学位論文要旨



No 111389
著者(漢字) 吉永,真理
著者(英字)
著者(カナ) ヨシナガ,マリ
標題(和) 日本の都市部に居住する母親の適応過程 : 妊娠中から産後3ヶ月までのフォローアップ研究
標題(洋) Adaptation of mothers in urban area of Japan : A follow-up study from gestation to 3 month postnatal
報告番号 111389
報告番号 甲11389
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1043号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日暮,真
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 大井,玄
 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 助教授 早川,浩
内容要旨 I.緒言

 近年、わが国においては、出生率の低下、初産年齢の上昇、核家族化の進展を背景に、妊娠、出産、産後に至る再生産過程に関する研究の必要性はますます高まっている。本研究は、都市に居住する母親を対象に、妊娠後期から産後3ヶ月に至る期間の繰り返し調査により、以下の点を明らかにすることを目的とした。

 1.母親の適応状態(身体的愁訴、抑うつ、不安を指標とする)と養育環境に関する要因(パリティ、同居家族形態、産後の里帰りの有無、ソーシャルサポート)との関連。

 2.妊娠中から産後3カ月に至る母親の適応状態の経時的変化と産科的合併症との関連。

II.対象と方法1.対象

 調査は都内2ヶ所の総合病院産婦人科に定期検診に訪れた妊婦(妊娠後期)を対象とし、妊娠後期(研究1)、産後1ヶ月(研究2)、産後3ヶ月(研究3)の3回行った。対象者数は、研究1で318名、研究2では、そのうち産後1ヶ月の定期検診を受診した230名であり、質問紙への回答は病院で行われた。研究3は、産後3ヶ月時に対象者への郵送調査で行い、211名から回答を得た。

2.方法2-1.測定項目

 基本的属性として、年齢、パリティなどの人口学的属性および経済的ゆとり、家族形態などの社会学的属性について把握した。

 妊娠後期(T1)、産後1ヶ月(T2)、産後3ヶ月(T3)の3時点で、(1)母親の心身状態:Todai Health Index(THI)の多愁訴、抑うつに関する30項目、Spielberger State-Trate Anxiety Inventry(STAI)の状態不安に関する20項目。(2)ライフ・イベントに関する9項目。(3)ソーシャルサポートの期待感に関する項目(情緒的サポート5項目、実際的サポート5項目)。特にT3では、サポートしてくれた人を列挙してもらい、サポート源を「家族のメンバー」「コミュニティのメンバー」「専門家」に分けて、その有無と人数を把握した。

 T1、T3で、(4)妊娠中および産後の「心配事」:T1では妊娠、出産、産後に関する8項目、T3では産後の育児や母親自身の生活に関する12項目。

 さらに、研究2の質問紙と病院のカルテから、産科的合併症の有無を確認した。

2-3.分析方法

 統計解析にはSASを用い、t検定、U検定、X2検定とともに、ANOVA、重回帰分析、重判別分析を行った。

III.結果

 対象とした211名の母親の平均年齢は29歳(範囲18〜42歳)、初産婦が107名、経産婦が104名(3人目以降の出産は22名)であった。87%の対象者の家族形態は、核家族であった。30%の母親は産後実家に滞在していた。またパリティに関しては、3人目あるいは4人目の子どもの出産は、全体の10%しかなかった。本研究においては、パリティの影響は初産婦と経産婦の間で比較によって検討した。これらの養育環境に関する要因のうち、パリティ、家族形態、産後の里帰りの有無、およびソーシャルサポートに着目し、都市に特徴的な養育環境が母親の適応過程に及ぼす影響について以下のような結果を得た。

1.養育環境の影響1-1.出産経験の有無

 T1〜T3の心身状態および「心配事」についての初産婦と経産婦の得点において、有意な差が見られたのは、T2(産後1ヶ月)の抑うつ得点だけであった。「心配事」の各項目のうち初産婦と経産婦の間で有意な得点差が見られたのは、「妊娠中の食事」「出産時の痛み」「出産・育児の費用」「育児」(以上、T1)、「子どもの健康」「子どもの発育」「育児に際しての周囲の干渉」(以上、T3)であった。

