表皮においてケラチノサイトは、分化と共に増殖を停止し、自律的に核を喪失し、死していく特異な変化を来す。しかし、この一見非活動的に見える過程の中で、表皮は、生理的なバリアー機能、保水機能、皮膚弾性を得ると共に表皮・角質細胞の接着と落屑をコントロールしている。そして、このために各種の物質を盛んに代謝・合成している。こうした変化に伴い出現する物質が表皮細胞の分化の指標とされている。表皮内蛋白質では、いくつかのタイプのケラチンやケラチンフィラメントを大きなフィラメントに凝集するといわれるフィラグリン、コーニファイド・エンヴェロープ形成に関与するインボルクリン、ロリクリン、表皮トランスグルタミナーゼ等が表皮分化に対する有用なマーカーとして位置付けられている。表皮構成脂質の中では、N-(O-linoleoyl)- -hydroxy fatty acyl sphingosyl glucoseとコレステロール硫酸が細胞分化に密接に関連していると考えられている。前者は、プロテインキナーゼC活性と細胞内Ca2+濃度を変化をさせることにより表皮トランスグルタミナーゼ活性を増強し、コーニファイド・エンヴェロープ形成を促進する。後者のコレステロール硫酸は、角質細胞の秩序立った接着と落屑のコントロールに関与するとされている。そして、表皮トランスグルタミナーゼ等と共に培養にてケラチノサイトがコンフルエントになり分化を始めると出現すると言われ、in vitroではケラチノサイト分化マーカーとして用いられている。しかし、in vivoでの表皮細胞の分化過程に於ける役割については不明である。 この研究では、in vivo表皮内でのこれら表皮特異的脂質、特にコレステロール硫酸の役割を知ることを目的として実験を進めた。 まず<実験1>でコレステロール スルフォトランスフェラーゼの基本的性質を明らかにし、表皮に於ける酵素活性の高さを他臓器に於けるそれと比較した。その結果、コレステロール スルフォトランスフェラーゼがSH酵素であることが証明された他、皮膚に於ける同酵素の比活性が他の臓器よりはるかに高いことがわかり、コレステロール硫酸が、in vivoにおいても表皮細胞において何らかの特異な役割を果たしていることが予想された。 次いで、発生に伴い表皮もまた生体内で1層の基底層の表皮細胞から活発に分化形成されてくるであろうことに着目し、ICRマウスの胎生14・15・16・17日目及び生後2日目・4ヵ月目を用いて、これら表皮特異的脂質の生体内分化過程に於ける変化を解析した。その結果、in vivoにおいてN-(O-linoleoyl)- -hydroxy fatty acyl sphingosyl glucose(エピデルモシド)とコレステロール硫酸は、ほぼ同じころに出現し始め(胎生15日目)、同じころピークに達する(胎生17日目)ことが判った。また、コーニファイド・エンヴェロップ形成のkey enzymeとして知られケラチノサイト分化のマーカーとされる表皮トランスグルタミナーゼとコレステロール スルフォトランスフェラーゼ・の活性の変動を比べると、細胞の多層化の時期に一致してコレステロール スルフォトランスフェラーゼが急峻に誘導され、角質層の肥厚という次の段階に至って表皮トランスグルタミナーゼが誘導されていることが明らかになった。このことより、in vitroのみならずin vivoにおいてもコレステロール硫酸濃度とコレステロール スルフォトランスフェラーゼが、ケラチノサイト分化の有用なマーカーとなるということを初めて証明された。また、コレステロール スルフォトランスフェラーゼと表皮トランスグルタミナーゼの活性が生体内で表皮発生の課程で段階的に誘導されてくることも初めて明らかになった。さらに、今までステロイドスルファターゼ欠損によりコレステロール硫酸が異常に蓄積し落屑障害を来す伴性劣性遺伝性魚鱗癬の研究から、コレステロール硫酸の角質細胞の接着に果たす役割については注目されていたが、今回の結果からin vivoでは角質細胞が出現するより前の段階でコレステロール硫酸の合成が誘導されていることが判り、コレステロール硫酸がケラチノサイトの生細胞層においてどのような働きをしているかは未だ未知数ではあるが、ケラチノサイトの分化増殖過程において何らかの重要な働きをしていることが強く示唆される。そして、このドラマティックな変動の間、コレステロール サルフェート スルファターゼの活性はあまり大きな変動を見せないことより、コレステロール硫酸濃度の変化はその合成酵素活性に主に依存している様に思われた。 続いて、表皮細胞層の肥厚する色々な病態に於けるコレステロール硫酸代謝について調べる為に、各種マウスさらにヒト肥厚性瘢痕を用いて実験を進めた。マウスでは、表皮細胞層の厚い順にヌードマウス・ヘアレスマウス・BALBcマウスの順であり、コレステロール スルフォトランスフェラーゼ活性・コレステロール硫酸濃度もこの順で高値を示すように見えた。