソトロピーの変化を調べた。膜流動性の著明な増加(アニソトロピーの低下)が認められた。(P<0.001,paired t-test)。

 次に、トリグリセリドによる血小板膜脂質組成の変化を調べた。トリグリセリドと血小板を6時間インキュベートし、トリグリセリドの有無による血小板膜中のコレステロール、リン脂質、ならびにトリグリセリド量を測定し、タンパクあたりの量を算定した。トリグリセリドはほぼ2倍近くまで増加し、リン脂質は25%の有意の増加(p<0.05)を示したが、コレステロールは有意の増加が認められなかった。また、膜流動性に影響するコレステロール/リン脂質比も、トリグリセリドとのインキュベートによって有意の変化を示さなかった。

(2)in vivoでの高トリグリセリドの血小板膜流動性への影響

 次にin vivoでの高トリグリセリド血症の影響を探るため、ウサギを使用して実験を行った。ウサギ6羽に20%イントラファットを動注し(トリグリセリドとして1,500mg/kg)、血小板膜流動性の変化を測定した。イントラファット動注2時間後に動注前値と比較すると、有意の増加が認められた(P<0.05 paired t-test)。

(3)ヒトにおける高トリグリセリド血症と血小板膜流動性の関係

 ボランティア15名から空腹時と食後2時間に採血を行い、食事前後の血小板膜流動性と血漿中のコレステロール、トリグリセリドを測定した。血小板膜流動性は食後有意の増加を示した(P<0.05)。また、血漿中の脂質ではトリグリセリドのみが有意の上昇を示し(p<0.05,paired t-test)、コレステロールに有意の変化は認められなかった。

考察

 今回の実験で初めて高トリグリセリド血症が血小板膜流動性を有意に上昇させることが確認された。AviramとShattilらの結果と合わせて、血小板のトリグリセリドによる凝集能低下は血小板膜流動性の増加によるものと考えられる。

 今回の実験では血小板コレステロール値の有意の変化は認められなかった。さらに、膜流動性を変動させるパラメーターであるコレステロール/リン脂質比も有意の変化は認められなかった。唯一インキュベート前後で変化したのは血小板膜中のトリグリセリド濃度であった。今回の実験結果をそのまま解釈すれば、血小板膜のトリグリセリド量の増加がコレステロール/リン脂質比を介さずに、直接血小板膜の流動性を変化させている可能性がある。ただし、現在のところトリグリセリド分子が、血小板膜とどのような関係にあるのか不明であり今後の検討を要する。

 ウサギを使ったin vivoの実験ではイントラファットの中にはトリグリセリドのほか少量のリン脂質とコレステロールも含まれるため、トリグリセリド単独の影響とは言い切れないが、血小板膜流動性とトリグリセリドとの間には相関関係が認められ、トリグリセリドが血小板膜流動性をin vivoでも増加させているという仮説を支持する結果が得られた。

 食事後の血小板膜流動性増加は、食事による血液内の変動因子があまりにも多岐に渡るため、容易に結論を出せないが、この実験結果も今回の仮説を支持するものであった。

審査要旨

 トリグリセリドが血小板に及ぼす影響を血小板膜流動性の変化と血小板脂質組成の変化の2点から検討し、下記の結果を得た。

 1.ヒト血小板を仔牛血清アルブミン溶液中に懸濁したトリグリセリドと37℃でインキュベートし、血小板膜流動性と血小板膜脂質組成の変化を見た。インキュベート開始後30分間で、膜流動性に反比例するアニントロピー値は低下し始め、2時間後に前値の60-80%まで低下(膜流動性の増加)した。トリグリセリドを加えないで併行して行った実験では、血小板膜流動性の変化は見られなかった。次に、23人のボランティアから採取した血小板を同様条件下で、トリグリセリドと6時間インキュベートし、血小板膜流動性と血小板膜脂質の変化を測定した。インキュベート前と比べて、インキュベート後に膜流動性の著明な増加が認められた。以上の結果がらin vitroでのトリグリセリドによる血小板膜流動性の上昇することが示された。

 2.トリグリセリドとのインキュベートによる膜脂質変化を検討すると、血小板膜トリグリセリドは前値の2倍近くまで有意に増加し、リン脂質は25%の有意の増加が認められた。コレステロールは増加傾向を示したが、有意差は認められなかった。また、膜流動性の決定因子の一つである膜コレステロール/リン脂質比を求めたが、トリグリセリドとのインキュベート前後で有意の変化は認められなかった。この事実からトリグリセリドが血小板膜コレステロール/リン脂質比の変化を介さずに直接血小板膜流動性を変化させる可能性があることが示された。

 3.in vivoでのトリグリセリドの血小板膜流動性への影響を見るため、ウサギ6羽に20%イントラファットを(トリグリセリドとして1500mg/kgの濃度で)動注し、血小板膜流動性の変化を調べた。イントラファット動注2時間後に採取した血小板膜の流動性は有意な増加(アニソトロピーの低下)を示していた。

 最後に、ボランティア15名から空腹時と食事2時間後に採血し、ウサギの実験と同様に、血小板膜流動性の変化を調べた。血小板膜流動性は有意の増加を示した。なお、食事前後での血漿中のトリグリセリド、コレステロール濃度を同時に測定したところ、トリグリセリドのみ有意の増加が認められた。

 以上の実験結果からin vivoでも高濃度のトリグリセリドの存在は血小板流動性を上昇させることが示された。

 以上、本論文はトリグリセリドの血小板膜流動性への影響を調べることにより、初めて高濃度のトリグリセリドが血小板膜流動性を有意に上昇させることを明かにし、また血小板コレステロール/リン脂質比を介さずに直接血小板膜流動性を変化させる可能性があることを示した。本研究は高トリグリセリド血症の血小板機能への影響に関して、新たな視点を提示し、今後の脂肪製剤の臨床応用にも有用であると思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

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