 「心配事」による心身状態の重回帰分析では、T1、T3の経産婦の抑うつ状態において最も高いR2が得られた。

1-2.他の養育環境に関連する要因

 ソーシャルサポートの期待感に関しては、初産婦は3つの調査時点すべてで経産婦より高く、またサポート源に関しては、コミュニティと専門家に初産婦は経産婦より多くのサポートを求めていた。

 パリティ、家族形態、産後の里帰り、サポート源の有無と適応指標の得点に関して分散分析を行ったところ、T2、T3の不安得点においてのみ、有意な効果が見られた。初産婦では、より多くのサポートを得た者ほど、不安得点が高く、経産婦では逆に不安得点はサポートを得るほど低くなっていた。

2.母親の適応に関連する要因2-1.産科的合併症の頻度

 産科的合併症の頻度に関しては、妊娠時合併症のあったもの:84名(39.8%)、分娩方法が帝王切開であったもの:29名(13.7%)、合併症をともなう経膣分娩であったもの:81名(38.4%)、合併症のない経膣分娩であったもの:101名(47.9%)、児の合併症のあったもの:25名(11.8%)、であった。社会人口学的変数のうち、妊娠時、分娩時、児の合併症に分類した産科的合併症の発症リスクを有意に上昇させたのは、妊娠時合併症に対しては流産経験(オッズ比2.4、信頼区間1.3-4.4)、帝王切開に対しては年齢(オッズ比4.4、信頼区間1.6-12.3)、経膣分娩における合併症に対してはパリティ(オッズ比0.5、信頼区間0.3-1.0)、児の合併症に対しては流産経験(オッズ比0.2、信頼区間0.0-0.9)、パリティ(オッズ比0.4、信頼区間0.1-1.0)であった。分類した合併症に対する心身状態変数による判別分析では、的中率が妊娠児合併症59.7%、帝王切開と経膣分娩の判別では73.3%、経膣分娩におおける合併症の有無では60.5%、児の合併症では73.3%となった。判別に有意に寄与した変数は、妊娠時合併症にはなく、帝王切開は年齢、経膣分娩における合併症では「抑うつ」、児の合併症では年齢、パリティ、「心配事」、「抑うつ」であった。

 特に児の合併症の判別においては、年齢とパリティに加え、「心配事」と「抑うつ」も有意に寄与しており、妊娠中の心身状態の測定と既往歴、体質的要因の評価を組み合せて、合併症発症をある程度予測できることが示された。

2-2.母親の適応状態の経時的な変化

 対象者の心身状態得点のT1〜T3の変動を検討するために、得点の75%値を基準に、上回った場合をA、下回った場合をBとし、AAA、AAB、ABA、ABB、BAA、BAB、BBA、BBBの8タイプに分類した。多愁訴、抑うつ、不安の各指標ごとに、変動のタイプの頻度を見ると、各々BBB以外、すなわち調査期間を通じて少なくても1度は75%値を上回った値を示したものが半数を占めていた。次に、産科的合併症の有無とタイプの頻度の関係を見たところ、妊娠児合併症ありの群となしの群で、抑うつ得点のタイプの頻度分布が統計的に独立に起きていることが示された(X2=15.1、p=0.05)。

 次に、これらの合併症の有無によって、3つの調査時点の各指標の得点の分散分析を行った。不安以外の、多愁訴、抑うつでは、各合併症なしの群で有意な変動が見られた。多愁訴では、妊娠時合併症ありの群でも有意な変動が見られた。一方、群間で有意な得点差が見られたのは、帝王切開の有無による産後の不安得点と、児の合併症の有無による、T2の抑うつと不安得点で、帝王切開群と合併症ありの群で高値を示した。

