本研究では転移に関連して発現される遺伝子の単離と解析を目的として、B16メラノーマF10とBL6間のdifferential screeningを行なった。 F10は経静脈的移植で肺への高転移性を示し、BL6は皮下からの移植で肺への高転移性を示すB16メラノーマの亜細胞株である。F10は尾静脈よりの移植によって形成された肺転移巣からの細胞の単離を10回繰り返したものであり、BL6はマウス膀胱膜から浸潤脱出するF10細胞をクローニングしたものである。両者はいずれも高転移性株でありながらその転移様式が異なり、実験的転移並びに自然転移を表すモデルとされる。以下、その機構解明のために、いくつかの方法論を開発し、さらに転移に関連して発現される遺伝子の単離を行った。 方法として 1 高転移亜細胞株どうしのdifferential screeningによる比較 2 Digoxigenin nonRI systemによるdifferential screening法の2点が本研究で新たに試された方法である。 これまでの高転移株と低転移株の比較に関する研究では、高転移細胞株からはミトコンドリア遺伝子など、代謝や増殖に関連して発現される遺伝子が単離される可能性が高く、転移特異的に発現される遺伝子解析の障害となっていた。増殖性その他の性質に大きな差のない高転移株どうしの比較は、こうした問題点を解消すると考えられた。 実際の方法としては、短い感光時間しか必要ないDigoxigenin nonRI systemを利用した。それにより、露光時間を変化させた感光が容易になり、スポットどうしのより正確な比較が可能になった。さらにこのシステムではRIに比較してスポットの辺縁をよりクリアーに描写することが可能であり、比較並びに単離の精度を高められた。 細胞をマウスに投与する系の確認実験の中では、F10,BL6については従来の報告通りの結果が得られたが、卵巣の転移株から単離されたB16メラノーマO13が自然転移、実験的転移とも高転移性を示すことが明らかになった。また、BL6の一部の保存株や,脳への転移巣から単離されたB15bではその転移性が失われており、転移能の変化しやすいことが示された。こうした形質の変化がこの種の研究を進める上での障害となっていたことが示唆された。 F10,BL6よりoligo-dT primerによるcDNAを作製し、それぞれ自他のメッセンジャーRNAから作製されたcDNAプローブとの間でプラークハイブリダイゼーションを行った。50万のプラークのcDNAについてdifferential screeningを行い、その結果F10に発現の多いクローンとしてファーストスクリーニングで133個を単離し、BL6に発現の多いものとして57個を単離した。しかしながらサードスクリーニング後まで残ったものはそれぞれ21個と7個であった。これらはさらに互いに他をプローブとしたプラークハイブリダイゼーションにて分類され、5’,3’両末端からの剖分塩基配列を決定し、ホモロジー検索することで分類された。いくつかのクローンは重複して単離されており、これは当初のスクリーニングが十分であったことの傍証であると考えられた。これらの中には現在までに転移関連として報告のあった複数のクローンが単離された。 さらにそれらのクローンを用いたノーザンブロット解析を行い、F10,BL6に発現の差のあるものとして8個の遺伝子を同定した。そのうちの1個はホモロジー検索にて今までに報告のなかった新規の遺伝子であり、I-227と名づけられた。 F10に発現の高いものとしてpolyubiquitin,I-227,LRF-1,pyruvate kinaseの4個が確認され、他方BL6に発現の高かったものとしてferritin light chain,tyrosinase related protein 2(TRP2),triosephosphate isomerase,10-formyltetrahydrofolate dehydrogenaseの4個が確認された。その反面、laminine receptor,elongation factor-1,heat shock protein等、従来から転移との相関が指摘されていたいくつかの遺伝子については明らかな相関関係が見られなく、転移メカニズムの多様性が示唆された。 ferritin light chainに関しては、最近growth factorとしての機能が報告されているが、そのopen reading frameの全長が確認され、1アミノ酸の変化が認められた。triosephosphate isomerase,pyruvate kinaseはいずれも糖代謝に関連する酵素であり、従来から悪性化と糖代謝の関連については指摘されていたが、実験的転移と自然転移ではそのカスケードの別の部位が活性化されていることが示された。TRP2は色素産生関連の遺伝子であり、DOPAchrome tautromeraseであることが明らかにされているが、現在、TRPはそのメラノーマ特異的な発現が注目されている。今回の結果はTRP2の転移能を反映するマーカーとしての可能性を示すものであった。10-formyltetrahydrofolate dehydrogenaseは葉酸の合成に関与している酵素であるが、その阻害剤であるMTXは抗癌剤として使用されている。転移との関連では転移巣を形成する腫瘍がしばしばMTX耐性であることと矛盾するものではないと考えられた。LRFは再生肝臓に発現の高い遺伝子として、やはりdifferential screeningの手法を用いて同定されたものであるが、転写因子であることが明らかにされている。今回の結果中、polyubiquitinとともに最も発現の差の大きいものであり、TRP2も含めて、これらが予後マーカーとして利用されることが期待された。 colon26 adenocarcinoma NL17,NL22はそれぞれ経静脈的並びに皮下移植で肺への高転移性を示し、B16メラノーマ同様、実験的・自然転移のモデル系である。単離・同定されたクローンのこの系での発現を確認した。ferritin light chain,triosephosphate isomerase,10-formyltetrahydrofolate dehydrogenaseはNL22に発現が高く、I-227はNL17に発現が高かった。これはB16メラノーマで見られたのと同様の発現傾向であり、それらの遺伝子がより広範な細胞系で転移に関連して発現している可能性を示すものであった。 新規に単離された遺伝子であるI-227に関しては、あらたに作成したランダムプライマーによるライブラリーから、ノーザンブロットで示された長さのクローンを単離し、その全塩基配列を決定した。さらにgenomic libraryから5’端断片をプローブとしてクローンの単離を行った。種々の場所に設定したプライマーを用い、cDNAを鋳型としてPCRを行うことで非翻訳領域との境界周辺の5’endと考えられる部位を特定した。同定した全長3.5Kbpの中で、フレームは最長でも200bp程度であった。最も翻訳の可能性の高い部位はcoding probabilityの計算から5’端近くのものであったがATG周辺の6個の塩基配列は完全にKozakの法則(CCACCATGG)を満たしていた。 機能に関する考察を行う目的でI-227と10-formyltetrahydrofolate dehydrogenaseの正常組織での発現を確認した。その結果10-formyltetrahydrofolate dehydrogenaseは心筋や骨格筋で発現が高かったのに対し、I-227は正常組織での強い発現を認めなかった。I-227は低転移株での発現も低く、より悪性である転移細胞に特異的に発現している可能性が示唆された。 こうした一連の発見から期待される臨床応用として、上記8個の遺伝子発現の検索による予後の予測や、そのプロモーター領域を利用した遺伝子治療への応用などが考えられた。現在メラノーマに関して診断は病理的な判断によっており、定量性を備えた診断法の開発の臨床的意義は大きいと考えられる。また、既にtyrosinase related proteinはそのプロモーターがメラノーマの実験的遺伝子治療に利用されており、今回単離された他のクローンについても、今後、そうした方面で活用されることが期待される。 |