しかし、コレステロール サルフェート スルファターゼ活性は、これらの動きとは全く別にヘアレスマウスで特に高く、メードマウス・BALBcマウスはほぼ同じくらいであった。これにより、皮膚の病態により種種のコレステロール硫酸の代謝調節メカニズムが働いていることがうかがわれる。ヒトの正常部表皮と肥厚性瘢痕部では、肥厚性瘢痕部で表皮の厚さが厚くなることが知られている。コレステロール スルフォトランスフェラーゼ活性をみると、7検体中5検体は肥厚性瘢痕部の方が高値を示すが、2検体では正常部の方がやや高値を占めすというように、不均一な結果となった。肥厚性瘢痕部が高値を示した5検体について見ても正常部との値の差は1.4-6.6倍までかなりのばらつきがある。さらにコレステロール サルフェート スルファターゼ活性について調べると、コレステロール スルフォトランスフェラーゼ活性との連動性はないようであり0.7-2.3倍までの間に分布していた。肥厚性瘢痕部位では、正常部に加えられたある種の外傷刺激が引き金となり何らかのファクターが表皮に異常な増殖刺激となって伝わって表皮肥厚をきたすものと思われる。これまでの実験結果を踏まえ、この過程の比較的初期にコレステロール スルフォトランスフェラーゼ活性が刺激される時期があるのではないかと考える。肥厚性瘢痕を来すいわば異常な創傷治癒の過程は、創傷の経時的変化も多様であり、これに伴いコレステロール硫酸の代謝制御メカニズムも経時的に変化している可能性もある。 さらに、表皮細胞の多層化に伴いコレステロール硫酸濃度が上昇する過程をより詳しく解析する方法として、表皮細胞の多段階癌化誘導モデルを用いて研究を進めた。その結果、プロモーションの段階でコレステロール スルフォトランスフェラーゼの活性が高く誘導されてくることが判った。プロモーションを起こす物質としては、フォルボールエステル系のTPAとノン・フォルボールエステル系のChrysarobinを用いたが、いずれにおいても活性が亢進したことより、プロモーターとしての薬物作用機序によらず、プロモーション過程に普遍的に生じる現象である可能性がある。また、いずれも1回塗布後24時間という早期に酵素活性の上昇を見ていることより、プロモーション過程のスイッチ・オンと密接に酵素活性が誘導されコレステロール硫酸合成が開始されている可能性がある。ケラチノサイトの分化増殖に於ける細胞内情報伝達経路との関わり合いが注目されるところである。さらに、前癌状態であるパピローマの発生に伴いコレステロール スルフォトランスフェラーゼの活性がさらに上昇しているが、このとき産生されるコレステロール硫酸の役割が、in vivoに於けるケラチノサイトの分化に於けるものと同じであるかどうかは不明である。つまり、パピローマにおけるコレステロール スルフォトランスフェラーゼ活性の大きな上昇が、徐々にもたらされたものか、段階的に急激に誘導されたものかはわからないが、パピローマの形成にコレステロール スルフォトランスフェラーゼのさらなる活性亢進が伴うことは非常に興味深い。さらに、コレステロール サルフェート スルファターゼ活性は、いずれもコントロール例より減少しており、コレステロール硫酸濃度上昇に合目的な制御メカニズムが働いていることを思わせた。 コレステロール硫酸の生体内作用を推測させる報告として、プロテインキナーゼC の活性をコレステロール硫酸が特異的に促進すると言う報告やスフィンゴシンとコレステロール硫酸が強固な結合を作り得ることを証明し、コレステロール硫酸の働きはスフィンゴシンの生理活性を失わせることにより間接的に発現されるとする報告があるが、本研究の様に、ノン・フォルボールエステル系のChrysarobinすなわちプロテインキナーゼCを活性化しないとされるプロモーター作用時のコレステロール スルフォトランスフェラーゼ活性上昇とこれらのプロテインキナーゼCを介するといわれる現象との関連は明らかではない。 本研究により、コレステロール スルフォトランスフェラーゼが、皮膚に活性の極めて高い酵素であることが判ると共に、生体内で表皮分化過程に伴い分化の早期段階に誘導されてくる酵素であることが明らかになった。さらに、皮膚の多段階癌化誘導モデルにおいて、プロモーションと共に活性が亢進し、前癌状態であるパピローマ形成時にさらに活性上昇する酵素であることも明らかになった。このことから、コレステロール硫酸及びコレステロール スルフォトランスフェラーゼ活性は、表皮細胞の分化研究の上で大いに役立つ指標となると思われた。また、表皮細胞の分化増殖ならびに癌化の過程における細胞内情報伝達系において何らかの重要な役割を果たしていることが予想され、今後の細胞内情報伝達系の研究に大きく寄与することが期待される。 |