IV.考察

 初産婦は具体的な心配事を多く抱え、特に不安感の強いものでは、利用できる限りのサポートを利用しようとする傾向が見られた。それは、有意に高い得点を示した心配事の項目からみても、未知の体験である分娩、育児についての具体的な怖れや悩みが背景となっていると考えられる。一方、今回用いた「心配事」尺度は、経産婦の心身状態を説明するのにより適しており、経産婦では、心配事の程度が適応状態に反映されやすいと解釈できる。育児すべき子どもの多い経産婦の育児負担は、核家族の多い都市部では、ほとんど母親が一人で背負っているのが現状であり、特にサポートの得られにくい経産婦では、不安感を強めていることがうかがえた。

 過半数の母親は調査期間中一度は75%値を越える心身状態得点を示し、またその変動のパターンは多様で、先行研究で示された内分泌学的、あるいは社会心理学的要因が複雑に関与していることがうかがえる。本研究では、産科的合併症の有無の影響を特に取り上げたが、総じて合併症のあるもので、得点が高いところで調査期間を通じて一定していることが示された。これは、合併症の影響から回復しないうちに、育児の負担が加わり、各指標の得点を上げているという、適応過程の一側面を示しているといえる。

V.結論

 本研究の結論は以下のように要約される。

 1.初産婦は、心配事尺度の得点が高く、特に分娩、育児に関する心配を多く抱えていた。また、心配事尺度による適応状態の予測に関しては、経産婦でより高いR2を示した。ソーシャルサポートに関しては、初産婦は不安が強いほどソーシャルサポートを多く求め、一方経産婦では、不安が強いほど、ソーシャルサポートが少ないことが示された。このことから、産前教育の重点が初産婦におかれている現状が必ずしも適切でなく、心配事やソーシャルサポートの有無に配慮した個別な対応の重要性が示唆された。

 2.年齢、パリティに心身状態に関する諸変数を加えた判別分析の結果、帝王切開と経膣分娩、および児の合併症の有無の判別に際して、的中率は各々73.3%に達した。すなわち、妊娠中の母親の身体的および心理的な状況を的確に把握し対処することが、合併症発症の低下に貢献すると考えられる。

 3.産科的合併症を有する群では、調査期間を通じて、心身状態の適応は悪い状態のまま維持されていた。これらの群では、適応過程に遅れが見られる傾向が示唆された。

審査要旨

 本研究は母親の再生産過程の適応における、心理社会的要因へのアプローチの重要性を示し、保健活動への応用を念頭において、医学生物学的要因との関連性の検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.母親の適応にパリティが大きな影響を与えることを示した。初産婦は経産婦より多くのソーシャルサポートを得ており、前者の高い心配事得点との関連が示唆された。また経産婦では、心配事得点が高いもの、およびソーシャルサポートが少ないものほど、心身状態は悪い傾向が示された。

 2.年齢とパリティに心身状態に関連する要因を加えて行った判別分析において、帝王切開の有無、および児の合併症の有無の判別で十分な的中率を示した。

 3.産科的合併症を有した群では、調査期間を通じて、ストレスが高く、心身状態得点は一貫して高得点を示した。産科的合併症のない群と比較して、前者の産後の適応は遅れる傾向にあることが示された。

 以上、本論文の結果から母子保健活動に対する提言として、1)産前教育の内容の多様化と対象の拡充の必要性、2)質問紙を用いた産前の心身状態の把握から、産科的合併症の予防に有意義な情報が得られる可能性、3)乳児検診に加えて、少なくとも産後3ヶ月までは、産科的合併症を有した母親群へのフォローアップを行うことの重要性、の3点が得られた。本研究はこれまで未知に等しかった、再生産過程におおける母親の適応状態の変化の把握、およびその関連要因の検討を通して、保健活動に貢献すると考えられる資料を提供しており、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53859